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おはなし迷路絵ハガキ
うまく迷路をたどるとお話が完成。
間違った道を行くと笑っちゃうオチ。
ポスターもありますが(URL)、
はがきサイズお手軽です。




スフィアボール
伸び縮みボール。不思議おもしろ。




スティッキー
子どもも大人もあそべます。




ラッシュアワー
車脱出パズル。頭使います。




ニコケーキゲーム
つみあげたりオセロにしたり…




アイスクリームタワー
サーティーワンに行きたくなります(笑)




おにぎりトランプ
あそびにくいです(笑)。でもウケます。




壁をぺたんぺたんと落ちていきます
人気者!




水でお絵かきできるシート
他にもいろんな種類が




カラフルまがレール
プラレールの線路。曲がるし可愛い!




バルーンスライム
ひみつにしておきたいおもしろさ!










もう一人の主役(26) [2009年11月26日(Thu)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。



 先日、「きょうだいの日」の進行役をしている副代表と話をしていた時に、「いいこと言うなあー」と思ったことがあったので、今日はそのことを書こうと思います。

 親御さんがきょうだいさんのことをお話しされる時、「きょうだいの方も見てあげないと、とは思ってるんですが…」「きょうだいをほっとくことになってしまって悪いなと思うんですけど…」という表現がとても多いと感じます。親御さんの罪悪感や苦しさが伝わってきて、「だいじょうぶですよ」と言いたくなります。
 副代表はこの話を聞いて「それってもったいないよね」と言いました。「親御さんだって本当は大好きなきょうだいともっと近くにいたいし、ゆっくりあそびたいのに、その単純な気持ちがだんだん見えなくなってしまいそうでもったいない気がする…。」


 入院中の病気のお子さんに付き添いされている親御さんは、家で待っているきょうだいにきっととても会いたいと思います。大切で可愛いわが子に会いたくない親御さんなんていないでしょう。もっと会いたいし、もっと一緒に過ごしたいし、もっと癒されたいのではないでしょうか。
 病気や障がいのあるお子さんと関わる時間が長い親御さんも、きっときょうだいともあそびたい気持ちでいっぱいだと思います。きょうだいは「面倒をみてあげないといけない存在」だけではないはずです。もっと可愛がりたい、笑顔が見たい、大切にしたい、でも、それができない、という罪悪感から「可愛がってあげないといけない」「かまってあげないといけない」存在になってしまうとしたら、本当にもったいないことです。


 こんなふうにおっしゃる親御さんの中には、病気のお子さんにも、きょうだいにも、弱い自分を見せてはいけないのだと思っている方もいらっしゃるのかもしれません。我慢している子ども達に、寂しいこと、つらいこと、しんどいこと、言ってはいけないと頑張っておられる方も多いと思います。「もっとこうしてあげないといけないのに」という思いから「ごめんね」という言葉が出てくるのだと思います。でも…きょうだいの中には「あそんであげられなくてごめんね」と言われるより「ママも、パパも、○○ちゃんとなかなかゆっくりあそべなくてさみしい!」と言われる方が嬉しいと思う子もいるかもしれません。「パパも、ママも、自分のことが大好きで、自分と一緒にいたいと思っている」ということを実感するのは、きょうだいが自分を大切にできる大人になるために必要な体験だと思いますが、病気の子どものきょうだいにとって時々すごく難しいことだからです。


 きょうだいたちは、親御さんの大変さをよくわかっていて、中には何もできない無力な自分を責めているきょうだいもいます。そこに親御さんが、「あなたのことももっと見てあげないといけないんだけど…」と思っていたら、きょうだいは、自分は重荷になっているのだと感じるかもしれません。さみしかった気持ちを言い出せなくなってしまうかもしれません。

 「ママは○○ちゃんに会えなくてさみしかった!」「わたしもさみしかった!」と、お互いに言い合うことができたら…時には「ママも寂しいのを我慢して頑張ったから○○ちゃん、ママの頭をなでて」と、きょうだいと頭のなであいっこをできたりしたら…まっすぐ伝わる気持ちもあるのではないかな、と思いました。
Posted by だいひょ at 11:14 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(25) [2009年07月13日(Mon)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。



