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2015年04月01日

第1回 卯月八日

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四月といえば花見の季節です。
桜花とくに近年ではソメイヨシノが主役で、その薄ピンクの花咲き乱れる木の下で花見の宴が開かれています。会社では新入社員が、学校では新入生がそれぞれ胸はずませる季節ですね。
その四月の八日はまた古くから「花祭り」の日です。灌仏会(かんぶつえ)とか降誕会(ごうたんえ)といって各地の寺院では躑躅(つつじ)や卯の花など季節の花々で色鮮やかな花(はな)御堂(みどう)を飾り、釈迦如来の小型の誕生仏に甘茶をかけて祝います。『日本書紀』の推古天皇14年(606)の記事に、この年より寺ごとに四月八日と七月十五日に設齋(せつさい)つまり仏事を行なうとあり、この四月八日の灌仏会(かんぶつえ)と七月十五日の盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事の歴史が古いことが知られます。
 このような仏教寺院での行事とは別に、この「卯月八日」に行なわれる行事を日本各地で調べてみると、山から天道花(てんとうばな)などと呼ばれる躑躅(つつじ)やサツキの花々を採ってきて、竿の先に付けて庭先に立てたり、門口に挿しておくなどのさまざまな行事が伝えられていることがわかります。そのことに最初に注意したのは柳田國男や折口信夫で、その二人によると、人びとが山に遊んで花々を採ってくるのは、ちょうどこの苗代仕事の始まる季節に山から農作の神霊を里へと迎える意味があったのだろうと述べています。
卯月八日の天道花.jpg
 仏教行事の四月八日の「花祭り」と民俗行事の「卯月八日」の天道(てんとう)花(ばな)と、その二つの行事に共通しているのは季節の花です。

しかし、民俗行事の卯月八日にはそれらとはまた別の習俗も伝えられています。それが虫害除けの呪い(まじない)です。蛆虫(うじむし)やムカデやマムシなどを避けるためといって、家屋や倉庫や便所などの建物の壁に
「千早振る卯月八日は吉日よ、噛み裂け虫を成敗ぞする」などの呪文を書いた紙札を貼るのです。この風習は最近まで東北地方から九州地方まで広く全国的にみられ、江戸時代の文化年間(1804−1818)に行なわれたアンケート調査の『諸国風俗問状答』にも、さまざまな虫害除けの呪いの紙札の風習が各地で行なわれていたことが記されています。
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 この卯月八日というのは旧暦の時代から伝えられていた行事で、現在の新暦では五月上旬から中旬です。季節感からいえば、童謡『茶摘み』の「夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る」の八十八夜を過ぎ、また二十四節季の立夏を過ぎたころ。苗代仕事が始まり、さまざまな害虫もうごめき出す季節です。それはきれいに咲き乱れる花々を祭る季節であったと同時に、現在のように薬品の豊富でなかった時代には、何としても虫害除けの呪いが必要な季節だったのす。


文:新谷尚紀(日本文化藝術財団専門委員/国立歴史民俗博物館名誉教授)

2015年03月27日

平成27年度は「日本の祭りと行事」

昨年は「日本歌謡物語」と題し、古代からの日本の歌謡をご紹介してきました。
4月から始まる新シリーズは「日本の祭りと行事」。

全国各地の行事や祭事をご紹介し、日本という土地で培われた文化を季節にあわせてご紹介します。
地方によって違った風習を知っていただいたり、全国各地に広がった風習の源を探ったり。
これまで知らなかった日本の魅力をお届けします。

初回は4/1です。どうぞご期待ください!

2014年08月15日

第24回 大正から昭和の時代へ 流行歌

長野県中野市にある『中山晋平記念館』には、大正時代の女優松井須磨子の写真や資料があり、「カチューシャの唄」が紹介されています。作詞は島村抱月・相馬御風、作曲は中山晋平です。大正4年3月、トルストイ作『復活』が帝国劇場で上演された時、松井須磨子がこの歌を歌いました。

♪カチューシャ可愛いや、別れのつらさ、
せめて泡雪溶けぬ間と、神に願を 
ララ かけませうか。
♪カチューシャ可愛いや、別れのつらさ、
今宵一夜に降る雪の、明日は野山の 
ララ 道かくせ。
♪カチューシャ可愛や、別れのつらさ、
せめて又逢ふそれまでは、同じ姿で 
ララ 居てたもれ。(略)
(歌詞は『日本歌謡史』高野辰之著より)

後には大正デモクラシーといわれる時代です。文化の大衆化がおこり、西洋的な曲風のものが一般に歌われるようになりました。娯楽やスポーツも盛んになり、宝塚の少女歌劇団も誕生し、浅草オペラなどがもてはやされました。国産の蓄音機とレコードが1914年(大正3)にできました。そのころ「カチューシャの唄」のレコードが最もよく売れたそうです。

昭和になると、映画やカフェー、バー、ダンスホールの流行とともに歌謡曲も大はやりになりました。「紅屋の娘」「君恋し」「アラビアの歌」「東京行進曲」「愛して頂戴」など一般大衆に愛される歌謡がたくさんできてきました。とくに「神田小唄」は、当時の学生の様子を歌い、若い男女の心をとらえました。

♪肩で風切る学生さんは、
ジャズが音頭取る 神田神田神田、
家並家並に金文字かざり、
本にいはせる 神田神田神田。
♪ジャズは流れるレコードは廻る。
赤い灯影にボタンが光る。
白い蝶々かエプロンさんか、
下駄が音頭取る 神田神田神田。

世の中は非常に不景気で、ひどい就職難でした。「世界恐慌」が迫る中、若者たちの心はつらく行詰まっていました。にもかかわらず情緒たっぷり浮かれたように明るく歌うこの唄に、心を動かされるしかなかったようです。

時代は移り変わり、子どもたちは三味線ではなくピアノを習うようになってきました。歌謡も新たな時代へと常に変化していきます。これからも愛される歌謡にであっていきたいものです。
          
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今回で「にほん歌謡物語」も最終回とさせていただきます。長い間おつき合いいただき誠にありがとうございました。

資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之 著(五月書房)
『スーパー日本史』益田宗・中野睦夫 監修、古川清行 著(講談社)
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2014年08月01日

第23回 明治時代「流行歌」

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時代が江戸から明治に移り変わるとき全国に広まった歌は、『トコトンヤレ節』です。これは東征の戦いの際に、官軍鼓笛隊が歌ったもので、一度は聴いたことがあると思います。この歌の作詞は品川弥二郎で、作曲は大村益次郎とも芸妓ともいわれています。二人とも長州藩士で、官軍側がつくった歌ですが、全国的にはやりました。

♪宮さん宮さんお馬の前に
ひらひらするのは何じゃいな
トコトンヤレ トコヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ知らないか
トコトンヤレ トコヤレナ

軽快なリズムでわかりやすく誰もが口ずさみやすい歌は、新しい世の到来を告げるものでもあるかのように、人々に受け入れられました。

文明開化の世の中になると、生活が急激に西洋化され政治に目覚める人々もでてきました。政府は言論を拘束しはじめますが、それに反発した政論愛好家が自由思想を世に知らしめようとして歌った「壮士節」をご紹介しましょう。

♪民権論者の涙の雨で
みがき上げたる大和魂
国利民福増進して民力休養せ
若し成らなきやダイナマイトドン

♪四千余万の同胞(そなた)の為にや
赤い囚衣(しきせ)も苦にやならぬ
国利民福増進して民力休養せ
若し成らなきやダイナマイトドン

壮士とは自由民権論者のことで、自分たちの主張、意見を歌にして世に知らせようとしたのでしょう。

歌は世につれ歌につれといわれます。明治後期から昭和初期ころまで、世間では粋な「サノサ」と囃子がはいる「サノサ節」が盛んに唄われました。

♪主さんにとても添われぬ縁ならば
思ひ切りましょ忘れましょ
とはいふもののネエ心では添い遂げたいのが身の願 サノサ

古くより変わらぬ人情が登場するのは歌謡ならではですね。
明治になって交通の便も良くなり、徴兵などによって、地方との交流も盛んになり、日本中に情報が届くようになりました。歌もたちまち流行歌として広がっていったのです。

資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之 著(五月書房)
『スーパー日本史』益田宗・中野睦夫 監修、古川清行 著(講談社)
       
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2014年07月15日

第22回 江戸時代『山家鳥虫歌(さんかてうちゆうか)』

江戸時代の中期に全国から集められた民謡集『山家鳥虫歌』があります。68ヵ国、398首、祝唄を最初として、田植え、草取り、収穫などの労働歌、そして、恋歌が集められています。

その序文は、『古今和歌集』の仮名序に書かれた歌の心をとり入れています。
「〜(略)〜、事(こと)の繁(しげ)き中、見る事聞(きく)事に付(つけ)云ひ出(いだ)せる、〜(略)〜」
歌は心を楽しませるもの。どんなに生活が忙しくても、人々は何かにつけて歌をつくるものなのでしょうか。
最初は、山城国風(やましろくにぶり)の祝唄が紹介されています。

♪めでためでたの若松様よ 
枝も栄える葉も茂る

和泉の国に伝わる祝唄で全国的に歌われ、現代でも歌われているものがあります。

♪こなた百までわしや九十九まで
 髪に白髪の生(は)ゆるまで


恋の歌も生活に密着したものがほとんどです。

♪わしは小池の鯉鮒(こいふな)なれど
鯰男(なまずをとこ)はいやでそろ

「鯉」と「恋」を掛けています。鯰男とは「ぬらりぬらりと遊び暮らす男」のことです。うまく表現しています。

♪恋に焦(こ)がれて鳴く蝉よりも
鳴かぬ蛍が身を焦がす

蝉と蛍を恋の虫として比べています。鳴かずに恋に燃える蛍。忍ぶ恋心を蛍に託して歌っています。

♪五月雨(さつきあめ)ほど恋ひ忍ばれて
 今は秋田の落(おと)し水

昔は、人に恋い慕われたこの身ですが、今はもう飽きられてしまって、顧みられることはありません。なんだか、田植えの時に欲しがられた水のように、秋の刈り入れ時になるともう用のないと、田から落とされるのね、と女性の心を歌っています。「秋田」は「飽きた」の意を掛けたものなのです。

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恋歌はいつの時代にも人の心に生まれ歌われていくものです。「誰か作りし恋の路、いかなる人も踏み迷ふ」と隆達節にも歌われているように、どんな時代も、どんな人も恋には踏み迷うのかもしれません。

※解説文参考資料:『山家鳥虫歌』浅野健二校註

資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之著(五月書房)
『新日本古典文学大系 田植草紙 山家鳥虫歌 鄙廼一曲 琉歌百控』
友久武文/山内洋一/真鍋昌弘/森山弘毅/井出幸男/外間守善 校注(岩波書店) 
『山家鳥虫歌 近世諸国民謡集』浅野健二校註(岩波文庫)
『戦国時代の流行歌 高三隆達の世界』小野恭靖著(中公新書)

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2014年07月01日

第21回 戦国時代から江戸初期へ

戦国時代の末から江戸時代にむかって大流行したのは「隆達節(りゅうたつぶし)」という歌謡でした。大永7年(1527)、堺の町に生まれた高三隆達(たかざわりゅうたつ)が独特の節回しで歌い広めた流行歌です。

♪あら何ともなの、うき世やの
(ああ何ということなく、あっけなく過ぎ去ってしまう人生であることよ)

「隆達節」の中でも有名な歌で、無常観を短い言葉で言い表しています。戦国の世の定めは儚い命の哀しみ。この「あら何ともなの」は当時日常的に口にしていた表現だといわれます。

♪夢のうき世の露の命のわざくれ、なり次第よの、身はなり次第よの
(どうせ無常の世の無常の命だよ、なるがままに生きるしかないよ)

「わざくれ(どうせ)」もよくつかわれた言葉でした。なげやりな生き方にならざるを得ない哀しみが浮き彫りになります。

♪ただ遊べ、帰らぬ道は誰も同じ、柳は緑、花は紅(くれない)
(ただ夢中で遊ぶがよい。誰の人生も戻り道はない。それは柳が緑色で、花が紅色であるように、自明のことよ)

隆達は享楽的な人生観を歌う時も、人の世の儚さを背景にしていたのです。この歌も後戻りできない一回限りの人生を歌っています。また「柳は緑、花は紅」という言い回しもよく使われたようです。

♪、梅は匂ひ、花は紅、柳は緑、人は心
(梅は匂いが、桜の花は紅の色が、柳は緑が、そして人間は心こそが素晴らしい)

現代語訳:『戦国時代の流行歌 高三隆達の世界』小野恭靖著

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人生にとっては「心の豊かさ、深さ」が最も大切。それが人の色艶になると歌った「隆達節」。
その隆達の歌は、乱世に生を享けた多くの人々の心をとらえ、口ずさむ歌として大流行し、信長、秀吉、家康へと続いていく時代に欠かせない歌になりました。


資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之著(五月書房)
『戦国時代の流行歌 高三隆達の世界』小野恭靖著(中公新書)
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2014年06月15日

第20回 室町時代『閑吟集』その2

中世の流行歌謡を集めた『閑吟集』。その中から、男女の恋歌をご紹介しましょう。

♪さて何せうぞ 一目見し面影が 身を離れぬ

「さあなんとしようか。一目見たあの人の面影がこの身を離れない」
一目ぼれの心、恋の始まり。

♪な見さいそ な見さいそ
人の推する な見さいそ

「見ないで、見ないで、人が私たちの仲を察してしまうわ、そんなに見つめないで」
互いに見つめあう二人の姿が見えてきそうです。

♪思へど思わぬ振りをしてなう 
思ひ痩(や)せに痩せ候(そろ)

「恋しくてたまらないのにそんな素振りも見せないようにしていたら、思い詰めたあまりにこんなに痩せてしまったよ」
告白できない気弱な人の恋の病なのでしょうか。

♪君を千里に置いて 今日も酒を飲みて ひとり心を慰めん

「恋しい君を千里のかなたに置いて、今日もまた酒を飲み、一人、心の寂しさを紛らわせよう」
遠距離恋愛なのでしょうか。それとも会いたいと言っても会ってくれない心の隔たりなのでしょうか。

♪霜の白菊 移ろひやすやなう しや頼むまじの一花心や

「あの人の心は、まるで霜の置いた白菊のように移ろいやすいものだねえ。えい、頼りにはするまいよ、あんな浮気心の人など」
浮気な人は相手を悩ませ、つまるところは見限られてしまうのでしょう。しかし恋しい人なのです。

現代語訳:『五感で読む閑吟集・風雅と官能の室町歌謡』植木朝子著 

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いつの時代も、人は恋のよろこび、恋の悲しみ、恋の苦しみ、辛さを歌うもの。
『閑吟集』を読んでいると、当時の人々の恋心が聞こえてきそうです。


資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之著(五月書房)
『五感で読む閑吟集・風雅と官能の室町歌謡』植木朝子著(角川選書)

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2014年06月01日

第19回 室町時代 『閑吟集』

『閑吟集』は、中世の歌謡を集めて編纂された歌謡・小歌集です。その仮名序に次のように記されています。
「ここに一人の世捨て人がある。遠く富士山を眺められる地をえらんで草庵をつくり、すでに十余年の歳月を過ごした。松風の吹きそよぐところに軒端を構えて、その風の音に和して琴を奏でたり、尺八を伴侶として春秋の季節にふさわしい調子を試みる折々に、一ふしの小歌をうたうことを慰み草として、・・・(略)・・・数々の歌を忘れ難い記念にもと、思い出すままに、閑居のかたわらに記して置いた。・・・(略)・・・詩経三百十一編に似せて、同数の歌を集め、閑吟集と命名した。・・・(略)・・・」
(『閑吟集研究大成』明治書院から浅野建二氏の「口訳」)

この歌集のなかに、世の無常さ、憂き世のつらさを嘆く歌があります。

♪世間(よのなか)は ちろりに過ぐる ちろりちろり 
「世の中は瞬く間に過ぎていくよ、ちろりちろりとね。」

♪ただ何事もかごとも 夢幻(ゆめまぼろし)や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や
「ただ何もかもすべては夢、幻よ。水の泡よ。笹の葉におく露がはかなく消えてしまうように、一瞬のうちに過ぎ去ってしまうやるせない世よ。」

また、浮き世を面白おかしく享楽的に歌ったものもあります。

♪くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を
現顔(うつつがほ)して
「まじめくさった人など見られたものではないよ。夢の夢の夢のようにはかない世なのに、覚めた顔つきをしてさ。」

♪何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
「何をしようというのさ、まじめくさって。人の一生ははかない夢だよ。ひたすら遊び狂えよ。」
現代語訳:『五感で読む閑吟集・風雅と官能の室町歌謡』植木朝子著 より

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中世は戦国動乱の気配が迫りつつある時代でした。『閑吟集』を読みながら、人々がどのように生きたかを想像して、その心によりそってみたいと思います。どんな時代でも、生き方は人それぞれで、想いもいろいろです。次回は『閑吟集』の他の歌もご紹介したいと思います。

資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之著(五月書房)
『閑吟集・孤心と恋愛の歌謡』秦恒平著(NHKブックス) 
『閑吟集研究大成』浅野健二著(明治書院)
『五感で読む閑吟集・風雅と官能の室町歌謡』植木朝子著(角川選書)

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2014年05月15日

第18回 室町時代 幸若舞『敦盛』

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「幸若舞は、中世末の民間に広く流行した民俗芸能。主題となった悲壮な人間葛藤の物語は、戦国武将たちにも愛好され、能楽や歌舞伎に発展した」と東洋文庫426『幸若舞3』に書かれています。

幸若舞『敦盛』は、織田信長が今川勢と戦うため、桶狭間へ疾駆して行く時、「♪人間五十年・・・・・」と謡い舞ったことでよく知られています。

では『敦盛』の一節を読んでみましょう。

♪思へば此の世は常の住みかにあらず。
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。
金谷(きんこく)に花を詠じ、
榮花(えいぐわ)は先立って無常の風に誘はるる。
南楼(なんろう)の月をもてあそぶ輩(ともがら)も、
月に先立って有為(うゐ)の雲に隠れり。
人間五十年化天(げてん)の内をくらぶれば、
夢幻(ゆめまぼろし)のごとくなり。
一度(ひとたび)生を受け滅せぬ者の有るべきか。
・・・・・(略)
(東洋文庫426『幸若舞3』 荒木茂著 平凡社より)

歌詞には中国の故事が多く引用されています。その歌詞の意味するところは、次のようなもの。
“思ってみれば、この世は常の住みかではなく、草の葉につく白露のようなもの。水に宿る月よりもなおあやふやである。贅沢にも金谷の園に花を植え、詩をうたい栄華をきわめても、無常の風には逆らえない。南楼で月をめでている友人たちも月に先立ってはかなく亡くなっていくものだ。このように人間の命は無常だ。天の上の上に第五番目の天とよばれる化天というものがある。そこでは、この世の800日が一日で、8000歳の長寿を保つのに、なんとこの世の人間の寿命は50年ほどだ。思えば人間の一生は、ほんの一瞬、まるで夢か幻のようなものだ。この世に生まれた者で死なない者はあろうはずがない。”

信長はこの世に生きるのはたかだか50年と謡い舞い、一瞬一瞬を激しく、真剣に、生きようとしたのではないでしょうか。それが戦国武将としての信長の生き方だったと思われます。

現代に生きる私たちも、この『敦盛』の一節を読むと、大切な人生の一日一日を心して生きていこうと思わざるをえません。

資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之著(五月書房)
東洋文庫426『幸若舞3』荒木繁、池田廣司、山本吉左右 訳注(平凡社) 
『信長』秋山駿著 新潮文庫
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2014年05月01日

第17回 室町時代 能『清経』

能を鑑賞する楽しみは、能楽師・観世寿夫氏が述べているように、音と動きによって、微妙で深遠な美しさに身をゆだねることではないでしょうか。
能を楽しむには、この芸能を愛した武将たちと同じ立場になって観るのもよいことかもしれません。南北朝、室町から戦国時代にかけ、いつ命をなくすかもしれない戦乱の日々。そういった合間に、能を観て感涙にむせんでいた武将たち。
例えば、源平の戦いを題材にした『清経』。
主人公(シテ)は、九州の柳ヶ浦で身を投げて亡くなった平清経の霊。脇役(ワキ)は、その妻。地謡(ぢうたい)は、その妻の「寝られぬ」夜に、恋しい夫への想い・哀れさを謡う。

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地謡  ♪手向け返して、夜もすがら、涙とともに思ひ寝の、夢になりとも見え給へと、寝られぬに傾くる、枕や恋を知らすらん。枕や恋を知らすらん。
シテ  ♪聖人に夢なし誰あって現と見る、眼裏に塵あって三界窄(すぼ)く、心頭無事にして一床寛し、げにや憂 しと見し世も夢、辛しと思ふも幻の、いづれ跡ある雲水(くもみづ)の、行くも帰るも閻浮(えんぷ=現世)の故郷に、たどる心のはかなさよ。
“うたた寝に 恋しき人を 見てしより
夢てふものは 頼み初(そ)めてき”

地謡の妻の心を謡う内容は“夫のかたみを返し、一晩中泣きあかす。夢でもいいから現れてほしい。寝ることもできず傾ける枕。その枕が、私のこの恋しい想いを伝えてくれるでしょうか”。その地謡の途中に主人公シテが舞台に登場し、
“聖人は夢を見ない。そして誰だって、夢を現(うつつ)と思うものか。眼の奥に塵があって、広い世界も狭く、心のなかに迷いがなくて、狭い床も広い。じつに、悲しいと見たこの世も夢、つらいと思ったこの世も幻。どんな雲も水も、跡を残さずに流れさる。ああ、ふるさと、わたしは行き、わたしは帰る。ああ、生きている人間の世界、わたしはまた姿をあらわす。何とはかないことだ、この心”。
※歌詞及びシテの謡の現代語訳:
『日本美 縄文の系譜』宗左近著(新潮選書)


「枕」という言葉が、舞台上で謡われた時、武将たちは、自分が愛している女性のことを思うのです。そのとき、「枕」は枕ではなく、武将たちの愛の情念そのもの。それがわかると、自らが武将のような気持で『清経』の舞台を見つめることができます。武将たちは、能の中に出現する人物の情念を、曲の持つ音楽効果と共に、夢のように味わったことでしょう。私たちも、能に身をゆだねて微妙で深遠な美しさを味わってみるのもいいのではないでしょうか。

資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之著(五月書房)
『日本美 縄文の系譜』宗左近著(新潮選書)
『観世寿夫・世阿弥を読む』観世寿夫著(平凡社)
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