思いがけない機会に恵まれた。去る8日、チベットのダライ・ラマ法王(75歳)が奈良を訪れて、東大寺大仏殿の北側にある後堂広場で3000人の一般聴衆の前で1時間半にわたる講演と質疑応答があった。奈良県内の著名な寺院でつくる実行委員会の主催により、演題は「縁起に基づき平和と環境のためになすべきこと」であった。
ダライ・ラマ14世は、何よりもノーベル平和賞を受けた「平和の使者」として非暴力と対話を重んじることで知られている。その直々の講演を聴きたい望みが叶えられた。庭野平和財団から今年初めて「戦争を語りつぐプロジェクト」の活動が認められ、助成事業の一環として受講することができた。講演の大部分はチベット語でなされたが、ひと区切りごとに通訳のアナウンスがあった。
(左の肖像写真はGoogleより転写) 私はMDカセットレコーダーとデジカメをを腰につけて会場に向かったが、それはムダであった。入口でレーダーによるボディチェックがあり、金属物はすべてお預けとなった。もちろん写真も録音も禁止。チベット亡命政権の最高指導者という政治的立場からいえば当然なのだろう。
長い歴史と文化をもつチベットは、標高4000mの高原に約250万平方kmの面積をもつ独立国家であった。チベット仏教の伝統に従って、もともとチベット北部の寒村で農家の子供として生まれた現ダライ・ラマ14世は2歳の時、数々の神秘的な証拠により法王の転生者(化身)として認定された。法王は妻帯しないから血縁による世襲はあり得ないからだ。
すでに60年前になる1949年、第二次世界大戦後にチベットは中国の侵略を受けた。その10年後、中国に抵抗するチベット民衆の大規模なデモが繰り返され、武力弾圧を避けるためにダライ・ラマ法王(当時26歳)は亡命を余儀なくされたという。現在の中国政府首脳は、あからさまな武力行使はしないにしても、過去の侵略を肯定している以上は同罪といわざるを得ない。
チベット亡命政権の公式機関発行のパンフによれば、「中国によるチベット侵略の概要」として、120万人以上のチベット人の殺害、6千以上の寺院の破壊、今も続いている数千人以上のチベット人の投獄、天然資源や生態系の破壊、そして現在、チベット地域に居住するチベット人(600万人)より多い中国人の人口(750万人)が何よりの証拠に違いない。
こうした前知識はさておいて、私はボディチェックを無事済ませて会場の折りたたみ椅子に坐ることができた。広場は聴衆で埋め尽くされていた。中央の演壇は遥か彼方だが、両側に大きなモニター画面が設置されていた。近鉄奈良駅に着いた頃にはぱらついていた雨は上がり、青空が見え隠れする雲行きになっていた。
予定より少し遅れて赤と黄の法衣をまとった法王の列が現れた。はっきりお顔は見えなくても、初めから終わりまで変わらない素振りで見分けがついた。両手を合わせて拝んだり、片手を振ってうなづく姿には、真底から平和を愛する人格がにじみ出ていて、誰でも親しみを感じるに違いない。
主催者からの挨拶の中で、ダライ・ラマ法王の行くところ、必ず上々の天気になるとの言葉があった。その午後も適当な雲行きが強い日射しを防いでくれていたが、人徳の然らしめるところであろう。
ダライ・ラマ14世の話しぶりは、念を押すように片手を前後に振りながら説き聞かされる。しかも上からの説得ではなく、人間はみな同じという思いに徹した発言である。すべての人間は心も形も同じであり、苦しみを取り除き、幸せを求める権利も同じ、人種も宗派も超えて人間という同じ立場で聞いてほしい、と繰り返し念を押された。
法王は2歳の時、輪廻転生の特別な証拠によって14世となるべき立場を与えられた。その意味では一般の人間とは「違う立場」といえるが、だからこそ「同じ立場」で考えることの大切さを強調されるのかも知れない。
20世紀をふり返れば、物質的繁栄、科学技術の進歩が飛躍的に実現した一方、暴力や武力による悲惨な流血の結果、戦争で問題は解決できないことが解った。これからの時代は人間はみな同じであるとの認識に基づいて、対話を通じて問題を解決する平和な世紀にしなければならない。
仏教には「縁起」という独特な教えがあり、創造主としての神を認めない。究極的に縁起と無関係な不変の実体はないとすれば、神だけを例外的存在と認められない。
しかし人間には知性があり知恵がある。神仏いずれを信じる者も信じない者も、地球家族の一員という意識をもち、愛や慈悲の心を高める実践が大切である。・・・・
1時間にわたる講演を要約することはできないが、最後に心に残る質疑応答をメモしておきたい。手を挙げた人を法王自ら指さして発言をうながされ、特に学生層の質問を歓迎されていた。中には難しい問題は別として、趣味は何ですか? との質問に対して、「教典を読むことと、花を植えるのが好き」との応答があった。
輪廻転生とは? の質問に対しては、人間には心と体の二つのレベルがあり、それぞれの原因がある。体が生まれた原因は遺伝子を通して人類の最初までさかのぼることができる。心が生まれた原因も別に存在する。意識の変化が脳細胞に変化を起こすこともあるが、レベルの異なる微細な意識(深層の無意識という意味か?)は脳細胞から独立して存在している。意識の始まりをさかのぼれば、やはり前生・前々生があり来生があり、それが原因となって現在の意識が存在する。世界には前生の記憶をもつ人もある。つまり、「縁起」は物質ではない故に唯物主義ではない。
「こちらが対話で解決しようと望んでいても、相手が対話に応じない場合はどうするんですか?」と高校生が質問すると、「たしかに手を叩くには両手が必要だからね」と頷かれて「今すぐに実現できないとしても、対話する方向に努力し推進していくこと、段階的に教育を通して学び広めていくことが必要」とのことであった。
ダライ・ラマ法王自身、自分には霊感や超能力はないと明言され、知性や知恵の必要性を強調されたことに私は共感する思いであった。
あたかも12〜14日には広島で「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」が開催され、その出席もかねての来日であるが、会議の最終日には、核兵器廃絶宣言が発表される予定になっている。しかし、昨年の受賞者オバマ米大統領が出席しないのは、言行不一致との批判も出ている。
今年のノーベル平和賞を授賞した中国の劉暁波氏(投獄中)は出席できないが、APECに出席する胡錦涛主席と中国から亡命中のダライ・ラマ法王が同時に日本に滞在するのは皮肉な巡り合わせになる。