わたしの番


 しぶたねは月に2回、病院で面会に行かれる親御さんを待つきょうだいとあそぶ活動をしています。終了時刻が近づき、ぽつぽつと親御さんがお迎えに来られると、お迎えがまだの子はちょっと不安になります。保育所などでもよく見られる光景なのだと思いますが、少し違うのは、時々その子どもが「おかあさんは○○ちゃん(入院しているお子さん)は迎えに行くけど私のことは迎えに来ないと思う」「ママはぼくのことは忘れちゃったんじゃないかな」とつぶやくことだと思います。そんな時私たちは胸がいっぱいになり、「絶対だいじょうぶ」なことを精一杯伝えます。ママがあなたを忘れることなんて絶対ないんだよ、あなたの番はきっとくるよ、と。親御さんが迎えに来るときょうだいは一瞬ホッとした顔になった後すぐにいつもの様子に戻ります。「迎えに来てもらえないかと思った」と親御さんに伝えることはしないのかもしれません。ホッとして不安な気持ちなんてすっかり忘れてしまったのかもしれないし、恥ずかしいのかもしれないし、親御さんへの遠慮の気持ちもあるのかもしれないと考えたりもします。


 弟が亡くなった時、両親の目が突然私の方に向いたように感じました。私が学校に行くだけでも母は家の前まで出てきて私が角を曲がるまで見送るようになり、父は私の誕生日を思い出し、私の年齢も正しく言えるようになりました。最初は両親の変化に戸惑い、心配にもなりましたが、ある日ふと自分の番が来たのだと思いました。弟の代わりにはなれないけれど、両親の心にぽっかりとあいた大きな穴を埋めてあげることもできないけれど、自分に向けられる愛情をちゃんと受け止め、返してあげたいと思うようになりました。とまどう気持ちの中に、正直ほんの少し「嬉しい」と思う気持ちがありました。

 弟が亡くなり1年ほど経った頃、法事で熊本に行く機会がありました。父は飛行機が苦手で新幹線で行こうよと言っていたのですが、母は「私はもう死ぬことは怖くないから。淳に会えるならいつ死んでもいいから飛行機に乗る。」と言ってききませんでした。母の悲しみはよくわかっていました。弟に早く会いたい気持ちも、弟を心配で仕方ない気持ちも、罪悪感も、みんな私の中にもある感情なので、わかると思いました。でも、「母は私のためには生きてくれないのだ」と思いました。私では母をこの世につなぎとめることはできないのだ、私の番はもう来ないのだと、思いました。

 今でも私は両親を弟から借りているような気持ちになっていることがあります。両親が弟のところに行けるまでの間、元気に両親を支えることが自分の役目のように感じ、両親に長生きしてほしいと思うことは自分のわがままのように感じます。本当はちゃんとわかっているのです。あんなふうに言っても母は私のことを弟と同じように愛してくれていることも、弟に会いたいのと同じぐらいの強い気持ちで私のことを心配し、一緒にいたいと思ってくれていることも、わかっているのです。ちゃんと自分の番が時々来ていることも。それでも両親を借りているような気持ちを消すことはできないなあと思います。親不孝ですね…。

 だから小さなきょうだいたちがこんなふうにならないといいなあと思うのです。きょうだいが「ぼくの番だ!」と感じられるように、「わたしの番もくる」と思えるように、「あなたの番だよ!」「きみの番もくるよ!」と言葉に出してたくさん伝えたいと思っています。
Posted by だいひょ at 17:33 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(24) [2009年03月24日(Tue)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。



