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青海省地震レポート 23 [2010年07月23日(Fri)]
数千張りのテントのある最大の避難キャンプである競馬場(草原)では、中国のNGOやボランティアもテントで拠点を作り、活動を行っている。医療、心のケア、子供のケアなど様々だ。

 キャンプ内を歩いているとボランティアらしき青年とチベットの子どもたちが遊んでいるのを見かけた。看板には「愛100 玉樹青少年空間」と書かれてあった。ニーハオと声をかけると座っていかないかと返してくれた。
 話を聞いてみると、二人の男性は四川省の綿陽市から来たという。2年前の四川大地震の被災地である。まだ20代と思われる青年も被災者のひとりで、
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青海省地震レポート 22 [2010年07月21日(Wed)]
4月14日に青海省玉樹州を襲ったM7.1の地震は大きな被害をもたらした。
州の中心である結古鎮やその周辺の郷鎮の被災者の多くは、結古鎮郊外の大草原にテントを張って暮らしている。ここは、夏の最大の祭りである「康巴(カムパ)芸術祭」の開かれる場所でもある。「救災」と書かれた数千張りの青いテント群が、数キロある草原を埋め尽くし、山の斜面でさえも見渡す限りの「青」である。聞くと、ここにどれだけのテントがあり、どれだけの被災者の人々が暮らしているか、正確な数字を政府やNGOも把握していないという。政府または、NGOによってマネジメントされていない避難キャンプでは、人を探すのもひと苦労だ。実際に地震直後に沢山の被災者がここに避難してきたが、家族、親戚に会えずに苦労したそうだ。一カ月半を経たキャンプでは、
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青海省地震レポート 21 [2010年07月20日(Tue)]
7月14日、青海省地震から3カ月が経った。日本のメディアもわずかではあるが、被災地の現状を報道した。「誰がどこに入るのか決まっていない」、「今までの集落がバラバラになる」などの声も報じられた。(7月14日 北京共同通信)

6月初め、僕らが玉樹を訪れた際にも同じような声を聞いた。
玉樹の旧市街地、普セキ(てへんに昔)達巷は、なだらかな丘にへばりつくように一戸建ての住宅が集まっている。このあたりは、まともに残った家がほとんどないほど一面のガレキとなり、約150戸のうち、約30人が帰らぬ人となった。
ここに暮らすKさん(40歳 女性)は、8年前に建てた家が全壊し、敷地にテントを張って家族3人と親戚で身を寄せ合って暮らしている。地震の際、生後33日の子どもと共に生き埋めになった。その後、救出してもらった時、赤ちゃんの息はなかったが、人工呼吸でかろうじて一命はとりとめた。
今後の話を聞くと、
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青海省地震レポート 20 [2010年07月16日(Fri)]
地震発生から1カ月半を経た6月上旬、被災地、玉樹へと入った。州の中心、結古鎮は約2万3000人ほどの小さな町であるが、その建物の90%近くが倒壊したと言われている。実際、街をT字に貫く民主路と勝利路沿いの鉄筋コンクリート造のホテル、商業ビルなどは形をかろうじて残しているが、危険家屋のため使用不可能である。また、道路から少し入ると粘土造の家屋はことごとく倒壊しており、形さえ残していない。
街の中心であるケサル広場周辺には、政府によって配られた青いテントが立ち並び、被災者の人々は商売に精を出している。食堂、八百屋、洋服屋、仏教用具店など様々である。

だが、街は以上に埃っぽい。標高3700mの高地で乾燥している事もあるが、街中のいたる所でガレキの撤去作業が急ピッチに行われている。旧市街地の一部のエリアでは、軍によって数台の重機を投入して大規模に撤去されている。「た
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青海省地震レポート 19 [2010年07月15日(Thu)]
四川省地震の救援プロジェクトで成都に滞在しているYさんが、6月初め、青海省地震の被災地に入りました。そのレポートを数回にわたってお届けします。

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〜玉樹への道〜
 青海省の被災地、玉樹に入った。四川大地震以後、多大なご協力を頂いている成都のゲストハウスのMさんと地震後、今も奮闘している中国人ボランティアリーダーのXくん、そして四川のチベット人ドライバーの4人で被災地玉樹へと向かった。
成都を出発し、朝、7時頃から夜の11時頃まで車を飛ばし続けて2日半の長旅であったが、車窓から見える標高4000m前後のチベット世界は素晴らしい風景であった。

