村井雑感:写真集「いとしの能登よみがえれ!」 50 [2008年06月06日(Fri)]
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前号で、能登の廃材から一升升とテーブルをと書きました。仕上げの漆塗りまでして出来上がるのは約3ヶ月後と聞いていましたが、今朝、その前の生地の形がもう出来上がって来ました。職人さんは大阪府門真市の方ですが、見事なテーブルに化けて戻って来ました。かなり虫食いもあったので苦労されたようですが、虫食いもそれなりに残したまま仕上げて下さっています。考えて見れば、こうしてリユース、リサイクルというプロセスではいろいろな人たちがかかわり、次の新しいものに生まれ変わります。そういう意味ではこの部分はお金には換えられない価値が生まれてきます。このいろいろな人たちとの関係性というものがもたらす効果について考えて見ますと、これも計り知れないものがあるような気がしています。
さて、何故能登半島地震では亡くなった人が一人なのかということですが、輪島市門前町ではいざというときの助け合いマップをつくっていた関係で、地震発生からわずか4時間ですべての住民の安否確認を完了したことは有名です。日頃の活動を通して支えあいが浸透していたことも伺えます。また門前町鹿磯では、地震発生の4ヶ月前に津波の避難訓練をしていたことも功を奏したようです。こうした避難訓練と実際の避難所生活においても二次災害も発生しなかったのは、女性ならではのさまざまな工夫があったのではないかと推測します。例えば避難所で食事をするときに、直に座ったままで食事をするのではなく、長いテーブルを出して食卓代わりに利用して食事をすることで、少しでも立ったり、座ったりすることが「生活不活発病」を防ぐということにもつながっています。実際に昨年の12月まで村ごと避難生活を送っていた深見集落ですが、ここには「女性水防団」が残っていたことから、避難所でも高齢者のお世話をするということでこうしたアイデアも自然に出されたようです。また深見集落では、昔は外洋航路の船員が多く年間10ヶ月も家を空けるという生活が当たり前だったそうで、その間の留守宅を守って来たのが二代、三代と続く女性たちであったという現実があったのです。反対に言えば、こういう暮らし方から必然的に「女性水防団」が存在していたということなります。 また、偶然かも知れませんが、門前町では地震が起こった3月25日は一年に一度の「雪割草まつり」で、地震発生時には外出していた人も多かったそうです。穴水町も同様に「かきまつり」で野外に出ていたことが被害を少なくしたといえるでしょう。地域のコミュニティづくりには欠かせない重要な要素として「祭り」というものも見逃せません。 |
Posted by
椿
at 17:01