青空表彰式


 3月8日は11回目の「きょうだいの日」でした。春のきょうだいの日は親子でほのぼのバージョン。きょうだいさんが親御さんを独り占めして一緒にあそび、お互いを大好きな気持ちを伝え合うひとときを目指して企画しています。
 今回はちょうどよいぽかぽか陽気だったので、初めて少し外に出てみました。会場の隣にある大きな原っぱにレジャーシートを敷いて、みんなでおにぎりを食べたらピクニックみたい!その後はながなわとびをしたり、輪になって水風船を投げ渡すゲームをしたり、散歩中の大きな犬が2匹乱入してきて騒いだり、とても楽しい時間になりました。


 おにぎりを食べた時に、自己紹介を兼ねて、子ども達の表彰式をしました。親御さんに渡した表彰状の用紙には「○○殿」と子どもの名前を書くところと、「私は○○ちゃんの○○なところが大好きです。よってその功績をたたえ、ここに表彰いたします」という文章と日付が印刷されています。
 ○○の部分に子どもの好きなところを書き込んでもらう間、子どもたちには目をつぶるよう言ったのですが、「どうせ書くことないんやろ」と言いながらわくわくした顔でじっとのぞきこんでいる子、両手で目を覆いながらも楽しみで顔がほろこんでいる子、その様子があまりに可愛くて、私もボランティアリーダーたちもたまらない気持ちになりました。
 親御さんが書き込んでくださったお子さんの大好きなところはさまざまで、向かい合って表彰状を読んでもらう間、子ども達は照れまくり、はにかみ、でも嬉しさがあふれ出ていて、これまで見たことのないような可愛い笑顔を見せてくれました。空は真っ青で、お日様はポカポカあたたかくて、みんなが笑顔で…その光景はしあわせそのものに見えました。


 実は、この表彰状のアクティビティをスタッフで考えた時、こんなにもしあわせな時間になるとは思っていなかったのです。きっと親御さんも子どもも照れて、笑ってごまかしたり、ぶっきらぼうに受け取ったり、その場ではそんなに盛り上がらないだろうけど、子ども達に良いおみやげができたらじゅうぶんすてきだよね、という気持ちで考えたことでした。

 でも、親御さんは照れる気持ちをおさえて、子ども達に大好きなことをまっすぐ伝えてくれました。子ども達は照れながらも、その気持ちをしっかり受け取り、親御さんを大好きな気持ちを全身で表してくれました。私たちはたくさんのことを教わりました。


 表彰状と言っても、ぺらぺらの紙に印刷しただけのものです。書いて読み上げるのもたった数分。それだけのことなのに、きょうだいたちはこんなにもわくわくして、喜びにあふれていました。親御さんがまっすぐ向かい合ってほめてくれること、大好きと伝えてくれること、子ども達はこんなにも待ち望んでいました。
病気の子どものことが大変できょうだいに何もしてあげられないと悩んでおられる親御さんがたくさんいらっしゃいます。些細に見えることでも、親御さんには子どもをこんなに良い笑顔にできる力があるのだということを伝えていきたい、改めて思う1日でした。



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表彰状のシートはこちらのサイトを利用させていただきました(感謝)。
無料でとっても可愛い表彰状ができました。おすすめです☆

賞状無料 http://www.shoujou.jp/
Posted by だいひょ at 13:46 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(23) [2009年01月14日(Wed)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。



 新しい年が始まりました。みなさまがいつも私の拙い文章を通してきょうだいさんの心に寄り添ってくださることをとても嬉しく幸せに思っています。ありがとうございます。今年もどうかよろしくお願いいたします。

 ありがたいことに昨年もたくさんの人に会い、たくさんのご質問をいただきました。よくいただくご質問の中に「弟さんが病気だったことで、良かったと思うことはどんなことですか?」というものがあり、いつもうーんと悩みます。弟が病気だったから出会えたたくさんの大好きな人がいます。しぶたねを立ち上げることができたこと、可愛いきょうだいたちの笑顔にいっぱい会えることは本当に幸せなことです。でも…弟が病気で死んでしまったということの中に「良かったこと」はみつかりません。弟が今も元気でそばにいてくれたらどんなに幸せなことでしょう。そう思わなかった日は1日もありません。

