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中国四川省地震救援ニュース 110 [2011年10月22日(Sat)]
CODE事務局です。
久しぶりの投稿ととなりましたが、中国・四川省地震被災地のプロジェクトニュースです。
皆様の継続的なご支援のおかげで、「光明村老年活動センター」が完成しました。
これまでのご協力に心から感謝申し上げますとともに、ここに報告させていただきます。
 *写真はブログに掲載していますのでぜひご覧下さい
   →http://shisensyo.seesaa.net/?1319252355
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四川大地震救援プロジェクト
「光明村老年活動センター」完成 !!!

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2008年5月12日に発生した四川大地震では、死者6万9226人、行方不明者1万7923人という大惨事となった。発災3日後より四川省の被災地へと入り、支援活動を行ってきた。

これまでCODEは、北川県羌族自治県香泉郷光明村(人口約700人)を中心に、@ガレキの除去作業、A仮設住宅建設のサポート、B住宅再建のサポート(耐震住宅の勉強会、建築
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中国四川省地震救援ニュース 109 [2011年05月19日(Thu)]
2008年5月12日に起きた中国・四川省の地震から3年が過ぎました。
四川省にいる吉椿のレポートです。
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四川大地震3周年レポート6
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3周年を迎えた四川大地震の広大な被災地では、政府の言うように3年を目途に大規模かつスピーディーな再建が見事になされた。だが、それに伴って様々な課題も残る。
約300kmに渡る被災地に無数の新しい街が再建された。そして、多くの場所で地震の傷跡を保存した遺跡観光地が生まれた。旧北川県城、青川県、ブン川県映秀鎮、綿竹市漢旺鎮など極重災区(激甚災害地区)は、どこも同じような遺跡や
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中国四川省地震救援ニュース 108 [2011年05月17日(Tue)]
2008年5月12日に起きた中国・四川省の地震から3年が過ぎました。
四川省にいる吉椿のレポートです。
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四川大地震3周年レポート5
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ブン川県映秀鎮。世界遺産、都江堰に流れ込む泯江の上流に当たり、周囲は急峻な山に囲まれた谷あいの町である。震源地に近い事もあり、映秀鎮では人口約16000人の内、死者、行方不明者を合わせると約9000人を超える被害を出した。

あれから3年。

5月12日、映秀鎮の中心部にある?口中学校では毎年恒例の追悼式典が行われた。
児童、教師が犠牲になったこの中学校は
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中国四川省地震救援ニュース 106 [2011年05月14日(Sat)]
2008年5月12日に起きた中国・四川省の地震から3年が過ぎました。
四川省にいる吉椿のレポートです。
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四川大地震3周年レポート3
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2011年5月12日。四川大地震から3年。

政府の発表では、被災地では約220万戸の住宅の再建を終え、復興計画の95%のプロジェクトが完了したという。

北川県光明村でもほとんどの住民は住宅再建を終えた。だが、村はどこか閑散としている。村の医師であるPさんに訊くと「今は村民の半分もいないだろうなあ。」という。今年9月の住宅ローン返済期限を目前に村民の多くは出稼ぎに出ている。遠く新疆ウイグル自治区まで行っている人々もいる。

本来8人家族のPさんは、今は、孫のWくん(2歳半)とHくん(10歳)と
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中国四川省地震救援ニュース 105 [2011年05月13日(Fri)]
2008年5月12日に起きた中国・四川省の地震から3年が過ぎました。
四川省にいる吉椿から、レポートをお送りします。
震災を経験した四川の人たちが、東日本の人たちの痛みを想ってくれています。
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四川大地震3周年レポート2
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北川県香泉郷光明村。人口約700人のどこにでもあるような普通の村に地震が起こった。

