CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
プロフィール

さんの画像
震災がつなぐ全国ネットワーク
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
リンク集
最新記事
東北地方太平洋沖地震支援基金 日本財団ROADプロジェクト
最新コメント
<< 2008年06月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
http://blog.canpan.info/shintsuna/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/shintsuna/index2_0.xml
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュース No.17 [2008年06月02日(Mon)]
被災地NGO恊働センターが事務局を務めるCODEより、ミャンマー・サイクロン被害の被災者支援に関する現地情報が寄せられています。


サイクロンの被害を受け、家を失いながらも、ユニセフによる支援を受けながら、被災地域の子どもたちのために奔走する現地の医療関係者の姿をレポートした記事を紹介します。

<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>

情報源:UNICEF  2008.5.23  レポートより抜粋・要約

(医療従事者であるMyint Myint Yiはサイクロンで家を失ったが、幸運にも家族は皆生き残っていた。)

UNICEFの支給したワクチン用保冷箱を携えて、地元の助産婦はいまや歩き回る種痘医となっていた。彼女はLaputta の避難所から避難所を移動しながら、9ヶ月から5才までの子供達にはしかの予防注射をしている。

持っていたものは全て失ったが、彼女はすぐに仕事に戻った。彼女の町の病院の外来部門はすでに500人以上の人でいっぱいになっていた。「今、私は家の無い状態だけど、彼らを無視することはできない。このような状況では、はしかが流行する可能性があるので、子供達ははしかの予防注射を受ける必要がある。」と彼女は言った。

サイクロン以来、彼女ら医療従事者達はUNICEFとミャンマー保健省の援助を得て1,000人以上の子供達にはしかの予防注射をした。それに加えて4,000以上の破傷風の予防注射をLaputtaの妊婦やその他の人々にした。
Laputtaだけで40,000人以上の人々が49の避難所に住んでいる。
「はしかはとても伝染しやすく、重大な影響を及ぼす。多くの子供達が免疫を持っていないこのような避難所でもし病気が発生したら、子供達の大量死を引き起こすことになるだろう。はしかは予防できる病気なので、我々はできるだけ早くできるだけ多くの子供達に予防注射をしなければならない。」とユニセフミャンマー事務所保健・栄養事業チーフの國井修博士は言った。

UNICEFからの医療物資を使って、Laputtaの医療従事者たちは、避難所で生活している人々に対して、発熱や水を原因とする下痢などの病気への処置というような生命維持に必要な援助をしていくことができた。UNICEFは被災地域の村や避難所や病院へ絶対必要な薬品キットや救急キットのような保健必需品を送り続けている。

「子供達とその家族の健康と幸福が最優先です。」とMyint Myint Yiは言った。

ミャンマー・サイクロン救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930−0−330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「ミャンマー・サイクロン支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます
Posted by 椿 at 16:49
中国四川省大地震救援ニュース 33 [2008年06月02日(Mon)]
被災地NGO恊働センターが事務局を務めるCODEより、中国四川省大地震の被災者支援に関する現地情報が寄せられています。


昨日の記事<5月22日南方周末 記者 徐楠>の続きです。

 ≪広場の老人≫

 成都の市街地にひとつの空き地がある。そこはボランティアが集中する臨時広場になっていた。
 
 白髪の老人張文武さんは陝西省渭南からやってきた。彼は故郷の村から数十里を歩いて渭南駅にやってきた。彼は若いボランティアの車に乗り込み、祟州一帯で一日仕事をした。そこでは大きな被害はなく、主な仕事は家を訪問して被害状況を把握することだった。
 45歳の馮秀さんは湖北省から列車でやってきたばかりだ。彼女は食堂で仕事をしており、被災地で食事が作れると言った。
 
54歳の劉春来さんは四川省遂寧から来た。故郷の村は軽微な被害に留まったが、道路が不通になってしまったので、バスターミナルまでの数十里を歩いた。彼は軍服を着て背中にビニール製の袋を背負っていた。「うちの息子は今年高校受験だか、でかけるときにたくさんの子が試験を受けることさえできないんだ、がんばってきてね、と言ってくれたよ。」
 広場の入り口では68歳の老人が作業の割り振りをしていた。

