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おはなし迷路絵ハガキ
うまく迷路をたどるとお話が完成。
間違った道を行くと笑っちゃうオチ。
ポスターもありますが(URL)、
はがきサイズお手軽です。




スフィアボール
伸び縮みボール。不思議おもしろ。




スティッキー
子どもも大人もあそべます。




ラッシュアワー
車脱出パズル。頭使います。




ニコケーキゲーム
つみあげたりオセロにしたり…




アイスクリームタワー
サーティーワンに行きたくなります(笑)




おにぎりトランプ
あそびにくいです(笑)。でもウケます。




壁をぺたんぺたんと落ちていきます
人気者!




水でお絵かきできるシート
他にもいろんな種類が




カラフルまがレール
プラレールの線路。曲がるし可愛い!




バルーンスライム
ひみつにしておきたいおもしろさ!










もう1人の主役(35) [2012年01月31日(火)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




「きょうだいさんのための本」


新しい年が始まりました。しぶたねの2011年は、念願だったきょうだいさん向けの冊子を作成することができ、よい年になりました。

年2回のイベント「きょうだいの日」では、きょうだいさんが主役になって思いきりあそび、大事にされます。「あなたは大切な子ども」「あなたのこと大好き」という親御さんや私達の想いを子どもたちは上手に受け取り、本当に可愛い笑顔で返してくれます。
例えば頭をなでること、手をつなぐこと、ぎゅっと抱きしめること、大好きだとちゃんと言葉で伝えること…ささやかに見えることが、きょうだいさんにとってすごく大きな意味をもつことを子どもたちの笑顔から教わりました。
そんな小さくて大切なことを詰め込んだものをつくりたい、きょうだいさんが寂しい時、ひとりきりだと思う時、たくさんの人から注がれている愛情を確認できるものを渡してあげたいと思い、小さな冊子が完成しました。

冊子は、きょうだいさんへのメッセージと、親御さんや周りの大人の方と一緒に書き込むページ(例えば、きょうだいさんが生まれた時どう思ったか書いてもらったり、お互いに好きなところを書き込みあったり、クーポンをつくったり…)からできています。ふだんは伝えにくい気持ちを伝え合うきっかけになればと願っています。

 20年ほど前、きょうだい児だった私は、自分は必要のない存在なんだという気持ちが強く、自分がこの家にいてよいのか、両親の人生にいてよいのか、よくわかりませんでした。そんな時、母が書いた育児日記をよく読み返していました。私が生まれた日と、あと3日分しかない日記なのですが、父も、産まれた私の似顔絵と「おにぎりみたい」というメモを書き添えてくれていたりして、「だいじょうぶ、両親は私のことを好きなはず」と最後の自信をなくさずに済みました。

 冊子は、幼稚園から小学校低学年ぐらいの年齢のきょうだいさんを想定してつくってあります。でも、完成した冊子を手にとってくれた高校生や大学生のきょうだいさんは「これ今もらっても嬉しいと思う」と言ってくれました。自分は愛されていること、大切な存在なんだということ、言ってもらえてないまま大きくなったきょうだいさんもたくさんいます。

逆に、冊子を手に取った親御さんが「ああ、これうちの子もう大きいから使えないわ〜」と言ってくださることがあります。年齢をたずねると10歳ぐらいだったりして、ああ、一度試すだけ試してほしいなと思ったりします。

「大好き」と言われて傷つく子どもはきっといないと思うのです。驚いたり、照れたり、うざがったり(笑)はするかもしれませんが、きょうだいさんがひとつも傷つかず、嬉しくなったり自信をもったりできるかもしれないことがあるなら、試してほしいのです。その時届かなかったように見える言葉が10年後に届いたりもします。
Posted by ひさも at 11:46 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(34) [2011年11月14日(月)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(18)


4月からの東京での大学生活について、母に一緒に考えてもらうタイミングをはかっていた私でしたが、いよいよ余裕がなくなってきました。
それとなく話をしても母は上の空で、寮の申し込み期限はとっくに過ぎていました。

