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「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後  44 [2009年12月04日(Fri)]
ちょっと話題を変えて一休みです。大学生を中心に集まっている「中越・KOBE足湯隊」は能登半島地震発生後の5日目から避難所で足湯ボランティアをしてきました。災害発生後5日目に避難所で、しかも被災地外のボランティアが活動できるというのも画期的ではないか。さて、今回は(11月20日〜23日)これまでも一緒に活動してきた新潟県長岡市にある長岡技術科学大学のメンバーも加わっての活動です。久しぶりの能登での足湯ボランティアとなりました。8月以来、兵庫県西北部地域を襲った水害の被災地佐用町に足湯に出かけていたので、能登はご無沙汰していました。

 今回は、また足湯をさせて頂く場所としては、初めてでまた珍しいかも知れないところで行いました。2ヶ所のお寺です。1ヶ所は地震で全壊になりやっと再建を果たした門前町の「興禅寺」さんで、もう1ヶ所は大規模半壊となった黒島の「名願寺」さんです。
 どちらのお寺も写真集「いとしの能登 よみがえれ」でも紹介していますが、実はどちらもお寺の本堂で足湯をさせて頂くことになり、大変貴重な体験をさせて頂いたようです。 というのも、以前高野山足湯隊のリーダーTさんに教えて頂いたのですが、「その昔、東大寺大仏殿の建立中、光明皇后が”われみずから1千人の垢を去らん”いう誓願をたて、境内に浴室を建設し、さまざまな人を入浴させて、1千人の垢を落とそうと決意させられたそうです。ところが、1千人目に癩におかされた男があらわれ、少し躊躇したが、勇を鼓しその体を洗い膿をお吸いになった。すると男は大光明を放ち、自分はアシュク仏であると告げた」ということだそうです。そもそも、病気の人や困っている人に湯を施す「湯浴み」は、中世の大寺院が行っていた施行の一つとのこと。そう言った謂われのあるお寺で、しかも本堂で足湯を行うというのはほんとに「もったいない」ことです。

 ところでいつも足湯をしたときに集めさせて頂いている被災者の”つぶやき”ですが、今回のように災害発生から2年と8ヶ月が経過したところでのつぶやきというのは数少なく、それだけに何度も拝聴させて頂くと、生活のリズムは完全にもう災害前に戻った被災者の存在に気づきます。例えば77歳の女性のつぶやきから一部を紹介すると、「グラウンド・ゴルフをしている。最初は知り合いに誘われて始めたけど、その人は止めて私は続けている。若い人ともしているけど、若い人には適さない。距離が飛ばないし、あんなにぴったり止められない。足湯はグラウンド」・ゴルフをした後にしている。畑もしていて色々つくっている。畑では自分の食べる分をつくっている。起きたい時に起きて、行きたいときに畑を見に行っていい暮らしをしている。(中略)今度孫ができる。あんたのおばあさんもあんたが可愛いいよ。あんたらいいことしてしているね。足湯して貰って気持ちいい。ポカポカしてきた。」というもの。
 もちろん、災害の種類によっても、被害の度合いによっても、被災者にとっての再建の度合いは異なるでしょうが、阪神・淡路大震災での3年目ではこんな余裕は出てこなかったのではないかと思われます。もしかすれば、能登のように日ごろから豊かな自然に恵まれて暮らしている地域の方が、都市に比べて少なくとも気持ちの復興が早いのではないかと気づかされるつぶやきである。

 余談だがそれにしても水害のあった佐用町は、まだ4ヶ月にもかかわらず元気だ。中でもいつも話題を独り占めにしているほどの、あの有名な特産物の”ホルモン焼うどん”は、12月下旬まで6週間だけの期間限定発売だが、なんと近畿2府4県のローソン約1800店舗で販売されるようになったそうです。復興バネという表現があるが、これほど早く、また上手く復興バネを利かせて再建に勢いをつけようという動きは、これまでの被災地では見られなかった現象でしょう。考えてみれば、”ホルモン焼うどん”って、佐用でしかできないと言うシロモノではありません。それだけに、こうして特産物にした佐用のみなさんの努力は注目すべきではないでしょうか?

Posted by RSY事務局 at 10:21 | 村井雑感 | この記事のURL | コメント(0)
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