 しぶたねの活動を続ける中で、「あなたは幸せね、弟さんがご病気だったから今こんなにたくさんの人に囲まれていて」というような声をかけていただくことがあります。その言葉に悪意がないことはよくわかっていますし、自分は幸せ者だと思っているので怒りを感じたりはしませんが、ちょっともやもやします。
つらかった経験がプラスの経験につながったなら、すばらしいことです。「病気のきょうだいがいて良かった」「病気になって良かった」と、ご自身でおっしゃる方を否定するつもりはまったくありません。でもそれを周りの人が言うと、意味がずいぶん違ってくるなあと思うのです。


 つらい体験から逃げられないなら、せめてそこに良いことがあってほしいと私も祈ります。つらい思いをしている人に「きっといつかプラスの体験になるよ」と励ましたい気持ちのあたたかさもわかります。つらい体験をプラスの力に変えていく人に出会うと、人間って強いな、すごいな、と素直に思います。でも必ずしもそれがゴールではないこと、そこまでにはたくさんの努力や葛藤、涙があっただろうこと、忘れてはいけないのだと思います。誰もがそのゴールにたどり着くわけではありません。そのゴールにたどり着けないからダメというわけでもありません。


 幼いきょうだいさんたちに、「つらいことを乗り越え、プラスの体験にする」というゴールを設定するのは酷なことのように感じます。今、大人でも抱えきれないようなつらさ、悲しみ、苦しみを背負っている子ども達が、それを「良かった」と思わないとだめなのだと決めてしまったら、どんなにしんどいでしょう。いっぱい頑張って成長したし、楽しいこともあった、優しい人にも会えた、でも、「きょうだいが病気じゃなかったらもっと良かったのに」と思っている子どもが、その最後の一言を言える余地をつぶさないであげてほしいと願っています。
Posted by だいひょ at 11:13 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(22) [2008年10月14日(Tue)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(11)


 「弟が死ぬことよりも大きなことはない」という言葉はどうしようもなくその通りでした。大好きな弟がいなくなってしまうことを想像するのは本当につらくて、そうならないためなら何でもしたいと思いました。

 この言葉は私の心の深いところに刻み込まれ、一番大きな柱になりました。たとえば友達とうまくいかなくても、たとえば成績が悪くても…悲しくて涙が出ることがあっても、怖い目に遭っても、大きな失敗をしても、「弟が死ぬこととくらべたら全然たいしたことじゃない」と口に出すと気持ちが楽になるように感じ、鎧のように、ずいぶん長い間私の心を守ってくれたように思います(鎧は呪いにもなりました。それはまた別の機会に…)。

 母もきっと同じでした。私に部活をやめてほしいと言わなければならなかった母の痛みがよくわかったから、私もあきらめることにしました。やっとみつけた居場所を手放すのは心が痛いことでした。涙が出そうになっては「ここで泣いたら弟や母がつらくなる」「だいじょうぶ、こんなこと全然たいしたことじゃない」と自分を励まし、だけどお風呂でこっそり泣いたりしました。


 翌日ドキドキしながら例の顧問の先生に理由を話し、退部したいと告げると、あっさりと却下され、先生はこんな感じのことを言いました。
「ここで君が部活を辞めるのは簡単なことだけど僕は正しくないと思う。今辞めたら君と弟さんの関係も、家族の関係もおかしくなってしまうよ。親御さんに僕が電話してあげてもいいから、もうちょっと頑張ってみようよ?」
 想像もしていなかった答えに私は戸惑いました。「私は弟が大事なんです。だから部活を辞めたいんです。」もう一度言う私に「君の気持ちはよくわかる。でもそれとこれとは別なんやなあ。もう1日考えておいで。」と言った先生の気持ちを、今なら理解することができます。本当に良い先生だったと思います。