意を決して母に「4月からの大学のことなんだけど…」と切り出すと、母の第一声は「ああ、それね。本当に行くつもりなの?」でした。私の中で何かが崩れ落ちたように感じました。母は矢継ぎ早に続けました。「あなたが成績が悪くて大阪の公立大学は難しいかもって言ってたから、どこか他に安く行ける大学をと思って薦めたんだけど、お母さんこの間あなたに風邪をうつされて寝込んだ時に自信なくしちゃって、私が寝込んでいる時に淳(弟)に何かあったら対応できないでしょ?4年は長いし。あなたも本気で寮とか探してるわけでもないみたいだし。補欠合格だったからややこしくなったんだし。だいたい風邪なんかうつすから…」母の口は止まりません。私も本当はわかっていたのです。私は東京の大学には行けない。私の口は「行くわけないやん。どこか安い予備校探そうと思ってるんだよね。」と勝手に動き、母の話を遮りました。これ以上話を続けるのは、母も私もかわいそうだと思いました。

全部自分が悪いのだと思いました。良い成績を取れなかった自分、風邪をひいてしまった自分、東京に行けると思ってしまった自分、母の迷いに気づかないふりをしていた自分、本気で大学に行く準備をしなかった自分…。

母が私を東京に行かせてあげたいと思った気持ちに嘘がなかったこともわかっていました。どうすることもできませんでした。もっと駄々をこねたら行けるのかもしれないとは思いましたが、自分の気持ちを優先して部活を続けた時の苦しい罪悪感を思い出すと、あきらめる方がずっと楽なことを知っていました。


父は私の決定に怒りました。多分私をあきらめさせたくなかったのでしょう。でも「受験代もこれから1年の予備校代もドブに捨てるようなもの。わがまま聞いて交通費も受験料も払ってやったのに。そもそも大学に行こうとするお前のエリート志向なところが気に食わない。」段々エスカレートする父の言葉はひとつひとつ私の心に深く刺さり、父と母との仲も険悪になり、私の心は自分を責める気持ちで真っ黒になりました。

友人や塾の先生も私の選択を否定しました。自分でもわけのわからない選択をしていることはわかっていたので(受かったのに行かないなら受けなければよいわけで…)、話せば話すほど後悔が押し寄せ、情けなくなりました。みんなの優しさはよくわかりました。でも、病気の弟が家にいない人には理解してもらえないと思いました。その時の私はもう、遠くの大学に行ったら必ず弟が死んでしまうという間違った不安に支配されてしまっていました。


反対を押し切って自分で浪人する選択をしたからには、もう誰も頼ることはできないのだと思いました。楽しみにしていた卒業旅行はキャンセルしました。何が何でもあと1年で合格しなければ、今度こそ心が折れてしまいそうでした。私は慌てて安く通える予備校を探しました。最初に行った予備校では対応してくれた人に「どうして福祉系に進むの?」と聞かれ、病気の弟のことや、医療ソーシャルワーカーになりたいことを話すと「弟が病気だからって福祉に向いてるわけじゃない。甘い気持ちで選ばない方がいい。」となぜか説教され、いきなり暗い気持ちになりました。駅のベンチに座ったら涙があふれ、悲しいと思う感情が自分からなくなってしまえばいいのにと願いました。
Posted by ひさも at 09:45 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(33) [2011年07月12日(火)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
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コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(17)



卒業式が近づいていました。高校3年のクラスはみんな仲が良かったので、別れを惜しみ、残り少ない高校生活を楽しむ空気で盛り上がっていました。クラスで文集を作ったり、○○な人ランキングを作ったり、卒業式後の打ち上げや、卒業旅行の計画を立てたり…。

卒業式の日、母は風邪をひいて寝込んでいました。卒業と言っても、私の4月からの生活は相変わらずはっきりしないままで、母は風邪で、おめでたい雰囲気はまったくありませんでしたが、それでも私にとって友達と一緒に卒業を迎えられたことは嬉しいことでした。

卒業式から帰ってきて打ち上げのために制服を着替えていると、母が「今日お父さんが帰り遅くなるらしくって。お母さんまだ調子悪くて淳(弟)が心配だから、行かないでくれないかな?」と言いに来ました。「卒業したって会いたい人とはいつでも会えるじゃない。他の人とはまたいつか同窓会で会えばいいじゃない。人生長いんだから。」と。

