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秋田県出身。1953年北九州市で生まれ、三重県立四日市高校卒業後、東京大学法学部(公法コース)卒業。最近では、内閣府大臣官房審議官(経済社会システム担当)として竹中平蔵、与謝野馨経済財政政策担当大臣のもと、小泉構造改革の先導役である経済財政諮問会議の運営にあたった後、総務省大臣官房審議官(財政制度・財務担当)として、頑張る地方応援プログラムの推進、新しい地方財政健全化法や地方公営企業等金融機構法の制定などに携わり、その後、自治大学校長として、地方公務員の幹部育成に取り組む中、新時代・地域経営コースの創設、大学院修士課程への派遣などその教育水準の向上、サービス改善、経営改革を行い、入校者数の回復を実現した。さらに、総務省に地域力創造審議官という新しいポストが創設されるやその初代として任命され、定住自立圏構想の制度化、緑の分権改革への取り組み、新しい過疎対策の立案、地域の人材力の活性化のほか、個別地域の地域活性化の取組への支援を行った。特に、地域の人材育成や交流・ネットワークの拡充、地域活性化の取り組みへの支援などは現在でもプライベートな時間をフル活用して行っている。 1976年に自治省入省以来、一貫して財政畑を中心に歩み、地方財政や国と地方の財政関係の第一人者として活躍中。一方、住民の立場に立った行政のあり方を追求する気鋭の行政マンとして、主として島根県、鳥取県などをフィールドに活動。「行政の原点は、生活者としての住民の希望や願いを自らの問題としてきちんと咀嚼し、自分自身がその住民のために何が出来るかを考え実践することにある。既成の概念や制度の障壁にひるまず、時には国や県と戦いながら、住民のための地方自治を実践する」ことを信念とする。 島根県理事・総務部長時代は、浜田の県立大学の開学(宇野学長の招聘等)と研究基金の創設、グラントワの構想立ち上げ、定住財団の改組と定住対策事業の抜本的拡充、高度情報通信網としての島根フロンティアネットワークの整備などに強力なリーダーシップを発揮。また、いわゆる出前県庁といわれる「石見の日」、「隠岐の日」などを頻繁に開催、自ら率先して、地域づくりに熱心に取り組む人達と国・県・市町村行政との仲立ち役を果たした。今でも、仕事が多忙な中、その当時の仲間達との交流は欠かさない。 島根県、特に石見地方は、人口減少と少子高齢化が進行するなど現状は厳しいが、小さいから、また状況が厳しいから出来ることもある、他の地域のまねをするのではなく、他の地域がまね出来ない島根方式の福祉や教育や保育を、特に住民(元気な高齢者など)との協働というところに視点をあてながら模索すべきと考えている。島根県が46番目の県という位置に甘んじないためには、当たり前のことではあるが、島根らしさの追求がポイントで、地域に残る素朴な伝統文化や生活文化、あるいはものつくり技術の伝承と発展、他に比類のない素晴らしい自然環境の保全と活用、どこに出しても誇れる子供達を育てる健全な教育システムの維持、高齢者が健康で生き甲斐を持って長寿を楽しめる地域社会づくり、そしてそれらすべてを有機的に連携させ活用して、観光客の心を癒し感動を与えることが出来るようなサービスを提供する洗練された観光産業の再構築が必要である。そして、こんなすばらしい価値を持った島根県、そこに若い人達が働いて生活の糧を得ることができるような産業の基盤が欲しい。その意味で、是非とも産業経済と雇用のビジョンを持つ必要があり、またそれを実現するための実効性のある政策が必要だとも考える。そして、何よりも重要なのは、苦しいと言われる県や市町村の財政の中で、不要不急の課題は思い切って後回しにし、今島根県が取り組まなければならない重点課題、今やらなければ意味がないという優先課題に思い切って重点的、効率的に財源を振り向ける勇気と果敢な実行力だ。こういった考え方は、2000年にほぼ毎月1回、11回にわたり連載された山陰中央新報日曜版の「羅針盤」に表されている。
(主要な経歴)
〇 地方勤務4回(埼玉県、香川県、宮崎県、島根県) 10年 宮崎県が2年で最短。島根県には1993年から3年3月(家族は子供の学校の関係で6 年)で最長。香川県では企業振興課長、地域振興課長、宮崎県では財政課長などを歴任。
〇 (自治)財政局勤務5回目 15年〜 直前は1998年から調整室長(現調整課長)、地方債課長、財政課長を努め、連続7年 間に及んで、一貫して税財政面からの地方分権の強化に取り組む。この間、2001年1月 の省庁再編により総務省勤務(自治財政局地方債課長)となる。2006年には財政制度・ 財務担当審議官。現在は自治財政局長。 〇 消防庁勤務1回(20代の終わりからの課長補佐時代) 3年 1984年から国際消防救助隊創設、救急業務に関して医療行為が出来るようにするため の最初の法改正、救助業務が消防の業務であることを明確にするための法改正、消防庁 救急救助課の創設、アメリカのFEMAの研究と研修生の派遣などに取り組んだ最も思い出 深い時代の一つ。石の上にも3年のことわざどおり。
〇 国際室長(島根県から帰任し初めての課長職) 1.8年 ウズベキスタン、カザフスタン、トルコ、ペルー、ボリビア、ブラジル、アルゼンチン、中国、 韓国などを精力的に訪問、JETプログラム(語学やスポーツの指導助手、国際交流員の招 聘事業)をこういった国々にも拡充。全世界から6,000人以上の若者を招聘する地球最大 規模の事業に育てる。
○ 内閣府勤務 1.7年 経済財政諮問会議事務局として、主として、国と地方、行革、総人件費改革、財政制 度等を担当
○ 自治大学校長 1年 新時代・地域経営コースの創設、第一部課程と大学修士課程との併学コースの創設、一 日自治大学校の実施、サービス改善運動などの経営改革に取り組み、入校者数の1000 人台への回復を実現
○ 地域力創造審議官 2年 定住自立圏、緑の分権改革、新たな過疎対策、地域の人材力活性と交流・ネットワーク の拡大、地域活性化の取組支援などのほか、地域に飛び出す公務員ネットワーク(現在も 代表)や地域力創造応援団(現在は顧問)などを創設
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