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Elixir(エリクシール)は、「万能薬」。それには「粋」「情」「エッセンス」「科学」が含まれます。Elixir(万能薬)には困ったときならずも、日常の備えとしても人生をとても楽しくしてくれるもの、更に美しい年を重ねるための媚薬の意味もあります。

2012年05月01日

川村晴一氏との登山:西穂高岳

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4月28日から29日、憧れの西穂高岳に、私どもの山の先生、川村晴一氏に連れて行って頂きました。
川村氏は1983年日本人として初めてエベレスト無酸素登頂を成し遂げた日本隊の隊長だった方で、神田神保町のグリーンライフスポーツという山岳用品のお店のアドバイザーをしていらっしゃるので、数年前からご指導を頂いています。体力と気力には自信がありますが、ワンゲル出身でもないので自分たちで行けるところには限界があるのですが、川村氏に教えを請いながら、雪山を年に一回歩いています。

28日早朝に東京を発ち、新穂高温泉からロープーウェイで西穂高山荘に入りました。そして29日、西穂高を目指しました。

お天気は申し分なく、白銀がまぶしく輝いていました。アイゼンで凍った足元の雪を蹴るように踏みしめ、ピッケルを使って一歩一歩進みました。
稜線を登って行くのですが、雪庇という稜線の風下にできる雪の塊が、もう5月ともなると薄くなっていて、それに誤って載ったりすると雪庇ごと奈落の底に落ちてしまうという危険が伴い、また、雪が解けたところに覗く岩のかけらが、浮き石となって、それに足を取られて滑落する危険もあるのですが、それらの危険を一つ一つ回避するように歩いて行きました。

必要なところでは、川村氏のアドバイスで、ザイルでお互いの体を縛りました。万が一足を滑らせても、一人だけ落ちてしまわないようにです。

From top of Nishiho.JPG
見渡せば、笠ヶ岳、焼岳、乗鞍岳、そして前方には、奥穂高、前穂高が見え、また稜線を歩き進むにつれ、南岳、槍ヶ岳までも見えました。雪の斜面の登りは体力を消耗しますが、贅沢な程の眺めに励まされるように進みました。

西穂山荘から、丸山を過ぎ、独標を超え、ピラミッドを過ごして2908mの西穂高岳山頂に立った時は、眩しい陽射しが足元の雪に反射し、素晴らしい明るさに心が洗われるようでした。誰かにこの喜びを伝えたいと思うのは、狭い頂上に立つ人たち誰もが思うことだったでしょう。

西穂は、険しくも美しい山だと思いました。
稜線歩きは一歩間違えば奈落の底に落ちる恐ろしさを隠してはいますが、奥穂高岳から前穂高岳への吊尾根のような猛々しい美しさとも違って、陽の光を浴びた雪の眩しさは神々しくも優しいものでした。また山の配置の妙によって、美しい山岳風景で魅了する登山道は、西穂ならでは・・・。初めて登ったのに、大ファンになってしまいました。

素敵な山行を導いて下さった川村氏には心からお礼申し上げます。

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写真は、私が当日、川村氏から拝借した、Simond社のピッケルです。
川村晴一氏については、以下のサイトでご覧ください。
http://www.greenlife.co.jp/kawamura.html
http://www.greenlife.co.jp/kawamura-hike_2012-2013.pdf

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posted by Sonoko at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言

2012年03月29日

役員室の花

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福島出張の朝、よく晴れてとてもいいお天気でした。
風はまだ冷たいのですが、陽射しはもう陽春。

春の軽やかな風をオフィスにも届けたいと思い、軽いグリーンのビバーナムと、モルセラ、それに青く澄んだ紫陽花、ボルドー色のスカビオサとガーベラをちりばめて飾りました。
すると、室内の空気が、一気に明るい春を迎えたようになり、窓からの光に花が優しく応えていました。

その後、私は東京駅へ出発。新幹線の車窓から見る東北路も、所々に彼岸桜が認められ、春を感じる旅情になりました。打ち合わせも順調。福島県庁災害対策本部でお目にかかったA氏に導かれ、とんとん拍子で話は進みました。