「お母さん、それは違うよ。今日は私にとって大切な日なんだよ。」と思いましたが、口に出すことはできませんでした。母にとってはなんでもない日でも、私にとっては人生で一度きりの高校生活最後の日。友達と過ごす最後の日。だけど、弟の命と比べたら、どうでもよい日でした。友達に打ち上げに行けなくなったことを伝える電話をしたら涙がこぼれました。でもどうすることもできませんでした。


夜になって、予定より早く父が帰ってきました。飲み会の席で娘の卒業式の話になり、打ち上げに行けなかった事情を知った同僚の人が「それはだめ。娘さんにとっては大事なイベントなんだから行かせてあげなくちゃ。」と父を送り出してくれたということでした。「大事な日だと思っていいんだ。」その人の言葉が私の背中を押し、私は家を飛び出しました。

当時はまだ携帯電話もなく、みんながいるお店の最寄り駅と店名しかわからない状態で、たどり着ける気はしませんでした。それでも私は走らずにはいられませんでした。初めて降りた駅の暗い夜道を走りながら、私は何をやっているのだろうとだんだん情けなくなりました。

数時間前は友達とたくさん写真を撮り「また夜にね〜」と笑顔で手を振っていたのに、今どうしてこんなところを必死で走っているのだろうと、どうしようもなく悲しい気持ちになり、心が折れそうになった頃、聞きなれた友達の声が漏れ出ているお店を発見しました。もうお開き直前でしたが、たどり着けたのでした。

小さな小さなお店で、駅から近いわけでもなく、どうしてたどり着けたのか、今思っても不思議です。執念だったのでしょうか(笑)。みんなに「あっ、来た!」「来れてよかった!」と、わいわいと迎えてもらって、一緒に写真を撮って、ちゃんとお別れを言い合って…15分ほどでしたが、本当に来られて良かったと思いました。


もしたどり着けていなかったら、高校の卒業式を思い出すたびに悲しい気持ちになるところでした。顔も知らない父の職場の人の優しさが、私の「高校生らしい1日」を守ってくれたことに、今でも本当に感謝しています。思えば、つらい時、悲しい時、いつも誰かの優しさが私を救ってくれていました。
Posted by ひさも at 09:00 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(32) [2011年03月23日(水)]

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弟と私(16)



私は高校3年生になり、受験勉強の日々が始まりました。遠回りをしても、いつかは病院で働くソーシャルワーカーになれるかもしれないという目標ができたことで、明るい将来を思い描くようになりました。母の実家の近くの大学に合格したら、母も祖母も、叔父も叔母も喜ぶことがわかっているということも、私を明るい気持ちにさせていました。自分が来るのを喜んでくれる人がいる、人を喜ばせることができるのだ、と思うことは、心の安定を保つのに良いことでした。「受験勉強をするから」という大義名分ができ、友人と一緒に放課後の教室で勉強したり、塾に通ったりすることで、家から離れ、別の世界を広げていくことも楽しんでいました。

入試の日は祖母の家から大学まで、叔父が飼っている犬と一緒に(笑)車で送ってくれました。校門の前で「じゃあ頑張ってくるね!」と叔父と犬に手を振った瞬間が、今思えば1番良いところでした。


試験の結果は補欠合格でした。数人辞退者が出れば合格という通知が届き、これならもうだいじょうぶだろうとホッとしました。合格が確定したわけではないので、なんとなく宙ぶらりんな感じになってはいましたが、友人と卒業旅行の計画を立てたり、別れを惜しんで残り少ない高校生活を楽しんでいました。

ちょうどその頃、私はたちの悪い風邪をひきました。高熱が出てずいぶん苦しみ、弟にうつったらどうしようと家の空気がピリピリする中、風邪は母だけにうつりました。


風邪も治り卒業式が近付くにつれ、私は不安になっていました。合格が決まったら4年間どこで暮らし学校に通うのか決めなければなりません。寮に入るなら申し込みをしなければいけないし、一人暮らしをするなら準備をしなければいけないし…。母に相談しようと思うのですが、弟を置いて遠くの大学に行くことへの罪悪感もあって言い出しにくく…。でも、大学を決める時にあれだけアクティブに動いてくれた母なので、風邪が治ったら入学後のこともきっとすぐ一緒に考えてくれるだろうとその時は思っていました。


