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取材メンバー紹介

大三島メンバー
智 武 徳
おすすめはコレ
海風と海肌。旅人とのふれあい。
プロジェクトに参加した理由
大三島で多くの人に楽しんでもらいたいから。地域を元気にしたい!

大三島メンバー
大三島をもっと知ってほしい卓さん
「大三島を元気づける仲間を一人でも多く増やし、活気ある島にしたい!声をかけてください。」
おすすめはコレ
多々羅大橋の眺め。飽きることはないです。
プロジェクトに参加した理由
大三島のすばらしさ(自然、人情、景観等)を島内・島外の人たちに知ってもらうため

大三島メンバー
お お み
「あなたの笑顔と出会いたい。」
おすすめはコレ
鷲ヶ頭山から見る日の出
プロジェクトに参加した理由
山本優子さんの熱意に(賛同?)負けて。

大三島メンバー
ゆ き ん こ
「ゆったりと、やさしい気持ちになれますよ。あそびに来てね。」
おすすめはコレ
海、山、空・・・。自然に囲まれて空気がおいしい!
プロジェクトに参加した理由
大三島が好きだから。

大三島メンバー
みつこさん
「風は感じる心にそよぐ」
おすすめはコレ
星 ・ わくわくパーク
プロジェクトに参加した理由
大三島の素敵さを外から感じてもらい、島をルーツに育った人にそれが伝わり、 島の活性化につながればいいなと思って。

大三島メンバー
井上貞子
「瀬戸内海は地中海に負けませんよね。  私の目で確かめてみたいです。」
おすすめはコレ
上浦イチゴは全員が空中栽培(高床)です。
プロジェクトに参加した理由
大三島を楽しんでもらいたい。

大三島メンバー
KiKi.S
おすすめはコレ
海の歴史がいたるところに眠っていますよ。
プロジェクトに参加した理由
楽しい人たちとの出会いを期待して。

「みかん花のハチミツ」は養蜂マイスターの手で [2009年07月07日(Tue)]
甘く、芳しい香りを漂わせる「世界最古の甘味料」・・・それは、ハチミツなんだそうです。

ミツバチという小さな昆虫が花にとまり、その身体を通して生まれる黄金色の蜜。一万年以上もの昔、人々はこの甘い蜜を、大気から露のように生まれてくる神の恵みだと崇めていました。

現在では、栄養価の高い食品というほかに、殺菌、消炎、造血などについても研究が行われているようです。

日本でハチミツの生産が始まったのは、なんと飛鳥時代。
やがて時代が下り、西洋ミツバチが輸入されて養蜂技術
が進み、昭和40年には8,495トンものハチミツが生産され
ていました。

でも現在はその3分の1まで減少し、国産ハチミツのシェア
は全消費量の5%を割っているそうです。・・・そんな零細業
界ですが、しまなみ海道で結ばれた愛媛県の島々にも、あ
わせて8〜9軒の養蜂を営んでいる人がいます。

「蜂? そりゃカワイイわい。」と話してくれたのは、大三島
上浦町の藤原清司さん(70才)。

藤原さんと蜂の出会いは、45年前。松山で養蜂を習って
きた友人に「蜂を分けてやるから木箱をもって来い。」と誘
われたのがきっかけでした。 当時はお金も無く、買う物も
今のように溢れておらず、自給自足は当たり前の時代。

甘い物も欲しかったし、「ハチミツは体にいいぞ」と聞かされて、木箱をひとつ作り友人の元へ出かけました。タダでくれると思っていたところが、結構な金額を請求されてビックリ。いまさら 「要らん」 とも言えず、虎の子をはたいて蜂を持ち帰ったそうです。

「でも、それが良かったんかもしれん。」と、藤原さんは昔を振り返ります。
「真剣に世話して、3年後には、独学でようやく蜂を2箱に増やすことが
出来たんよ。コツが分かると、面白味が出てきてなぁ・・・」 
その後、プロの養蜂家との出会いもあって、養蜂の世界へと踏み込んで
いったのだそうです。

