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「水害にあったときに」〜浸水被害からの生活再建の手引き〜(2019年7月26日追記) (10/14) 島田@りんごの木
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「いとしの能登 よみがえれ!」−能登半島地震・その後  40 [2009年11月25日(Wed)]
(続:間脇遺跡について)
 間脇遺跡が約6000年前に発掘されたことはすでに書きましたが、第14次間脇遺跡発掘調査(1982年、83年)により、縄文時代前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2300年前)まで、約4000年間途切れることなく人々が住み続けていた集落遺跡と判明しているそうだ。

 さて、私たちが歴史を振り返るとき、今から何年前くらいのことなら、具体的なイメージを持ちつつ理解できるのだろうか?今から6000年前に始まり、約4000年間もの人の暮らしの足跡が遺跡から探ることができるというのは、想像しがたいことではないだろうか。

 でも人類は約600万年前に猿から進化してこの地球上に現れたと先日河合雅雄さん(県立人と自然の博物館名誉館長)が講演でおっしゃったが、少なくとも私たちの祖先であるモンゴロイドと同じルーツを持つ人たちが、12000年前にベーリング海峡を歩いてわたり、北米大陸を南下して、現在ネイティブアメリカンが居住している地に住み着いた。今もこの地にすむイロコイ族が存在しているということは、間脇と同じように途切れることなく住み続けてきたのかも知れない、12000年も。しかし、私はイロコイ族の住んでいるこの地に行ったことがないので、残念ながら実感を持って語ることができない。

 ところが、モンゴロイドはこうして北へ移動しただけではなく、どうも南にも移動したように思う。それを推測する材料としてインドネシア・スマトラ島南にニアス島という小さな小さな島があり、そこにびっくりするような事実がある。私は2005年3月に発生した地震で被害を受けたこのニアス島を訪れたとき、「あっ!」と言葉が出ないほど驚嘆したことがある。そこの島西部に住んでいる人たちは、私たちと全く同じ顔をしているのである。私が驚いたのは、モンゴル人はもちろん中国人や韓国人もよく似ているが、ほんとにニアスの人はそっくりなのです。この事実と出会ったことで、私の中では10000年でも超身近な事として捉えられる。

 話を能登に戻す。ところでそのモンゴロイドは、大陸から日本へは一番最初にどのようにして渡ってきたのだろうか?よくいわれる朝鮮半島を経てわたってきたのだろうか?能登半島の能登は「ノット(突きだしたもの)」というアイヌ語からきたという指摘もある。だとすると、モンゴロイドは一度シベリア半島に行き、そこから南下したとも考えられるのだろうか?いや、イロコイ族と同じ一族がベーリング海峡を渡らずに日本列島を南下したのかも知れない。しかし、少なくとも文献で証明されるのは700年代後半に大陸(現ロシア)に渤海国という国があり、そこから渤海使節団というのが風に吹かれて辿り着いたのが能登半島であることは間違いのない史実である。従って1300年前に遡って想像することは、10000年前に遡ることと比べると、まるで昨日のようなものかも知れない。しかも、渤海使節団がこの地に残した文化の一つかもしれない七尾市能登中島の二十日祭り(通称:お熊甲祭り)は今も現存しており、毎年9月20日に盛大な祭りを行う。この日は、普段の人口を上回る人たちが観光を兼ねて集まってくる。こうして歴史を彷彿とさせる伝統が残っていれば、1300年前でも具体的な実感を持って眺めることができる。

さて、私の関心事はこのお熊甲祭りと間脇遺跡のつながりはあるのだろうか?ということである。このことを知るのが、今後の私に課している能登通いの最大テーマである。11月28日(土)にそのお熊甲祭を担う集落の一つ小牧(おまき)地区壮年団から3名の方が来所され、今年の祭りの応援に行った神戸の大学生と交流会を持つ。場所は当センター会議室で、午後6時からである。縄文の暮らしをイメージする前に、祭り談義をする中で中島の人たちと交流しながらまず1300年前の暮らしをイメージしてみませんか?イルカを出すことはできませんが、七尾の名物「カキ」を持参してくれるそうです。会場が狭いので申し訳ないですが先着順です。必ずお電話を下さい。
         (被災地NGO恊働センター:078−574−0701)

Posted by RSY事務局 at 17:24 | 村井雑感 | この記事のURL | コメント(0)
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