結局、母は風邪が治っても私の相談にしっかり耳を傾けてくれることはありませんでした。大学の話を聞く母の返事はいつも生返事で、あまり話をしたくないのだというのがわかりました。これから4年間、母は私のいない生活を送らなければならないのだから、心の準備も必要なのだろう、母の気持ちが乗ってきたときにまた相談すればいいやと思い、4月からのことはぎりぎりまで考えないことにしました。
Posted by ひさも at 10:09 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(31) [2011年01月31日(月)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(15)



 大学に進学して社会福祉を学ぶと決めた私は学校探しを始めました。福祉を学びたいと思った時、最初に頭に浮かんだ学校がありました。私の高校入試前に弟が倒れて入院した時、ひとりきりだった私の心を支えていた本を書いた先生のおられる大学でした。さまざまな福祉の仕事について紹介してある本で、私はその中の「医療ソーシャルワーカー」について書かれたページ、それから、福祉の仕事を目指す人へのメッセージが書かれたページを何度も何度も読み、未来を楽しみに思う力をもらっていました。

 しかしその大学は東京にありました。家を出て東京で暮らすということは、経済的にも、重い病気の弟がいる家庭の状況からも、私にはとてもできないことだと思い、すぐにあきらめました。


 高校でもらってきた学校紹介の分厚い情報誌を眺めている時、母親が「ちょっと貸してみて」とページをめくり、「ああ、ここ。ここはどう?ここならおばあちゃんの家から通えるんじゃない?」と開いたページを私に見せました。それはまさに私がいったんあきらめた大学でした。私は驚き、嬉しくなりました。

 でも、病気の弟を置いて家を出ることはとても悪いことのように思いました。「ここに通ってもいいの?」と聞いてはいけないような気がして、私は何も言えずドキドキしました。「ほら、私立だけど公立の大学と同じ学費で通えるって書いてあるよ」「あなたはこの学校のすぐ近くの病院で産まれたんだよ」と母は話を続けました。これは本当に「行きたい」と言ってもいいのだと思いました。ここを受験したいと言うと、母は「よし、じゃあまず見学に行こう!」と言ってくれて、次の日曜日、弟を父に預け、本当に日帰りでその大学に連れて行ってくれました。

 「ここを受験したい」と言ったものの、私は迷っていました。ひとりにできない弟が家にいるのに私が4年もいなくなってだいじょうぶなのだろうか、こんな親不幸が許されるのだろうか、弟にはできないことを私がしてもよいのだろうか…。でも、実際にキャンパスに立ち、憧れていた先生の研究室があるのを見たら、この大学に通いたいという気持ちは大きくなりました。

 当時の私は、弟と一生いっしょに暮らすのだと思っていました。でも高校生の私にできることは少なく、例えばいつ倒れるかわからない弟がひとりにならないよう一緒にいること、母が弟についていられるよう時々買い物をすること、それぐらいしか役に立つことはなく…それなら、両親が若くて元気な間に外に出て経験を積んでおくのも悪くないのではという気持ちも生まれてきました。

 「弟と両親」それと「私」という家の中の空気がしんどく、少し距離をとりたかったというのもあったと思います。それに、私には関心がないのだと思っていた母が、私のために考え、張り切ってくれたこともとても嬉しいことでした。私はその大学を受験することを決めました。
Posted by ひさも at 10:34 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(30) [2010年11月22日(月)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
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コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(14)



 きょうだいとしてのしんどさに気づいてしまった高校生活でしたが、友達もでき、気持ちが安定するのに合わせて成績も落ち着いていきました。私は2年生になり、卒業後の進路を決める時期にさしかかっていました。病院のソーシャルワーカーになることが私の夢だったので、当然福祉系の大学に進学するつもりでいましたが、その選択は両親にも弟にもあまり嬉しくないことだったようで、「ちゃんと自分のやりたいことをみつけなさい」と返されてしまいました。

 弟が生死の境をさまよっていた時にあたたかいお茶を淹れてもらって嬉しかったから、つらい思いをしている患者さんのご家族にあたたかいお茶を渡せるような仕事につきたい。そのこと自体にきっと悪いところはひとつもないはずだったのですが、「それはあなたが本当にやりたいことじゃない」「良い子にならなくてもいい」「弟が自分のせいで姉の進路が変わったと思ってしまう」と言われ、私は困ってしまいました。


