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取材メンバー紹介

大三島メンバー
智 武 徳
おすすめはコレ
海風と海肌。旅人とのふれあい。
プロジェクトに参加した理由
大三島で多くの人に楽しんでもらいたいから。地域を元気にしたい!

大三島メンバー
大三島をもっと知ってほしい卓さん
「大三島を元気づける仲間を一人でも多く増やし、活気ある島にしたい!声をかけてください。」
おすすめはコレ
多々羅大橋の眺め。飽きることはないです。
プロジェクトに参加した理由
大三島のすばらしさ(自然、人情、景観等)を島内・島外の人たちに知ってもらうため

大三島メンバー
お お み
「あなたの笑顔と出会いたい。」
おすすめはコレ
鷲ヶ頭山から見る日の出
プロジェクトに参加した理由
山本優子さんの熱意に(賛同?)負けて。

大三島メンバー
ゆ き ん こ
「ゆったりと、やさしい気持ちになれますよ。あそびに来てね。」
おすすめはコレ
海、山、空・・・。自然に囲まれて空気がおいしい!
プロジェクトに参加した理由
大三島が好きだから。

大三島メンバー
みつこさん
「風は感じる心にそよぐ」
おすすめはコレ
星 ・ わくわくパーク
プロジェクトに参加した理由
大三島の素敵さを外から感じてもらい、島をルーツに育った人にそれが伝わり、 島の活性化につながればいいなと思って。

大三島メンバー
井上貞子
「瀬戸内海は地中海に負けませんよね。  私の目で確かめてみたいです。」
おすすめはコレ
上浦イチゴは全員が空中栽培(高床)です。
プロジェクトに参加した理由
大三島を楽しんでもらいたい。

大三島メンバー
KiKi.S
おすすめはコレ
海の歴史がいたるところに眠っていますよ。
プロジェクトに参加した理由
楽しい人たちとの出会いを期待して。

リンク集
水軍気分を満喫!観光遊覧船で潮流体験 [2008年10月10日(金)]
大島・宮窪港から観光遊覧船が出ている。
中世、瀬戸内海を舞台に活躍した能島村上水軍の拠点があった能島周辺を約30分かけて巡る。
出航時、船は想像していた以上のスピードで進み、
水上スキーをしているみたいな気分になる。
船が海面に叩きつけられ超スリリング。

能島の潮流ポイントに入ると、船はエンジンを切る。
潮流に身をまかせ、船は笹船ように回転し流される。
潮流の激しさを実感してもらおうという演出だ。
渦も巻いていて、その中に手を突っ込めそうなほど間近で見ることができる。徳島・鳴門からの観光客も、「ここの渦の方がすごい」と舌を巻くらしい。


船を圧し折るほど潮の流れが速いことで知られる海域
「船折瀬戸(ふなおれせと)」でもエンジンが止まる。
台風の直撃を受けた川の中にいるようだ。
ここは、大阪・九州を結ぶ最短航路になっていて、
往来する船舶が多い。
水軍たちは「船に乗るより、潮に乗れ」と言っていたそうだが、
このあたりの海域は、流れを熟知していないと船を操ることはできない。


海水が海底から噴出しているように見えるポイントもある。
「潮が湧く」と表現されていて、これは、海水が海底の岩礁に当たり、
流れが上方向に変わるからだそうだ。
突き出した岩礁から滝壺のように海水が流れ落ちるポイントでは、
白く泡立っている。
「潮流」と「渦」は、この海域ならではの自然が織り成す芸術品だ。
波静かなところは、まるで鏡のようで、
この2つの表情が一層神秘性を高めている。

船内アナウンスでは、観光船ルートが舞台になっている民話を方言で紹介してくれていて興味深い。ここで獲れた魚は身がしまって美味いと言うが、潮流を体験して納得した。

船の発着場所は、地元の魚介類をバーベキューなどで味わうことができるレストランの横にある。食べてから乗るか、乗ってから食べるかは、自由だぁ〜! ♪潮流体験isフリーダーム!

