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おはなし迷路絵ハガキ
うまく迷路をたどるとお話が完成。
間違った道を行くと笑っちゃうオチ。
ポスターもありますが(URL)、
はがきサイズお手軽です。




伸縮ボール
伸び縮みボール。不思議おもしろ。




スティッキー
子どもも大人もあそべます。




ラッシュアワー
車脱出パズル。頭使います。




ニコケーキゲーム
つみあげたりオセロにしたり…




アイスクリームタワー
サーティーワンに行きたくなります(笑)




おにぎりトランプ
あそびにくいです(笑)。でもウケます。




壁をぺたんぺたんと落ちていきます
人気者!




水でお絵かきできるシート
他にもいろんな種類が




カラフルまがレール
プラレールの線路。曲がるし可愛い!




バルーンスライム
ひみつにしておきたいおもしろさ!










もう1人の主役(55) [2017年07月18日(Tue)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。前代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



渡すこと聴くこと

 重い病気をもつ子どものきょうだいたちは、不安や心配、罪悪感、いろんな気持ちを抱えていて、私たち大人はそのしんどい気持ちを軽くしてあげたいなと思いながら、きょうだいたちのいろんな質問に答えます。

 たとえば「病気はぼくのせい?」という質問に、
「そうじゃないよ」と安心を渡すこともできますし、
「そう思っていたら不安だったよね、こわかったよね」と「聴く」ことで安心を渡すこともできるなあと感じてきました。

 ある大きくなったきょうだいさんが、子どもの時に病院の廊下で過ごした経験について話してくれました。中学生以下のきょうだいは、感染予防のために病棟のガラス扉の向こうに入ることはできません。「どうして私は入っちゃだめなの?」きょうだいさんの質問に、大人たちはみんなその子にわかるように一生懸命言葉を選んで優しく答えてくれたそうです。外から病気の菌やウイルスを病棟に持ち込んで、入院している子どもたちにうつってしまったら困るでしょう?あなたも病棟の中の菌を外に持ち出してしまったら困るでしょう?入院しているきょうだいが病気にかかったら退院がもっとのびてしまうでしょう?

 私も同じ質問をされたらきっとそう答えるだろうなあと思いました。でもその子が教えてくれたのは、「そんなことは1回聞いたらわかってた」でした。そんなことはわかっている、だから無理やり入ろうとも思わない、だけど、家族の中の自分だけが扉の向こうに行けない悲しさややるせなさ、それを受け止めてほしかったんだと話してくれました。
 
 きょうだいたちの質問に答えたり情報を渡そうと思っている時、早く安心させてあげたいと思っている時ほど、「聴く」ことにも意識を傾けなければいけないという大切なことをその子は教えてくれたのでした。
 振り返れば、親御さんたちにきょうだいの気持ちやサポートについてお話をさせていただく時の自分も、少しでも役に立つ情報を渡したい、少しでも早く親御さんの気持ちが楽になってほしいと思えば思うほど、親御さんたちの不安や自責感、いろいろな複雑な気持ちをひとつひとつ想像して大切にすることがおろそかになっているかもしれないと反省し…渡すことと聴くことにもっと敏感でありたいなあと改めて思ったのでした。
Posted by だいひょ at 13:43 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(54) [2017年01月30日(Mon)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。前代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



勝手にゴールを決めない

新しい年が始まりました。しぶたねは昨年9月にNPO法人になり、まだまだぴよぴよの1年生です。きょうだいたちが安心の中で過ごせることが当たり前になるように、今年もいっそうがんばりますので、よろしくお願いいたします。

 しぶたねを立ち上げて14年目に入りました。きょうだい支援が必要だということもずいぶん広まって、「きょうだい支援」や「きょうだい児」の文字を目にすることも増えました。とても嬉しく心強いことですが、時々どうしてもひっかかってしまうことがあります。例えばこんな感じです。

−きょうだいも頑張っている。
(うん、うん。)
−しんどい気持ちを我慢しているきょうだいもいるので、気持ちを受け止めることが必要。
(うん、うん。)
−そうすることで、病気や障がいのある兄弟姉妹のことを支えてくれる優しい子に育つでしょう。
(うーん。ひっかかる…。)