 そもそも、自分が大人になった時、弟がどういう状態なのか、両親はどうなっているのか、私にはまったく思い描くことができませんでした。

 将来弟を1人養っていくなら、それなりの仕事に就かないといけないのではないか、それなら大学は出た方がよいのではないか、そう考える私に対して両親は「弟のことは何も心配しなくていいから、お前の好きなようにしなさい」という姿勢でしたが、具体的な将来の設計図が出てくるわけではなく…。今は好きな道を選んでよいと言ってくれているけど、それは部活を辞めるよう言われた時のように、途中であきらめなくてはいけないようにならないのか、結局弟や私が困ることにならないのか、と、漠然とした不安に包まれ、両親の言葉をそのまま受け止められずにいました

(病気の子どもの「きょうだい」には、親御さんの期待をかけられ苦しむ子や、将来福祉や医療の道にすすむことをすすめられて困る子も多いと聞いています。それを思うと私はとても恵まれていたのだと思います)。


 確かに、私に病気の弟がいなかったら選ばなかった道だったかもしれません。でも、ソーシャルワーカーという仕事を知ることができたことは、今思えばきっと「『きょうだい』で良かったこと」の貴重な1つだったのだと思います。しかしそれは誰にも賛成されず、応援もされず、私は迷路に放り込まれたような気持ちでした。

――― 本当は、人にほめられたいから福祉の仕事をしようと思っているんじゃないのか?

という考えまで出てきて私を苦しめました。何日も何日もぐるぐる悩み、結局、弟が気に病まないように、「医療や児童関係ではなく、高齢者福祉に関わる仕事をしたい」と言って私は両親を説得しました。この決断によって遠回りをすることになるのですが、これ以外の着地点を思いつくことができませんでした。
 
 私が「きょうだい」じゃなかったら、誰にも反対されず夢に向かってさわやかに歩くことができたのかもしれません。「きょうだいで良かったこと」は「きょうだいでつらかったこと」になってしまっていました。
Posted by ひさも at 16:06 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(29) [2010年07月07日(水)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。



弟と私(13)


 高校時代は中学生の頃とくらべて行動範囲も広がり、世の中に楽しそうなことやおもしろそうなことがいっぱいあることに気づく時期でした。その分「きょうだい」らしい悩みと向き合うことも増えていきました。


 部活もそうでしたが、友達と電車に乗って街にあそびに出かけるのも、好きなアーティストのライブに行くのも、両親にはあまり歓迎されないことでした。もちろん娘が心配だという気持ちもあったと思いますが、遠くまで出かければ弟に何かあった時にすぐ対応できないし(当時は携帯電話どころかまだポケベルすら高校生は持てないような時代でした)、人ごみに出かけると風邪やインフルエンザなどの病気を持って帰る可能性が高くなるし、帰りが遅くなれば弟の生活リズムが乱れて体調に影響が出るかもしれない…と、きょうだいだからこそ納得するしかない理由がありました。友人たちの世界が広がっていくのを間近で見ながら、自分だけが取り残されているように感じ…他の友達は何も悩まずできることを自分は悩みながら、罪悪感を抱えながらでないとできないのだということが時々悲しくなりました。

 両親は弟が新しい経験を積むための努力や工夫は惜しまなかったので、それが私をさらに焦らせました。弟がいろいろなことに挑戦できない理由は誰もが納得するものだけど、自分がこのまま経験不足で何もできない大人になった時、誰も許してくれないのではないかと不安でした。

 両親や親戚の大人の人は「大人になったらいくらでも好きなことができるんだから今焦ってやらなくてもいいじゃない」とよく言いましたが、私が大人になっても弟の病気は治らないのでは?いくらでも好きなことをできる日なんて来る?その時私の好きなアーティストはまだライブをやっている?一緒にあそびに行ってくれる友達はいる?と、頭の中にいつもハテナがたくさん浮かぶのでした。できないことばかり考えると悲しくなってしまうので、世の中に私の好きなことがなくなったらいいのに、日曜日がなくなって毎日平日になればいいのに、とよく思っていました。