「蜂の世界は、学校のように規律整然としとるんよ。」藤原さんの話に熱がこもります。

「ひとつの巣に女王蜂は一匹。働き蜂は全部メスで、幼虫や女王さまの世話係、門番、蜜集めの仕事をして2〜3週間ほどで死ぬ。」

「オス蜂は少数で繁殖だけの目的で生まれるんやけど、女王蜂と交えるのはたった一匹だけ。その直後に死んでしまう。」

「ほかのオス蜂は、蜜や花粉をもらってしばらく巣で暮らすけど、
そのうち巣から追い出されて死んでしまうんよ。はかなかろ?」

女王蜂だけが生命を謳歌するのかと思いきや、
「今朝は、古い女王蜂を4〜5匹潰してきた。」と藤原さん。

「えっ!女王蜂がおらんかったらどうなるんですか?」と驚くと、
「働き蜂が右往左往しながら30分以内に、産卵3日以内の卵ひとつを選んで、そのベッド(孔)を女王蜂用に作り変えるんよ。それが次の女王蜂になる。女王様も若くてピチピチしとる方がよかろう。」

・・・飼われた女王様もつらい世界ですねえ。

今、世界の各地で蜜蜂の大量失踪や大量死の現象が起こり、農家が大打撃を受けているそうです。
藤原さんの養蜂場では、10年程前から蜂の体にダニがつき始めたことが、今一番の問題だそうです。

中国から黄砂に乗って飛んでくるダニは、人に例えるとソフトボール
ほどの大きさもあり、これが蜂に吸い付くとお陀仏になるんだそうで
す。深刻化する前に手を打つ必要に迫られています。

「もし蜂が地球上からいなくなると、人類は四年以上生きられない」
・・・アインシュタインの予言の一説です。

蜂は作物の受粉に深く関っていて、私たちが口にする食品の
三分の一はその助けを借りたものだそうですから、あながち
大袈裟ではないかもしれません。

ところで、ハチミツといえば「レンゲ」が主流でしたが、減反や
農業技術の変化で 「レンゲ蜜」 は減っているそうです。
でも藤原さんが作るハチミツはミカン蜜。

「ほのかなミカンの香りがして味が良い」と地元でも評判です。ミカンどころ大三島の蜜だからなおさらでしょう。

遠方のお得意さんも「藤原さんのハチミツに出会ってからは、もう他のには手が伸びません。」と太鼓判を押しているそうです。

一匹の蜜蜂が、短い一生をかけて集めるハチミツは、なんとティースプーンでたったの一杯にしかすぎません。

藤原さんの「愛情」と、しまなみの「恵み」にあふれたハチミツは、ひときわ味わい深く貴重な味がすることでしょう。

【フジワラ養蜂場】
794-1403
愛媛県今治市上浦町甘崎1986
代表 藤原 清司
TEL0897-87-2347 
Fax0897-87-3650
http://www.island83.jp/index.html

Reported by Kazunari Utsunomiya
【染色家】村尾草染さん [2009年06月13日(Sat)]
今治市の山の手朝倉、大きくてシャレた家々が立ち並ぶ一角にある、染色家村尾草染さんのお宅を訪れました。

花々に彩られた庭を抜けて玄関をくぐると、白いタオル生地の山々にデ〜ンと出迎えられました。

初めてお会いした村尾さんは、人懐こい笑顔で「これが終わったら、次は五百枚染めなイカンのよ」とタオル会社からの手染めの注文に追われる毎日だそうです。

首都圏のデパートでは、柔らかな風合いのタオルマフラーがここ最近の売れ筋なのだそうです。

村尾さんの家の裏手にある『藍美工房』と書かれた小さな建物で、天然素材による染色品が生み出されているのでした。

村尾さんが草木染めをはじめたのは、京都で学生時代にアルバイトで習ったのがきっかけ。そのころは反物を染めていたそうです。それが面白くなり、故郷の今治に戻りタオル会社に
                          就職。