次回の福島往訪は、4月の本番。それに向けて、急ピッチで作業は進みます。

その頃の花は、もっとビビッドに陽春真っただ中の色合いになっていることでしょう。
明日も元気に。

2012年03月17日

福島フォローアップ会議の実施 @福島

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3月11日、東日本大震災が起きて、1年が経ちました。

長く、重い一年でした。被災地支援活動の一端に参加し、仙台での義援金配布活動、昨年9月の福島県立医科大学での「国際専門家会議〜放射線と健康リスク〜世界の英知を結集して福島を考える」の実施、など、震災の事を身近に感じながら、私も及ばずながら日本財団の支援事業に関わって参りました。

昨年9月に開催した国際専門家会議のフォローアップ会議として、実際に支援活動に関わる方々を対象に、4月開催予定の「世界の放射線専門家との直接対話集会」の準備を進めています。

これは、支援活動に携わる、警察、消防、自衛隊、医療関係者の方々を対象に、見えない放射線と対峙する際の不安、疑問に、専門家たちが答えるという企画です。疑問に答えるのは、昨年9月に福島県を訪れ、国際専門家会議の場で福島に対してエールを送った専門家たちの内の5名、アンドレ・ブーヴィル、クリストファー・クレメント、イヴーリン・ブロメット、アベル・ゴンザレス、そしてフレッド・メトラーのいずれ錚々たるメンバーです。

今回の対話集会の趣旨は、前回のような放射線の恐怖に対する学術的な議論ではなく、実際に現場で支援活動に携わり、自分自身も放射線にさらされることを覚悟していらっしゃる方々への疑問に答えるというものですので、放射線専門家が市民のレベルで支援活動への助言を行うというものなのです。

事務局にも、きめ細やかな対応が求められます。警察、消防、自衛隊、医療関係者には質問をあらかじめ伺い、それを翻訳して専門家のそれぞれの専門に応じて伝えておき、当日疑問にお答えいただこうとしております。これが、今回の一つの目玉だからです。

福島県警、福島県消防保安課、自衛隊福島駐屯地と郡山駐屯地、福島県の医療関係者殻のご参加を募っています。全国的にオープンな会合ではないのですが、少しでも福島県民の方々の不安を取り除くための、活動の一環になればと思いながら、作業を進める毎日です。

2012年03月13日

キャリアコンサルタント講座

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先月半ばから、日本産業カウンセラー協会のキャリアコンサルタント講座に出ています。
8年前、産業カウンセラー講座を受講した時は、人の気持ちの有りようを素直に受け止め、それぞれの人がその人らしくあることを受け入れられるようになること、そして相手を受け入れることで相手の悩みや葛藤から生まれる主訴を引き出し、本人の中に眠っている自分の中の回答を気付かせるようになることを目指して、傾聴することの大切さと方法を学びました。
そして、この度はキャリアコンサルタント講座を受講すべく、チャレンジしています。きっかけは、若い人たちのキャリアを積んで行くことへの悩みを聞いたり、息子の就職戦線での苦労を目の当りにしたり、私自身のこれからのキャリアについての迷いや考えに想いを巡らせたり、などキャリアに纏わるさまざまな問題に行き当たるにつけ、キャリアとは何なのかを考えてみたくなったからなのでした。

参加者には、実際に相談員として活躍されている方がいらしたり、福島県のある村役場から職員の半分が避難してしまい残ったメンバーだけで役場を切り盛りしているために超多忙の職務を強いられているという方がいらしていたり、相談員になりたい一心で毎週日曜の講座のために新幹線を乗り継いでいらっしゃる方もいたり、動機や境遇も様々なことが分かりました。

実際の実技訓練では、事例を読んでそれに対してのコンサルティングの練習をします。事例では、新卒時の就職(求職)活動において思いきったPRができずに行き詰まっていたり、就職したものの思い通りの配属出ないまま数年が過ぎて結婚もまだできていないという不安を持っていたり、またキャリアを積んだものの定年を迎え、今後の人生においてどのように生きがいをみつけていくかを悩んでいたり、とまさに人生イロイロの事例を読んで、そのカウンセリングをすべく練習をするのです。

事例を読んで、どのようにすれば本人の自己理解が深められるか、仕事理解、職業理解に導けるか・・・、皆様のカウンセリングぶりを拝見していると、とてもナチュラルな運びで、いい方向へカウンセリングを進めていらっしゃるようなのですが、私は・・・主訴を聞きとれなかったり、不安に思う気持ちを聞き出すことができなかったり・・・苦戦しています。

