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村井雑感:写真集「いとしの能登よみがえれ!」 52 [2008年06月08日(Sun)]
前号で中国四川大地震での少数民族チャン族のことに関して、チャン族では、男子は17、18歳になると父親から家の作り方を学ぶと紹介した。大昔はともかく、日本では誰にでも伝えるのではなく、大工さんとか、左官屋さんとか専門の職人さんが”跡を継ぐ”ようになっている。

 さて、先日能登で兵庫県丹波地方から指導に来ていた左官屋さんとお会いした。「丹波では壁を竹木舞と土で仕上げるのに、一尺(約30p)ごとに貫が通っていて、竹木舞の縄は直接貫に縛られていた。ところが能登に来て気がついたのが、こちらでは90pもの間隔に広がっており、しかも貫とはつながっていない。だから、地震で揺れたら壁ごとゴソッと落ちるのは当たり前。何故30p間隔が、90pまで広がったのだろうか?」と首を捻りながら、私をつかまえて30分ほどのミニ講座となった。

 日本伝統工法の妙味は土壁にあるともいう。どういうことかというと、地震で大きなエネルギーがかかり、大きく揺れたときに、まず土壁で揺れを受け止め、壁が壊れることで他の部分に力が加わるのを防ぐ。1999年「9・21」台湾集集地震の被災地で見た100年住宅の姿がそうだった。日本伝統建築と同じような工法で釘は1本も使わない建築だ。この建物がほとんど無傷だったが、1カ所裏の壁だけがすさま
じい破壊を見せていた。

 日本伝統工法の場合、地震の揺れでまず壁が落ちるというのは兵庫県三木市のEディフエンスでの事物大3次元振動実験でもよくわかる。日本伝統家屋は壁の他に4段階でエネルギーを分散させる。最後は通し貫で倒れるのを防ぐ。もしくは最後の最後に持ちこたえられなければ、「ねばり」を持ってゆったりと崩れる。実験の映像でしか見たことがないが、実に見事な振る舞いである。

 最近では、全くといっていいほど目にしない光景だが、大掃除をしなくなった。昔は大掃除というものを1年に2回していた記憶がある。私のような貧乏長屋住まいでも、表で畳を叩いて乾燥させていたのを覚えている。こういう住まいの文化も大切だ。こういう機会に住まいをチェックしておいて、悪い部分をそのつど補修していればいつも安心というものだ。2000年3月のスマトラ沖地震で、その後インドネシア・ニアス島に行ったとき、ニアスで伝統的な100年住宅を見たとき、それを確信した。地震で揺れたときに壊れた柱だけを取り替えているので、そこだけが真新しいので、取り替えたことがすぐわかる。この100年住宅では、こうして取り替えたのはわずか2カ所のみであった。

大掃除の文化を取り戻すことに加えて、かかりつけの医者のように、かかりつけの大工さんが地域にいるということはさぞかし心強いだろう。能登の地震から1年2ヶ月を向かえようとしているが、いまだ家の修理に手がついていない被災者がいる。でもそれはかかりつけの大工さんがほとんど一人で対応しているからだそうだ。それでも能登の人は待ってくれるようだ。待てば待つほどどんな家ができるか楽しみがまた増えたようなもんだ。

 *貫:木造建築で柱を貫くように穴をあけて差し込み、柱と柱をつなぐ横木のこと。壁  を塗る下地材だが、耐力壁を造る大事な部材でもある。
Posted by 椿 at 16:58
中国四川省地震救援ニュース 39 [2008年06月08日(Sun)]
被災地NGO恊働センターが事務局を務めるCODEより、中国四川省大地震の被災者支援に関する現地情報が寄せられています。


今回の地震で被害の大きかったアバ地区の被害全容が明らかにならないが、中国政府とはここに住むチャン族の継承してきた伝統文化の数々を残さなければならないと、専門の委員会を設置して調査をはじめているようです。そのうち、建物に関しては特に高さ50b〜60bもある石積みの「ちょう(いしへんに周)楼)」が壊れていないところも数多くあるようで、何故壊れなかったのかの検証が必要になってくるでしょう。
以下はCODE翻訳ボランティアの情報提供ですが、やはり全容が明らかになるには時間がかかるようです。

≪チャン族ちょう楼はほぼ無傷≫

 国家文物局の記者会見上、 被災地で撮った写真を公開した。そのなかで専門家がチャン族のちょう(いしへんに周)楼が大部分は壊れなかったことを述べた。
 アバ地区にはチャン族のちょう楼が数多くあり、高いものでは50〜60メートルある。この地震では1,2のちょう楼が倒壊しただけだった。その他は亀裂がはいっているものの無事でチャン族ちょう楼の堅固性を証明した。専門家は、ちょう楼の保護修繕方法案について、「もとの位置、もとの形式、もとの材料、もとの工芸」の4つの原則を示した。

