山陰随一の良港、境湊 [2006年07月02日(日)]
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境港は天然の良港というにふさわしい山陰地方随一の港で古くから、軍事的拠点、水産基地、商港などとして反映してきています。特に、室町時代以降は、「伝馬いらずの上港」として蝦夷、筑紫を往来した千石船の寄港地として反映したようです。鳥取藩はそれに着目して1804年には御廻米役所を、松江藩は1861年に御手船役所を設けています。
その後の歴史の中では、なんといっても、明治44年、大正3年の二度にわたって、境港の整備問題やこの地域の一体的発展という問題から西伯郡の島根県合併問題や鳥取、島根の両県合併問題がおきていることが特筆すべき歴史だと考えられます。 その後、戦後になり、昭和24年から国直轄事業による整備が開始され、同25年に港湾法が施行されると、翌26年には重要港湾に指定されました。昭和33年には、島根、鳥取両県協定により、港湾管理者としての境港管理組合が設立されました。これらにより、明治末から大正にかけて、合併運動の契機となった境港の整備問題は、ある程度の制度的解決を見たものと考えられます。 その後、昭和41年には後背地一帯が中海地区新産業都市に指定され工業港としての整備に力が入れられ、さらに、平成7年にはFAZ計画が国の承認を受け環日本海時代の西日本の拠点港湾として発展しつつあります。 いずれにしても、境港は鳥取、島根両県の貴重な産業、生活の基盤であり、私の唱える二県一プロジェクトの古くからの代表例と考えることが出来るでしょう。 |