来週20日の最終試験までに、事例を少しでも多く読んで、自信を持ってクライエント役に接することができるようになりたいものです。

2012年02月20日

さくらリーガルの佐倉知子さん


中学1年の時から仲が良くなり、中学、高校と一緒に進学し、それからずっと長い間のお付き合いです。彼女は理系で優秀。私は、できが悪いのですが引っ張られるように、代々木ゼミナール、英語の塾などを一緒に亘り歩き、私は彼女に数学を教えてもらいながら、なんとか受験期を乗り切ったのでした。
その彼女に、このたび登記のことでお世話になったので、久しぶりにお会いしました。

明るい性格で頭の回転の速いところは、学生の頃と変わらずです。オフィスをお父様から引き継がれて、5人の司法書士を含む総勢8人抱え、おもに登記の業務をされているといういかめしい肩書きには、似合わないほどのずっと素敵な笑顔で現れました。彼女がオフィスを引き継がれてからはずっと同じスタッフのメンバーで、いい雰囲気でまとまっているそうです。なるほど、と思わせる朗らかでおおらかな包容力が感じられました。週に3日、ママさんバレーでアタッカーをするスポーツウーマン、生き生きとした明るい笑顔は、心身ともに健康であることから生まれるものなのですね。
最近、土地家屋調査士資格試験に合格されて、さらに土地建物についての測量実務を深めている様子です。優秀な回転の速い彼女ならではの快挙です。心からの拍手を送りたいと思いました。

新規のお客さまもいらして、益々張り切っているのに、シャカリキにならずに、和気あいあいと過ごしている、素敵な司法家。益々のご活躍を祈りたいと思います。佐倉さんに、心をこめて、私からのお花のプレゼント、スイトピーとラナンキュラスを贈ります。

さくらリーガルの連絡先は以下の通りです:

住所 179-0074 練馬区春日町5-33-29
さくらリーガル
TEL 03-3970‐7500
FAX 03‐3970‐7584

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佐 倉 知 子 さん
tomoko.sakura@nifty.ne.jp
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2012年01月28日

いつまでも必要とされるように


シニア世代の就職はただでさえ難しいものがあります。更に、2013年以降は、年金支給開始が65歳に引き上げられることになりました。60歳定年後も、働き続ける必要が出てきたのです。
これまでは、定年を迎えたら、これまで頑張った自分へのご褒美として、悠々自適に年金生活を楽しむ・・・、なんて漠然と思っていたのが、そうもいかない厳しい世の中になりました。

でも現実から目をそらさずに、どのように厳しい時代を生き抜いていくか、変化に対応できるように工夫するのが人間の知恵であるはず。考えてみると難題に取り組む面白さもあるように思います。シニア世代のキャリアについて、自身への励ましの気持ちも込めて、考えるところを記したいと思います。次の5点です。

@キャリアデザインをすること。
自分のやりたいことをリストアップし、心の声を聴くことが大事です。やらされる仕事でなく、やりたいことは何なのか。結局、自分の人生は、自分で決めて行くものですものね。

Aこれまでのキャリアの棚卸
経験してきたことは、どんなことでも無駄なことはありません。これまでキャリアとして経験してきたことを一つ一つ大切に振り返ってみます。自分の得意だったこと、好きなこと、自信を持てることを洗い出し、誰にもわかりやすい自分の勲章として、人に説明できるようにしていくのがいいですね。

B肩書に左右されない人脈を作ること。
肩書が変われば、もうそれでお付き合いもお終い、というのでは、これからのネットワーク作りは望めませんね。損得のない、信頼関係に結ばれてこその人脈が、人を助け自分も助けられることがあるように思います。何人もの名刺を持つより、たった一人でも、この人になら助けを求め求められる、そんな信頼のおける人脈を築きたいものです。

C自分の意識のリセット
Aに反する立場になるのですが、あまりに自分の過去に自信を持ちすぎるのも、考えようでしょうね。プライドが邪魔をして、新たな人脈を築けないことにもなりかねません。また、環境やキャリアチェンジが起きた時、過去へのこだわりが自分のフットワークや成長を止めてしまうことにもなるからです。時には、心の門戸を開いて「自分は意外に大したことない」と、思い切って、新しい場に身を置くことも大切のように思います。