 また、チャン族の居住地、茂県、北川県のふたつの博物館が所蔵するチャン族の文物の損傷がひどいこと、チャン族の口承の歴史や文字についての記録が廃墟に埋まってしまったこと、ある年配のチャン族無形文化財の伝承人が地震で亡くなったことを発表した。その他の被害状況は調査中である。          
      (6月6日 新華網)

≪ぶん川黄土群ちょう(いしへんに周)地震でも無傷 すでに1000年の歴史≫

 5月31日、記者は3時間歩いて、海抜2200メートルのぶん川県威州鎮布瓦村に着いた。村民はうれしそうに記者に告げた。彼らの宝物の黄土群ちょうは依然そびえていた。
 村民の楊成雲さんによると、黄土群ちょうは4つあり、そのうちひとつは石造り、3つが黄泥でできている。多くの村民の家も黄土ちょうを削って作っている。今回の地震で多くの家屋は大きく裂け目がはいり、山裾の多くの鉄筋コンクリートの住宅、石瓦の家は廃墟と化した。

 布瓦村にある石造りのちょう楼は大きな被害を受けた。記者は崖に立っている石のちょう楼の上半分が削り取られているのをみた。一方、三つの黄土ちょう楼は依然立っており、てっぺんが崩れたのと、裂け目が少し入っただけであった。
 村の老人によると、この三つの黄土ちょう楼はすでに1000年以上の歴史をもち、1933年、1976年の地震にも耐えている。        (6月4日 四川日報)

http://www.qiangzu.com/Article/UploadFiles/200706/20070615091745320.gif

≪布瓦黄土群ちょう≫

 ぶん川県威州鎮布瓦村の布瓦黄土群ちょうは四川省で唯一集中分布している黄土群ちょうである。黄土ちょうと石ちょう合わせて49あり、建造時代は漢から清と2000年にもわたっている。2006年5月全国重点保護文物に指定された。
 布瓦村は威州鎮(ぶん川県城)に属す山の中腹の村である。岷江の西側の高山地帯にあり、ぶん川県城を望む。黄土群ちょうは山に沿って建てられていて、東西4000メートル、南北3000メートル内に分布している。早期の遺跡は多く北部に分布する。

 黄土ちょう楼は45あり、四角ちょうである。本体は石片で作られており、高さ1.6メートル、幅1.5〜1.7メートル(石片の大きさか?)。本体には現地の豊富な黄土で固めてあり、下の方は大きく上の方は小さく作られている。内部は木造で、7階〜9階。一階の東側の壁のまんなかに入口があり、高さ1.8メートル、広さ0.8メートル。4階の東側と5階の南側にも小さい出入り口がある。各階には1,2の長方形か三角形ののぞき窓があり、高さ20〜30センチ、幅10〜20センチ。
 石造りのちょう楼は4つあり、そのなかの八角形と六角形はすでに失われ、5角形と4角形が残っている。建造時代は明と清である。これらのちょう楼は石ころや石片を材料とし、小石で楔縫いし、黄色粘土に草を混ぜた粘着剤でくっつけてある。上に行くほど小さくなる錐体の形をしている。壁の厚さは下の方が厚く上の方が薄くなっていて、内部はまっすぐ、外部は斜めになっている。内部には横梁が渡してあり、梁で数階にわけられていて同時に壁を支える役割を果たしている。

 
Posted by 椿 at 16:12
中国四川省地震救援ニュース 38 [2008年06月08日(Sun)]
被災地NGO恊働センターが事務局を務めるCODEより、中国四川省大地震の被災者支援に関する現地情報が寄せられています。


今回の地震で、悲しいことに多数の学校が倒壊し、父母等が「手抜き工事が原因!」として訴えています。前にも触れましたが、同じ被害の大きかった綿陽市北川県の小学校で誰一人けがをしなかった小学校があるようです。以下はCODE翻訳ボランティアによるものです。ここに出てくる「希望小学校」とは 、個人や団体の寄付により中国の貧困地域に建てられる学校のことで、日本からも多くの寄付で学校が建てられています。長くなりますが、このメールの最後の方に、この希望小学校への寄付についての案内の文書を添付します。

