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女性の日 [2015年03月09日(Mon)]
前回に続いて女性のお話ですが、3月8日は「女性の日」でした。
これを最初に知ったのは、1987年、中国北京の中日友好病院に勤務した時、彼の国の「国際労働婦人節<コージィ・ラオドン・フーニュ・ジェ>」の式典に招いて頂いたからです。

この日が決まったのはいずれもアメリカですが、1904年3月8日、ニューヨークの女性労働者が参政権を求めてデモしたことから、1910年の国際社会主義者会議(コペンハーゲン)で、ドイツの女性解放運動の母ともよばれる社会主義者クララ・ツェトキンが提唱したという説と、1909年のこの日、アメリカのシカゴで、女性労働者が大規模ストライキやデモをして、8時間労働や給料の引き上げを訴えたことに始まるとの二つの由縁があります。

中国では、3月8日なので3・8節<サンパージエ>とよばれますが、人民公会堂大ホールの晩餐会に参列させて頂きました。当時の中国での女性の最高峰にして集団トップでもあったのは、周恩来国務院総理夫人で、ご自身も高名な政治家であり、女性解放活動家、数々の要職も兼ねられていたケ穎超<ドン・イン・チャオ>氏でした。メインのテーブルには、当夜のゲストとしてタイのソムデットプラ・テープラッタナラーチャスダーサヤームボーロムラーチャクマーリー殿下、つまりシリーントン殿下がお成りでした。厚かましくもミーハーして、テーブルに割り込んで、ケ穎超氏と写真を撮って頂きました。

さて、前回の書きましたが、女性議員数で、わが国は先進国最低グループという記事があります。調査対象190ヵ国の女性議員比率は平均で22.4%、最高はアフリカのルワンダで63.8%、日本は、衆議院9.5%の113位、去年の127位よりは増えてはいますが、あまり芳しい状況ではありません。が、最高のルワンダは、1994年の人道の危機で、多数の男性が虐殺された後、女性進出が進んだとされています。紛争や虐殺を肯定してはいけませんが、女性が国政を担えることを証明したことは大きな進歩です。

さて、今年の女性の日の色々な組織の活動を見ていました。
国境なき医師団OxfamMSHら、老舗の国際的NGOは、皆、この日に女性プログラムの広報をしています。

また、アメリカ開発庁では、189の国が参加して女性の権利を議論した1995年の北京会議の20年後の経過を追うものですが、その北京会議の附フォローは、国連のHPにある文書に International Women's Day to highlight the Beijing Declaration and Platform for Action,とあります。そして日本のJICAにも特集があります。

保健医療の世界的雑誌Lancetにも、短い記事ですが、Empowering Women,
Empowering Humanity; Picure it!
が出ています。

最後に、私ども笹川財団では、世界ハンセン病連合(ILEP)のメンバーとして、「ハンセン病」、「女性・女児」、「差別」という三重の困難を排除することを改めて意識した活動を思いました。なお、この日本語訳を、本財団のHPにアップいたしました。 
ご高覧下さい。

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