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原発推進の秘められた目的[2012年06月24日(Sun)]
 ここ数日の間に原発と核兵器が裏でつながっていたという情報があちこちから露出した。
 例えば東京新聞6/21朝刊(電子版)には、
<二十日に成立した原子力規制委員会設置法の付則で、「原子力の憲法」ともいわれる原子力基本法の基本方針が変更された。基本方針の変更は三十四年ぶり。法案は衆院を通過するまで国会のホームページに掲載されておらず、国民の目に触れない形で、ほとんど議論もなく重大な変更が行われていた。 
 設置法案は、民主党と自民、公明両党の修正協議を経て今月十五日、衆院環境委員長名で提出された。
 基本法の変更は、末尾にある付則の一二条に盛り込まれた。原子力の研究や利用を「平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に」とした基本法二条に一項を追加。原子力利用の「安全確保」は「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として」行うとした>と報じられている。(下線は筆者による)

 NHKのETV特集では6月17日夜10時に「核燃料サイクルの50年」のタイトルで「不滅のプロジェクト〜核燃料サイクル 半世紀の軌跡」を放映した(24日の深夜にも再放映された)
 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0617.html
 この番組を見てもっとも衝撃的だったのは、外務省が核武装を前提に核開発を後押ししていた事実が明らかにされたことだ。1945年から僅か10年後には、日本は核武装を前提に原発推進のための国策事業を進めていたいたわけである。使用済み核燃料の再利用という名目で青森県六ヶ所村に巨大な再処理施設を建設した。そこで分離したプルトニウムは、高速増殖炉「もんじゅ」の燃料として再利用しながら、必要とあらば直ちに核爆弾に転用できる。ヒロシマ型やナガサキ型はもちろん、現在自衛隊配備のミサイル弾頭や、小銃弾に劣化ウランを使用する事もできる。
 原発推進に協力した科学者たちは、ひたすら核燃料サイクルの夢を追いかけるばかりで、何千億、何兆円も予算がふくらんでもお構いなしで、未だに再処理による増殖炉に執着している。いったんプロジェクトを立ち上げると、途中で変更できないのが官僚主義でもある。
 ところが失敗につぐ失敗、事故つづきで未だに再処理は出来ず「もんじゅ」も動かせないまま、処理できない核廃棄物が増えるばかりで危険この上ない現状になっている。

 たまたま図書館で借りた柄谷行人氏(信頼できる思想家)の近著の目次「反原発デモが日本を変える」の中で「原発を支える資本=国家」の項目に、
「原発は経済合理的に考えると成り立たない。今ある核廃棄物を片付けるだけで、どれだけのお金がかかるのか。でも、経済的に見て非合理的なことをやるのが、国家なのです。具体的には、軍ですね。軍は常に敵のことを考えているので、敵国に核兵器があれば、核兵器を持つほかない。持たないなら、持っている国に頼らなければなRない。できるかぎり自分たちで核兵器を作り所有したいという国家意志が出てきます。そこに経済的な損得計算はありません。そんなものは不経済に決まっていますが、国家はやらざるをえない。もちろん、軍需産業には利益がありますよ。アメリカの軍需産業は戦争を待望している。日本でも同じです」
 こうした現実を変えるために、次の項目では「直接行動がないと民主主義は死ぬ」のテーマで語っている。

 毎週金曜日に行なわれる首相官邸前のデモが日を追うごとにふくれ上がり、22日には4万5千人に達したとYouTubeで動画が公開されていた。このデモを最初にTwtter で呼びかけたのは27歳の男性介護職員で、参加者はみな個人単位でTwtter を見てジッとしていられなくなってやって来たという。
Posted by 心の平和 at 20:11 | 原発推進か反対か | この記事のURL | コメント(0)
原発=大自然に刃向う勝ち目のない戦争[2012年06月17日(Sun)]
 原子力の火は、太陽の火とは逆の原理で得られる。太陽は核融合によって光熱を地球にまで、ふんだんに与えてくれているが、原爆の原理は核分裂にある。いくら科学技術が進歩しても、太陽と同じ核融合は人間の知恵では不可能であり。そこに人智の限界をみる思いがする。
 五十年ほど前から開発された原子炉はどうか。やはり核分裂のエネルギーを応用し、戦争に備えて軍艦用に開発されたものである。原理は原子爆弾と同じで、核分裂の速度をコントロールしているという。自然に存在しない放射性物質を放出することも原爆と同じ。「死の灰」と呼ばれる放射性物質は、体内に吸い込むと極めて長期間にわたり遺伝子を傷つけ、さまざまな難病を引き起こし死に至る。いわば、人間が自然を破壊してつくり出した悪魔の火なのだ。
 しかも原子核を分裂させてエネルギーを無理に引き出した後、自然に反した反応を人為的に起こした結果は処理の仕様がない。つまり使用済み核燃料を何年も巨大なプールの水に漬けておかなければならない。その後も放射能がなくなるわけではなく、何処にどうして安全に処分するかわからないので集積されたままになっている。「トイレのない高級マンション」と皮肉をこめて呼ばれている理由はここにある。

 原発は仮に事故がなくても、稼働しているだけで自然環境を汚染し続けている。その実態について要点を記せば、原子炉で発生した高熱の2/3を海へ捨てるための温排水(海水より7℃高い)の膨大な排水量が自然を汚染する結果、魚卵や稚魚が死滅し、広範囲で漁業ができなくなることはいうまでもない。(原発1基につき毎秒70トンの温水が海へ排出される)
 その上に、青森県六ヶ所村の広大な敷地に建設された再処理施設には、1998〜2010年までに全国の原発から使用済み核燃料が運び込まれ、そのウラン換算重量は 2827トンに上っている。しかし、未だに故障続きで再処理ができないため、3000トンの容量がある貯蔵プールで冷却しつづけているが、すでにプールは満杯に近くなっていて、あと173トン分しか残っていない。さらに全国の原子炉で発生する使用済み核燃料は年間900〜1000トンに達する。そのため各原発敷地内のプールで冷やしながら保管しているものの、それも数年後には満杯になるという。(2011年12月現在。いずれも広瀬隆氏による情報)


 青森県六ヶ所村には巨大な再処理工場が建設されている。核燃料の再処理による有効利用といわれる技術は、極めて危険性が高い。再処理によって産出されるストロンチウムは地上最高の猛毒物で、極く微量が体内に吸収されるだけで命にかかわるという。
 この「死の灰」とは別に4年近く以前の保安院の発表によれば、240㎥の高レベル放射性廃液が六ヶ所村のタンクに貯蔵されている。この液体は絶えず冷却しつづける必要がある。もし冷却用パイプが破断したり停電したりすれば、たちまち沸騰して爆発し、取り返しのつかない大事故となる。そのほんの一部、1㎥が漏れただけで北海道から東北地方全域が廃墟になるほどの大惨事になる。この再処理工場を動かす日本原燃が、この危険な液体をガラスと混ぜて固体化し安定した状態で保管する計画を2006年に試したが完全に失敗したため再処理が行き詰まって操業不能に陥ったままになっている。(広瀬隆氏の著書による)

 再処理に関わる事故は過去に世界各地で繰り返されたため、今では世界中が再処理をあきらめ撤退している。その中で日本だけが未だに執着しているのは、再処理のための膨大な国家予算の裏にある利権構造のためとしか考えられない。
 敦賀の高速増殖炉「もんじゅ」は、今までに1兆円もの予算をつぎ込んでも危険なため運転できないままになっている。年間のエネルギー対策特別会計は3300億円、独立行政法人・原子力開発機構の傘下には59法人、高級官僚135人が天下っている。その中には子どもを安全神話で洗脳するための副読本を専門に企画制作している法人まである。まさに原発王国である。

 危険極まりない原発が、それでなくても原爆の洗礼を受けた日本国内に54基も知らぬ間に建設されてきたのは何故か。政官財の癒着と利権が絡み合う権力構造の支配が浮かび上がってくる。つまり国家権力の横暴が戦後も続いてきたことが福島の爆発事故で「表へ現われた」のである。
 かつての米英を相手にした戦争では「必勝神話」を徹底的に国民に叩き込む教育をしたが、大自然を破壊する戦争というべき原発推進では「安全神話」のPRが見事にその役目を果たしてきた。いずれも無謀な国策を信じさせるための巧妙な手段であった。いずれも無謀な戦争に違いなく、福島原発の爆発は事故というより無惨な敗戦に等しい。かつての戦争で「必勝」の信念が何の裏づけもない言葉に過ぎなかったように、原発推進という自然に対する戦争も言葉だけの「安全」に過ぎない。

 とはいえ、福島第一原発の現場では、安全を担保する修復のために放射線を浴びながら働いている多数の現場作業員がいる。事故当時の吉田昌男所長は、食道がんのため中とで退職したが、現場の責任を果たすために献身的な努力を続けていた。御用学者だけではなく良心的な学者も実在している。
 かつての太平洋戦争でも、大多数の民衆は戦場に駆り出されて命を賭けて筆舌に尽くせぬ苦難を味わった点で同じ構図の繰り返しに違いない。
 しかも天皇制の国体護持に執着したために、本土決戦で全国民を軍隊の指揮下に入れて最後まで戦い抜こうとした。その結果、勝ち目のない戦争終結が1年遅れたために、満州や南方の島々や本土空襲のため、どれほど多くの国民が悲惨な犠牲者になったことか。

 80余年前の昭和の始め、富国強兵の国策に歯止めが効かなくなり、陸軍が予算を独占して満州から中国に侵略を始め、無謀にも米英を相手に戦争を拡大し、ついには昭和20年の敗戦に至った。
 昨年から今年にかけて、過去と同じ事態が再び到来している。というのは、人災による福島原発の爆発事故は、国民がそれまで「善」と信じ込んでいたものの正体が表へ現われたからである。「善」なる聖戦と信じていたかつての戦争も、実は軍部権力による「悪」であったことが敗戦によって表にあらわれたのであった。
 ところが今度の福島第一原発は、無惨に破壊された姿を曝しながら未だに敗戦を認めようとせず、他の原発の再稼働を次々にもくろんでいる。
 
 結論として、六十七年前までの日本と現在の日本の類似点と相違点を要約しておきたい。このたびの二重の災害を「第三の敗戦」と受け止めて対策を提案している識者もある。まず類似点としては、
(1)権力と財力を独占したエリート階層が、戦前の国家神道のごとく、原発の安全神話を捏造したこと。「原子力の平和利用」「クリーン・エネルギー」というキャッチフレーズも原爆による放射能アレルギーを解消する上で効力があった。
(2)戦時中は軍部の参謀本部が負け戦を隠したように、東京電力や政府の幹部が不都合な事故のデータを発表せずに隠蔽した大本営発表の復活。(例えば、戦中のミッドウェー海戦敗北と原発事故による放射能データをいずれも隠蔽した) 

(3)原子力関係の予算額は、かつての軍事予算のように際限なく膨らんで行った。
(4)敗戦までの新聞などのメディアが大本営のウソの発表だけを報道したように、現在のマスコミも政府や企業側に偏り、市民の運動を報道しようとしないこと。利害得失で動く御用学者で占められているアカディミズムとジャーナリズムが腐り切っている。(原子力学会には七千人もの会員がいながら原発の危険防止に何の役にも立っていない)  
(5)戦時中に反戦を主張した政治家や国民は、こぞって弾圧を受け、非国民と非難された。あるいは治安維持法により特高(特別高等警察)に逮捕され投獄された。
  
 戦後は、原発の推進に反対した学者は排除され、冷や飯を食わされてきた。原発に反対する自治体や市民は、法律や暴力に代わって、交付金その他 巨額なマネーの力で良心をマヒさせられた。
(6)原発事故は人災であることが忘れられ、「戦犯」に対する責任追求をアイマイにして、かつての「一億一心」「一億玉砕」「一億総懺悔」のスローガンが繰り返されようとしている。かつて戦争終結を遅らせて犠牲者を増大させた「国体護持」の代わりに「原発護持」が目的にならないように注意しなければならない。 
 
 それでは昔と比べて、どんな相違点があるかと言えば、
(1)上から情報操作してもウラ情報が流れる(ネットを通して世界中に情報が流れる)ために統制できない。その意味で、グローバル・ブレインとも呼ばれるIT革命によって、知識は「ろくぢ」(平等)に近づき、上から一方的に情報を操作できなくなっている。あらゆる事態にあって、真実の知識を得ることが最善の解決のための唯一の道であることは間違いない。太平洋戦争の当時、正しい情報を軍部や政府権力が遮断していたために最悪の結果となったからである。
(2)現代の社会では、治安維持法などの悪法や強制的な暴力によって弾圧できない。
(3)被害者の補償が当然の権利として認められ、加害者に支払う義務が課せられる。
(4)国内外からボランティアと義援金による救援を受けることができる。
Posted by 心の平和 at 21:30 | 原発推進か反対か | この記事のURL | コメント(0)
外国から観た日本人の実像[2012年06月11日(Mon)]
 私がメンバーになっている<no_more_war ML>に、今朝ほど下記のような投稿が配信された。私も大いに共感しているので、匿名のまま転載することを了解ねがいたい。

<野田総理が大飯原発の再稼働を表明しましたが、これで世界の隅々にまで我々日本
人の値札を見せてしまったように思います。3,11の震災の時にはその我慢強さ、
沈着、また我が身よりも人の事を慮る公共性の高さなどを賞賛してくれた人々も、今
回はさぞかしがっかりした事でしょう。



<この1年、世界を前にいろいろ演じて見せた日本人が、結局のところ命よりもカネ
を選んでしまったのです。人工衛星から地球を見れば、暗い奈落の中でひと際光り輝
いて見えるのは日本列島だそうですが、悪魔のエネルギーを湯水のように垂れ流し、
人が何人死のうが苦しもうが一度味わった核の悦楽から離れられない哀れな日本人、
まるでメフィフェレスに魂を売ったファウストではありませんか。

<原子爆弾にやられた地球上唯一の民族が、今度は再びフクシマで酷い目に遭いなが
ら、それでも懲りずにまたしても再稼働とは、私は人類に対する犯罪行為ではないか
と思うのです。核の恐ろしさを最もよく知る日本人でありながら、また世界有数の地
震多発国に多くの人が住みながら、どうして54基もの原発を作ってしまったのか?
世界に対してまともに報告も出来ず詫びもせず、更に今から輸出までしてカネ儲けが
したいとは…。


 この投稿に対して、早速に次のような皮肉たっぷりのコメントが投稿されている。

<「必勝の信念」さえあれば戦争には勝てるはずであり、

 「安全の信念」さえあれば原発の安全性は確保出来る。
 
  そのように考えるのが「日本の伝統の心」なのです。

 「日本の伝統の心」は、
  
現民主党政権によっても受け継がれ守られるのです。

 野田首相の態度とは裏腹に、いかにも理想も自信も責任も感じられない記者会見の直後の6月8日、村田光平氏は、細野原発担当大臣あてに送った書面を自身のサイトに公開しているので、結論としてごらん頂きたい。
 http://kurionet.web.fc2.com/murata.html
 
Posted by 心の平和 at 19:39 | 原発推進か反対か | この記事のURL | コメント(0)
野田首相あて原発再稼働阻止のメールを![2012年06月07日(Thu)]
野田首相あての大飯原発再稼働反対のメールが、下記の国際的ネット・サイト AVAAZ.org から送信できます。
要請文は自作でも、サイトに提示してある例文をコピーして貼り付けても、どちらでも構いません。
同時に積極的に拡散をお願いします。

http://www.avaaz.org/jp/no_restart_sam/?vl
Posted by 心の平和 at 16:27 | 原発推進か反対か | この記事のURL | コメント(0)
新藤兼人監督(100歳)逝く[2012年06月03日(Sun)]
 新藤兼人といえば、脚本家・監督として知らぬ人はない。その人が今年100歳で逝去し3日には告別式が執り行われる。2年前に98歳で、遺言として書き上げたシナリオをもとに最後の反戦作品「一枚のハガキ」を車椅子を動かしながら完成した。

 新藤監督は松竹大船撮影所に勤めていた昭和19年3月、32歳の時、赤紙で召集され広島県呉の海兵団に入隊する。30代を過ぎた高年齢の二等兵ばかり100人の部隊であった。その部隊は、なんと予科練を受け入れる準備の役目を与えられたが、それが終わると、クジで選ばれた60人はフィリピンの戦場へ向かう途中に輸送船が撃沈されて全員海の藻屑と消え、次にクジに当たった30人は潜水艦に乗船して戦死、最後に残った10人の内6人だけが内地で終戦を迎えて生き残り、運よくその中に後の新藤監督も入っていた。

 タイトルの「一枚のハガキ」は、戦友から見せられた一枚のハガキに由来している。その戦友は後に戦死したが、生き残った主人公は戦友の妻が出したハガキを忘れることができない。そのハガキの文面は、
「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません 友子」
 と、さりげない言葉の中に妻の本心がしたためられていた。
 映画のストーリーは、そのハガキを軸に展開していくが、その筋書きは観てのお楽しみとして、演技派の大女優・大竹しのぶが戦友の妻を熱演していた。

 じつはその秋、東京国際映画祭で上記の映画が審査員特別賞を授賞した。その場で新藤監督は、語気を強めてインタビューに答えていた。
「いかなる理由があっても、戦争はやってはいけない。一人の兵士が戦争に行くと後方の家族がめちゃくちゃになる。その悲惨さを体験を通じて描いた遺言のつもりです」
「戦争をやらないと国が保てないと言う人がいるが、戦争は偉い人がやるのではなく、一等兵や二等兵がやるんです」
 新藤監督は広島の出身で、初期には「原爆の子」の作品もある。平和の信念を貫いた映画を作りつづけて天寿を全うした生涯に敬意を捧げるとともに、心からのご冥福をお祈りします。
Posted by 心の平和 at 10:47 | 戦争と平和 | この記事のURL | コメント(0)
大飯原発は再稼働するのか?[2012年06月01日(Fri)]
 先のブログで紹介した村田光平(元スイス大使)サイトでは、野田内閣の各大臣あて再稼働反対の書面が公開されている。
 ところが野田首相は、このところ大飯原発の再稼働について「総理大臣の責任で判断する」と大見得を切っているようだ。しかし、選挙があれば大敗に決まっている与党の首相から「責任を取る」と言われても安心も信用もできない。
 一方、原発地元の首長は、予算や雇用を優先して殆どが再稼働賛成だが、市民は全部そうとは言えない。例えば「美浜の会」(美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会)のHPでは、再稼働を阻止するための活動を活発に展開している。
http://www.jca.apc.org/mihama/

 日本の原発事故に対する海外の目は厳しい。この4月初旬に福島を訪問した米国民主党のロン・ワイデン上院議員らエネルギー天然資源委員たちは、その後に報告書をまとめて発表している。それによると、福島第一原発の4号機の格納容器横の地上4階にある冷却用プールに入っている1565本の使用済み核燃料は、万一強い余震でプールが倒壊すると、最悪の場合、上空の気流に乗って北半球全体に放射能がまき散らされ、日本が壊滅するだけでなく米国の安全をも脅かすことになる。従って日本政府は海外にも支援を求めて早急に事態を改善するべきであると指摘しているという。その情報がインターネットを通して米国の市民団体の間にひろがり、日本のネットにも飛び火して危機感が強まっている。

 それまでにも4号機の燃料プールは外気にさらされていて、最も危険な状態といわれてきた。それが現実となるか否かは誰にもわからない。もし、そうならなかったにしても、脱原発へ舵を切り再稼働を阻止する上では決してマイナスの情報ではない。
 その上に、米国が福島原発の危険性を強調するのは、オバマ大統領の核廃絶構想と関係があるのではないかとの説もある。つまり米国政府は、日本の脱原発を望んでいるという推測であり、もしそれが事実なら、アメリカ一辺倒の野田首相が大飯の再稼働を決めるはずはないということになる。今、いかにも自分の責任で判断すると表明しているのは、じつは国内の政財官推進派の主張になびくかのように見せかけるためであり、最終的には再稼働を諦めるのではないかと推測している(5/31の時点)国際ニュース解説のサイトもある。
http://tanakanews.com/

 現実は再稼働どころではなく、福島の実情は冷温停止状態どころではない。構内で汚染水を循環するための全長4キロのパイプは規格がバラバラで、雑草がパイプの表面を突き破って放射能汚染水が漏れ出した事故が半年で22件も発生しているという。全部を丈夫な同質のパイプに変えられない理由は、高濃度に汚染した瓦礫の埋立てが先送りされているため作業ができないからだ。次の大津波を防ぐための防潮堤も仮に土嚢を積み上げたままになっている。

 そうかと思えば5月末日になって、橋下大阪市長が記者会見で、大飯原発の再稼働を期間限定で容認すると言い出した。夏場の期間を過ぎても停止しなければ政府に文句を言うと表明しているが、その時には別の理屈をつけてごまかすに決まっている。原発推進派は期間限定する気はないから、次々に他の原発も再稼働を進めていくのは分かり切っている。
 さらに再稼働容認は関西広域連合の自治体全部に広がり、嘉田滋賀県知事までが、期間限定を条件に再稼働容認を明言した。政財官の権力による圧力、企業に対して計画停電の必要を警告する関電の策略が効を奏したのだろうか。

 最初の感想に戻るが、結局は本当に国民の意思を正しく反映する政権と交代する他に解決の道はないと思わずにはいられない。脱原発とは、単に危険を恐れるだけではなく、自然に反してエネルギーを使うだけ使い捨ててきた生活を、自然に順応した質素な生活に回帰するための又とない実験として受け入れることが大事ではないか、と思えてならない。
 村田光平氏の説に従って、軍事であれ民事であれ核分裂で自然にない放射能を発生する技術を地球上から廃絶するという強い意思が根底になければ、真に平和な世界は築けないと思う。ごく最近の5月31日付で「野田佳彦内閣総理大臣殿」あての村田氏の書簡が下記サイトに公開されている。一読をおすすめしたい。
http://kurionet.web.fc2.com/murata.html
Posted by 心の平和 at 11:01 | 原発推進か反対か | この記事のURL | コメント(0)
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