 私は悩みました。母の「淳はどこにも遊びに出られないのに」という言葉もひっかかっていました。私が部活を続けることで、制限だらけの生活をしている弟が悲しい思いをするかもしれない。両親もこんな私を残念に思うだろう…。「私が我慢したら弟と私の関係がおかしくなる」というのは、自分のしたいことを優先する自分への言い訳でしかないと思いました。

それでも、先生の気持ちは嬉しくて、最終的には条件付で部活を続けることを選びました。具体的には、弟を起こさないように朝早い試合には遅刻して行くということ。精神的には、弟よりも自分の楽しみを優先した罪悪感を背負っていくということ。
両親の顔は渋いままでした。私は家では部活の話をしなくなり、毎日弟と両親に申し訳ない気持ちを引きずりながら学校に行っていました。自分の大切なものを離さないことよりも断ち切ることの方がずっと楽なのだと思いました。
Posted by だいひょ at 16:20 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(21) [2008年07月16日(Wed)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(10)


 「清田はさ、このままだと居場所がどんどんなくなってしまうね。野球部のマネージャーをするといい。」と、廊下で占い師のようなことを言った先生は軟式野球部の顧問をしていました。授業のたびに勧誘してくれることが段々おもしろくなり、私はマネージャーをやってみることにしました。

 弟には、いつ発作が起きても対処できるようにと、いつも誰かがつくようになっていました。朝は友達と先生が弟を家まで迎えに来てくれて、弟の学校が終わるころ母が迎えに行き家まで一緒に帰ってくる、という生活パターンで、家に帰ると弟の友達が毎日たくさん遊びにきて夕方まで家で過ごしていました。携帯電話どころかまだポケベルもない時代だったので、母はいつ学校から緊急連絡が来てもよいようにと、弟が学校にいる間も家を空けないようにしていました。私と弟が2人きりになる時間もできるだけつくらないようにしてくれていました。父は仕事熱心な人であまり家にいなかったので、母は1人でよく頑張っていたと思います。時々煮詰まっているような感じがして少し心配でした。今ならもっと手伝ってあげることも思いつけるのですが、当時の私はまだ子どもでした。

 野球部のマネージャーは楽しい仕事でした。先輩マネージャーさんに仕事を教わったり、部員さんと話したり、何より人の役に立っているというわかりやすい実感が私の心を癒していきました。どちらが1塁で3塁なのかもわからない状態からのスタートだったので(びっくりですね)覚えることもたくさんで、急に広がった世界に、私は毎日とてもわくわくしていました。「人の世話をするだけの部活なんて…」と、最初は渋っていた両親でしたが、毎日暗い顔をして学校に通っていた私があまりに楽しそうにしているので、続けることを認めてくれました。

 部活に出るようになり、私が家にいる時間はぐっと少なくなりました。日曜日には他の学校との練習試合があり、相手の高校が遠い時には早起きして向かわなければいけませんでした。いったんは認めてくれた両親の表情がだんだんと曇るようになってきました。何度目かの練習試合から帰ってきた私に母は言いました。「あなたが早く起きると弟も目が覚めてしまう。それが弟の命に関わることだというのはわかってるよね?弟はどこにも遊びに出られないのだから、試合に遅れて行くとか、部活に出る日を減らしたりとかできないかな?」――試合に遅刻したらスコアが途中からになってしまうし、入ったばかりの1年生が自分の都合で部活に出たり出なかったりするというのは想像し難いことでした。母は続けて言いました。「淳が死なないようにすることより大事なことってある?部活なんてそんなに大事なことじゃないでしょう?」

 弟が死ぬことよりも大きなことはない。弟が死ぬことを思えば部活を辞めることなんて全然大したことではない。それはどうしようもなくそのとおりでした。私は部活を辞めることにしました。
Posted by だいひょ at 09:07 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(20) [2008年04月10日(Thu)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。





弟と私(9)