D人の役に立てるように心掛けること。
人の喜ぶ姿を見るのは嬉しいもので、それがどんなにか自分への励ましになることでしょう。それが嬉しいからこそ、人は仕事をするのではないでしょうか。自分の今までの経験を、「教える」ことを通じて、或いはサービスのプロとして、後進への仕事の道標を作れるようにスキルを磨くことも大切です。新たなことを学ぶことで、自分自身も若返りますものね。

いずれ、私にも組織の中で、本当に必要とされるのか否かが問われる時がやってきます。その時、「仕方ないから、あと一年だけ嘱託で雇ってあげましょう」と言われるより、「あと数年は、その力を貸して下さい」と望まれるようになりたいものです。

そのようになるためにも、この5点の心がけを忘れずに過ごしたいものです。

花材:(カッコ内は花言葉)
アネモネラナン:バルビゾン (晴れやかな魅力、あなたは魅力に満ちている)
バラ:ハロウィン (愛、清新、ミステリアス)
アルストロメリア:シベリア (未来への憧れ、エキゾチック、機敏、援助)
こでまり (友情、努力、優雅、品位)

2012年01月21日

キャリアコンサルタントフォローアップ講座・事例研究会


日本産業カウンセラー協会東京支部で行われたキャリア・コンサルタントフォローアップ講座の事例検討会に出席しました。
昨今の厳しい経済環境の下、世間では、新卒者の就職難、それによるフリーターの増加、中高年者のリストラ、派遣切り、また今般の東日本大震災の影響による失業等、職業を巡る様々な問題が山積しています。これからの社会の発展を担う若い人たちの中には、「自分の職業人生をプランを立てていくか」「自らのキャリア形成をどうすすめるのか」、などの不安、悩みを抱えている方々もいるように見受けられ、そうした方々の力になれたら、と自分の産業カウンセラーの思いが募って来ていたところでした。

日本カウンセラー協会講師の飛田幸子講師のお話から始まりました。今日のテーマは中高年の就職。中高年層独特の特徴を踏まえて、現代社会が中高年層をどのように受け止めるのか、そんな話も含めて講師のお話は丁寧に進められました。久しぶりに勉強会に参加する私にもわかりやすく、安心して伺えました。

後半の事例検討はグループワークで3人一組で話合われましたが、カウンセリングの勉強会に久しぶりに参加する私と同じグループになったのは、実際に相談業務にも関わりながらフリーで経理実務にも従事されている男性と、就職支援会社に勤務されている女性でした。事例を先ず自分で読んで状況を理解します。そのあとグループで意見を出しながら、クライアントの主訴や抱える問題点を探り、その事例について読みを深めて行きました。私は、事例を読み、最初は、クライアントが自信を失っている、と感じたのですが、グループワークで検討しているうちに、このクライアントは本来自信があり自分のキャリアにも自信があるからこそ、今の失業状態を「こんなはずではない」と思っているのだということに気付かされました。相談業務に携わっている男性の意見は、さすがにクライアントに寄り添う気持ちも、導く気持ちも、言葉の中に強く感じられ、またその言葉に迷いなく発言されるところに説得力があるとお見受けしました。また女性の方も、冷静に読みとりながら控えめだけれども、甘えのない現実を見据えた発言をされるので、そちらの意見も好感を持って納得して伺いました。

事例検討会を終えて、人の悩みを聴いてほぐして本人に気付きを導くカウンセラーの仕事は、その人の人生にも関わることであることを改めて感じます。小説の中にも新聞記事の中にも、事例はいくらでもあるように思いますが、それらを大事に読みながら、いずれ相談業務に実際に関われる時に、心豊かな導きができればいいなと改めて思いました。

写真は先日役員室に飾った花です。
カウンセラーの心を伝えるような花を集めました。

花材:(かっこ内は花言葉)
ユリ・イエローウィン(飾らぬ美)
カーネーション・コマチ(女性の愛、感覚、感動、純粋な愛情)
スプレーバラ・タマンゴ(無意識の美)
ストック(見つめる未来、平和、思いやり、永遠の恋)
ユーカリ(新生、慰め、思い出、再生)

2011年12月16日

国際専門家会議「放射線と健康リスク」(その2)

