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村井雑感:くりこま耕英復興プロジェクト(岩手・宮城内陸地震)の一歩 [2008年07月04日(金)]

7月2日、岩手・宮城内陸地震のあった宮城県栗山市にある「くりこま・みちのく伝創館」で、未だ元住んでいた居住地に帰れずに苦境に立たされている住民と日本災害復興学会の研究者や仙台弁護士会の弁護士のみなさんやこれまでの被災経験のある新潟中越地震、島原雲仙普賢岳災害などの関係者、さらに地域で活動するNPO関係者など約60人が集まり、今後の暮らし再建の道筋を探る意見交換を行いました。住民からは、主に一つ一つ個別のケースが話され、それに対して専門家の方々は丁寧にこれまでの事例を紹介しながら、「あせらずに、知恵を出し合って、住民の声としてまとめて行きましょう!」と助言がされたようです。

 地震発生後、約20日目において被災住民と専門家のこうした”場”が持たれたということは、画期的なことではないでしょうか。災害救援ボランティアも、こうした「場」を創り出すという知恵のボランティア活動が提案できるようになったということは、ボランティア活動の量から質への転換の第一歩を踏み出したのではないかといえます。この知恵をどう生かすのかという「知恵の技術」を磨くことが急がれます。

 実はこういう企画は初めてではなく、2004年の新潟県中越地震のあとの降雪時期に、栃木の災害ボランティアが行った「復興寺子屋」や能登半島地震後に名古屋の災害ボランティアが「住まいの相談会」という住民と専門家との勉強会を開いてきたことに起因しています。
Posted by 椿 at 11:10 | 村井雑感 | この記事のURL | コメント(0)
中国四川省地震救援ニュース 62 [2008年07月04日(金)]

被災地NGO恊働センターが事務局を務めるCODEより、中国四川省大地震の被災者支援に関する現地情報が寄せられています。


今回の地震では若者のボランティアが大活躍しています。以下、CODE翻訳ボランティアさんが訳してくれた”「官制」ボランティアが作る中国版ボランティア元年の模様”です。少々長いですが、全文をお届けします。

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≪中国80年代生まれの青年ボランティア、偏見に挑戦≫

地震で傷ついた母親の世話をするか、それとも一人のボランティアとして被災地へ赴くか?この2つの難しい選択に面した時、25歳の劉懿さんは後者を選んだ。

目下の者が目上の者に尽くす事、この基本的な要求が満足に出来ない若者たちは常々社会各界から非難を招いている。
劉懿さんはこの選択をする時非常に悩んだ。劉さんは言う。
「家の中には母の面倒を見る人がいる。また女友達も助けてくれる。」

劉懿さんは2006年重慶交通大学を卒業、現在は重慶道路局で仕事をしている。彼が被災地へ行く目的は被災者に対し実際に意義のあることをしたいということだ。

劉さんの家は四川省成都北の広漢市にある。家の中の家具、家電は5月12日wen(さんずいに文)川地震で損壊した。
劉さんの母親は地震で怪我をし、のちに重慶の身内の世話をうけた。
母親が重慶に到着した当日、劉さんは重慶道路の緊急補修チームで被災地の什ほう市紅白鎮に向かうところだった。

学校では橋梁を専門に学んだ為、劉さんは救援支援チームのなかで後方支援組に配属された。彼の主な仕事は施工会社が監督する再建工事の安全問題の手助けや、救援現場の写真撮影や工事の過程を撮るビデオ撮影の記録の協力である。

この若者は言う。被災地での救援の経験は彼のさまざまな物の見方を変えた。学校で学ぶことのできない多くのことを学ぶことができたと。
「私たちはいままでずっと父母と教師に頼ってきたが、地震経験以後、困難は必ず自分自身で対応しなければならないと意識するようになった。」