潮流の写真は、下記のうずしお美術館で見ることができます。潮流の規模は、干潮・満潮に左右されるので、事前にお問い合わせされることをおすすめします。
 http://www.go-shimanami.jp/museum/uzushio/index.html

【潮流体験】
 潮流体験&魚食レストラン「能島水軍」(今治市村上水軍博物館前)
 今治市宮窪町宮窪1293−2 
 0897−86−3323
 
 体験料  一般 ¥1,000 小学生¥500 小学生未満 無料
 営業時間 午前9時〜午後4時(土・日・祝日)、平日は予約運航(2名様〜)  
 休日   月曜日(祝日の場合は翌日)
今治市村上水軍博物館は、矢野館長の解説で巡ろう [2008年09月08日(月)]
博物館や美術館を巡るとき、解説があれば展示物などが生き生きと輝いて、色んな角度から見ることができる。
水軍に関する全国初の博物館と言われている今治市村上水軍博物館では、事前予約があって矢野館長とスケジュールが合えば、館内を解説付きで案内している。
参加体験型の展示物が多く、海賊たちの活躍や暮らしぶりをリアルに感じることができる。


以下、村上水軍の概要について、パンフレットから抜粋。
 「村上氏は、南北朝から戦国時代にかけて瀬戸内海で活躍した一族である。俗に三島村上氏と呼ばれる、能島・来島・因島の三家からなり、互いに強い同族意識を持っていた。

戦国時代になると、村上氏は、その強力な海の武力を背景に、瀬戸内海の広い海域を支配し、国内の軍事・政治や海運の動向をも左右した。この後、来島城を本拠とする来島村上水軍は早くから守護大名河野氏と結びつき、因島村上氏は大内氏のち毛利氏の有力な水軍となった。そして、現在の宮窪に本拠を構えた能島村上氏は、3氏の中でもっとも独立性が高く、特に村上武吉は、どの大名にも臣従(しんじゅう)せず、独自の姿勢を貫いた」

一つ一つの展示物に、郷土史のプロ・矢野館長が熱弁をふるってくれる。所要時間は、ビデオ上映を含め約1時間。水軍博物館を後にするころ、にわかではあるが能島村上水軍の研究家になった気がする。

【今治市村上水軍博物館】
今治市宮窪町1285番地
0897−74−1065
 観覧料 大人¥200 中学生以下 無料
 開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
 休館日 月曜日(休日の場合は翌日)
 http://www.islands.ne.jp/imabari/bunka/suigun/index.html
マル秘中のマル秘! 能島村上水軍が記した海図はいずこへ [2008年09月08日(月)]
奈良大学の堀信行教授とのフィールドワーク。
この日は、大島にある「今治市村上水軍博物館」に出向いた。
能島(のしま)村上水軍の歴史について、堀教授と矢野館長、田中顧問がディープな質疑応答を繰り広げ、その横で私は、研究者たちのあふれ出る知識の泉、想像力の深さに感動しながら必死でメモをとっていた。最初は物知り顔で聞いていたが、所詮歴史にうとい私、10分もすると訳が分からなくなりピタリとペンが止まった…。でも、能島村上水軍が記したという海図の話になって、がぜん興味が沸いた。
その話を一つご紹介したいと思う。

大島の宮窪町とその沖にある小さな島・能島は、中世活躍した能島村上水軍の本拠地になっていた。その能島村上水軍たちは、なんと、「九州から大阪まで歩いて海を渡ることができた」と言うのだ。
んなバカなって感じだが、それを裏付ける話がある。

