震災がつなぐ全国ネットワークは、阪神・淡路大震災を機に共生型社会の大切さに気づかされた全国に点在する人々が、互いの違いを認め合いながら、過去の災害が教えた課題をともに学び、提言し、今後の緊急時には共に動くことを目的としたネットワーク組織です。
震つなが発行している災害ボランティアの書籍等についてはこちらをごらんください。
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「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後 36
能登半島地震からの復興を祈念してのロングラン公演、シェークスピア原作『マクベス』は、去る15日で50日間の講演を終了されました。地元のみなさん、無名塾のみなさん、そして全国から来られた演劇ファンの方がた、ご苦労様でした。
12日の北国新聞を見るまで知らなかったのですが、エキストラに延べ2500人の地元の方が参加したようです。演劇や映画にはエキストラが必要なのでしょうが、こうして地元の人たちがたかがエキストラと言えども一緒になって作品を創り上げるというのは、すばらしいことだと思いました。 きっとこういう空気の中から、復興支援という実感が沸いてくるのではないかと想像します。 さて、同紙によるとこの『マクベス』を上演した能登演劇堂は、1995年の阪神・淡路大震災の時にオープンしたそうです。何か縁を感じますね!それで、そもそもこの時の”こけら落とし”の舞台として『マクベス』が上演される予定だったそうです。ところが経済上の理由から残念せざるをえなくなり、15年ぶりの上演となったのです。マクベス夫人役を演じられた女優の若村麻由美さんにとっては15年越しの念願の公演だったようです。話題の舞台中央が観音開きになりその向こうにある自然を取り込んだ演出を考えると、すべての観客のみなさんは、世界でただ一つの『マクベス』を見たことになります。
「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後 35
神戸芝居カーニバルのメンバーと子どもと守る9条の会のメンバーと共に、能登ツアーに
行って来ました。みなさんは、能登演劇堂で「マクベス」を観劇してその後穴水の来迎寺と輪 島の大崎漆器店に行かれました。 814年に創建され、来迎寺の前身「勅定山 青竜寺」と命名されてから数えると1200年にもなる、まさに古刹にふさわしいお寺に、みなさま感動してくれました。私がお願いして、数えで92才の住職に、「太鼓をうちなが、般若心経を一巻お願いできませんか?」とお願いし、みなさんと太鼓の伴奏つき般若心経を唱えさせて頂きました。住職曰く、「こうして太鼓を打てるのは、いまでは数少なくなったでしょう。」とのこと。帰り際に、庭に咲いている古木イチョウの木から落ちた銀杏の実を頂いて帰りました。来迎寺ではこの季節になると毎朝イチョウの落ち葉の掃除と銀杏の皮むき、そしてカキをつるして干し柿づくりという毎日が続きます。またこの時期にはキノコ採りも盛んになり、山菜の珍味にキノコ料理が出されます。 来迎寺さんを後にして、次は輪島市の大崎漆器店を尋ねました。ここでの話は次回にしま す。 そして神戸のご一行さんは、この日の夜は輪島市河井町で営業されている民宿旅館「深三(ふかさん)」に宿泊され、まさに”至福のとき”を過ごされました。若いご夫婦で経営されていらっしゃいますが、料理はもちろん漆器を中心にした器、そして旅館内のこだわりなどすべてが細やかな心遣いをしておられ、素晴らしい”輪島のお宿”です。是非みなさま、能登に行かれましたらこの「深三」をご利用下さいませ。 *深三:0768−22−9933です。
「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後 34