しかしそこで見たものは、ホルマリン等の化学薬品にまみれた製品ばかりだったそうです。

京都で学んだことを生かすため、大量生産の現場に見切りをつけて独立。草木染め職人の道へ。

しかし、時は高度経済成長の真っ盛り。作ればいくらでも売れた時代に手作業で染色できるのはごくわずか。二束三文でしか相手にしてもらえず、厳しい生活が続いたそうです。

それでも工夫を重ね、タオル生地を染める独自の手法を編み出しながら、
「いつか陽の目を見るときが来る」と信じて、自分を勇気づけながら仕事に
励んだそうです。

近年、「化学薬品の害は、川から海へ、やがて人へと戻ってくる」ことに
誰もが気づき、自然にやさしいエコの時代が微笑み始めました。

「江戸時代までは、日本人も自然の草木染めをしよったんよ。明治初期に科学染料が開発されて量産化されるまでは・・・」

村尾さんによると、明治中期に始まった日本のタオル産業は初めから大量生産体勢だったそうで、タオル生地を染める職人技術はこれまでほとんど無かったとのこと。

ほとんど手探りで道を究めてきた村尾さんは、様々な経験を積み重ねながら「思いを込め、物作りに妥協しない」スピリッツを作品に注ぎ込んでいます。

「頭に描いたものが、そのまま出来たらそれは良い作品なのか?ワシは
出来上がりが想像できるものはつまらんと思う。そやから『究極の染め』は、
どんな仕上がりになるかわからん、"くちゃくちゃ染め”やと思うとる。でも売
れんのよ、作るのはすごく面白いけんど。」

と笑いながら、

「どれが良くて、どれが失敗作か?みんな答えはバラバラよ。人間でもそう
やろ、何でこの子はダメと決めつけるんやろな。こういう染めの作品にも、
失敗は無いんや。素人がやったけんいうて、不細工ってことは決してないん
よ。」

●さて、シクロツーリズムしまなみでは、村尾さん直伝 「草木染」
 体験をご案内しています。身近な自然素材で、肌にもやさしい手
 染めの体験。今治産のタオルやTシャツをあなたのオリジナル色
 に染めて、世界にひとつ、あなただけの作品を手がけてみません
 か…?
 
 詳細は『シクロツーリズムしまなみ』まで
 電 話 :0898-33-0069   
 体験場所:随時ご案内いたします。
 所要時間:2時間〜
 期間:通年
 定員:5〜50名
 料金:5000円/人(材料費、指導料含む)
要予約:7日前まで



Reported by Kazunari Utsunomiya
粋なひと 船頭の村上金春さん [2009年04月25日(Sat)]


大島の北側に位置する宮窪町。伯方島との狭い海峡を、怒とうのように暴れる潮流。この海域に浮かぶ離れ小島のひとつが、中世の頃に能島水軍が城を築いた能島。まさに天然の要害に囲まれた海城があった。







この激流の中、ボート観光船を巧みに操り、日本有数の潮流と能島を間近に楽しませてくれるのは、船頭の村上金春さん。シャープな体つき、日焼けした顔、舵をとりながらタバコをくゆらせている姿がすごくイナセだ。カメラを向けると気軽に目線をくれた。「若いお客さんにも、もっと来てもらえたらいいんやけどなぁ」と会話が始まる。





宮窪町の基幹産業は漁業。しかし外国産の輸入、消費者の魚離れ、卸価格も低迷と、漁師を取巻く環境はキビシイそうだ。金春さんも元漁師。「獲るにしても潜るにしても、人間の運やけん。獲る人は獲るし、獲れん人は獲れん。漁の要領を覚えて、誰も知らんポイントへ行かんと獲れりゃあせん」…漁場を知ることが生命線だという。





現在は、漁船から観光船に乗り換えた金春さん。「船に乗るより、潮に乗れ」という、潮流を熟知した水軍の教えを今に再現し、鮮やかな舵さばきで乗客に水軍気分を思い切り満喫させる日々が続いている。笑顔






【潮流体験】
 潮流体験&魚食レストラン「能島水軍」(今治市村上水軍博物館前)
 今治市宮窪町宮窪1293−2 
 0897−86−3323
 
 体験料  一般 ¥1,000 小学生¥500 小学生未満 無料
 営業時間 午前9時〜午後4時(土・日・祝日)、平日は予約運航(2名様〜)  
 休日   月曜日(祝日の場合は翌日)



                                  
                                  
生命を伝えていく人 小田浩成さん [2008年12月30日(Tue)]
僧侶のような雰囲気をかもし出す小田浩成(こうせい)さん(62歳)。
今治市大島で、大島石の掘削から施工までを手がける
青山(せいざん)石工房を経営されている。
国道317号沿いにあり、大きな看板もかかっているからすぐにわかる。
(←屋外はテーブルが置かれていて、オシャレな空間。
  憩いのひと時を過ごすのにぴったり。)