国際専門家会議「放射線と健康リスク」の開催にあたり、世界の放射線専門家の先生方に呼びかけ、9月11日、12日の両日、福島県立医科大学にお集りいただくよう準備を始めました。
参加される先生方は、チェルノブイリ原発事故で現地調査で大きな貢献をされた長崎大学教授で現在福島県立医科大学副学長の山下俊一先生にご紹介いただきました。連絡先も頂き、丁寧な参加依頼状と招待状を兼ねたレターをT常務理事名で英文和文それぞれ用意しました。参加を受諾くださった先生方には、この会議の組織委員会からの依頼として、英文和文のCV、ご発表内容の英文要旨、また発表内容をまとめた長いバージョンのペーパーのご提出をお願いしました。ご多忙の折、ご負担をおかけしましたが、会議の充実のために、お願いいたしました。また、パネリストとして発表される先生方は、これに加えて発表のパワーポイントのご提出をされる方がほとんどでした。これらのやり取りは、すべてメールで行われました。こちらからの依頼の手紙はPDF添付でお送りしました。スピードアップの時代、ご高名でお忙しい先生方には、実質的で適切だったと思います。

その一方で、先生方には、旅費の精算、宿泊場所のご案内と宿泊日程の確認、プログラムのご案内、夕食会の出席の可否の問い合わせ、会議のYoustreamでの同時放映の許可依頼、といった、事務局としての連絡も並行して進めていきました。旅費については、はっきりとしておかなければならないことではありましたが、露骨な表現は避けて品位を損ねないようにと気を配りました。また、メールで文章でのご案内になるので、わかりやすさを心がけ、今回の連絡は何件か、それぞれ項目に数字を打ち、だらだらとした文章にならないように配慮しました。

先生方とのやり取りを交わすうち、ご自身でスケジュールも管理されている先生方もあれば、秘書にスケジュールや提出物の管理や手配を任せていらっしゃる方もいらっしゃることも分かりました。昨今はインターネットやメールでのやり取りが当然のツールとなりましたので、秘書の任務の有り様も変遷しつつあるのだと感じました。

原稿の締切については気を揉みました。9月11日、12日の会議に向けて、プログラム印刷の締め切りは会議1週間前の9月5日、そのための校正に3日間、英文原稿の翻訳の準備に1週間から10日間はかかるだろうと予測し、8月のお盆明けには先生方の原稿をいただかなくてはならないだろうと目途をつけました。先生方には、できれば8月5日までには英文原稿を提出してくださるようにお願いしましたが、実際は大幅に遅れ、お盆休みも返上して先生方にお願いして、ようやく8月30日頃に全員の原稿が出揃ったのでした。先生方には、たびたび催促のお便りを出しましたが、お忙しい中をご協力いただいたことに、改めて感謝申し上げます。

2011年10月31日

国際専門家会議「放射線と健康リスク」(1)

9月11日と12日の二日間にわたり、日本財団主催で、標記の国際専門家会議が福島県立医科大学で開かれました。
会議の目的は、このたびの福島第一原子力発電所事故が、健康にどれほどの影響を与えるのかをグローバルに活躍する科学者たちに議論してもらうというものでした。日本財団としては、その議論のために、チェルノブイリ原発事故の際日本財団と笹川記念保健協力財団が協力して被曝者の検診を行ったデータに基づく情報を提供し、チェルノブイリの教訓を生かしてもらいたいという願いがありました。
6月末から、準備に入り、3か月足らずの間、プログラム作り、会場設営、参加者リストの作成、案内書の作成と参加希望者の取りまとめなど、奔走する思いで過ごしました。

お陰様で、会議は無事に終了し、結論と提言がまとめられ、日本財団のHPで正式に発表されようとしています。

準備中、裏方として取り組んだ今年の夏、貴重な経験を忘れないために、さまざまな場面で感じたことを綴っておこうと思います。

まず1回目は、プログラム作りです。
この会議は、福島県立医科大学副学長の山下俊一教授が中心となって、会議への参加者を募りました。世界の放射線専門家の方々に声をかけて、招聘したのです。山下先生からの招聘依頼ということで、多くの先生方が快く参加を申し出てくださいました。