 チベット人の多く住む四川省甘孜(カンゼ)チベット族州の「カンゼ」という名は、チベット語で
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青海省地震レポート 18 [2010年06月02日(Wed)]
5月31日、中国中央電視台(CCTV)は、青海省地震での被害を以下のように発表した。青海省政府の記者会見によると、死者2698人、その内身元の確認の取れたのは2687人(男性1290人、女性1397人)、身元不明の遺体が、11体、そして270人が未だ行方不明であるという。場所別では、青海省籍が2591人(玉樹籍2537人、玉樹籍以外54人)、青海省籍以外(四川など)が96人、亡くなった学生数は199人。これが最終的な死者数の確認であるという。

6月1日は、チベット高原を襲った地震の日からちょうど49日目にあたる。これまで被災地だけでなく多くのチベット寺院などで7日毎に祈祷法要(モンラム)が行われてきた。
日本でも同様であるが、仏教では人は死後、49日の間に成仏するといわれ、それまで初七日、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)と言って7日毎に祈りを捧げ、亡くなった人々のよき来生を願う。この時読まれるのが
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青海省地震レポート 17 [2010年05月26日(Wed)]
玉樹の被災地へと駆けつけた中国人、チベット人のボランティア達が口をそろえて言うのが、僧侶の逞しさとその活動が被災者に絶大な支持を受けているという事である。標高約3700mの高地に順応しているその身体とチベット仏教に支えられた精神の強さと慈悲の心に裏打ちされた活動が多くの被災者の支えになっているのであろう。だが、現在、省外から救援にやってきた僧侶の姿はなく、地元の僧侶のみであるという。

精神的に逞しいのは僧侶だけでなく、被災者の中にも逞しく、慈悲深い人々もいるという。
被災地で活動していたチベット人ボランティアのYさんは、救援物資を配布している時に、一人のおばあさんに出会った。ガレキ
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青海省地震レポート 16 [2010年05月19日(Wed)]
困難にある時、支え合うのは至って当然であるが、同じ民族であるなら尚更である。

4月14日に青海省玉樹チベット自治州で起きた地震でも同じ民族のチベット人達が、チベット自治区や四川省などから駆けつけた。四川省成都に住むチベット人のNGOやボランティア達も直後に玉樹へとボランティアに向かった。彼らは、トラックに救援物資を積み込み、丸二日かけて被災地へと入った。救援物資の偏っている状況の中、彼らは地元で活動しているNGOを通じて混乱の起こらないように救援物資の配布を行ったそうだ。

玉樹では、チベット人のNGOがいくつかあり、保健衛生、教育、環境などの分野で震災前から活動していた。震災後、各NGOは連携しながら今も活動している。チベット人ボランティアの話によると玉樹の町では、病院、学校、政府の建物などの公共建築物は比較的、鉄筋が入っており、全壊には至ってなかったという。一方、民家は、日干しレンガや土の壁を積んだだけのもの多く、一面の廃墟と化している。それは、四川のチベット人の民家と比べてもかなり質が悪いものだったという。

近年、玉樹では定住化政策により
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青海省地震レポート 15 [2010年05月15日(Sat)]
青海省の玉樹鎮を襲った地震から1カ月が経った。2周年を迎えた四川大地震の時ほどの大きなボランティアの動きにはなっていないが、1カ月を過ぎた今でも標高4000m近い天空の被災地で頑張っているボランティアやNGOたちがいる。
四川省にも多くのチベット人が暮らしているが、成都やカンゼ州などからも沢山のボランティアがトラックに救援物資を積んで被災地へと駆けつけた。活動を終え、成都に戻ってきたボランティアたちに話を聞いた。

彼らは、四川大地震後から北川県で活動しており、青海省での地震後もすぐに玉樹へと向かった。競馬場である草原を拠点にテントで医療活
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青海省地震レポート 14 [2010年05月09日(Sun)]
何をもって「災害」と呼ぶのだろう。地震、津波、地滑り、洪水、台風、噴火などの自然現象が発生しても、そこにいる人間に被害がなければ「災害」とは呼ばない。バングラデシュでは、洪水を「banya」と呼ぶが、これは毎年、雨季には河川が氾濫し、田畑を水没させるというひとつの自然現象である。その氾濫は、そこに暮らす人々にとっては肥沃な土壌を生みだす恩恵であり、災害という認識はない。日本の遊水地もそうであるが、このような恩恵の面も含めた日常的に起きる洪水をbanyaと言うそうである。だが、その程度が、一定の範囲を超えると「災害」として認識される事になる。

日本でも地滑り地帯の分布と棚田の分布がほぼ重なるという。先人達は、日常的に起きる地滑りを防ぐために斜面に棚田を作って、災害とうまく付き合ってきたのだろう。
また地震の多いインドネシア、パキスタン、イランなどのイスラムの国々では、震災を「神の試練」と捉え、行いを正し、より信仰を深めなくてはいけないと考える人々も少なくない。2005年のパキスタン北東地震の被災地でも地震発生時、外に逃げずにただ祈っていた
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