 きょうだいにも支援が必要だという話を聞いてくださった方がこんな風に仰ることもあります「きょうだい支援って大切ですよね。だって障がいのある兄弟姉妹を将来みていくことになるのはきょうだいですものね」。…私がひっかかって飲み込めない違和感は、きょうだいたちのゴールを(きょうだいや病気の兄弟姉妹の気持ちも聞かずに)勝手に決めているように感じられるところから生まれている気がします。
 私たちが考えているきょうだい支援のゴールは、きょうだいが安心の中で過ごせることです。もちろん家族のメンバーはみんなつながっているので、きょうだいにとって良いことがあれば兄弟姉妹や親御さんにも良い影響が生じることもあって、それはとても喜ばしいことなのですが、誰かのためにきょうだいを支えるのではなくて、ただ目の前にいる1人の子どもとしてきょうだいを支える。病気の子どものためにもなるからと言わなくても、きょうだいに必要なサポートが届くことが当たり前になってほしいと思っています。

 きょうだいどうし仲良くできることはもちろん良いことなのでしょうけれど、誰もがそうしなければいけないわけでもなく、誰もがそうなれるわけでもありません。そもそも病気や障がいに関係なく、きょうだいの関係というものは人それぞれ家それぞれだと思うのですが、病気や障がいがある兄弟姉妹のきょうだいたちは特に、自分が病気の兄弟姉妹を支えなければいけない、障がいのある兄弟姉妹を好きでいないといけない、と自分にプレッシャーをかけて、気持ちの糸がどんどんこんがらがってしまいやすい状況にあります。道はひとつではありません。大人になったきょうだいたちはさまざまな自分の道を歩いていて、兄弟姉妹との距離も人それぞれです。そんなふうに道が無限に広がっていることをきょうだいたちが感じられるように、子どもたちと関わる時、勝手にゴールを決めてしまっていないか自分に問い続けたいと思っています。
Posted by だいひょ at 12:26 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(53) [2016年12月16日(Fri)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。前代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



2001年に、児童文学作家の石井桃子さんが子ども達に向けて書かれたメッセージがあります。

子どもたちよ 子ども時代を しっかりと 楽しんでください。
おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは
子ども時代の「あなた」です。


 はじめて読んだ時、心がふるえ、ほんとうにその通りだと思いました。
 大学の授業のゲストスピーカーに呼んでいただいた時に、「子どもの時、どんなことが楽しかった?どんなこと好きだった?」と学生さんたちに聞くと、意外と私たちと変わらない素朴なあそびを楽しんでいた答えが返ってきたりします(これまで聞いてきた中で一番可愛かった答えは「落ち葉を集めて山にして、火が付いていると想像してみんなで囲む焚火ごっこ」です)。祖母に聞いてみた時は、ふわっと顔がほころび、子ども時代の記憶は色鮮やかで、匂いもしっかりついているよねと話してくれたりもしました。

 私たちが出会うきょうだいたちには、その「子ども時代」を一生懸命背伸びして、大人のステージに上がって過ごしているような子がいます。「子ども時代なんていらないよ」「ひとりでだいじょうぶだよ」そうやって頑張っている子どもたちに何ができるのだろうといつも考えてきました。

 「あなたは子どもなんだよ!」「あなたのいるべきステージはそこじゃないんだよ!」と引き摺り下ろしてしまうと、そうすることでぎりぎり保たれているその子の心が傷ついてしまうことがあります。その子の優しさや頑張りは受け止めつつ、でもいつの間にか、子ども時代を楽しんでいる瞬間が生まれるように、子どものステージに下りている瞬間を増やすことはできないだろうかと考えます。

 先日、10年以上前に、当時小学生で「きょうだいの日」というイベントに来てくれていたきょうだいさんが話してくれました。「きょうだいの日は、おやつとか風船とかシブレンジャーとか、すごい楽しいことが山ほど用意してあって、そんなんやったから、行った時つい子どもに戻ってしまって楽しかったし、救われてたんやと思う」

 活動も10年を超えると、一緒にあそんだきょうだいたちが大人になって、こうしてふいに答え合わせをしてもらっているようなことが起こります。私たちが願ったこと、渡したいと思ったものが10年経って届くのは、奇跡のようで、でも、子どもたちの大きな力なんだと感じています。  きょうだいたちが大人になった時、老人になった時、支えになるあたたかな記憶を届けられるように、今私たちができること、たくさんあるなあと今日も考えています。
Posted by だいひょ at 10:14 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(52) [2016年07月23日(Sat)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。前代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



「いい子」は危険?


