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「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後  46 [2009年12月09日(Wed)]
 今から6000年前に能登町宇出津の間脇あたりで、イルカ漁が盛んであったという話をしました。海の幸、山の幸を食の中心とした暮らしが4000年も続いていたことが、遺跡から判明するのですが、実はイルカ漁は昭和のはじめまで続けられていたという記録もあるのです。その時の漁について語れる漁師さんがいらっしゃれば是非、一度話を聞いて見たいのですがなかなか出会うことができません。

そんなことを思いめぐらせていると、先日来神し神戸の大学生たちと交流を深めた七尾市能登中島の方が、七尾市中島町西岸の「西岸公民館」に保存してある「西岸地区の歴史」というのを見つけて下さいました。その中に「明治時代に七尾北湾にあった海豚網漁」についての記録があるのを教えて下さいました。今度、能登を尋ねたら直接公民館に行って聞いてみようと思います。
 この貴重な資料の”さわり”を紹介しますと、「一、文書発見の経緯  平成9年4月県道小牧〜長浦線改修工事の際、中島町字小牧地内の室木勇さん方の家屋が移転の為整理中発見され、私の所へ届けて戴いたものである。」とあり、続けて「六、海豚網漁を始めた理由 毎年春になると深浦部落の入江に海豚の群が回遊して来る場所であったこと。」とあります。さらにその他発見された文書で興味深いのは、「一、金六円七拾五銭  新森やす テカギ代金」とある部分です。この資料は明治三一年から作られたとあるのですが、この「新森やす」さんが女性だとすると、こうして漁師が使う「テカギ」を販売していたのかもしれません。他には女性らしき名前がないので、興味深いものがありました。でも、そういえば炭坑ででも女性が男衆(おとこし)に混じって稼いでいた話があったような気がします。そういう意味では、当たり前ですが”人足”って、男性だけではないんですよね!?

Posted by RSY事務局 at 09:47 | 村井雑感 | この記事のURL | コメント(0)
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