共催は、国際放射線防護委員会、放射線医学総合研究所、笹川記念保健協力財団、福島県医師会、福島県立医科大学との共催とし、これらの団体との意思確認も、山下先生がしてくださいました。
日本財団は役所への後援名義依頼を担当しました。まず外務省に後援名義の使用を願い出ましたところ、比較的早く許可がおりました。それを元に、内閣府、文部科学省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省、環境省のそれぞれの担当者を、会長、この事業の担当となったT常務が往訪し、必要書類を提出して行きました。お役所仕事というのは、時間がかかるのは覚悟しておりましたが、結局全部の役所の後援名義使用許可が下りたのは、会議の直前、9月8日頃だったかと思います。

こういった足固めをしながら、会議の目的、セッションのテーマと進め方、組織委員会の結成と、具体的なプログラムの作成が、ほとんど毎週開催される組織委員会で検討されました。
組織委員会には、京都大学名誉教授の丹羽大貫先生も加わってくださいました。丹羽先生には、ご自身の発表もありながら、私たち事務局の苦労をわかって下さり、3ヶ月間、本当に良くご協力いただきました。心から御礼申し上げます。

7月初旬にはほぼ参加者が決まり、セッションの進行を決めて、それぞれの先生がどのセッションに参加して発表するかを決めました。その後は、先生方の発表の個々のタイトルを検討し先生方に了解を得、また、報告内容の要旨の提出を8月5日の期限としてお願いしました。このあたりは、T常務以下、事務局のスタッフが、先生方とのメールのやり取りで進めていきましたが、超多忙の先生ばかりですので、お返事がなかなか頂けない先生もあり、まるで作家の原稿締め切りを迫る出版社のような想いをしながら、締切過ぎて、印刷業者への原稿提出の締切日を気にしながらお盆の時期を過ごしました。

セッションの組み立てが出来上がったところで、プログラムを印刷用に清書する作業に取り掛かりました。名前、所属機関、発表内容のタイトル名など、細かな確認が続きました。これは結局、リハーサルが行われた9月5日頃まで続きました。

次回は、先生方とのロジのコミュニケーションについて。

2011年05月21日

被災地への出張



震災から2カ月と10日が経ちました。

当初、自衛隊が中心になっていた被災地復旧作業により、道路もでき、新幹線も通じ、医療の専門家や一般のボランティアの方たちが次々と現地に入ることができるようになりました。瓦礫の整理、避難所に暮らす方々への医療カウンセリング、足湯サービス、さまざまな活動が展開されています。

日本財団も、支援金の配布のみならず、ヘドロで汚れた家財道具の洗い出し、瓦礫の撤去など、若い職員を中心に被災地に入って、支援を続けています。

私も、その後方支援を行って参りましたが、被災した方々をもっと身近に感じる必要があるように思い始めました。そこで、被災地への支援活動に参加させていただくように志願しました。

19日木曜から、仙台に来ています。亡くなった方々への弔慰金の配布の業務です。

19日昼に到着後、仙台市の海岸近く蒲生地区、荒浜地区を訪れましたが、潮の匂いに混じって腐ったような、ヘドロのつんとした刺激臭に襲われました。翌朝は、目がゴロゴロして涙が止まらず、のどの痛みも訴えるほど。ヘドロの仕業かと思われました。大量に流された車が、タイヤと車体を分けて積み上げてありました。あたりには一面潮と腐敗の匂いが漂っていて、ちょうど真っ赤な夕陽が照らしていましたが、不気味な赤さに思われました。
この場所に、また人が戻ってくるのに、どれほど時間を要するのでしょう?

翌日は、その蒲生地区の岡田小学校で支援金配布をしました。避難所と併設のところです。6歳と3歳と1歳の子供を亡くした33歳のお母さんが笑顔も忘れて、やっと今ここにきているといった様子で支援金の受領書に3人の子供の名前を書いて支援金を受け取りに来ていたり、私と同年代の男性が、両親、妻、子供、一家5人を全て亡くして来ていたりと、一人ひとりを見ているとたまらない思いになりました。涙をこらえるのがやっとでした。

復興支援に取り組むことは、今の日本の大きなテーマとなっています。被災した方々を支えるために、感傷にひたるより、私たちが東京からでもできることを、直接、間接に支援を続けて行くことが必要と思います。

この赤い太陽の照射を心に留めて、自らのこれからの生活の道標としたいと思います。