 保健所などで親御さんにきょうだいさんのもちやすい気持ちについてお話をさせていただく機会が増えました。最近多いなと感じるご質問の中に「うちの子いい子なので心配なんです」というのがあります。「いい子ってだめなんでしょう?」と話してくださるのを聞いていると、「いい子はあぶない」的な話が親御さんたちをよけいにしんどくしているのを感じます…。

 確かに、病気をもつ子どものきょうだいたちの中には、「いい子」でいようと頑張りすぎている子もいます。「いい子の自分でいなければ愛される価値がない」と感じてしまっていたり、「完璧でなければ意味がない」と自分にプレッシャーをかけすぎている時には、そうではないことが伝わればいいなと思っています。あなたのこと、そのまんままるごといつでも大好きなんだよの気持ちや、失敗したり頑張れないことがあってもあなたの大切さはなんにも変わらないし、ちゃんとリカバーできるからだいじょうぶなんだよ、の安心感に包まれてきょうだいたちに過ごしてほしいと願います。

 きょうだいが「いい子」でいようとすることは、親御さんや病気の兄弟姉妹への気遣いであったり優しさであったりもします。それを「いい子でいなくていい」と否定してしまうと、きょうだいの気持ちは迷路に入りこんでしまうことがあるので、優しさ自体はきょうだいからのギフトとして受け取ったらよいのではと感じることが多いです。それはそれとしていったん受け取った上で、きょうだいには「楽しかった!」と感じられる機会や、「頑張れなくても大丈夫だった」という体験を増やし、少しずつ肩の力を抜いてあげられたらいいなと思っています。
 
 そして「いい子」になる子もいれば「手のかかる子」になる子もいます。どちらもその子なりに頑張っている結果で、不安や寂しさの素直な表現なんだなあと感じます。きょうだいたちの不安な気持ち、苦しい気持ち、一人で抱えなくてもいいように、親御さんだけが抱えなくてもいいように、いろんな場所で、みんなでちょっとずつ聞かせてもらえるようになるといいなと思っています。

Posted by だいひょ at 13:06 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(51) [2016年06月23日(Thu)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。前代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。


 私たちが開いている「きょうだいの日」のベースになっているのは、アメリカで広く行われている、特別なニーズをもつ子ども達の兄弟姉妹のための「シブショップ」というワークショップのプログラムです。シブショップは4月で25周年を迎えました。私がシブショップに出会ったのは16年前。トレーニング中に、開発者のドナルド・マイヤーさんがきょうだいたちに「ひとりじゃないよ」と話しかけるのを見ているうちに、自分の中の「きょうだい」にそう言ってもらったように感じて涙があふれ、日本のきょうだいたちにも「ひとりじゃない」と感じられる場をつくりたくて「しぶたね」を立ち上げました。

 そんなマイヤーさんが最初に「シブショップ」をつくった理由を昨年初めて教わりました。シブショップが開発されるまで、アメリカのきょうだいたちのためのプログラムと言えばセラピーしかなく、何にもない静かな小部屋にぽつんと置かれた椅子にきょうだいが座り、セラピストの治療を受けるしかなかったそうです。マイヤーさんは「治療だけでなく、もっと楽しい場があればいいんじゃないか」と考え、きょうだいが出会い、あそび、嬉しいことも悲しいこともどちらでもないこともみんなで共有できる場をつくろうと、シブショップをつくり、広めておられます。

 シブショップは治療プログラムではなく、そして、参加者と運営者にとって「お祭り」なのだと説明されます☆私たちはこの「お祭り」が、繰り返し参加してくれているきょうだいたちにとって大切な意味があることを体感していますが、治療の必要がない(=今何の問題も生じていない、あるいはそう見える)子どもたちが、ただ仲間と安心して楽しく過ごす場の必要性や効果を伝えることはなかなかに難しく、私たちの中の大きな課題のひとつになっています。

 先週、25回目になる「きょうだいの日」を開催しました。前回参加してくれたきょうだいさんの親御さんが「きょうだいの日に参加して、うちの子とっても変わりました。明るくなって…自分に自信がもてたみたいです」と話してくださいました。ただ大歓迎されて、思いっきりあそんで、いっぱい笑う、そんな時間を過ごすことで自分に自信がもてたなんて、子どもって本当にすごいです。
 きょうだいの日は広い広い体育館を貸し切りにして開いているのですが、すみからすみ…高い天井まで、きょうだいたちを大切に思うボランティアさんたち、イベントを支えてくれるたくさんの人たちの気持ちが満ちているのをいつも感じます。この空気をたくさん吸い込んで過ごすことがきょうだい達の心を支え、充電する効果がちゃんとあるんだなあと改めて思いました。そんな場がひとつでも増えるように、当たり前になるように、これからも活動を続け広めていきたいのです。