地震発生時の14時28分、多くの村民は田植えの為に外に出ていた。それが幸いして村内で亡くなった人はいなかったが、190戸中8割は全半壊、再建を余儀なくされた。

あれから3年。

5月12日、光明村では3年前と同じように村民は田植えに忙しい。隣近所の田植えを皆で手伝う「結」がここでは今も活きている。出稼ぎ先から近所の田植えの手伝いの為にXさん(30代女性)は戻ってきた。「久しぶりだから
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中国四川省地震救援ニュース 104 [2011年05月12日(Thu)]
2008年5月12日に起きた中国・四川省の地震から、今日で3年を迎えました。
私どもCODEは、スタッフ吉椿雅道を現地に派遣し、直後のがれき拾いからはじまり、住民の方々に寄り添う活動を続けてきました。
現在、四川省にいる吉椿から、3年を迎えた被災地のレポートをお送りします。
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四川大地震3周年レポート1
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2008年5月12日14:28 四川大地震(中国では5.12四川大地震)が発生した。四川省の北東から南西に走る約300kmの龍門山断層が動いた事によって、その被害は断層沿いに300km以上に及び、死者6万9226人、負傷者37万4643人、行方不明1万7923人という惨状となった。

あれから3年。

広大な被災地の町は、急速なスピードで再建された。中国独自の「対口支援」(各被災地を沿岸部の経済発展をした省市がそれぞれ担当して支援する)というシステムを活用し、被災地各地に大規模かつ真新しい都市が再建された。

死者行方不明者約2万人という被害を出した北川県城(曲山鎮)は、
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中国四川省地震救援ニュース 103 [2010年11月10日(Wed)]
久しぶりにYさんレポートをお届けします。

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「重陽」という言葉をご存じだろうか。
陰暦(旧暦)の9月9日を日本でも「重陽の節句」、「菊の節句」と呼ばれ、五節句のひとつでもある。陽が重なると書くが、中国では奇数が陽数、偶数が陰数と呼ばれ、1月1日(元旦)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)など陽数の重なる節目の日に様々な行事を行ってきた。最大陽数である「9」が重なることから「重陽」(ちょうよう)と呼ぶようになった。かつてこの日は、「菊の節句」の名の通り、平安時代は「観菊の宴」も催され、菊の花を飾ったり、菊酒(花びらにビタミンC.Eを含む)を飲み、邪気を払い、長寿を祈ったと言われる。そこから現在、中国では旧暦の
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中国四川省地震救援ニュース 102 [2010年05月31日(Mon)]
引き続き、現地スタッフYさんより、震災から2年が過ぎた四川の様子をお伝えします。

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壊滅的になった北川県城(老北川)は、約20km南東の平場に移転し、今年の9月には基本的な工事を終え、永昌鎮(新北川)という名で新しい北川県城としてスタートする。
一方、未だガレキの下に約5000名の人々の眠る廃墟、老北川は、「北川地震記念館」の名で震災の傷跡を地震遺跡としてそのまま残す計画である。

 2周年記念日を終えた5月15日、これまで封鎖されていた老北川県城は、正式に申請をすれば一日1000
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中国四川省地震救援ニュース 101 [2010年05月25日(Tue)]
引き続き、現地スタッフYさんより、震災から2年が過ぎた四川の様子をお伝えします。

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廃墟と化した北川県城を見下ろす「望郷台」でお土産を売り、写真を撮って生計を立てるPさんは、いつも笑顔と握手で迎えてくれる。最近、体調を崩していたようで久しぶりに会って、二人でゆっくりと話す事ができた。

Pさんは、「この場所ももうすぐ終わりだな。」と肩を落とす。現在、北川県城では地震遺跡に向けて工事が進められているが、2周年を過ぎ、一般の見物客にも開放され始めた。
これまで多くの見物客はこの望郷台で北川県城を眺め、追悼して、お土産
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中国四川省地震救援ニュース 100 [2010年05月24日(Mon)]
現地スタッフYさんより、震災から2年が過ぎた四川の様子をお伝えします。

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中国では四川大地震を「5.12四川大地震」と呼ばれているが、「北川大地震」と呼ぶべきだという被災者も多い。最も多くの被害を出した北川県城は、人口3万人のうち、約2万人が帰らぬ人となり、未だ約5000人がガレキの下に眠ったままである。08年6月の塞き止めダム崩壊による水害、08年9月の土石流も発生し、ずっと封鎖されたままで、一部関係者のみ立ち入り禁止である。今年も5月12日には一般に開放されたが、昨年の30万人ほどの人出はなく、約8万人ほどだったという。

通常、中に入れない被災者の人々はいつの間にか
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