 結果的には、大人になった今、好きなことをしているわけですが、中学生の頃、高校生の頃、毎日新しい日がやってきて、その日はその日限り、その時じゃないとだめなこと、大人の目から見たら些細なことやつまらないことでも、自分にとってはそれがとても大事で、もう今はそれが全てなんだ、みたいなことがたくさんありました(友達付き合い、恋愛、部活…まさに青春?)。家族との関係が中心の生活から、友人との関係が重要になっていく時期だったのだと思います。でもそれは弟の命と比べた途端、本当に小さなことになってしまいました。


 私はずっと、他の友人に用意されている明るい将来のようなものが、自分にはないように感じていました。弟にも明るい将来は用意されていないように感じていました。当時は自立して生活する病気の方や障害者の方と出会う機会もなく、両親や親戚が弟は結婚できないだろうと言っているのを聞いて、病気の弟と私は一緒に暮らしていく選択肢しかないのだと思っていました。
Posted by ひさも at 17:26 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(28) [2010年04月08日(木)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(12)


 弟よりも自分の楽しみをとったのだという罪悪感から、私は部活を楽しいと思う気持ちとうしろめたい気持ちの間で揺れていました。でも、部活を続けることで、とてもよいことが起こりました。親友ができたのです。

 彼女とはいつも一緒に過ごしていたので、さすがにある日話題が尽き、私はふと弟のことを話してみようという気持ちになりました。「うちの弟な、心臓病で、けっこう重いねん」と、口に出してみると、言葉は想像していたよりずっとスムーズに出てきました。その頃彼女とはまだ出会って日も浅く、こんなに深い友人になるなんてまったく思っていなかった時期でしたが、今思えばタイミングはこんなふうに突然おとずれるものなのかもしれません。 

 彼女の反応はあっさりとしていて、ひくでもなく、軽く見るでもなく、「えー、それってけっこう大変やな」と返してくれたので、私は入試前に弟が倒れてもうだめかもしれなかった話や、また次いつ弟が倒れるかもしれないという不安を話すことができました。そして彼女もまた「きょうだい」の立場だったことを教えてもらいました。当時の私は自分を「きょうだい」というくくりで見ていなかったので、「同じだ!」というふうには思わなかったのですが、お互いに秘密を共有したことで絆が強まったような、またホッとしたような気持ちになったのを覚えています。「親にはこれ以上心配かけられないよねー」「そう、私は絶対親より長生きしなあかんって思うねん」というようなことを軽いトーンで話せる相手ができたことは私にとってすごく重要なことでした。

 物事を深刻に、後ろ向きにとらえがちな私とは違い、彼女はいつもクールで冷静で、その物事の見方は私にはとても新鮮でした。「いろいろしんどいこともあるけどさ、まあ、しゃあないやん?」と彼女が言うと、そうだなと素直に思えて、元気が出ました。彼女とはどんどん仲良くなり、クラスは違ったので休み時間のたびに廊下で一緒に過ごし、授業中はお互いに手紙を書き(笑)、帰り道では暗くなるまで立ち話をして、家に帰ってもまた電話をする日々でした。学校では授業についていけず、家の中でも何の役にも立たない自分なんて必要のない存在なのだと思っていた私にとって、今思えば彼女は私の「居場所」でした。大げさに聞こえるかもしれませんが、彼女と過ごすことで私は自分が生きていて楽しいと思う気持ちを思い出しました。

 弟の病気がわかってからの両親は、自分の楽しみはすべて捨てて弟のためだけに生きていました。平日は仕事、休みの日は患者会活動に精を出す父、習い事も、友人と過ごす時間も全部なくして弟と一緒に過ごす母、いつでも母と一緒で、友達と外にあそびに行くこともできなくなった弟…。私だけは弟のためにできることもなく、両親の役に立つこともできず、宙ぶらりんな感じがしていました。両親も弟もしんどい中頑張っているのだから、自分も楽しんではいけないと、私は無意識に思っていたのだと思います。頑張れることもない、楽しんではいけない、よりどころだった成績は落ちる一方、弟のために辞めなければいけなかった部活も自分のわがままで続けてしまった…私の精神状態はだいぶガタガタでした。