Posted by だいひょ at 13:02 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(50) [2016年01月28日(Thu)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。


きょうだいと結婚(2)

きょうだいと結婚(1)の続きになります)

自分の子どもが「この人と結婚します」と連れてきた相手が病児や障がい児のきょうだいだった時、親御さんはきっといろんな不安な気持ち、心配な気持ちを持たれるのだろうと思います。「障がいのあるきょうだいの面倒をみないといけないんじゃないの?」「子どもに遺伝はしないの?」大切なお子さんが苦労するのではと反対したい気持ちになる方もおられると思います。私が知っていてほしいなと願っているのは、そうやって浮かぶ不安は、目の前のきょうだいがすでに千度悩み抱えてきた不安だということです。

きょうだいたちは幼い頃からいろんな気持ちを抱えて育ちます。周りの大人の目が病気の兄弟姉妹に集中することで、自分は必要のない子どもなのだと感じてきたきょうだいも、自分の楽しみや幸せに罪悪感を感じずにはいられないきょうだいもたくさんいます。兄弟姉妹が命にかかわる大きな病気になった経験やそのことがきょうだいに及ぼす影響は、病気が治れば、大人になれば、すべてなくなるわけではなく…私自身「自分はいらない存在なんだ」という気持ちの波に飲みこまれるのは本当に簡単で一瞬のことだと感じて生きてきました。

でも、私が、きょうだいに声をかける人に知っていてほしいと思うのは、その波に突き飛ばす怖さよりも(それももちろん重要なのですが)、目の前の人のこれまでの人生をもあたためる力を人は持っているんだということです。
結婚の報告を私の母にした時、母の第一声は「結婚はすればいいと思うけど式はしなくていいんじゃない?もう家にはおめでたいことなんかないんだから」でした。息子を亡くした母親がどんな顔をして結婚式にいたらいいかわからないから、弟はもう結婚することもないのだから、という母の気持ちは大事にしたかったので式はやめておこうと思ったのですが、義母が「身内だけでも式しようよ、私が悠代ちゃんの晴れ姿見たいもん!」と背中を押してくれたおかげで、お世話になった人に集まっていただいて人前式をすることができました。自分の晴れ姿を見たいと言ってくれる人が世の中にいるなんて夢のようでした。

初めて夫の叔父に会った時は、叔父は新聞記事で私の弟が亡くなっていることや活動のことをすでに知っていて「いっぱい頑張ってきたんだからもっと胸をはったらいい」と言ってくれました。帰りの電車で叔父が作ってくれたサンドイッチを泣きながら食べました。夫の姪っ子がはじめて私の手をきゅっと握ってくれた時、親戚が、家族が増えたんだと、ふわーっと心があったかくなりました。一生忘れることのない出来事です。でも自分はたまたま運が良かっただけなのだとも感じています。自分は必要ない存在なんだと感じることの多いきょうだいたちが、たまたま運がよかったからじゃなく、みんな当たり前に社会から歓迎されていることを感じて育っていけるようにしていきたいのです。
Posted by だいひょ at 10:43 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(49) [2016年01月28日(Thu)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。


きょうだいと結婚(1)

きょうだい支援についてお話をさせていただくと、終了後に若いきょうだいが声をかけてくれることがあります。「清田さんは結婚してるんですよね?パートナーや相手のご家族には弟さんの病気のことどんなふうに話しましたか?」と。親御さんから「うちの子きょうだい児だからもう結婚できないんですよね?」と聞かれることもあります。

何度も聞かれる質問で、きょうだいの結婚はひとつの大きなテーマのように感じています。もちろんすべての人が結婚しないといけないわけではなく、選択肢のひとつであるし、結婚観はひとりひとり違うし、繊細な話題なのでこうして文章にすることはとても怖い気持ちでいるのですが、兄弟姉妹の病気や障がいを理由に結婚が破談になってしまったという話や、小学生のうちから「あなたは結婚せず兄弟姉妹のために生きてね」のプレッシャーがかかっているような子の話も少なからず聞いていて、触れずに通りすぎることもできず思い切って書いています。きょうだいに、というよりはきょうだいと出会う大人の方たちに知っていてほしいという気持ちが強いかもしれません。