 高校生になり、私はもがいていました。友達との温度差を感じていたし、唯一の拠り所だった成績も落ちていたし、弟がまた倒れたらどうしようという不安は1日中消えることがなく、不安や悲しみ、怒り、焦り、妬み…私の心の中ではさまざまな感情がぐるぐると入れ替わり、いっぱいいっぱいでした。もっと大変なひとが世の中にはいるとわかっているのに、弟や両親は私よりもずっとつらい思いをしているのに、それがわかっているのに健康な自分の足もとがぐらぐらしてしまっていることが何より腹立たしく、苦しいことでした。弟の病気も治せなくて、良い成績をとって両親を喜ばせることもできなくて、「自分がここにいる意味ってあるのかな…」と思っては、「大人になったら弟と暮らすことで役に立てる日がくるかもしれないから」と、弱気な自分を打ち消す毎日でした。

 中学生の頃は、学校の先生方が私のことを大変可愛がってくれていました。父が同じ市で中学校の教員をしていたので最初から名前も覚えてもらっていたし、私は絵にかいたような真面目な優等生で、両親にうまく甘えられない分を、先生方にずいぶん埋めてもらっていました。テストで満点取れていると一足先にこっそり教えてくれたり、頭をなでてほめてくれたり、放課後ピアノを教えてくれたり…弟の病気のことを知っている先生ばかりだったので、時々ちょっぴり特別に可愛がってくださったように思います。先生のとなりで過ごすひとときは私にとって一番心が休まる時間でした。

 一方、高校は進学校で、周りは自分より優秀な同級生ばかり、先生は優秀な子に合わせて授業を進めていました。名前を呼ばれることもなく、勉強はちんぷんかんぷんで、教室にいてもいなくても変わらない日々。弟の大きな発作のショックも残っていて、先生にも、友達にも、家族にも心をうまく開けなくなった私は少しずつ心のバランスを崩していきました。

 最初は、自分自身の理想に届かない自分をどうしても許せなくなりました。だんだんと、真面目だった自分を壊してしまいたいと思うようになり、衝動的に髪を脱色しました。大切に守ってきたものをひとつ壊したことで私は少しすっきりしていました。高校デビューなんて恥ずかしいなあとは思ったけれど、自分を否定することでしか維持することができなくなっていた私にとって、見た目を変えることには意味がありました(結局弟がびっくりしてしまったのですぐに暗い色に染め直すことになったのですが)。多分、自分が悪だと思って避けていたものなら、何でもよかったのです。たとえば煙草でもお酒でも。でも、将来弟を守っていくために、弟よりも1日でも長く生きるために、体に影響の出るものに手を出すことはできませんでした。

 ある日、社会科の先生が廊下で私を呼びとめました。ユニークで人気者の先生が自分の名前を知っていることに驚き、思わず立ち止まりました。「清田はさ、このままだと居場所がどんどんなくなってしまうね。野球部のマネージャーをするといい。」先生は、占い師のようなことだけ言うと、去っていきました。
Posted by だいひょ at 09:03 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(19) [2008年02月08日(Fri)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。



弟と猫と私


 新しい1年がはじまりました。今年もよろしくお願いいたします。昨年の我が家の1番のニュースは家族が増えたこと。スーパーの前に捨てられていたガリガリで風邪ひきの猫を拾ったのです。名前を「むー」といいます。

 弟の病気がわかった次の年の夏、私は中学3年になり、受験勉強に追われていました。「弟の分も頑張らなければいけない」「両親に心配をかけないよう、自分は絶対合格しなくてはいけない」と焦り、いつも切羽詰まっていて、寝る間を惜しんで勉強する日々でした。その頃、家の周りを見たことのない猫がうろうろするようになりました。さび模様で、毛の長い綺麗な猫でした。私が帰ってくるといつも出迎えにきてくれるその猫は、ささくれだち、不安定だった私の心をずいぶん癒してくれました。冬になり、家の庭でその猫が出産したのを機に母の許しが出て、その猫と子猫たちは家の子になりました。母猫は近所のおじさんに「みーちゃん」と呼ばれていたので、そのまま「みー」と名づけられました。