 でも、彼女と一緒にコンビニでお菓子を買ってきて食べたり、放課後の教室で一緒に勉強したり、どうでもよい話題で長電話をしたり…彼女と一緒に過ごした時間には今でも鮮やかな色がついているような気がします。何を言っても大丈夫と思える相手ができたことで私の心はずいぶん元気になり、クラスにも友達が増えていきました。 


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追記

この文章を書きながら、最後まで迷い、今もまだ迷っている部分があります。3段落目の「『親にはこれ以上心配かけられないよねー』『そう、私は絶対親より長生きしなあかんって思うねん』」のところ…これを病気のために親よりも先に旅立たなければならなかった子どもや、その親御さんが読んだ時つらいのではないかというのを、たくさん悩みました。ただ、「きょうだい」の立場だった私と友人にとって、病気のきょうだいの分も頑張らなくてはいけない、せめて自分達は親に心配をかけてはいけない、ということはいつも最優先すべきことで、大きなプレッシャーでした。それが事実なので書こう、と最初にシンプルに思った気持ちを選んで書くことにしました。

私の弟が「俺が死んだらお父さんとお母さんのこと頼むで」と言ったことがありました。明日の命がどうなるかは誰にもわからないことなんだから、約束なんてできないことだろうよと思いましたが、今やっぱり、両親より先には絶対死んではならないのだと強く思っている自分がいます。そこに弟の死を否定する気持ちはまったくありませんし、早くにこの世を去らなければならなかった弟の悲しみ、無念、親への申し訳なさ、それから弟への尊敬の気持ち、それらはすべて私の心の中にあり、大切に大切にしたいと思っていることです。
Posted by ひさも at 19:31 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(27) [2010年02月02日(火)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




 新しい年が始まりました。今年もよろしくお願いいたします。
 しぶたねの2009年は、小さいながら新たな1歩を踏み出した1年でした。小学生のきょうだいさん向けのイベント「きょうだいの日」を卒業していった中高生を対象に、「きょうだいの日番外編」と称した小さなイベントを始めたのです。  


 第1回は卓球大会を企画したのですが、きょうだいの参加はゼロ。部活が忙しくて行けないという連絡をくれる子もいたので、とりあえずしばらくは参加者ゼロでも続けていこうと、2回目は小学生きょうだいに送るクリスマスカード作りを企画することにしました(しぶたねからきょうだいたちにクリスマスカードを送るのも初めての試みでした。これもしぶたねを立ち上げる前からの私の夢のひとつだったので、嬉しい1歩です)。


 「中学生になっても、高校生になっても、行ったらいつでも必ず大歓迎される場所がある」ということが伝わればいいなと思って続けていきたい企画でしたが、2回目にしてなんと高校生が1人来てくれました。4年ぶりに会ったその子は私たちの背をすっかり抜き、とってもイケメン(!)になっていて、小学生のきょうだいたちに送るカードを一生懸命作ってくれました。あの小学生の男の子がこんなに立派な高校生になって今度は手伝ってくれているということが、ありがたくて、まぶしくて、敬語が少しくすぐったくて…活動を長く続けていくとこんなに大きなごほうびをもらえることがあるのか!と感動しました(前号のにこトマさんのハロウィンに参加した女の子のお話とも嬉しくかぶります)。


 そしてお正月には6年ぶりの女の子から年賀状が届きました。初めてのきょうだいの日に来てくれた子だったのですが、その時のことを「救ってもらえたっ!て感じでした」と書いてくれていて、新年早々涙が…。6年前、わけもわからず無我夢中で渡したものがこんなに大きくなってかえってくるなんて、まったく想像もつかなかったことで、本当に夢のようだと思いました。


 中学生以上のきょうだいたちに、きょうだいの日のチラシや年賀状を送るのにはいつも迷いがありました。負担に感じるかもしれない、もうしぶたねとは関わりたくないと思っているかもしれない(きょうだいとしてのしんどさがすっかりなくなってそう思ってくれているならとても嬉しいことなのですが)、返事もしないのにいつまでも届いて気持ち悪いと思っているかもしれない…と。でも、今回番外編に来てくれた男の子は「いつも手紙が来てたから今回来てみようと思った」と話してくれ、年賀状をくれた女の子は「いつもお手紙ありがとうございます」と書いてくれていました。私達の迷いをこの子達がさっと持ってくれたように感じました。