私の尊敬する先生が、障がい児のご両親のしんどさの一つに、障がいのある子がいなかったらしなくてよかったような深い価値観―たとえば、自分のもっている障がい観や差別観、人生観など―のすり合わせの作業をパートナーとしなければならないことがあるとお話されていました。その通りだと思いましたし、きょうだいにも当てはまることだと思いました。パートナーが病気や障がいのある兄弟姉妹のことをどんなふうに受け止め理解してくれるのか、それはきょうだいにとって重大な不安要素です。「自分の兄弟姉妹のことをわかってくれないような相手なら別れた方がよい」のはひとつの考え方です。だけどそんな簡単に割り切れることじゃないなあと感じてきました。兄弟姉妹のことを悪く言われないか心配な気持ち、きょうだいとしてつらかったことに共感してもらえるか不安な気持ち、人生設計や遺伝のこと、どこまで話せばいいのか、話さなければならないのか、話していいのか…。親や自分の兄弟姉妹には傷つけてしまいそうで相談しづらくて、揺れ動く気持ちをひとりきりで抱えるきょうだいもたくさんいるのだろうなと思います。

私にとっての結婚も、自分が「きょうだい」であることをぐっと意識する機会になりました。幸い大人のきょうだいの会に所属していたので、同じ立場の先輩方に相談し、ずいぶん支えていただいて今の生活があります。若いきょうだいたちも、求めればこんな場とすぐにつながれるようにと願ってやみません。(2)に続きます…
Posted by だいひょ at 10:41 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(48) [2015年04月27日(Mon)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



先日、奈良親子レスパイトハウスさんが行われた「きょうだい支援」がテーマのセミナーに参加してきました。きょうだい支援のお話や、様々な立場の方からのレスパイトハウスの活動紹介があり、きめ細かで丁寧な関わりに感動して帰ってきました。

セミナーの中で、看護の視点から長年きょうだい支援を実践しておられる藤村真弓先生がつくられた「拡がる病児のきょうだい支援」のDVDが上映されました。DVDはきょうだいの支援に関わる医療者やボランティア、親御さん、きょうだい達へのインタビューで構成されています。私がいつも心を動かされるシーンのひとつに、インタビュアーの方がきょうだいに「今日はあなたとあそべてお父さんお母さんも楽しそうだったね」と声をかける場面があって、ここでいつも泣いてしまいます。セミナー終了後にお話しさせていただいて、この声が監督の小島先生だったことがわかったのですが、どうして私がこのシーンで心が揺さぶられるのだろうと帰り道考えていました。

病気の弟がいた頃の私は、自分が両親にとって負の存在でしかないと強く思っていました。私の育った環境は弟が病気である以前に少し特殊だったかもと思うところがあって…たとえば、私が生まれた時、親戚の人たちが男の子でなかったことに肩を落とし、母への第一声が「次頑張ればいいよ」だった話を幼い頃から聞かされていたり、母が身体が弱く、「私が病気がちになったのはあなたを産んだから」と言われて育っていたり、自分は生まれて来なければよかった子どもなのだという気持ちが心の底にずっとありました。弟の病気がわかった時には親戚が「長男が難病なんて…せめてお姉ちゃんだったら、ねえ」と母に話していましたし、どうして自分の方が病気にならなかったのだろうという罪悪感、これ以上迷惑をかけてはいけないというプレッシャーを抱えて育ちました。

自分と過ごしてお父さんお母さんが楽しい、なんて、当時の私にはまったく想像がつかない発想です。だけど、大人になって子ども達と関わっている今ならこんなこととても簡単でシンプルに、その通りだと思います。当たり前すぎて、あえて言葉にして伝えたりしないことなのかもしれません。だから私は、小さなきょうだいが「あなたとあそべてお父さんお母さんも楽しそうだったね」という言葉を贈られているシーンに心が動くのだと思います。子どもとあそぶと大人も楽しくて嬉しいこと、子ども達は支えられているように見える時も大人を支えてくれていること、実感できていないきょうだいさんにたくさん出会います。これからも言葉にしてどんどん伝えていきたいなと改めて思います。
Posted by だいひょ at 10:38 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(47) [2015年01月10日(Sat)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



今年は夫の甥っ子が成人式です。私の成人式の思い出は胸がちくりと痛むものです。当時、大学の友人たちが「振袖つくってもらった」「母親の振袖着るねん」と話すのを見ながら、そんなたいそうなことは無理でも、レンタル着物で式に出て写真ぐらい撮っておくものなのかな?と思った私。母に「成人式なんだけど…」と切り出すと、「うちいろいろ大変だし、特別なことしなくていいよね?淳(弟)の成人ならまだしも、あなたは当たり前に大人になるんだし」といつもの母の感じに、その通りだなあと納得したのですが、「あっ、どうしても着物着たいなら自分で従姉に電話して頼んでみたら?」と受話器を差し出され…幼い頃に数回会っただけの東京の従姉にわざわざ電話して借りてまで着物を着たいわけではないなあと、この話はいったん終わりました。