工房には、
「石・今昔(こんじゃく)ギャラリー」
があって、石を素材にしたオブジェ
(食器、花瓶、ふくろう・ペンギンなど動物の置物)
が展示販売されている。
                        (写真は工房内のトイレ→)



小田さんは、
8人兄弟の7番目として育ち、
家業の石材業をへて
約35年前に独立されている。

社名にもなっている「青山(せいざん)」とは、
中国語で「墳墓」という意味があるそうだ。
高校時代の恩師から青山の名をつけてもらっている。

         
小田さんは、故郷であるこの地を「死に場所」と決めている。
しかしそれは決して消極的な意味ではない。「ここで生きぬく!」
という強い意志のあらわれなのだ。

2007年に青山石工房が主催した「青山・心のフェア」のパンフレットを読んで、小田さんが、胃ガン・肝臓ガンを克服されていることを知った。
「病気に直面し、青山の意味の深さを痛感した」と小田さん。
フェアなどを通して「明日の生きる糧」を伝えつづけている。
さらに小田さんは、大島内にあるものを計画中だ。
詳しいことはまだオープンにできないそうだが、地域社会にも役立てていきたいと語られていた。
小田さんは今「共感」という言葉にはまっているそうだ。
共感度の高さが仲間をつくっていくと。
独自のユーモアとざっくばらんな語り口のなかに、いつも慈愛が感じられる。
大島サイクリングの途中に、青山(せいざん)石工房の「石・今昔(こんじゃく)ギャラリー」に立ち寄ると、
命の洗濯ができるかも?

【青山(せいざん)石工房「石(いし)・今昔(こんじゃく)ギャラリー」】
住所:今治市吉海町仁江565 
   大島北インターより車で1分。 大島南インターより車で5分。
黒電話(0897)84−4488
営業時間:8時〜17時
でべそおばちゃんに会いに行こう [2008年12月14日(Sun)]
初体験の岩城島・島巡りサイクリング。お昼に向かったのは「でべそおばちゃんの店」。
青いレモンの島・岩城で、レモンを丸ごと使った会席を提供するお店だ。

平成18年4月に自宅をお店としてオープン。これまで2000人程の人が訪れた、島の人気店だ。
一歩踏み込んで何が人気かすぐ分かった。ここに来れば、岩城の看板娘3人に出会えるのだ。

「でべそおばちゃんの店にようこそ!」
「でべそ」はこの土地の方言で「でしゃばり」という意味。
自他共に認める!?3人のでべそおばちゃんが、
人なつっこい笑顔で出迎えてくれる。

「自分のお店を持つのがずーっと夢だった。」
そう語るのは一人目のでべそ・西村孝子さん(写真右)。
自宅を開放したオーナーだ。
「年6回の宝くじを何年買ったことか・・・」
店オープンまでの試行錯誤を振り返りながら語ってくれた。


通常、自宅の既存の台所を活用し、食事を提供する形態では
営業許可がおりない。
そこで、最初は、お客さんも一緒に料理づくりをする体験から始めた。
「体験じゃなく、料理だけ食べに来たい人もおるんじゃけど・・・」
諦めかけていた頃、地元の商工会の人から情報が入る。
地域の個性をいかしたまちづくりを、
規制緩和面から応援する制度「愛媛県夢提案制度」。
この制度を愛媛県第一号で活用し、念願の店オープンにこぎつけた。
「知事も町長も応援団よ。」
公的支援を得ることは、地元の理解にもつながった。


とにかく彼女達はよくしゃべる。
この日、出迎えてくれたもう一人のでべそ・ちーねーこと、佐野チサコさん(写真左)。
彼女が、今日のメニューの説明をしてくれた。
「私らはレモンにこだわっとるけんね。
 今朝、採れ立て鯛のおさしみはレモンしょうゆで。
 レモンの器に入ったペア寿司には、
 ペアじゃけん、子どものできたんよ。最初はおらんかったんよ。」

