高鍋町は由緒ある城下町 [2006年07月02日(日)]
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宮崎県児湯郡高鍋町は旧秋月氏の城下町として知られています。秋月氏はもとは筑前の国を所領としていましたが、秀吉の九州征伐の時に島津に与して抵抗したため日向の国串間に移封されたものです。
関が原の戦いでは、最初西軍に属していましたが、西軍が壊滅するといち早く東軍に寝返り、大垣城を攻め開城させたので所領を安堵されました。その後、1604年に居城を財部(現在の高鍋)に移し、高鍋藩が成立しました。以降も10代にわたり明治維新まで秋月氏が高鍋を治めており、その意味でも名君であったといえるでしょう。 特に、7代種茂公は歴代の中でも名君の誉れが高く、藩校の明倫堂を開いています。その弟は米沢藩に入り、これまた名君上杉鷹山となっています。 ついでに、この地域の所属を振り返ると、明治に入り最初に高鍋県が置かれましたが、廃藩置県では美々津県となり(南九州は鹿児島県、都城県、美々津県でした)その後宮崎県、鹿児島県となり、明治16年に宮崎県の分県運動が実り、再度鹿児島県からみ宮崎県が分離再置され、そこに所属しています。 |