海を舞台に生計を立てていた能島村上水軍は、瀬戸内海沿岸における水深や潮の流れなどを詳細に記した海図を作っていたというのだ。

精度は高く、その精密な海図さえあれば、瀬戸内海を歩いて渡れるほどだったという。海路=物流の大動脈であり、船には、圧倒的な量を一度に運べるというメリットがある。能島村上水軍は、九州から塩飽諸島に至る海上交通を掌握していて、航行する船から「海の通行料」を取ったり、水先案内人を務めたりしていた。
そうした中で、海図は一役買っていたのかもしれない。能島村上水軍の知恵と工夫が詰まった海図は、マル秘中のマル秘という重要資料となっていて第二次世界大戦まで存在していたそうだ。しかし、戦時中にいずこへ・・・。海軍が持っていってしまったのではという推測も。残念〜!現存していれば、能島村上水軍の高度な技術を推し量る貴重な一級資料になっていただろうし、なにより「町のお宝」になっていたのに…。
「たら話」をしてもしかたがないが、戦争の悲劇がここにも影を落としていたとは…。もしかして、防衛省に今も残っているのでは…、と思ったりもする。

村上水軍は、もともとこの地の人ではなく、長野の山郷から移り渡ってきたという事実を皆さんは知っていただろうか。
「地」の人でない武将が、「地」の人を巻き込み、海軍を組織する。
しかも地の利をいかした、水先案内人という、今でいうビジネスを確立していたのだ。
そのマネジメント術を学びたくなる。
自身の私利私欲だけが見えるようでは、いわゆる「よそ者」が地を制することはできないような気がする。

村上水軍は、この地に何を残したのか。
もちろんその答えが明確に語れるわけではない。
今、島々を舞台に、来訪者受入を進める私たちは、
私たちなりの解釈を見つけ、機会があれば、是非、伝えていきたい。

【今治市村上水軍博物館】
今治市宮窪町宮窪1285
0897−74−1065
 http://www.islands.ne.jp/imabari/bunka/suigun/index.html
石は生きている [2008年09月08日(月)]
「しまなみスローサイクリング協議会」のフィールドワークにご協力いただいた、
地理学がご専門の奈良大学 堀信行教授。
住民が集う交流会で、貴重なお話をたくさんうかがうことができた。
中で、特に印象に残った話を一つご紹介したい。


大島と言えば、大島石の産地で知られていている。
堀教授は、「石の島」だからあえてお伝えしたいということで、下記の考察を披露してくださった。

国家「君が代」について、その歌詞を紐解くことから話は始まった。
『{君が代は(この君が誰であるのかは、ここではあえて追及しない) 千代に八千代に 細(さざれ)石(いし)の 巌(いわ)となりて 苔の生(む)すまで}。

この意味は、「君が代は、永遠にずっと、細石が大きな岩になって、それに苔が生えるほどまで、続きますように」というもの。
これは日本人が古来より、石を物質ではなく生き物として扱ってきている証であり、日本人の価値観・感性でもある。歌碑、句碑、墓碑からみてとれるように、日本人は石を通して大地にそのメッセージが伝わることを期待してきたのだ』。

堀教授の話しは、国家から始まり、「もののけ」「森羅万象」にまで及び、【石】を多面的に語ってくださった。そして結びへと向かう。

「「まちづくりは、どこかのまちより良いとか比較するのではなく、自らがその土地をより良くしていこうという強い限りない思いがなにより大切です」。
大島石は、地元民なら誰でも知っている。石を活用したまちづくりも進められている。
でも“生き物”としてとらえる感覚は、私には無かった。
堀教授から、大きな宿題をもらったような気がする。
大三島・大山祇神社の魅力 [2008年09月08日(月)]
サイクリングを軸にまちおこしを進める「しまなみスローサイクリング協議会」。
先日、奈良大学の堀信行教授をお招きして、フィールドワークを行った。
堀教授は、地理学がご専門で、行ったことがないエリアは、南極と南米だけ。長年 風景と人々の暮らしの関係を研究されてきた方だ。
今回、専門的な立場から私たちの活動にアドバイスをもらおうとお招きした。
貴重なお話をたくさんうかがうことができた。
数回に分けて、私たち住民とのやりとり、印象に残ったお話をご紹介したい。

初日は、大三島に出向いた。滞在時間は3時間あまり。
「3時間あれば、あそことあそこと・・・にご案内して」なんて考えていたら、
最初の「大山祇神社」で議論が白熱。な、なんと、鳥居をくぐって、最初の太鼓橋の手前までに1時間かかってしまった。
それくらい堀教授とのお話は、時間の経過を忘れる、一種のエンターテイメントだった。
大山祇神社でのやりとりをご紹介したい。

鳥居をくぐるとすぐ右手に見える水田。
大山祇神社は「山」の神。
だが、この瀬戸内・海のど真ん中に「山」の神を祀る意味は何か?
確かに厳島神社も「海」の神。

堀教授はその意味の一端を説明するのがこの水田にあると言う。
神社の入り口に人々の営みである稲作の場が見られること、
それは、神社が「山」から続く「里」の神であるとの理解につながる。人々は、神に水の恵みを受け、命を支える米をつくる。
そして、酒をつくり、神へ返す。
神社に並ぶお酒の樽は、人々から神への感謝の品だ。日本人の生き方の原風景と理解できる。
参拝というと「自らの願いよ、届け」とばかりに手を合わせていた自分が恥ずかしい。
命の恵みを受けていることにまず感謝したいものだ。

楠の神木の前では、しめ縄の飾り方を真剣に議論。
大三島町内には、各部落に八幡神社が点在するが、
八幡神社と大山祇神社のしめ縄の飾り方は左右が逆なんだそう。
ただ、それは、人間の側から見て、「右・左」と言うのと、
神様の側から見て、
「右・左」というのとでは、
左右反対になるのは当然。

どちらが正しいというより、いつの頃からか、人が自分中心でしか物事を考えられなくなったことを、立ち止まって考えるきっかけになった。後世へ伝える時、多面的に事象を捉えたいものだ。
大島「できかけ教室 長期企画展」エトセトラ [2008年09月06日(土)]

現在、大島の「できかけ教室」という場所で開催されている長期企画展。
作品は屋外に展示されていて、入場は無料。その一部をご紹介したいと思う。作品の説明は、今回の作品を手がけたアーティスト・吉井游児(ゆうじ)さんの解説文から抜粋。

【視・力検査表】2007〜2008
文字通り眼を使って視るための作品だ。
道路からチラ見する人たちも、
屋外での視力検査を体験できる。
立ち寄った人は、作品に近づきやがて
それまで自分の眼が視ていたと信じていたものが、
実はそこにはなんにも無かったということに気づくはず。
白い「地」に黒い輪っかの「図」という構成だが、
実際に儂(わし)が描いたのは白い「地」のほうだけ、
卵の殻を使っている。
ビミョーに消失してゆく変化が見てとれるだろう。



【TUNAGI】2008
連結円管服。背中に八卦とバーコード。
現代ニッポンに甦る平成プロレタリアート。
風雨に晒され、夏の日射に晒され、濡れては乾きを繰り返す。人間の抜け殻、喪失感が漂う。






この他、「Memores of You」という作品名で、
ガラスビンにビーチグラス(海で丸まった磨りガラス)を詰めたアートもある。

できかけ教室に吉井さんがいらっしゃれば、快く解説もしてくれる。話をうかがっていると、
一番の傑作アートは、吉井さん自身ではないかと思えてきた。

【できかけ教室】
今治市吉海町名1182−5 山ノ鼻バス停前
090−8286−0468


大島 福蔵寺 『島四国』の文化を伝えて [2008年09月03日(水)]
大島の福蔵寺。門をくぐると、庭には竹ホウキの跡がキレイに残っていて、すがすがしい気持ちになる。どのお堂も手入れが行き届いていて、河野之伴ご住職曰く、「いつも檀家さんたちが掃除してくれている」そうだ。日常生活の中にお寺が自然と溶け込んでいるんだなぁ、と思った。

近年、法事を自宅で営むケースは大島においても少なくなっていて、お寺に集まることが多いそうだ。支度が大変だから、というのがその理由だ。都会でも田舎でも、そうした流れは同じなのだ。


大島には、200年の歴史を誇る『島四国』という独自の文化がある。福蔵寺でも、200年の遺伝子を後世に伝え残そうと地元住民たちと共に活動を続けている。「お大師さん(弘法大師)さんのことやったら何でもするけんね」と、みんな熱い思いを持っている。守り伝えていくことに、強い使命感を抱いているのだ。

島四国は本来 2泊3日歩いてまわるもので、その間お遍路さんに、食事や自宅を宿泊場所として提供する「お接待」という文化も残っている。でも、自動車の登場で、そうした文化は薄れつつある。河野ご住職は、「まわるスピードが速くなることで、色んなことが様変わりしている」と少し寂しそうだ。車社会は島四国の姿を変えたが、島民に息づいているおもてなしの心はしっかりと受けつがれている。

福蔵寺は高台にあって、海を見渡すことができる。心も洗われる気がして、一息入れるのにも絶好の場所だ。

【福蔵寺 大島島四国79番札所】
今治市吉海町福田南

これぞ絶景&地物三昧 [2008年08月26日(火)]
大島の人気観光スポット能島をまん前に見据える「水軍の里 民宿 千和」。まさに絶好のビューポイント!サイクリングコース沿いにあるのでアクセスにも便利だ。
人気メニューは、
たこ天!(¥500)。
地物ならではの旨さを味わって欲しい。

女将さんの平山日出美さんは、30年近く食堂を営んできたそうで、創作料理の名人でもある。

ほんの一例メニューをご紹介。
たこの酢味噌、ワカメとエビの和え物、
イギス豆腐(今治地方の郷土料理)、メバルの煮付け、天ぷら、
唐揚げ、ゆでたエビ、瀬戸貝やサザエの刺身…。
これぞ島料理という献立が並ぶ。
「地物の美味しいものを食べてもらいたい」という一心から、バリエーションも増えた。
しかも、食材はご主人が目の前の海で釣ってきた魚介類がメインというのだから、鮮度は超一級、聞いただけでもゴクンの唾をのみこんでしまいそうだ。最初、民宿の経営を反対されていたご主人だったそうだが、今では食材担当の居なくてはならない存在となっている。


料理自慢だけでなく、民宿の建物も洗練されていておしゃれな雰囲気。
もともとは息子さん夫婦が住むために建てた家なのだが転勤になったため、
空家にしておくならば…、
ということで民宿を始められたそうだ。
1階は食堂&リビング、2階はベットルーム、8畳、6畳の間がある。
能島水軍の城跡が今なお残されている能島をのぞみ、刻一刻と表情を変える潮流をぼんやり眺めているだけでも、あ〜心が癒されてくる。
                             →中庭のある家として、人気!

お食事処もあって、海鮮を盛り合わせた炭焼きも人気だ。うどん(¥350) 、水軍焼そば(¥550)といった軽食もあるので、サイクリングの途中に一休みっていうのもいい。昼ランチもあるが、こちらは完全予約制になっているので要注意。ちょうど木陰になるようなサイクリング休憩所も作ってくれているので、ホッと一息つくのにも打ってつけですぞ。
泊まるもよし、休憩するもよし。ぜひ一度立ち寄ってみて欲しい。1泊2食¥8000〜。
↓詳しくは、息子さんが開設したというブログをチェック!
http://www.minsyukuchiwa.com/index.html

<看板犬「弁慶(べんけい)」の写真が可愛い〜!

【民宿 千和】
今治市宮窪町宮窪6112
(0897)86-2257
明鏡山 法南寺  [2008年08月26日(火)]

法南寺は中世、村上水軍が活躍していた頃、現在の寺の前方にある「かんじ山」に建っていた。村上水軍、勝祈祈願の寺だった。しかし火災で消失、現在の地に建立された。
そのため中興(ちゅうこう)開基(かいき)初代とし、現在の西本宥法住職で21代目、約400年続いている。
(※中興=1度途絶えていた物を復興させるという意味。
  開基=寺を建立した者。)


約170前には、石鎚山上にある石鎚神社をまつる別当寺(べっとうじ)をめぐり、前神寺と横峰寺との紛争を仲裁し、円満解決したとして『院憲の号』を称することの許可を得た。
(※院憲の号=その寺の住職は、将軍の前にて「半畳目礼」といって、三尺前で目礼をすることが許された高い格式のこと)

現代においては、折鶴のお寺としても親しまれていて、
寺内にある庫裡(くり)(僧侶の住まい)には1枚の紙から作られた百鶴(ひゃくかく)(百羽の鶴)や連鶴(連なった鶴)など、珍しい作品が展示されている。折鶴名人の星加清さんが、法南寺に奉納したものなのだそうだ。
「これが1枚の紙で?」
と疑いたくなるほど精巧!
そして美しい!
凛とした強さも感じられる!
まるでマジックのようだ。
「どこがどうなって繋がっているんだろう…」
真剣に見てもまったく分からない。


サイクリングの途中、ぜひ立ち寄って連鶴を見てみて欲しい。奥様のご都合がよければ、2羽の鶴が連なった折り方も教えてくださるそうだ。(所要時間15分〜20分) 鶴を折るだけで、なんだがご利益が頂けそうな気がしてくるから不思議だ。
鶴は万葉の昔から、日本人の心のシンボルとして愛でられてきた。願いこめて作った鶴をぜひ大島の空に飛ばしてみては? 気持ちがスッキリするかも。

【法南寺 大島島四国47番札所】
今治市吉海町椋名中組
地域に愛され120年余 前神一心堂 [2008年08月12日(火)]
地域に愛され続けて120年余の歴史を誇る和菓子屋、
それが大島・宮窪町にある「前神一心堂」だ。
饅頭、どら焼き、タルト等が主商品で、前神鈴美さん(75歳)が一人で切り盛りされている。昔は、4、5人の菓子職人さんがいらしたそうだが、3代目だったご主人の佳郎さんが20年程前に他界され、以来お一人で店を守っていらっしゃるのだ。素朴な店内はまるで昭和の駄菓子屋さんのよう、飾らない老舗屋さんなのである。

←おすすめ商品その1は、“蜜柑まん”1個90円。みかんの皮が入っている食べ応えのある一品だ。
全国菓子大博覧会で金賞を受賞している。
おすすめ商品その2は、“よろい最中”→
1個100円。こちらはなんと!最中のカタチが鎧になっている!能島水軍の里として知られている宮窪ならではの一品で、
1年を通しての人気商品。
                     こちらも金賞受賞!
 
←おすすめ商品その3は、“水軍太鼓”
1個80円。白あんに青海苔が入っていて、
海の雰囲気を演出している。
夏の売れ筋商品にもなっていて、全国菓子大博覧会で名誉金賞を受賞している。



どの商品も全て手づくり!!作る人の顔が見える安心安全のお菓子だ。地域の方たちからは、冠婚葬祭の品としても重宝されている。冬場は、ショートケーキなどの洋菓子も作っていて、バースディーケーキの注文にも応じている。

前神一心堂の和菓子は、お土産に最適だし、サイクリングで疲れたときの糖分補給にもちょうどいい。前神一心堂の饅頭のあんは、ずっしり濃厚なので飲み物は忘れずに。
店内には椅子もあるので、腰を落ち着けて食べるのもいいかも?!穏やかなお人柄の鈴美さんに地元の観光ポイントなどを聞きながら味わうと、旅気分も一層盛り上がりますぞ〜!

【前神一心堂】●(今治市宮窪支所の隣の隣)
今治市宮窪町宮窪2742
(0897)86−2026
営業時間 午前8時〜午後8時30分
定休日なし(正月のみ)
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