写真集「いとしの能登」を発刊した後に、このブログで「オンデマンドの能登ツアーしませんか?」と呼びかけたことがあるのですが、覚えて頂いているでしょうか。この呼びかけに応じて下さった神戸などに住む能登ファンの方々10名が、今日12日から14日まで能登・金沢方面にミニツアーに行かれます。実はこの呼びかけに応えて下さったのはこの一グループだけでした。この方々は「ほんまもんの文化」を追求している方々で、今回はまず能登中島の゛能登演劇堂゛で上演される「マクベス」をゆっくり観劇され、その後は古刹来迎寺を訪問、玄人好みの「能登中居鋳物館」で歴史を学び、昔ながらの街並みが少しだけ残っている中居の集落を見て、輪島市に移動して4代目が当主の「大崎漆器店」を訪問し、漆器の文化についてお話を聴き、夜は輪島の海岸近くにある「民宿深三」に宿泊し、海の幸、山の幸というご馳走を頂き、この上ない゛至福のとき゛を過ごします。どれだけこの旅が至福なのかは、帰神したら書きますので楽しみにしておいて下さい。
゛能登演劇堂゛で上演される「マクベス」については、下記URLをご覧下さい。 http://www.engekido.com/top.html
兵庫県西部地域の水害に関連して(第1 8 報)
あの水害から2ヶ月あまりが過ぎました。宍粟市も朝来町も佐用町も、被災者と住民のみなさまは復興に向けて懸命に取り組んでおられます。現地の社会福祉協議会に事務局を置く「きらめき復興支援センター」も、10月11日に水害後初めての大規模な復興支援バザーを開催し、多くの企業や関係者のご協力の下成功裡に終わったという報告がありました。また、その前後も毎週のように、合併前の各地域でのバザーや復興市が開催されており、今日も久崎地区で「ほっと一息つきましょう 久崎元気村」というイベントが行われました。これには名古屋のレスキューストックヤードさんのご尽力でせとものが寄贈され大変被災者に喜ばれたというお礼の電話が早速入ったほど、超人気だったようです。
また、地域によっては「15年前の阪神・淡路大震災
2009/10 サモア・スマトラ西部地震レポート− 8
□サモア関連
*サモアで働いている日本人の方のレポートには、津波は7b〜8bの高さで押し寄せ、小さな女の子を連れた母親が波に飲み込まれたり、車ごと波にさらわれたり、木の枝にくの字に折れた女性の遺体が引っかかっていたりとどれも悲惨な事実が書かれていました。 2004年のスマトラ地震。津波のときの特に女性が何故逃げ遅れるのかという話を思い出します。イスラム教という宗教上の慣習から、女性は身体を覆うように衣類を纏っているケースが少なくないため、こういうときにはいち早く逃げることが出来ないのです。イスラムの国での災害に触れると、宗教と災害という関係について今後ともより学ばなければならないと痛感する次第です。 *サモアには今回、アメリカ政府はもちろん、オーストラリア政府・ニュージーランド政府・欧州連合欧州委員会・赤十字などが支援に入っているようですが、過去にはJICA協力隊OBなどが開発支援をしてきたようで、「協力隊サモアOB会」もあるようです。 □スマトラ西部関連
2009/10 サモア・スマトラ西部地震レポート− 7
昨日に引き続き、人と防災未来センターNさんのレポートをご紹介します。
-------- 本日(10/7)2泊3日の現地調査を終えました。 今回の調査の感想です。 (1)都市部(パダン市)の被害は極めて特徴的。 中高層のRC造に被害が集中し、家屋の被害はそれほど目立たない。 (数字の上では大きいが、人口規模を考慮すれば決して被害率が高いとはいえない。)しかも、道路やインフラの被害もほとんどなく水道もほぼ復旧している。 なぜか?被害建物の構造に欠陥があったことが指摘されているが、地震動の成分の問題かもしれない。自分は素人なので、学術的調査結果を待ちたい。 ただ、もし地震動の成分によるものだとすれば、このような被害の出方は東南海・南海地震による長周期強震動で高層建築物に被害をうける大阪をイメージする参考になるのだろうか?
