CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後  40 | Main | 「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後  42»
プロフィール

震災がつなぐ全国ネットワークさんの画像
カテゴリアーカイブ
リンク集
最新記事
東北地方太平洋沖地震支援基金 日本財団ROADプロジェクト
最新コメント
震つな事務局
「水害にあったときに」〜浸水被害からの生活再建の手引き〜 (2019年10月16日、データ更新) (10/18) 震つな事務局
「水害にあったときに」〜浸水被害からの生活再建の手引き〜 (2019年10月16日、データ更新) (10/18) 赤ちゃんとママの防災講座 代表・上沢聡子
「水害にあったときに」〜浸水被害からの生活再建の手引き〜 (2019年10月16日、データ更新) (10/18) 杉田佳代子
「水害にあったときに」(冊子版)をダウンロードできるようになりました (10/18) 伊藤陽子
「水害にあったときに」(冊子版)をダウンロードできるようになりました (10/16) 安田まゆみ
「水害にあったときに」〜浸水被害からの生活再建の手引き〜 (2019年10月16日、データ更新) (10/15) 震つな事務局
「水害にあったときに」〜浸水被害からの生活再建の手引き〜 (2019年10月16日、データ更新) (10/15) 海野千尋
「水害にあったときに」〜浸水被害からの生活再建の手引き〜 (2019年10月16日、データ更新) (10/15) 震つな事務局
「水害にあったときに」〜浸水被害からの生活再建の手引き〜 (2019年10月16日、データ更新) (10/14) 島田@りんごの木
「水害にあったときに」〜浸水被害からの生活再建の手引き〜 (2019年10月16日、データ更新) (10/14)
<< 2019年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
http://blog.canpan.info/shintsuna/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/shintsuna/index2_0.xml
「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後  41 [2009年11月27日(Fri)]
 間脇遺跡とイルカとのことについて少し触れてきましたが、静岡県清水区では10数年前ではスーパーでイルカの肉が販売されていたそうだ。イルカはこの清水港沖でも生息していたのだろう?そう言えば和歌山県太地町にもイルカはいたし、この地の鯨は有名だ。従って清水港沖にイルカが生息していても不思議ではない。こういうことに詳しい新田時也さん(東海大学海洋学部講師)は、伊豆地方の漁港である安良里の方から聞いた話として「戦後の食糧難の時代、イルカの肉が私たちの『いのち』をつないで
くれる唯一の食べ物でした。イルカの油は、船のオイルに利用することで、生活の支えともなった。私たちはイルカに感謝し、供養塔を建ててまつています」と朝日新聞に紹介しておられる。同講師は、「食べることといのち、さらには「祈り」や「歴史」にまで、もう一度世界の人が考えて欲しい」と願っているようだ。
 ところで能登は「ノット」というアイヌ語から来ていると伝えたが、アイヌでは「熊送り」という人間が熊と共存させていただき、熊の肉を食することから熊に対する畏敬の念を込めての儀式がある。能登とアイヌとのつながりからすると、能登でもイルカを葬る儀式もあったのかも知れない。そういえば、食文化の違いで肉食がダメという外国人のために「ハラール料理」を用意するところが増えてきた。これは肉を料理をする前にお祈りし、その国の作法によって肉を捌き、完全に血抜きをしてから食すというということだったことを思い出した。よくイスラム教の方たちの食事を案内することがあるが、「豚肉を使っていないから大丈夫ですよ!」と説明するが、正確にはきちんとお祈りをしているかどうかがむしろ大切なことのようだ。
 考えてみれば、日本でも食事の前に「いただきます。」と手を合わせて食すのは、「あなたのいのちをいただいて、私は生きています。」という感謝の意を込めての儀式であると聞いたことがある。
 こうしていろいろなことを比較して見ると、食文化も共通するところが多いことに気づく。まだまだ能登の暮らしを調べてみる価値があるなぁ・・・・・・。
ワクワク!

Posted by RSY事務局 at 16:04 | 村井雑感 | この記事のURL | コメント(0)
コメントする
コメント