 中高生向けのプログラムを開始するにあたっても、思春期に入った子達にちゃんと満足してもらえることをできるだろうかという大きな不安がありました。その不安は今も続いていて、勉強しなければならないことも、話し合わなければいけないこともたくさんあるのですが、でも…きょうだいの日にあそびに来てくれた子どもたちが大きくなって、いつか、もしかしてすごく悲しい気持ちになった時に手を出してくれたなら、その手をきゅっと握りたい、というのが私の正直な願いです。中高生プログラムはもちろん、しぶたね自体、子ども達の中で当たり前な居場所として続いていくように…頼りなくですが、今年もたくさんの仲間と楽しく歩いていこうと思っています。
Posted by ひさも at 15:57 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(26) [2009年11月26日(木)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。



 先日、「きょうだいの日」の進行役をしている副代表と話をしていた時に、「いいこと言うなあー」と思ったことがあったので、今日はそのことを書こうと思います。

 親御さんがきょうだいさんのことをお話しされる時、「きょうだいの方も見てあげないと、とは思ってるんですが…」「きょうだいをほっとくことになってしまって悪いなと思うんですけど…」という表現がとても多いと感じます。親御さんの罪悪感や苦しさが伝わってきて、「だいじょうぶですよ」と言いたくなります。
 副代表はこの話を聞いて「それってもったいないよね」と言いました。「親御さんだって本当は大好きなきょうだいともっと近くにいたいし、ゆっくりあそびたいのに、その単純な気持ちがだんだん見えなくなってしまいそうでもったいない気がする…。」


 入院中の病気のお子さんに付き添いされている親御さんは、家で待っているきょうだいにきっととても会いたいと思います。大切で可愛いわが子に会いたくない親御さんなんていないでしょう。もっと会いたいし、もっと一緒に過ごしたいし、もっと癒されたいのではないでしょうか。
 病気や障がいのあるお子さんと関わる時間が長い親御さんも、きっときょうだいともあそびたい気持ちでいっぱいだと思います。きょうだいは「面倒をみてあげないといけない存在」だけではないはずです。もっと可愛がりたい、笑顔が見たい、大切にしたい、でも、それができない、という罪悪感から「可愛がってあげないといけない」「かまってあげないといけない」存在になってしまうとしたら、本当にもったいないことです。


 こんなふうにおっしゃる親御さんの中には、病気のお子さんにも、きょうだいにも、弱い自分を見せてはいけないのだと思っている方もいらっしゃるのかもしれません。我慢している子ども達に、寂しいこと、つらいこと、しんどいこと、言ってはいけないと頑張っておられる方も多いと思います。「もっとこうしてあげないといけないのに」という思いから「ごめんね」という言葉が出てくるのだと思います。でも…きょうだいの中には「あそんであげられなくてごめんね」と言われるより「ママも、パパも、○○ちゃんとなかなかゆっくりあそべなくてさみしい!」と言われる方が嬉しいと思う子もいるかもしれません。「パパも、ママも、自分のことが大好きで、自分と一緒にいたいと思っている」ということを実感するのは、きょうだいが自分を大切にできる大人になるために必要な体験だと思いますが、病気の子どものきょうだいにとって時々すごく難しいことだからです。


 きょうだいたちは、親御さんの大変さをよくわかっていて、中には何もできない無力な自分を責めているきょうだいもいます。そこに親御さんが、「あなたのことももっと見てあげないといけないんだけど…」と思っていたら、きょうだいは、自分は重荷になっているのだと感じるかもしれません。さみしかった気持ちを言い出せなくなってしまうかもしれません。

 「ママは○○ちゃんに会えなくてさみしかった!」「わたしもさみしかった!」と、お互いに言い合うことができたら…時には「ママも寂しいのを我慢して頑張ったから○○ちゃん、ママの頭をなでて」と、きょうだいと頭のなであいっこをできたりしたら…まっすぐ伝わる気持ちもあるのではないかな、と思いました。
Posted by ひさも at 11:14 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
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