レモンの風味がただよう料理は絶品。
これをまるで我が家のようにくつろげる自宅で食べられる。
何とも贅沢なひと時。
有名なシェフが作った料理もおいしいかもしれないけれど、
地元の食材で地元のお母さんがつくる料理に勝るものはない。
地元のお母さんと言っても、彼女達のプロ意識はすごい。
とても勉強熱心なのだ。
「色々な人に出会って、いっぱい知恵をもらった。
 これからもレモンにこだわり、がんばりたい。」
倍半分、年が違うお母さんから、元気をもらう。

料理の締めくくりは、レモンゼリーとレモン紅茶。
紅茶はレモンの花を浮かべていただく。
つぼみを落とすと、ふわ〜っと、花が開きはじめる。
「初恋の味のするレモン紅茶。
 咲かなかったら、またのお越しを。」ちーねーの声が響いた。

(今日のメニュー)
・鯛のおさしみ(レモンとしょうゆを半分ずつわったレモンしょうゆで)
・ひじきのレモン酢和え
・トンだレモン
・季節の揚げ物
・バリッコ(切干大根)
・魚のマリネ
・ペア寿司
・デザート(レモンゼリー、レモン紅茶)

(でべそおばちゃんの店)
3人のでべそ
 西村孝子さん、佐野チサコさん、西本優子さん
越智郡上島町岩城3057
黒電話0897-75-2843
*予約制
*体験可(レモンの器づくりなどがお勧め)
*岩城特産品コーナーあり(「レモンハート」がお勧め)


岩城・島時間サイクリング [2008年12月13日(Sat)]
初めての岩城島でのサイクリング。
島巡りツアー造成に向け、キラッと光る可能性が見えるものだった。
まずは、1日のコースを練るために、標高370mの積善山に。
この日は、山頂付近まで車で移動。
自転車でチャレンジするのはかなり”ツー”の遊び。
山頂へ続く遊歩道は、うまくらせんを描いていて、眺望が最高。
お勧めは桜のシーズン。3000本の桜が植えられていて、
山一面がピンク色に染まる。
ウォーキング愛好者、写真家などで賑わうのでというのもうなずける。
展望台へは、数百メートル徒歩で。


展望台からの眺めは圧巻。
360度のパノラマだ。
岩城は「しまなみのおへそ」にある。
四方に島が点在していて、
「一体、いくつの島に囲まれてるの?」と不思議な気持ちに。

私たちはここで、岩城島全貌を見下ろしながら
今日のルート検討会議。
山を下って気づくのだが、この積善山、岩城島のどこを走っていても見える。
岩城島内だけではない。伯方島、因島を走っていても、
必ず見える。かなりの存在感なのだ。

さて、私たち一行がまず目指すことに決めたのは、
レモン加工品の製造などを手がける島の第三セクター
「株式会社いわぎ物産センター」。
職員さんのご厚意で、収穫体験をさせていただいた。
鈴なりになるレモンを枝から丁寧に切り取る。
二度摘みと言って、1回目は枝を長めに残して切り、
2回目のハサミで短く整える。
岩城島は「青いレモンの島」で商標登録を取得、
このレモンは「青いレモン」として愛媛県の愛あるブランド認定産品となっている。
ブランドレモンは市場で高値で売れる。
値段に見合う最高の味だ。皮までおいしい。


レモンの収穫は、10月から4月まで続く。
師走のこの時期も大忙し。
「猫の手」にでもなればとハサミを持ったが、レモン畑初体験の私たちは
手より、おしゃべり&味見の口の方が動きっぱなしで役立たずだったかな。この日収穫したのは、5.8cmの規格大。
通常レモンは、5.5cmがM玉、6.1cmがL玉なんだそう。


レモンの島・岩城を知るには、収穫体験はvery good。
ただ、大切なレモンを傷つけるようなことがあってはならない。
忙しい農家の人の手助けになる、”ちゃんとした”収穫者として
旅人が参加できるしくみ(体験メニュー)が生まれたらいいな。

