和算の天才「会田算左衛門」のお話[2018年09月27日(Thu)]
(山形暮らし)
今朝のFMラジオ番組で、
山形大学教授で和算の研究を
なさっている脇先生が紹介されていました。
和算とは日本独自の数学のことです。
和算家関孝和が興した「関流」に対し、
「最上流(さいじょうりゅう)」という
流派を興したのが、山形生まれの和算家
会田算左衛門という人物だったそうです。
山大の脇先生は5年ほど前に算左衛門のことを知り、
それから和算の研究を始められたとのことでした。
山形に住んではいるものの、
会田算左衛門という名を聞いたのは
初めてでしたので、ちょっと調べてみました。
会田算左衛門こと会田安明は
延享4年2月10日(1747年3月20日)に現在の
山形市で生まれました。
16歳から算術を学び、23歳で旗本の養子になって
江戸へ出、鈴木彦助と名乗って利根川の治水工事
などを行っていたそうです。
それと並行して、関流の和算家たちと
20年にわたる論争を続け、その中で「最上流」を
興したとのこと(最上川に因んだ流派名)。
やがて汚職事件に巻き込まれて免職となり、
地元に戻って会田姓となってからは、
和算の研究と教育に尽力しました。
東北地方での和算の発展への寄与、
200冊以上の手稿など和算に関する業績のみならず、
地理・天文・歴史・経済・海外事情に至る
幅広い知識と教養を持っていたという会田算左衛門。
本当にすごい人物だったんですね。
そんな会田算左衛門に関するものとしては、
山形市滑川の禅昌寺(ぜんしょうじ)に
「最上流算学師元祖自在先生碑」が、
市内小荷駄公園に「會田算左衛門安明之像」が、
それぞれ建立されているそうです。
興味のある方は一度見に行ってみてください
※今朝のラジオ番組の内容についてはこちら。
https://www.tfm.co.jp/smile/reports/yamagata/20180927/
※「和算」についてはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%AE%97
※会田算左衛門についてはこちら。
https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shicho/jiman/jiman201702.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%94%B0%E5%AE%89%E6%98%8E
今朝のFMラジオ番組で、
山形大学教授で和算の研究を
なさっている脇先生が紹介されていました。
和算とは日本独自の数学のことです。
和算家関孝和が興した「関流」に対し、
「最上流(さいじょうりゅう)」という
流派を興したのが、山形生まれの和算家
会田算左衛門という人物だったそうです。
山大の脇先生は5年ほど前に算左衛門のことを知り、
それから和算の研究を始められたとのことでした。
山形に住んではいるものの、
会田算左衛門という名を聞いたのは
初めてでしたので、ちょっと調べてみました。
会田算左衛門こと会田安明は
延享4年2月10日(1747年3月20日)に現在の
山形市で生まれました。
16歳から算術を学び、23歳で旗本の養子になって
江戸へ出、鈴木彦助と名乗って利根川の治水工事
などを行っていたそうです。
それと並行して、関流の和算家たちと
20年にわたる論争を続け、その中で「最上流」を
興したとのこと(最上川に因んだ流派名)。
やがて汚職事件に巻き込まれて免職となり、
地元に戻って会田姓となってからは、
和算の研究と教育に尽力しました。
東北地方での和算の発展への寄与、
200冊以上の手稿など和算に関する業績のみならず、
地理・天文・歴史・経済・海外事情に至る
幅広い知識と教養を持っていたという会田算左衛門。
本当にすごい人物だったんですね。
そんな会田算左衛門に関するものとしては、
山形市滑川の禅昌寺(ぜんしょうじ)に
「最上流算学師元祖自在先生碑」が、
市内小荷駄公園に「會田算左衛門安明之像」が、
それぞれ建立されているそうです。
興味のある方は一度見に行ってみてください
※今朝のラジオ番組の内容についてはこちら。
https://www.tfm.co.jp/smile/reports/yamagata/20180927/
※「和算」についてはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%AE%97
※会田算左衛門についてはこちら。
https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shicho/jiman/jiman201702.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%94%B0%E5%AE%89%E6%98%8E