それでも洋服で式だけでも行ってみようかなと思っていたら中学校時代の先生からの電話で式典の中の新成人代表のスピーチをしてほしいと頼まれてしまい…今度は父が「あえて普段着でスピーチすればいい。それで、難病の弟がいる話をすればいい。」と勝手に盛り上がってしまい、気持ちの持っていきどころがわからなくなってしまった私は、先生には申し訳ないけれどスピーチも出席も断る流れになったのでした。

大人になった今ならわかることは、私は振袖を着たかったわけでも病気の弟がいて頑張る姉の話をしたかったわけでもなくて、ただ、ちょっと親ばかみたいなことをしてほしかっただけなんだなあということです。弟は結局成人を迎える前に他界してしまったので比べることはできませんが、きっと弟の成人式ならもっと盛り上がって浮かれた空気になっただろうその10分の1でいいから「晴れ姿が見たいなあ」と言ってくれていたら、毎年こんなちくりと痛む胸で新成人をうつすニュースを観なくてもよかったのにと思う気持ち…。甥っ子が成人式だと聞くだけでこんなに「おめでたいなあ」「スーツ姿どんなかな」とわくわくした気分になるのに、あの頃私の周りで私に対してこんなふうに思う大人はいなかったんだなあという少し寂しい気持ち…。

重い病気をもつ子どもが成人するということの重みはよくわかりますが、その兄弟姉妹にとっても人生に数回の大きな節目、親御さんが難しい状況の時は、周りの大人が少したくさんおめでとうを伝えてあげてほしいなと毎年思う1月です。
Posted by だいひょ at 10:32 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(46) [2014年12月10日(Wed)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



当たり前


しぶたねは、親御さんが入院中のお子さんに面会に行かれる間、廊下に座って待っているきょうだいさんとあそぶ活動を病院で行っています。小さなきょうだいさん達は感染予防のために病棟のガラス扉の向こうに行くことはできません。これはもう何十年も前から当たり前の事実のようになっていて…私たちはせめて廊下で待つきょうだいが安全で楽しく過ごせるようにと活動を続けています。

halloween14-1.jpg
halloween14-3.jpg
(今月はハロウィンに合わせて、病棟と廊下とどちらからも顔を出してあそべる壁飾りを作りました。これを病棟のガラス扉に貼って、入院中のお子さんときょうだいさんとで楽しんでもらえたらいいなと思っています。)

活動日は20時まで病院にいますが、活動終了後も再び病棟の前に戻って待ち続けるきょうだいさんもいます。初めて活動に入ってくださった方がその状況を目の当たりにして思わず「まだ帰られへんの?」ときょうだいさんに尋ねたことがありました。きょうだいさんは心配する私たちを気遣って「うん、いつも10時とかだから。でも慣れてるから大丈夫!」と笑顔で答えてくれました。気を遣わせて申し訳なかったと思いつつ、初めてこの状況を見た大人はこんなにびっくりしてショックを受けるんだということが新鮮で、自分がこんな状況に慣れてしまっているんじゃないか、これが当たり前だと思ってしまっているんじゃないかとハッとしました。

先日は、自分が病棟に入れないことを知って「どうして?僕もあっちに行ってお兄ちゃんとあそびたい!なんで?なんでだめなん?」となかなか納得のいかないきょうだいさんを見かけました。そうだよね、きょうだい同士であそびたいよね、こっちが当たり前だよね、と思います。

廊下で待つきょうだいさんたちは、しぶたねの活動の原点です。20年以上前、私がまだ中学生だった頃に病院の廊下で見て何とかしなければと思った光景。それが今…少しずつ変化が起こっています。時々特別な部屋を用意してきょうだいが一緒にあそべるよう工夫されている病院、面会制限の年齢を下げた病院、健康チェックを経てきょうだいも病棟に入れる病院…。もちろん病気のお子さんに万が一のことがあっては困るので無条件にぜひぜひどんどんとは思いませんが、病気になってもきょうだい同士のつながりが途切れないよう工夫していくことが当たり前になっていくように、できることを考え続けたいです。
Posted by だいひょ at 10:29 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
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