≪北川とう(登におおざと)家「劉漢小学」死亡者ゼロの真相≫

 私はここに奇跡を書きます。この奇跡は北川とう家劉漢小学のことです。483名の児童はひとりも亡くなっていません。そのうちの71名の児童は2日かけて徒歩で3つの山を越え原始林を抜け綿陽に逃げることに成功しました。さらに大きな奇跡は、10年前にこの倒壊しなかった希望小学を建てた誰かがいるということ。
 小さい頃から小児麻痺を患っているため左足が不自由なとう麗君は3階から下へゆっくりと降り外に出たところだった。太陽がかげったと思うと、地面が吼え動きはじめた。彼女は必死で走り始めた。おそいながらもそばの竹林にはいずりこんだ。体育教師が「はやく校庭に逃げろ!」と叫び、何人かの女子児童が校庭にでてきた。3分後には全校483名が集合した。そして、学校責任者の肖暁川は9名の同僚と家族のいない71名の児童を連れて2日がかりで、そして水も食料もない情況で、海抜2000メートルを超える山を含め三つの山を越えて、綿陽まで到着した。中には4歳の未就学児の子もいた。

 (中略)

 もしもあの日、とう家小学校が北川中学校のように数秒で崩れ去ってしまっていたら、後の伝説的な山越えは存在しなかっただろう。実際は、児童がひとりも亡くならなかったし重傷を負った児童もいなかった。
正式には「劉漢希望小学校」と呼ばれるこの校舎は崩れなかっただけでなく、奇跡的にガラス一枚割れなかった。この大地震で無数の学校がドミノのように崩れ去りたくさんの児童生徒が亡くなったというのに、この建築は奇跡とはいえないだろうか?私は非常に興味を持った。誰がこれを作ったのか?
 「漢龍集団」という会社がある。この会社は10年前にとう家小学を寄付した企業だ。オーナーは「劉漢」、社長は「孫暁東」という。この学校を建造した際、監督をしたのは当時、会社の「事務室主任」だった人だ。私は昨夜この「事務室主任」をつかまえることができた。彼は話をしてくれたが、決して私にその名を明かさなかった。不必要な面倒を起こしたくないからだ。なので、私は「X氏」と呼ぶことにする。

1、10年前、劉漢と孫暁東は部下のX氏に対して、「何がなくても教育だけはしっかりしなきゃならん。今回の建築は必ずいい質のものを作らなければだめだ。もしも校舎が粗悪なために何かあったときは、君は会社にいられないぞ。」と言った。

2、10年前のある日、X氏は監督中に工事施工会社のコンクリートに問題があることを発見した。泥が多すぎたのだ。X氏はコンクリート生産会社の副社長を務めたことがあり玄人だったので、彼は怒った。施工会社の社長に要求し、泥をきれいに洗い流させた。彼はさらに扁平な石を使ってはならないと主張した。扁平な石が入っているとコンクリートを注ぐ過程でコンクリートの結実度は大きく下がる。彼は施工業者に雷を落とし、扁平な石を全部取り除かせた。

3、会議中に、彼が工期の遅れについて尋ねたとき、施工会社の責任者は「まだだ」という目をした。それで現地政府からまだ経費が下りていないことがわかった。寄付の原則として、企業の寄付はまず現地政府の関係機関に届け、政府が施工会社に工事の経費を渡すことになっている。しかしそのときにまだ資金を受け取っていなかったのだ。
(ここで疑ってみるのが中国の慣例である)。X氏はまた怒り、追及し、経費を届けさせた。

4、竣工式の前に、ある原因で工期がまた延長することになって、X氏はまた怒りだした。関係機関と激しく言い争った。9月19日学校はようやくあたらしくきれいな校庭が完成した。彼はこの校庭を見てとてもうれしかった。ここが10年後に483名が逃げ込んだ場所になる。

 施工期間、人々はいつも2種類の音を聞いていた。ひとつは工事機械の音であり、ひとつはX氏が怒ってお金のことで言い争っている声だった。肖暁川は私に言った。「彼が監督をしてくれたおかげです。彼
がかけあってようやくお金が出たんです。」
 私はもう多くを語る必要はないと思う。ひとりの中国希望小学校の寄付の規則をよく知る人が言った。「児童が全員無事に逃げられたのはひとつの奇跡であるが、漢龍集団のX氏が言い争ってお金を正規の用途につかわせたのはさらに大きな奇跡だ。通常、言い争いは何の役にも立たない。お金は間に合うように支出されることはないのだ。」(なぜ今回学校がこんなにも多く倒壊したのか、直接的に言うことはできないが、常識のあるひとならわかるであろう。)
 さきほど、X氏が私にショートメールを送ってきた。彼の同意を得てはいないが、今後希望小学校を建てたいと思う人に注意を促すために書いておく。お忙しいところ失礼します。責任を持ってあなたに言います。
私たちが自ら関わった綿陽の5か所の希望小学校は今回の地震で壊れず無事です。教師も児童も無事です。
                    
Posted by 椿 at 09:06
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