それにしても、刈羽村の仮設住宅は50戸と150戸の2ヶ所に分かれており、片方の50戸はペットとの同居を可能にしているとのことです。おそらく、これはある意味画期的な対応だと思うのです。というのは震災後のペットをどうするかということは、災害後の避難所生活や仮設住宅での生活のおいて、結構深刻な課題です。そんな中で例えばお一人暮らしであっても、ペットと一緒に暮らせるなら何も心配はないという方もおられるとすれば、可能な限りペットとの同居可としてあげたいものです。今回は最大で50戸という規模なので、どれだけ今後の参考になるかは難しいかも知れないが、新しい試みとしては検討の予知ありと言えるのではないかと思いました。
<能登のこと>
9月30日、10月1日と続けて、ライブドア・PJニュースに、「忘れないために」=能登半島地震からの復興課題(上)(下)という記事が出されました。(http://news.livedoor.com/article/detail/3326641/) その中でちょっと気になったことがあるのですが、能登半島地震より6ヶ月後の時に、ほとんどマスコミ取材が入っていないという記事に驚きました。私も、能登半島地震の6ヶ月になる5日前に行ったのですが、そういえばマスコミらしい姿は輪島市内でも、門前町の総持寺通りでも見かけませんでした。もちろんほんの数分だけしか同じ場所にいませんので会う確率は極めて低いのですが、しかし逆に3ヶ月目ならば同じように、行動していても結構会ったものです。総持寺通りに面したある全壊のK寺の前で、偶然阪神・淡路大震災の時からお世話になっていたM紙の女性記者にあったのにはびっくりしたほどです。安倍総理の突然の辞任から、自民党の新総裁選挙などが重なり、各社も事情がおありなのでしょうがしかし、6ヶ月目にも関わらず紙面が小さいのはやはり寂しい限りです。ライブドア・PJニュースのタイトルに「忘れないために」としてあるのは、よく理解できます。というのも、いま私が所属する「震災がつなぐ全国ネットワーク」で刊行しようとする写真集も、”能登を忘れないために”というメッセージを全国の多くの人たちに伝えたいという願いを込めて準備しているのです。
ただ、この写真集制作のために何度も足を運んでいて感じるのは、地震にあった能登の被害を忘れないのは当然なのですが、それ以上に能登の暮らしを通して能登の歴史や伝統、文化を忘れないでという想いが高まって来るのです。これまでも能登に関する貴重な研究が多々あろうかと思うのですが、これを機にあらためて各々が、各々のお立場で「能登を忘れないで」とメッセージを発信して下されば、より能登の方々も元気になるのではないでしょうか? 私個人的には、是非能登地域の”祭り”を研究しておられる方をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご紹介下されば光栄に存じます。