2009/10 サモア・スマトラ西部地震レポート− 6
スマトラ西部地震の現地調査を行っている、人と防災未来センターのNさんよりレポートを頂きましたので、ご紹介します。
------------- 永松です。現在スマトラ地震の被災地におります(2009.10.6)。 昨日と今日の現地調査での感想を簡単ですが以下に記します。 大きく分けて3つの被災地を見学しました。 (1)パダン市内 被害は2、3階建て以上のRC構造物に集中している。 公共施設、銀行、オフィスビルなどが中心のよう。 一般の住宅や商店の被害は限定的。経済活動は完全ではないが、食事に困るようなことはない。若干物価が上がっている。 ホテルでは電気はないが水は出る。 死者の多くが、自宅ではなく、勤務先などで無くなったと見られる。救命救助活動が迅速に行われたのは、生き埋め箇所が特定しやすかったことも原因か? 不思議なことに、道路や橋脚への被害はほとんどなし。 (2)パリアマン市内 ほぼパダン市内と同じ。但し、こちらの被害は一般の住宅にも及ぶ。パダンほど大きなビルは少ない。 (3)パリアマン市郊外(パダン・パリアマン県) 山に向かう道路沿いに集落が形成されており、今回通ったNagari Limou Parat集落ではほぼ住宅が壊滅状態。ようやく支援が届き始めた段階。 (3)については、私が見た範囲だけの印象ですが、もしもこの規模の被害がそれぞれの集落にあるとしたら(実際、県当局のデータではここは突出しているわけではないので)結構大変だという感じがします。 死者は704人、行方不明は295人となっております。 約1000人の死者という数字はもう大きく動くことはなさそうです。
中国四川省地震救援ニュース 96
サモア、スマトラと地震災害が続き、津波や地震の被害の様子が伝えられていますが、震災から1年余の四川の状況をYさんレポートでお伝えします。
--------- 「これからどうやって暮らしていけばいいのか分からないよ。」廃墟になった北川県城のそばで細々とお土産を売っているお母さんAさんはそう言った。 人口約3万人の北川県城(県の中心)では、四川大地震によって約1万5600人の方が亡くなった。そして4300人以上の方が未だ行方不明である。 その多くはガレキの山の下で眠っている。Aさんの息子さんとお孫さん二人も同じくガレキの下に眠っている。 Aさんは地震後、政府によって支給された建材でお土産屋の屋台を作り、亡くなった息子さんの奥さんと肩を寄せて暮らしてきた。
2009/10 サモア・スマトラ西部地震レポート− 5
サモアの津波による犠牲者が150人を超えた。トンガでも津波被害が発生している。
そんな中で悲しいニュースばかりの中で「ホッ!」とする話題も紹介されている。津波を逃れて生後2日の男の赤ちゃんがTSUNAMIと名付けられた(毎日新聞朝刊、2009.10.04より)。なんでも別の名が付いていたが、奇跡の救出を受けたので゛TSUNAMI゛と命名されたとのこと。以前モザンビーク水害で逃げ切れなかった妊婦さんが樹上で出産し、支援をするのにその生まれた新生児の名前をとって「ロリータ基金」と名付け活動をされていたことを思い出す。 一方西スマトラについては、昨日の報道から、パダンで約300人が土砂崩れに呑み込まれ、村が消滅したところもあるという悲しいニュースを各紙が報じた。道路が寸断されると援助が遅れる。被災地がどのような地形が把握できていないので、推測の域はでないが、これからも土砂災害による小さな村の壊滅などのニュースが増えるのだろうか?
「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後 33
能登半島地震から2年と6ヵ月、地震復興願うイベントが開かれた。10月3日、輪島市にある有名な「千枚田」という棚田に、復興を願って3万本のローソクが灯された。また同じく10月3日、前号で報告したように、全壊の寺から再建が現実となり、やっと「能登半島地震被災・法輪山興禅寺再建ご報告並びに落慶法要」が催された。この寺は、曹洞宗総持寺末寺である。いまではこうした末寺は数少ない。艱難辛苦を乗り越え、再建を果たしたこの寺の名は永遠に人びとに語り継がれるだろう。法要の読経の後、市堀住職は挨拶をしなかった。前もって司会者の人に「泣き出すから代わりに読んでくれ」と頼んでいたようだ。
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