CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
プロフィール

さんの画像
震災がつなぐ全国ネットワーク
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
リンク集
最新記事
東北地方太平洋沖地震支援基金 日本財団ROADプロジェクト
最新コメント
<< 2008年09月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
http://blog.canpan.info/shintsuna/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/shintsuna/index2_0.xml
くりこま応援の会通信7号 [2008年09月30日(Tue)]
秋の気配 冬支度始まる

仮設住宅の寒冷地仕様工事が始まりました。工事内容は(1)窓二重サッシの設置(2)玄関ひさし及び風当たり防止袖壁の延長。この工事で玄関の外に脱いでいた靴が濡れることはなくなるでしょう。今回の仮設住宅は4年前の新潟県中越大震災の仮設住宅にはなかった高齢者に配慮したスロープをつけています。しかし、玄関の表に扉をつけないと冷気が吹き込んでものすごく寒いと思います。4年前の中越大震災の震源地川口町ではボランティアが材料費だけ住民の方にいただいて扉を設置しました。(S)


栗駒耕英地区の成り立ち −満蒙開拓と戦後の耕英開拓−

昭和7年(1932年)3月1日。「王道楽土」「五族協和」を合い言葉に満州国が成立しました。満州国は日本が、大陸での権益を守るため清朝最後の皇帝「溥儀」を執政に据えたいわば傀儡国家でした。日本は広大な満州に100万戸、500万人の移民を計画し、日本全国から一般開拓民や満蒙開拓青少年義勇軍を送り込みました。ところが、昭和20年(1945年)8月、ソ連の参戦によって大混乱に落ちいり、その際、開拓移民に多くの犠牲者を出しました。現在の中国東北部に当たる「満州」は面積が日本の3.5倍、約130万平方km で人口は約4,400万人でした。このうち日本人の満州への移民は、一般開拓民22万人、満蒙開拓義勇隊員10万人のあわせて約32万人と言われています。宮城県からも多くの方が満州開拓に夢を抱き、海を渡って行きました。
Posted by 椿 at 16:32
| 次へ