旅人の皆さんには是非、知って欲しい。
規制緩和でレモンが売れない時期の農家の苦労。


「青いレモン」としてブランド認定して20年、農家の苦労は30年。
そう語る大本課長さんの眼差しは岩城レモンに誇りを持つ強いものだった。
ティカップに浮かべるレモンを見る目が変わりそう・・・。
しまなみ海道沿いに泳ぐ石の魚たち [2008年12月10日(Wed)]
石文化を発信しようと
平成5年に結成された宮窪石彫サークル。
メンバーたちは、大島石を活用した作品を制作することで
【大島石の付加価値を高め】、
【地場産業や地域の活性化】をめざしている。

←石文化運動公園で泳いでいる石彫たち

しまなみ海道沿線の公共施設や公園には、
同サークルが手がけた「魚」の石彫作品が展示されている。
(例えばサイクリストたちの御用達スポット「サンライズ糸山」や、「道の駅・よしうみいきいき館」、「石文化運動公園」など)

魚をモチーフにしたのは、かけがえのない美しい
瀬戸内海の自然を保護したいという熱い思いと、
世界有数の漁場となっている瀬戸内海から獲れる
美味しい魚のPRを願ってのことだ。

同サークルが作品づくりで使用している石は、
採石場から切り出される廃石だ。
宮窪町内にある約40カ所の採石場からは、
年間約40万トンの大島石が掘り出されていという。



大島石は、墓石として全国的にもその名が知られている。
長石(ちょうせき)、雲母(うんも)、石英(せきえい)などのバランスが均一なため
「硬くて風化に耐える」からだ。
しかし、わずかなキズがあっても廃石になるそうで、
墓石に使われる石は、ほんの2割。
残りは、石垣などの建築資材や護岸石などに使われている。
そうした廃石を有効利用しようと立ち上がったのが同サークルだ。

メンバーの一人、黒光武さんは、「石の彫刻は制作途中で割れてしまうと、
とりかえしのつかないことになってしまうが、
石そのものの個性を活かしきった作品を
何ヶ月もかけてつくりあげた時の充実感は格別なんですよ」と笑う。

宮窪町にある「石文化運動公園」には、
同サークルが制作した作品が多数点在している。
人気の記念写真スポットにもなっているので、ぜひ立ち寄って、
その巨大な石のオブジェに触れてみて!
大島「できかけ教室 長期企画展」吉井ワールド全開!!  [2008年09月06日(Sat)]
大島に『できかけ教室』という場所がある。古民家風の平屋。『A3文庫』という学習塾と、塾長・吉井游児(ゆうじ)さんによるアート活動の場などになっている。

←吉井さんは、写真一番左。
  「できかけ教室」はサイクリストの憩いの場にもなりそう。
  私たち、何かと立ち寄っています!

現在、このできかけ教室を舞台に『できかけ教室 長期企画展 ワーク・イン・プログレス』が開催されている。
不思議な世界観を持たれている吉井さん。長期企画展のコンセプトなどをまとめたペーパーをもらったので、ここに一部記したいと思う。

「10年ほど前まで儂(わし)は、松山市周辺でグループ展に参加したり、個展も開催したりしてみて、それはそれでけっこうオモシロかった。けれど、正直言うと、儂らの作品の性質からして、搬入搬出時などのおびただしい労力や思い入れは、たかが2週間程度の開催期間では、まるで引き合わないのだ。やがて儂は、自分自身のメディアを持ちたいとマジで考え始めた。数年を経て自分のイメージにほど近い道ばたに建つ『できかけ教室』を作りはじめた。こちらは、既存の美術館と比べ、地元の人たちを除きマグレの来場者だが、開催期間等の時間的制約からは完全に自由。
今回展は、今年4月から作品設置を開始し、期間はあえて明記せず(9月台風シーズンには展示終了予定)、作品が徐々に進行し展示会がしだいに立ちあがっていくプロセスを見せていくこともひとつの要素とした…」

上記から、吉井氏の人となりが伝わると思う。長期企画展の作品は、屋外や壁などを利用して展示されているため、道ばたからよく見える。そのまま通り過ぎてゆく人もあれば、わざわざ引き返して立ち寄る人もいるそうだ。吉井さんがいらっしゃれば、作品に込めた思いなどを教えてくれる。しばし吉井ワールドに浸ってみてはいかがだろう。解説後、軽い頭痛を覚えながら改めて観ると、妙に納得して吉井ワールドに はまってしまうだろう。入場は無料。