 ≪遺書を書いてください≫

 被災地で起こっていることを見て、安徽省からきた貿易商の于大永さんは驚いた。 5月17日に彼らが紅白鎮に着いたとき、被災者はすでにほとんどが移動した後だったが、救援物資が次々と送られてきていた。于大永さんは心配した。「もしもこの地区に感染症が発生したらこの物資は全部だめになってしまう。絶対に持って出られないな。」
 彼らはまた、じん(くさかんむりに金)華鎮の被災者がテントに住んでいる少数を除いては、たくさんの人が廃墟のなかで暮らしているのを見た。子供もいた。彼らには三本のろうそくと三本のきゅうりがあるだけだった。彼らはこれを宝のように持っていた。

 上海から来た袁琳さんは涙を禁じえなかった。救助にきた軍人が疲労の末廃墟に身を横たえて熟睡していた。気温は高くはえがたかっていた。
 于大永さんは軍人の人たちの健康を心配した。こんなに高温で何日も服を洗うことができない。戦士たちの体にはすでに赤い斑点ができていた。
 成都に戻ったら、なんとか車を手に入れて薬を送ろう。

 「頂点」では、常に携帯の音が鳴り振動していた。ボランティアがそれぞれ情報を携帯で発信しているのだった。 捜索段階が終わりに近づいても、ボランティアは絶えずやってきて、山に入り奇跡を起こしたいと思っていた。
 5月19日正午、「頂点クラブ」を組織した高さんはやってきたばかりの若い男性に向かって例の如くこういった。
 「余震の可能性があります。土石流や山崩れ、感染症も…」
 「私は怖くはありません」
 「本当に準備はOKですか?」
 「はい!」
 「それでは遺書を書いてください」
 男性はだまってしまった。
多くの人はこのような残酷な要求をつきつけられてはじめて、ボランティアが危険な行動だということをようやく意識するのだった。

(文中のボランティアは仮名です)

中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930−0−330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます
Posted by 椿 at 16:33
村井雑感:写真集「いとしの能登よみがえれ!」 46 [2008年06月02日(Mon)]
さて何故、能登半島地震では死亡者が一人だったのでしょうか?ちなみに、阪神・淡路大震災の死者6434名の内、直後に亡くなった方は5000名を越えるのですが、実にその内の88%は、家屋倒壊の下敷きもしくは火災による焼死となっています。従って、家さえ壊れなければ圧倒的に死者の数は激減していたことになります。また家屋倒壊がなければ火災の発生率も極端に少なかったと指摘されています。残念ながら大規模地震災害となってしまった中国四川大地震の被害を見ても明らかなように建物が倒壊さえしなければ被害は軽減できていました。「こうした災害時には、建物は凶器だ!」と指摘された専門家もおられるほどで、とにかく事前の備えとして耐震化というのは不可欠なことです。

 さて1971年の建築基準法改正では、特に「建物にはねばりが必要」ということが強調されていました。それから24年経過した1995年阪神・淡路大震災が発生した頃には、どれほど建築基準が守られ、”ねばり”が取り入れられたのでしょうか?
阪神・淡路大震災の検証委員会でも、ある専門家が「建物にはねばりが必要だ!」と指摘されたことを記憶しています。私たち一般の素人にはわかりにくいところです。何故、ねばりが必要なのか?一度専門の建築家に聞いたことがあります。「地震が来ても、一瞬でグシャと壊れるのではなく、ジワッと壊れればその間に逃げられるので、怪我ぐらいはしても死ぬことはない」と言われました。「なるほど!」と納得しました。能登の地域のように日本の伝統工法による昔ながらの家づくりなら、大地震で壊れても、ジワッ〜と倒れるのでしょう。日本伝統工法によるしくみを知ると、相当な地震によるエネルギーがかからなければ、グシャッと壊れることはないことが分かります。(兵庫県三木市にあるEーディフエンスでも実験済みです。)
Posted by 椿 at 09:36
| 次へ