 「みー」は、外で元気にあそびまわれなくなった弟のよいあそび相手になってくれました。思うように動けない苛立ちや寂しさをいつも弟の膝の上で静かに受け止めていました。また、「みー」にごはんをねだられ、甘えられることで、私は自分が必要とされていることを実感できるようになりました。私の高校受験の前日に弟が倒れて生死の境をさまよった時も、「みー」はひとり家で泣いていた私にずっと寄り添ってくれました。家族の気持ちがばらばらになりそうだった時も、両親や私の心が折れそうになった時も、「みー」はいつもそばにいて、和ませてくれました。「みー」は私たち家族にとってかけがえのない特別な猫でした。弟が亡くなった後はさらによく甘えるようになり、私たちの悲しい気持ちをたくさんたくさん癒して、一昨年、弟のところに旅立ちました。家の子になって16年。大往生でした。

 お世話になっていた獣医さんにあいさつに行った時、弟の話が出ました。獣医さんも息子さんを病気で亡くされたことを話してくださいました。獣医さんの奥さんが、お兄さんを亡くした弟さんがとても不安定になったこと、その時、飼っていた犬と猫が彼の心を支えたことを教えてくださって、そして私に「お姉ちゃんもつらかったでしょう」と声をかけてくださいました。私は、弟が亡くなって10年にもなるのに、思いもしないところで悲しみをねぎらってもらったことに驚き、なんて温かなプレゼントなんだろうと感動しました。そして、こんな近くにも「きょうだい」仲間がいたのだというすてきな事実に感心し、それを教えてくれた「みー」にお礼を言いました。

 「みー」の次の子だから「むー」と名づけられたしましまの猫はすっかり元気になり、毎日よく丸まっています。今度は「むー」と一緒に、人生のあちこちに散りばめられている「縁」に感謝しながら、いろんな波を乗り越えていくのだなあと思っています。
Posted by だいひょ at 08:55 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(18) [2007年11月10日(Sat)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(8)


 春が来て、私は高校生に、弟は小学6年生になりました。3月に倒れてからは学校の先生や友達が朝迎えに来て一緒に登校してくれるようになり、弟は順調に学校生活に復帰していきました。

 私は背伸びして入った進学校で苦しんでいました。これまでと同じだけ勉強しても成績が思うように上がらないことに焦り、自分の価値がなくなってしまうとパニクっていました。また、新しい場所では新しい出会いがたくさんあり、弟のことをどこまで話してよいものか、いつも悩んでいました。きっと弟の話を親身になって聞いてくれる人はいるのだろうけれど、それが誰なのかはわからないし、さらっと話してもどん引きされてしまうかもしれない、私にとって腹の立つことを言われるかもしれない、そう思うとなかなか言い出せず、雑談の中で家族の話題が出ると体が硬くなりました。

 弟が倒れて生死の境をさまよって以来、私は生きること死ぬことについて考える時間が増えていきました。弟の心臓は寝ている間にも止まってしまうかもしれない、そう思うと不安でたまらなくなり、眠る弟の寝息を確かめてから自分も寝る習慣ができました。友人たちがふざけて言う「いっぺん死んでこい」という冗談に嫌悪感を抱き、ヘルメットなしでバイクで走るひとたちを見ては「いらない命なら弟にあげてほしい」と怒り、病気の弟が世界の中心になっていた私は、周りの「ふつうの」友達との温度差を感じはじめていました。


 弟はいつまた倒れるかわからない状況だったので、母はいつも弟についていなければならず、私は母のかわりに、学校帰りに買い物をして帰るようになりました。駅から家まで帰る途中にスーパーがあったので買い物自体は何も苦になることはなく、体の弱い母の役に立てることは素直にうれしいことでした。