【できかけ教室】
今治市吉海町名1182−5 山ノ鼻バス停前
黒電話090−8286−0468
瀬戸内の風に吹かれて 陶芸家・重松史二さん [2008年09月03日(Wed)]
呆丹窯(ほうたんがま)の主・重松史二(ふみつぐ)さんのプロフィールに記されていた言葉。

『大自然の土や石 のびあがり ひびわれて とけて 独自の表情を現します その自分の命を生きつづける 武骨な強さが僕は好きです』

この言葉からもうかがえるように、重松さん(大島出身・57歳)は純粋で芸術家気質の方だ。以前は、デンキ関係の仕事に就かれていたが、多忙を極める日々が続き、心はすさんでいった。


そのため、独学で始めていた陶芸を本格的に学ぼうと、昭和56年 愛知県瀬戸に居を移し、「呆丹窯」を設置。
のんびり過ごすつもりで、その時は、陶芸が職業になるとは思っていなかったそうだ…。

瀬戸で才能を開花した重松さんは、色んなスタイルの焼き物にチャレンジし続けた。灰釉・鉄釉・銅釉の研究、桃山古陶・古窯の研究などを経て、黄瀬戸・志野、そして織部にたどり着いた。


作陶に没頭する重松さんだが、そこに待っていたのは、やはり多忙な日々。年5回以上の個展を開催するなどハードスケジュールをこなした。

「田舎でのんびりしたい…」そんな思いもあって、平成8年 故郷である大島・吉海町に活動の場を移した。海を臨む呆丹窯で、作品づくりに没頭する毎日。土は、今でも瀬戸から取り寄せているそうだ。



不景気の波は、芸術の世界も直撃していて、知り合いのギャラリーが相次いで閉館したこともあり、以前のようなハイペースで作品が売れることはないそうだ。

しかも、重松さんは営業ベタ…。決してお高くとまっているわけではない。少しの間だけお話を聞かせてもらった私から見ても、重松さんに営業は向いていない(ごめんなさいっ…。)と思った。生粋の芸術家肌の方なのだ。

↑こちらが奥様の作品。
奥様は、重松さんが以前教えていた焼き物訓練校の生徒さんだった。その後、2人は別々の道を歩んでいたが、「運命の人」だったのだろう。結婚し、子どもにも恵まれた。実は奥様、重松さんに“ろくろ”を教えてもらっていた頃、重松さんに憧れていたそうだ。想いは叶うのだ。
瀬戸内海の風に吹かれながら、陶芸と家族に愛され、心豊かな毎日を送られている重松さん。お話をうかがっていると、ボブ・ディランの名曲♪「風に吹かれて」が聞こえてくるような気がした。重松さんの生き方が、作品の色合い、温もり、デザインに表現されている。

【呆丹窯 重松史二さん】
〒794−2102 今治市吉海町泊264−1
TEL・FAX 0897−84−2787
福蔵寺 15代目住職・河野之伴さん『心の中を光に変える』 [2008年09月03日(Wed)]
大島にある福蔵寺 15代目住職・河野之伴さん(51歳)は、15年間のサラリーマン生活をへて、家業であるお寺を継がれた。「サラリーマンをしていると色色って、ぐるっと回って結局 落ち着くことに落ち着いた感じかな…」と河野ご住職は笑う。

修行道場では、睡眠時間2時間という日々が続き、体力的にもきつかったそうだ。しかしその中で、“言葉”“心”“体”を清めて、心の中を“光”に変えていく。「今の自分に集中する」し、「時間の幻に騙されてはいけない」。瞬間・瞬間の積み重ねこそが大切なのだ。そうすることで“心の雲(ひらたく言うと自我)”が取り除かれていくそうだ。

私たちは、ともすると過去や未来に思いが巡ってしまうが、“今”をおろそかにしてはいけない、とご住職はやさしく教えてくれた。そう言えば、以前 本屋さんで立ち読みした本に、「人は、自らが否定的な仮説をたて、その結果 自らの行動を狭めている」という意味のことが書かれてあった。

ご住職の穏やかなお説教は、何十冊の本を読むことと同じだなぁ、と思った。聴いていると、腑に落ちるというか、すごく素直に納得させられる。

【福蔵寺 大島島四国79番札所】
今治市吉海町福田南
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