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村井雑感:写真集「いとしの能登よみがえれ!」 55 [2008年06月17日(Tue)]
中国四川大地震の関係で、大変優秀な翻訳ボランティアさんがいてCODE海外災害援助市民センターのHPにUPされています。その記事の中で大変興味深い記事がありましたので紹介します。

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◎ぶん川羅卜チャン族村 再建へ自助努力
 4000年の歴史をもつ古老チャン族村。ぶん川県雁門郷羅卜村は224戸が地震の瞬間に廃墟となり、人口1100人中死傷者200人あまり、行方不明60人。1000人近い人が帰る家をなくした。現在、ここのチャン族は自分たちで生産活動を始め倒壊した家を片付け、家を再建している。        (14日撮影 6月15日 新華社)
 *羅卜村はぶん川県城から北東(茂県方面)に10キロくらいの山間の村。
チャン族の  住む村です。観光地としても知られているようです。ここの石造りの伝統家屋は多く  が崩れ去りました。
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というものです。ぶん川というのは地名で、今回の中国四川大地震での震源地近くの被災地域です。このぶん川の被害実態についてはまだまだ明らかになっていませんが、この記事を見て、実は能登の輪島市門前町大釜地区の区長さんの苦悩を思い出しました。大釜地区は、集落を存続させるために産廃業者に地域の山を売ったということで話題になったところです。能登半島地震では大きな被害を受けてはいませんが、地震当時6世帯8人という人口だったのが、まもなく4世帯6人に減少したのを覚えています。その頃に一度、私も区長さんにお話を聞かせて頂いたことがありますが、区長さんの苦悩は想像以上のものがあります。日々、そういう状況の中で暮らしながら、隣の集落にたった一人住んでいる高齢者の世話もしているという話が印象的だったので覚えています。結局その大釜地区の住民は全員、その下流の剣地に移転する話が出ていました。
Posted by 椿 at 14:12
【震つなのうごき】岩手・宮城内陸地震情報 (6月17日12:00) [2008年06月17日(Tue)]
○オールとちぎ(とちぎVネット)
・スタッフ2名派遣。事務局からの発信が遅れてしまいましたが14日(土)時点での報告をウェブ(おるとちぶろぐ)に挙げておられます。

○名古屋事務局(RSY)・NPO愛知ネット
・スタッフ各1名派遣中。報告はRSYブログに掲載されています。

○ハートネットふくしま
・スタッフ2名が現地に入り、既に福島に戻られました。報告はハートネットふくしまのHPをご覧ください。

○アレルギー支援ネットワーク
・「アレルギーでお困りの方ご連絡ください」という旨のポスター原稿を事務局が預かっております。支援で必要な方は事務局までご連絡ください。

※震災がつなぐ全国ネットワークでは今回の地震のボランティア活動支援のための緊急募金を募ることといたしました。皆様方のご支援・ご協力をよろしくお願いいたします。
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災害ボランティア活動支援募金
郵便振替口座:00920-7-75997
加入者名:震災がつなぐ全国ネットワーク
*通信欄に「岩手・宮城内陸地震」と明記ください。
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Posted by 松田 at 12:50
中国四川省地震救援ニュース 47 [2008年06月17日(Tue)]
被災地NGO恊働センターが事務局を務めるCODEより、中国四川省大地震の被災者支援に関する現地情報が寄せられています。


とりあえず四川の被災地に行き、「何かできないだろうか?」とYさんを訪ね、一緒に活動する中で、何かを学んで帰る。13年前の阪神・淡路大震災の時にもこんな光景が被災地の各地で見られた。ボランティア元年といわれ、他方フランスのル・モンド紙が当時の若者を絶賛した。以下に紹介する今回四川大地震でのボランティアに参加している一人の若者の感想文を紹介します。これを読んでいて一つ発見した。一人ひとりの中に、ボランティア性というものがあるのだということ、それがこういう場との出会いによって認識する、発見するということ。一人ひとりの中にもボランティア元年があるんだなあと気づいた次第です。

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 まず初めに今回のボランティア活動の機会を与えてくれたCODEのYさんに感謝したい。この活動を通して学んだり得たものは言葉では言い表せないと思うし、あまり深く考えたくもない。正直な話、僕は「ボランティア」という言葉が好きじゃない。何だかみんながよく使うから、独りでに大きな意味を持つようになったような気がする。例えば、ボランティアをする人は偉いとか、ボランティアをしないからその人は良くないとか。ボランティアとは一体何なのか?僕はその答えが今でもわからない。

 僕は今回の地震が起こった時、大学の教室で授業を受けていた。日本にいた時はこれほどの大きな地震に遭ったことがなく、初めての経験だった。心配でゲストハウスに急いで戻るとみんな無事で安心した。2,3日後には中国人の知り合いがゲストハウスに訪れ、自慢そうにこれからボランティアに行くと言っていた。2,3人泊まっていた日本人も彼に同行して被災地に行くということだった。その内の一人が僕に「Mさんも一緒に行きませんか?」と訊ねた時、その中国人の彼は僕にこう言った、「Mさんに何ができるのかな?」と。あの時の悔しさと自分の無力さは今でも忘れられない。

 今回の地震ですごく感じた事は自分の無力さだ。何かしたい、でも何をしていいかわからない。知識も技術も経験もない者が被災地へ飛んで行って何ができるのだろう?
悶々と自問する日々を送った。しかし、他方では自分はただ逃げているだけじゃないのかという気もした。現地へ行き自分の目で現実を見てから何ができるのか、わかるんじゃないのかと。ただ、僕は学校で中国語を勉強している身であり、ゲストハウスでも仕事をしなければならなかった。このような状況でボランティアに行くのは難しいと思った。
それから、日本や他の国からいろいろなボランティアの人たちがここに集まりだした。
皆、車をチャーターして被災地の各地へ調査に行っていた。僕も通訳として記者に同行して被災地へ行く機会があったけど、四川語が分からないという理由で断った。今考えると行った方が良かったのかもしれない。ただ臆病で、ちょっとした勇気がなかっただけかもしれない。僕の性格はすごく人見知りするというか、初めて会う人にはなかなか自分から喋ることができない。

 
Posted by 椿 at 10:17
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