 ある日学校に行くと友達が笑いながら近づいてきて、「昨日見たで。制服で買い物袋はいけてないわー。ネギとか出てたし。」と言われました。他の友達も一緒になって笑い、その場はそれでおさまりました。なんてことのない一場面でしたし、彼女にしてみればちいさな冗談だったのでしょうけれど、私の心は小さなとげがささったようにチクチクと痛みました。彼女たちには私の境遇は理解できないのだ、想像もできないのだ、そう思うとなんだかどうでもよくなってしまい、「弟が元気に暮らしていくために、私に友人は別に必要ないし」と、休み時間もひとりで過ごすことが増えていきました。


 私は切羽詰まっていました。良い成績がとれない自分は必要のない人間だと思っていたから。自分は友人達から浮いていることに気付いていたから。全然理想の高校生活を送れていない自分自身に腹が立ち、壊してしまいたいと思うようになりました。
Posted by だいひょ at 18:05 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(17) [2007年06月25日(Mon)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
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泣いてもいい


「きょうだいの日」の一時保育室に、まだ1歳の小さな弟くんと5歳の小さなお姉ちゃんが来室しました。お母さんの姿が見えなくなって弟くんは大泣き。お姉ちゃんは心配そうに不安そうに弟くんのそばでかたまってしまいました。私は講師の出番があるのでそこで後ろ髪を引かれながら退室したのですが、あとでスタッフに続きを聞いたところ、1歳の弟くんはおじいちゃんボランティアさんに抱っこされ外を見たら落ち着いたとのこと。お姉ちゃんは、そのスタッフが抱きしめ「だいじょうぶ、泣いてもいいんやで」と言ったら、ポロポロと涙をこぼし、うわーんとひとしきり泣いたあと、楽しくあそんで帰ってくれたそうです。
 
弟のお葬式の日、母のところにくるお客さんや親戚はみんな「泣いたらいいよ」「かなしいね」「つらかったね」と声をかけていましたが、私のところに来ると「しっかりお母さんを守ってあげてね」「これからは弟くんの分もお姉ちゃんが頑張ってね」と励ましました。母は親戚に、たぶん冗談交じりで「悠代は泣いてばかりでぜんぜん頼りにならなかった」と話していました。私がしっかりしないといけない、私より母の方が悲しいんだから。それは弟の病気がわかってからずっと思っていたことでした。弟が亡くなった今だからこそ泣いてはいけない、泣いたら母を守ってあげられない。私は自分の悲しみのために泣くことをやめようと思いました。
泣かずにいるには現実から目を背けるしかありませんでした。弟が亡くなったこと、それが悲しいこと、みんな他人事と思うようにすることで、自分の心に蓋をできている、自分の感情をコントロールできていると思い込んでいました。弟のことを話すとき、私が泣かないので「冷静に話せてえらいね」「強い人なんだね」といわれることが増えました。今思うとあの時期の私は戦わなくてもよいはずのものと戦い、いつも疲れていました。だんだん世の中を薄い膜を通して見ているようになり、時々、そうなる前の自分を思い出せなくなりました。

「泣いてもいい」と自分を許してあげられるようになったのは最近のことです。泣いても誰にもがっかりされない場所、泣いてもみんながあたたかく受け止めてくれる場所、そういう場所があったんだということにやっと気づきました。それは例えばしぶたねの会議や反省会、例えばにこトマさんのミーティング…。
愛情は、相手の心が受け取る準備ができてないとなかなか届かないんだということが今はよくわかります。私は思春期をきょうだいとして過ごし、どんどん張り詰め、ひねくれていったので、こうして「泣いてもいい」を心で受け取れるようになるまで、ずいぶん遠回りをしました。子ども達にも、大人にも、「泣いてもいいよ」と言ってくれる人、泣ける場所、きっと大切なのですね。
これまで、私の話を聞いて親御さんが泣かれるのはとても心が痛むことでした。大好きな母を泣かせてしまうようで。「そうじゃないよ、泣けるのはいいことなんだよ」とあちこちで様々な立場の方に言っていただいたことの意味が、今少しずつじわーーっとしみこんでいます。
Posted by だいひょ at 14:28 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL