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核兵器廃絶に向けた広島宣言[2010年11月27日(Sat)]
 広島市で開かれていたノーベル平和賞受賞者世界サミットは、すでに今月14日、タイトルの通り「広島宣言」を発表して3日間の日程を終えた。

 閉幕後の受賞者6人の会見で、ダライ・ラマ14世は、今年の受賞者となった中国の劉暁波氏(人権活動のため服役中)に関して「中国は寛容な精神を忘れている」と批判した。さらに、初めて原爆が人類に対して投下された8月6日を「広島の日」として国連が宣言し制定することを提案した。

 また同サミットは、平和サミット賞をロベルト・バッジョさん(イタリアの元サッカー選手)に、サミット特別賞を日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にそれぞれ贈呈し、平和記念公園で授与式を行った。(以上、毎日新聞記事より)

 上記の「核兵器廃絶に向けた広島宣言」の全文は、リンクサイト<戦争を語りつぐ証言集>に、追加資料として掲載している。
 http://www.geocities.jp/shougen60/shiryo/hirosima-sengen.html
Posted by 心の平和 at 20:04 | 戦争と平和 | この記事のURL | コメント(0)
ダライ・ラマ 14世の講演を聴いて[2010年11月14日(Sun)]
 思いがけない機会に恵まれた。去る8日、チベットのダライ・ラマ法王(75歳)が奈良を訪れて、東大寺大仏殿の北側にある後堂広場で3000人の一般聴衆の前で1時間半にわたる講演と質疑応答があった。奈良県内の著名な寺院でつくる実行委員会の主催により、演題は「縁起に基づき平和と環境のためになすべきこと」であった。

 ダライ・ラマ14世は、何よりもノーベル平和賞を受けた「平和の使者」として非暴力と対話を重んじることで知られている。その直々の講演を聴きたい望みが叶えられた。庭野平和財団から今年初めて「戦争を語りつぐプロジェクト」の活動が認められ、助成事業の一環として受講することができた。講演の大部分はチベット語でなされたが、ひと区切りごとに通訳のアナウンスがあった。(左の肖像写真はGoogleより転写)
 
 私はMDカセットレコーダーとデジカメをを腰につけて会場に向かったが、それはムダであった。入口でレーダーによるボディチェックがあり、金属物はすべてお預けとなった。もちろん写真も録音も禁止。チベット亡命政権の最高指導者という政治的立場からいえば当然なのだろう。
 長い歴史と文化をもつチベットは、標高4000mの高原に約250万平方kmの面積をもつ独立国家であった。チベット仏教の伝統に従って、もともとチベット北部の寒村で農家の子供として生まれた現ダライ・ラマ14世は2歳の時、数々の神秘的な証拠により法王の転生者(化身)として認定された。法王は妻帯しないから血縁による世襲はあり得ないからだ。
 
 すでに60年前になる1949年、第二次世界大戦後にチベットは中国の侵略を受けた。その10年後、中国に抵抗するチベット民衆の大規模なデモが繰り返され、武力弾圧を避けるためにダライ・ラマ法王(当時26歳)は亡命を余儀なくされたという。現在の中国政府首脳は、あからさまな武力行使はしないにしても、過去の侵略を肯定している以上は同罪といわざるを得ない。
 チベット亡命政権の公式機関発行のパンフによれば、「中国によるチベット侵略の概要」として、120万人以上のチベット人の殺害、6千以上の寺院の破壊、今も続いている数千人以上のチベット人の投獄、天然資源や生態系の破壊、そして現在、チベット地域に居住するチベット人(600万人)より多い中国人の人口(750万人)が何よりの証拠に違いない。
 
 こうした前知識はさておいて、私はボディチェックを無事済ませて会場の折りたたみ椅子に坐ることができた。広場は聴衆で埋め尽くされていた。中央の演壇は遥か彼方だが、両側に大きなモニター画面が設置されていた。近鉄奈良駅に着いた頃にはぱらついていた雨は上がり、青空が見え隠れする雲行きになっていた。
 予定より少し遅れて赤と黄の法衣をまとった法王の列が現れた。はっきりお顔は見えなくても、初めから終わりまで変わらない素振りで見分けがついた。両手を合わせて拝んだり、片手を振ってうなづく姿には、真底から平和を愛する人格がにじみ出ていて、誰でも親しみを感じるに違いない。
 主催者からの挨拶の中で、ダライ・ラマ法王の行くところ、必ず上々の天気になるとの言葉があった。その午後も適当な雲行きが強い日射しを防いでくれていたが、人徳の然らしめるところであろう。
 
 ダライ・ラマ14世の話しぶりは、念を押すように片手を前後に振りながら説き聞かされる。しかも上からの説得ではなく、人間はみな同じという思いに徹した発言である。すべての人間は心も形も同じであり、苦しみを取り除き、幸せを求める権利も同じ、人種も宗派も超えて人間という同じ立場で聞いてほしい、と繰り返し念を押された。
 法王は2歳の時、輪廻転生の特別な証拠によって14世となるべき立場を与えられた。その意味では一般の人間とは「違う立場」といえるが、だからこそ「同じ立場」で考えることの大切さを強調されるのかも知れない。
 
 20世紀をふり返れば、物質的繁栄、科学技術の進歩が飛躍的に実現した一方、暴力や武力による悲惨な流血の結果、戦争で問題は解決できないことが解った。これからの時代は人間はみな同じであるとの認識に基づいて、対話を通じて問題を解決する平和な世紀にしなければならない。
 仏教には「縁起」という独特な教えがあり、創造主としての神を認めない。究極的に縁起と無関係な不変の実体はないとすれば、神だけを例外的存在と認められない。
 しかし人間には知性があり知恵がある。神仏いずれを信じる者も信じない者も、地球家族の一員という意識をもち、愛や慈悲の心を高める実践が大切である。・・・・
 
 1時間にわたる講演を要約することはできないが、最後に心に残る質疑応答をメモしておきたい。手を挙げた人を法王自ら指さして発言をうながされ、特に学生層の質問を歓迎されていた。中には難しい問題は別として、趣味は何ですか? との質問に対して、「教典を読むことと、花を植えるのが好き」との応答があった。
 輪廻転生とは? の質問に対しては、人間には心と体の二つのレベルがあり、それぞれの原因がある。体が生まれた原因は遺伝子を通して人類の最初までさかのぼることができる。心が生まれた原因も別に存在する。意識の変化が脳細胞に変化を起こすこともあるが、レベルの異なる微細な意識(深層の無意識という意味か?)は脳細胞から独立して存在している。意識の始まりをさかのぼれば、やはり前生・前々生があり来生があり、それが原因となって現在の意識が存在する。世界には前生の記憶をもつ人もある。つまり、「縁起」は物質ではない故に唯物主義ではない。
 
「こちらが対話で解決しようと望んでいても、相手が対話に応じない場合はどうするんですか?」と高校生が質問すると、「たしかに手を叩くには両手が必要だからね」と頷かれて「今すぐに実現できないとしても、対話する方向に努力し推進していくこと、段階的に教育を通して学び広めていくことが必要」とのことであった。
 ダライ・ラマ法王自身、自分には霊感や超能力はないと明言され、知性や知恵の必要性を強調されたことに私は共感する思いであった。
 
 あたかも12〜14日には広島で「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」が開催され、その出席もかねての来日であるが、会議の最終日には、核兵器廃絶宣言が発表される予定になっている。しかし、昨年の受賞者オバマ米大統領が出席しないのは、言行不一致との批判も出ている。
 今年のノーベル平和賞を授賞した中国の劉暁波氏(投獄中)は出席できないが、APECに出席する胡錦涛主席と中国から亡命中のダライ・ラマ法王が同時に日本に滞在するのは皮肉な巡り合わせになる。
Posted by 心の平和 at 21:36 | 戦争と平和 | この記事のURL | コメント(0)
大義に徹した将軍=根本司令官[2010年11月10日(Wed)]
「大淀町の戦争語り部」については10/18付のブログで報告した。その後も取材を続けている過程で、語り部の1人・森勝彦さんから根本司令官の話を聞いた時は目からウロコの思いであった。
 森さん(78歳)は元・大淀町の町長でもあった。終戦を内蒙古の張家口という町で迎えた時は13歳の少年だった。終戦直前にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦し、蒙古や満州に侵入して略奪暴行を加えたことは周知の事実である。そうした情報が、森さんのいた張家口の町にも伝えられてきた。その時、その町には約4万人の日本人が集結していた。
 
 張家口のある内蒙古の防衛軍司令官・根本中将は、4万の在留邦人が無事脱出するまでソ連軍を迎え撃つ覚悟を決めた。当時13歳の森さんたち中学生も、その防衛軍に編入して家族を守るため最後まで戦う決意を固めていた。
 ところが日本の参謀本部からの電報では、速やかに武装解除して帰国せよとの命令が出ている。ついに根本司令官はその指令を無視してソ連軍の侵入を阻止することに意を決して、日本と送受信できないように無線通信機を破壊してしまう。
 やがて侵入してきたソ連軍4万2千に対して4千人の日本軍は必死の防戦を続け、張家口の日本人は全員脱出に成功する。その壮絶な戦いの中で日本軍には81名の尊い戦死者が出た。
 
 以上、森さん自身の体験を交えた実話を聞いて、日本軍にもそんな立派な司令官が実在したことを知って感動した。その根本中将の伝記が今年出版されたと聞いて、ぜひ読みたいと思い、『この命、義に捧ぐ』と題する伝記(門田隆将著/集英社)を図書館で見つけて早速一読した。
 その伝記によれば、最後に張家口から中国へ脱出した根本将軍は中支方面司令官となり、中国に残留する35万に上る日本軍を無事帰国させるため、当時の国府軍・蒋介石総統と交渉する。その結果、総統は日本の将兵に危害を加えることを禁じ、帰国の安全を保障する寛容な措置を約束され、今度も全軍将兵を日本に送還した後で根本司令官も帰国した。
 
 ところが日本軍を安全に帰国させてくれた恩義のある蒋介石は、共産軍(八路軍ともいう)の毛沢東に敗れて台湾に脱出する結果となる。その運命を黙視できなくなった根本将軍は、自分の一命を捨てて恩義に報いるため、腹心の部下数名とともに小舟で台湾へ密航を企て、危うく漂着する。そして蒋介石総統の歓迎を受け、非公式の軍事顧問の立場で中共軍との最後の決戦に勝利し、金門島を台湾領として守り抜く。
 
 著者の門田氏は、伝記の「おわりに」の一文で、恩義に報いようとした将軍への敬意をこめて次のように記している。
「威張り散らし、権威を笠にきる軍人が少なくない中、根本さんはそれとはまるで正反対の人物でした。そして、根本さんが敵将の中国人とすら心を通わせ合うような人物だったために、多くの在留邦人の命が救われました。
 しかも、根本さんは、その時の恩義を忘れない人でありました。
「終戦時百万の将兵を無事帰国させてくださった蒋介石総統に、私は日本人の一人として万分の一の御恩返しをしたい」
 それは、無事復員してきた根本さんの口癖でもありました。(後略)」
 
 根本将軍の行動を教えて下さった森勝彦さんから聞いた戦争体験の証言は、<特集=大淀町の戦争語り部」の1篇として次のページに掲載されている。それを読むと、終戦直後の内蒙古・張家口の戦いについて、さらに詳細な情報を得ることができる。
 「森勝彦さん 内蒙古からの脱出
  http://www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/m-S7-2.html
 
 最後に念のため、私が根本司令官の行動に感動したからといって、戦争そのものを肯定しているわけではない。映画の西部劇や時代劇に感動したからといって暴力や武力を賛美しているわけではなく、真善美や義侠心を描いたストーリーに心を打たれるのである。
 これからの時代は、大義に徹した理想を武器を使わずに実行することが大事ではないかと思う。ノーベル平和賞の受賞者はすべて、そのような功績を挙げた人物に違いない。 
Posted by 心の平和 at 17:04 | 戦争と平和 | この記事のURL | コメント(0)
新藤監督(に特別賞[2010年11月01日(Mon)]
 10/5のブログで紹介した新藤兼人監督(98歳)の遺言となる最新作「一枚のハガキ」が、第23回東京国際映画祭でグランプリに次ぐ審査員特別賞に選ばれた。新聞記事(11/1付毎日)によれば、審査員の根岸監督は「反戦への強い意思と、テーマにかける執念に感嘆した」と賛辞を述べている。
 もし興味を抱いて下さる読者は、下記のブログを再読して頂ければ有難い。
 https://blog.canpan.info/shougen60/archive/179
 
 授賞式に車椅子で出席した新藤監督は、語気を強めて次のように語っている。
「戦争をやらないと国が保てないなどと言う人がいるが、戦争は偉い人がやるのではなく、一等兵や二等兵がやるんです」
 その結果、兵士一人の戦死は、その両親、兄弟、妻、子供など家族みんなの悲劇と崩壊につながることを、この最後の作品で描いている。
 最新作「一枚のハガキ」は今年末には公開されるそうだから、ぜひ観賞したいと期待している。
Posted by 心の平和 at 21:14 | 戦争と平和 | この記事のURL | コメント(0)
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