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第十六回 鬼さんこちら 手の鳴るほうへ [2012年05月15日(Tue)]
1.jpg


今回は、鬼さんを呼ぶ“わらべうた”です。

鬼さんこちら 手の鳴るほうへ
鬼さんこちら 手の鳴るほうへ


人の心の中にも住むといわれる鬼。
最初に鬼にであったのは神社のお祭りです。
鳥居から境内まで並んだ屋台。
その中に沢山の玩具のお面が売られていました。
天狗やお猿さんにまじって鬼のお面も。
友だちがその鬼のお面をかぶり、
こわいぞ〜、こわいぞ〜、などと
仲間をおどかしたりしたものです。

鬼の面は古来より私たちのそばにありました。
怖い鬼も、
人の力を超えた存在として、
恐れられ、また、崇められていたからです。

鬼は怖いだけでなく、
ときには、その大いなる力をもって、人間を戒め、
災難から救い出し、悪霊を退治し、五穀豊穣をも
もたらすものだったのです。
私たちはその鬼の力が発揮されることを願い、
さまざまな郷土芸能を生み伝承されてもきました。

鬼と呼ばれてきたのは、
その土地土地の祖霊や地霊。
山岳宗教における鬼や山伏などに語られる鬼。
たとえば、鞍馬山で牛若丸に剣術を教えたとされる天狗。
また、仏教寺院などにみられる邪鬼。
社会から疎外され盗賊や凶悪な行いをして
人から鬼と呼ばれてしまった人たち。
怨みや恨めしさで鬼になってしまう人。
いろんな形で私たちの周りには鬼が存在するのです。

もっとも親しい鬼はなんでしょう。
それは、節分の鬼ですね。
家族と一緒に、
“鬼は外、福は内。福は内、鬼は外”などと叫びながら、
豆まきをしましたね。

2.jpg


先日、友人と食事をしながら、鬼の話になりました。
日本には有名な桃太郎の「鬼退治」などがありますが、
それらの物語に潜む哀しい日本の歴史もあったようです。
友人の話によると、
社会から疎外され、生活もできずにいた人たちが、
盗賊になり、その人たちがしばしば鬼と呼ばれ、
討伐されたそうです。
その人々の哀しい歴史も
鬼のお話の一部にはなっているのです。

鬼の話は多いのですが、
大江山の酒呑童子は、
都から姫をさらって食べていたとされていますね。
「昔、男ありけり」ではじまる『伊勢物語』第六段には、
身分違いのいとしい女を背負って逃げる男の哀しい話が
あるのです。
それは、追っ手から逃げる途中、
あばら家に女を休ませ、自分は戸口を守っているうちに、
女を鬼に一口で食べられてしまったという話!
哀しくも恐ろしいお話なんです。
ですがですが、
昔の本は印刷ではありません。
物語は人の手で書き写しされ、
語り継がれ伝わってきたのです。
そこで、誰かが、
あなた知ってる、
私は知ってるよ、
この鬼ね、と、書き足され、
その鬼は、連れ出した女の兄さんたちだった、
とわかります。
兄さんが妹を奪い返しに来たのです。
そこで、兄さんが鬼!と・・・・・。
このように、いろいろな語り口でたち現れてくる鬼。

また、私たちは激しい嫉妬や怨みに憑りつかれたら、
怖い怖い生霊(いきりょう)になってしまうこともあるようです。
平安時代に生きた紫式部もそのことをよく知っていたのでしょう。
その著作『源氏物語』の中に、
源氏の妻・葵上(あおいのうえ)に憑りつく生霊の話があります。
それは、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生霊。
源氏を愛するばかりに、高い教養をもつ女性であっても、
なんとしたことか、源氏の子どもを身ごもった葵上の夢枕に
夜な夜なあらわれ、呪い殺してしまうのです。
それは嫉妬心が鬼になったのです。
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では、

この愛の姿を「羞恥の鬼」「愛欲の鬼」と呼ぶことがあります。
と。

3.jpg


光源氏を愛するあまり、葵上に嫉妬する心。
執念というのは深く恐ろしいものです。
自分の知らないうちに夜になると魂が身体を離れる、
とは、なんて恐ろしいことでしょう・・・・・。
身体を離れた魂は、人を呪い、殺すことまでしてしまう。
人の心は計り知れぬほど怖いものなのですね。
しかし、人の心は仏にもなります。

沢庵禅師の「不動智神明禄」には、

心こそ 心迷わす 心なれ
  心に心 心ゆるすな


という歌が載っています。
鬼も仏も私たちの心の中に住んでいるのです。
そのことがあるから、
「怖いもの、恐ろしいもの」にも
興味をしめすのが私たちなのでしょう。

そして、鬼になる遊びも生まれたのでしょう。
昔から子どもたちも

♪鬼さんこちら 手の鳴るほうへ

と歌っては
鬼ごっこを楽しんでいたのです。

この「鬼ごっこ」は、
実は、子どもが大人の遊んでいるのを見て
覚えていったようなのです。

エッ!オトナから学んだもの!
というのは、
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では
次のようなことなのです。

この遊びは、
遊郭での遊びが原点ではないかといわれています。
遊郭を訪れた大店の旦那や大名が複数の遊女を相手に
座敷で鬼ごっこをするものです。
鬼(たいていは旦那や大名)が手ぬぐいで目隠しをして、
優雅な雰囲気の中で遊女たちのはやし声や手拍子を頼りに、
次の鬼になる遊女を探し当てるまで続きます。
お酒も入っていて半分ふざけ気分ですから、
どちらも本気で鬼ごっこをしているわけではありません。


すると、

 好奇心旺盛な近所の子どもたちが、
あまりにも楽しそうな笑い声にひかれて遊郭を覗き見して
みると、普段は威張っている大人たちが子どものように
遊んでいます。
自分たちでもできそうな遊びです。
さっそく仲間を集めてやってみようと始めたのが全国に
広まったとされています


そんなことがあるのですね。

大人の遊びから始まった
「鬼さんこちら 手の鳴るほうへ」ですが、
子どもの遊びとしてわらべ歌とともに
伝承されてきたポピュラーな遊びです。


と。

さて、どのように遊ぶのでしょう。
皆様のおうちには、日本手ぬぐいはありますか。
目隠し用に使うのです。
「鬼」が次の「鬼」を探すときに目隠しするのです。
タオルでもいいですね。

そして、「鬼さんこちら 手の鳴るほうへ」の掛け声に合わせて
手探りで次の「鬼」になる子を探すことになります。

楽しい遊びですが、
目隠して「鬼」になっている子どものほうが
足元がわからず、怖いでしょうね。



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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社

Posted by 広報 at 16:47 | わらべうた | この記事のURL | コメント(0)

第十五回 かごめかごめ[2012年05月01日(Tue)]
11.JPG


今回は、“わらべうた”にあらわされる想像力、
不思議な言葉が連なる“わらべうた”の発想力を
楽しんでみましょう。
それは長い年月の伝承が生み出した言葉の魔術といわれます。

かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつでやる
夜明けの晩に
鶴と亀とすべった
後ろの正面だあれ


江戸時代から伝わる「鬼遊び」うた。
この“うた”の歌詞は、
様々な意味を含んでいます。

“うた”のはじまりは、
「かごめ かごめ(しゃがめ しゃがめ)」という言葉が
訛(なま)ったものだそうです。

エッ、鳥の“かもめ”ではないの!
鳥の“かもめ”と思っていましたが・・・・・。

「かごめ かごめ」は
「屈(かが)め屈(かが)め」の意味。
しゃがむ動作を命じて、
しゃがませることを意味しています。

この歌が生まれたのは、千葉県野田地方です。
醤油つくりで有名なところですね。
その町は、醤油の倉とレンガ造りの堀に囲まれています。
「かごめ かごめ」の語源はというと、
醤油を積んだ舟が掘割から江戸川の水路に出るとき、
水門をくぐらなければならないのですが、
そのとき、水門で身をかがめなければならないので、
「かごめ かごめ」といったのです。
そこから、この歌が生まれたといわれています。

そして、この“うた”が
長い歳月を重ねて伝わっていく中で、
歌い継ぐ子どもたちの想像力が
とても不思議な言葉のつながりを
つむぎ出していったのです。
まるで連想あそびのように・・・・・。

「うた」は、
「かごめ かごめ」を鳥のかもめへと連想させ、
「かごの中の鳥は」の歌詞へと続くのです。

  ♪かごの中の鳥は
   いついつでやる


「かごめ(しゃがめ)」が一気に、
鳥に飛躍し、
変化して、
「いつかごからでてくるの」と問いかける・・・・・?

そして、「夜明けの晩」へと転回するのです。

  ♪夜明けの晩に

夜が明けた「晩」とは!
不思議な言葉です・・・・・。

『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では
次のように解説されています。

日が暮れて晩になり、
そして夜が明けるのが自然の摂理です。
夜が明ければ次第に太陽が輝きだすのであって、
晩がめぐってくることはありえません。
婉曲的に、「かごから出て遊べることはないよ」と
いう意味を示しているのでしょうか。

と。

かごの鳥は「いついつでやる」と、問いかけながら、
「かごから出て遊べることはないよ」
と続くとしたら、少し不気味ですね。

そして、

  ♪鶴と亀とすべった

またしても、歌詞は謎めいて、鶴と亀へ。

江戸時代の釈行智の『童謡集』の「かごめかごめ」では、
後半に「つるつる・・・・・」とあります。

かァごめかごめ かーごのなかの鳥は 
いついつでやる 夜あけのばんに
つるつるつッべェた なべのそこぬけ
そこぬいてーたーァもれ


う〜む、
つるつるつッべェた・・・・・

「つるつる・・・・・」が、
つまり「つるつるすべった〜」が、
これまた、鳥の「鶴」になったのですね。

やはり不思議な「うた」です。
そう思ってパソコンを立ち上げ、
ネットで調べてみました。
そうすると、この“わらべうた”には
怖くて哀しいお話ばかりが登場してきます。
やはり、不思議な“うた”なのです。
そして、ユーチューブでこの“うた”を聴いてみても、
なんとも物寂しく切ない歌声がきこえてくるのです。

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では、この“うた”を歌っての遊びは
どのようなものなのでしょう。
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では
次のようになります。

夕暮れに数人の子どもが集まり、
「ずいずいずっころばし」やジャンケンで鬼を決めます。
鬼になった子どもは、目隠しをして中心に座り、
鬼以外の子どもたちは、鬼のまわりに手をつないで
円陣を作ります。
 隊列がととのったら、
「かごめかごめ・・・・・」と歌いながら
鬼のまわりを回ります。
そして、「後ろの正面だーあれ」で回るのをやめ、
その場に座ります。
最後に鬼は、自分の真後ろになった子どもが誰なのかを
当てなければなりません。
鬼の真後ろに座った子どもは
動物の鳴き声を真似して声をだします。
それが誰かを鬼が当てれば、
当てられた子どもが次の鬼になります。


子どもの頃にこの“遊び”を楽しんだ人から話を聴くと、
この遊びをするのはいつも夕暮れ時だったそうです。
鬼と夕暮れ時、
なんだかやはり怖い思いを楽しむ遊びですね。

川原井泰江著でも
「このわらべ歌はなぜか、夕焼けの風景が似合います」と。

この謎の多い“わらべうた”も、
ここでは元気に鬼遊びとして楽しんでみましょう。

♪ かごめかごめ
  かごの中の鳥は
  いついつでやる
  夜明けの晩に
  鶴と亀とすべった
  後ろの正面だあれ


わあー、あたっちゃった〜。
次々と鬼になっていく子どもたち。
怖いです、やはり・・・・・。
鬼だぞ〜・・・・・。

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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
   『童歌を訪ねて』太田信一郎著 富士出版

Posted by 広報 at 18:44 | わらべうた | この記事のURL | コメント(0)

第十四回 せっせっせ[2012年04月19日(Thu)]
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今回の“わらべうた”は、
季節の巡りを歌って楽しく遊ぶもの。
お寺の花子さんが、
かぼちゃの種をまいて、
花が咲くと、ジャンケンポンと遊ぶ“うた”です。
かぼちゃは春に種を蒔き、
夏から秋にかけて実を得ることができますね。

その“わらべうた”は、

   せっせっせ

   せっせっせの
   ヨイ ヨイ ヨイ
   お寺の花子さんが
   かぼちゃの種を
   まきました
   芽が出て
   ふくらんで
   花が咲いたら
   ジャンケンポン


わらべうた「せっせっせ」は、
「せっせっせの ヨイヨイヨイ」ではじまる
“手遊びうた”です。

『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著によると
その遊び方は、

まず、「せっせっせの ヨイヨイヨイ」と歌いながら
お互いの手に取り合って、始める動作をします。
いよいよ歌にはいります。
「お寺の花子さんが かぼちゃの種をまきました」で、
両方の手を合わせ、種の形を作ります。
作った種の形を歌に合わせて変えていきます。
「芽が出てふくらんで、花が咲いたら」まで
二人一緒の動作になります。
そして最後にジャンケンをして勝ち負けを決め、
終了します。


2.jpg


ユーチューブで、
この“うた”を聴いてみようと思ったら、
デイサービスでおばあさんたちが
小学唱歌の「茶摘み」を歌っておられました。
これも「せっせっせの ヨイヨイヨイ」で遊べる歌です。
何人もの人が並んで坐り、
お互いの手のひらをリズムに合わせて
交差しあって遊びます。
画面ではお年寄りの方々が
楽しそうに歌って遊んでおられました。
その小学唱歌の「茶摘み」の歌は、
みなさまご存知でしょう。

♪夏も近づく 八十八夜 
野にも山にも 若葉が茂る
あれに見えるは 茶摘みじゃないか 
あかねだすきに 菅(すげ)の笠


曲のテンポが遊びのポイント!
テンポが速まると、面白さが増してくるのです。

面白いといえば、
最初に書いた“せっせっせ”では、
負けた子の面白い罰もありますよ。
罰ゲームですね。

勝った子はこんな“わらべうた”を歌うのです。

お寺のつねこさん
階段のぼって
こーちょこちょ


意味深な歌詞ですね。
つねこさん、
階段のぼる?
えッ、
こーちょこちょ!

『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では
次のように遊ぶのです。

ジャンケンに勝った子が、負けた子の手を取ります。
「お寺のつねこさん」で手のひらをつねります。


つねこさんとはつねることなのですね。

「階段のぼって」で腕を脇まで人差し指と中指で
上っていきます。


階段とは、腕なのでした。

腕を脇まで、人差し指と中指で上っていくとは、
面白いですね。

そして、

脇の下に到着したら「こーちょこちょ」と
くすぐるのです。


脇の下に到着したら「くすぐる」
それも「こーちょこちょ」と。
こそばいですね。
なんと面白い“うた”なのでしょう。

この「お寺のつねこさん」は、
幼い子どもをあやすのにも
歌われたのですよ。

おなじように
「一本ばし こーちょこちょ」という歌も
あるのです。

 一本橋 こーちょこちょ
たたいて すべって
おでこ ぴん


この歌は、
相手の手のひらに一の字を書くのです。
そして、
くすぐって、
叩いて、
すべった手はそのまま額を突っつくという遊びです。

川原井泰江著では

優しくやれば幼い子をあやすこともできるでしょう。

とあります。
“わらべうた”には楽しい“うた”がいっぱいですね。
さあ、みんなで歌って楽しみましょう。

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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社

Posted by 広報 at 20:26 | わらべうた | この記事のURL | コメント(0)

第十三回 花咲爺(はなさかじじい)[2012年04月01日(Sun)]
sakura1.jpg


お花見の季節となりました。
桜の花はもうご覧になりましたか。

今回は、昔ばなし歌の「花咲爺」です。

 うらのはたけで ポチがなく
 しょうじきじいさん ほったれば
 おおばんこばんが ざくざく ざくざく


この歌はおとぎばなしを題材としたもので、
1901年(明治34)、『幼年唱歌(初の下)』に発表されました。
作詞は石原和三郎。作曲は田村寅蔵です。

歌は次のように続きます。
  
 いじわるじいさん ポチかりて
 うらのはたけを ほったれば
 かわらやせとかけ がらがら がらがら

 しょうじきじいさん うすほって
 それでもちを ついたれば
 またぞろこばんが ざくざく ざくざく

 いじわるじいさん うすかりて
 それでもちを ついたれば
 またぞろせとかけ がらがら がらがら

 しょうじきじいさん はいまけば
 はなはさいた かれえだに
 ほうびはたくさん おくらにいっぱい

 いじわるじいさん はいまけば
 とのさまのめに それがいり
 とうとうろうやに つながれました


多くの人々に愛されてきた「花咲爺」さん。
日本には勧善懲悪の物語が大好きな人が多いからと
いわれます。

絵本『はなさかじじい』(谷真介・文 高橋信也・絵)の解説では
次のように述べられています。

――『はなさかじじい』の話は(中略)
「隣の爺型」に分類されており、
おなじ話型の話としては『したきりすずめ』
『鳥のみじい』『さる地蔵』『雁取りじい』などが
あります。
――主人公の善良なじいやばばの家の隣に
性悪なじいとばばを配置して、
ある出来事によって
心のやさしい善良なじいとばばの幸せを、
まねばかりする性悪なじいとばばは失敗するという
きわだった対照によって、
人間の善悪、幸不幸が語られます。


この昔ばなしの大切なところは、
「白い犬」
「枯れ木に花を咲かせましょう」だと思われます。

では「花咲爺」のお話はどのように展開していくのでしょう。

細部は、語られる地方によって少しずつ変化していますが
大筋は次のようなものです。

むかし あるところに、
こころのやさしい正直者のお爺さんとお婆さんが
住んでいました。
ふたりには子どもがいませんでしたので、
ずっとずっと子どもが欲しいと思っていたようです。
ある日、お爺さんとお婆さんは、道端に白い犬が
捨てられているのを見つけました。
(ここのところは、お婆さんが川で洗濯をしていると
川上から白い子犬が流れてきたというお話もあります。)

お爺さんたちは子犬がかわいそうに思い、
わが子のように育てようと家に連れて帰ることにしました。
(この犬を拾うというお話の原型は東北に多くあるようです。)
おじいさんたちは、自分たちよりも子犬に美味しいものを食べさせ、
大きくな〜れ大きくな〜れと、大切に育てました。

犬はどんどん大きくなりました。
ある日、お爺さんは犬を連れて山へ柴刈に出かけました。
犬は元気に山へ駆けていきます。
そして、お爺さんが薪(たきぎ)をあつめていると、
犬が「ここ掘れ、ワンワン」としきりに吠えるのです。
不思議に思ってそこを掘ると、
小判がザクザクと出てくるではありませんか。
お爺さんはびっくりして、神さまに感謝しました。

古くから犬は神のお使いという言い伝えがあります。
山に柴を刈りに行くお爺さんは山の民でしょうか。
また、この「犬が吠えたところに何かが埋まっている」
という考えは中国からきたそうです。
昔ばなしのなかには古くからの言い伝えが
いっぱい詰まっていそうですね。

小判を授かったお爺さんとお婆さん、
喜んで小判を神棚に置いておきます。
そこに、隣のいじわる爺さんがやってくるのです。

sakura2.jpg


『花鳥風月の科学』松岡正剛著では、
隣の爺さんは「火をもらいに入ってくる」となっています。
簡単には火をおこせなかった昔は、
「火を貸してくれませんか」と隣に頼みにいったのです。
「火もらい」は「隣の家は何をしているのかな」と気になるとき、
隣家に入るためのいい口実だったのです。
日本の民家ではこのように火種をもらいにいくことは
日常の事だったのですね。

当然、隣の欲ばりの爺さんは、
はやくも小判のことを聞きつけていたのでしょう。
しょうじき爺さんの大切な愛犬を、
なんだかんだと言って連れて行ってしまうのです。

隣の爺さんは犬を借りても大切にはしてくれません。
可愛がりもしません。
粗末な食事しか与えません。
そんななか、犬が何もしないので、
この欲張りで意地の悪い爺さんは、
犬を引っ張って山へ出かけます。
でも、いつまでたっても
「ここ掘れ、ワンワン」と吠えないので、
犬をたたいてむりやり「ワンワン」となかせました。
「うむ、ここだな ここだな」と爺さん土を掘ると、
でてきたのは、かえる、むかで、蛇や石ころばかりです。
金貨は一枚も出てきません。
爺さんは腹を立て、犬を殺して埋めてしまいました。

よくばり爺さんのこの非道な行為!
話を聴いているこちらが腹を立てかねませんね。

嘆き悲しんだ善良なお爺さんとお婆さん。
犬を埋めたという松の木のところにいくと、
その松の木はみるみるうちに大きな樹に育っていました。
犬が夢に出てきて、この木を切って臼にするように告げたので、
お爺さんたちはこの大きく育った松の木を
犬の思い出として臼にすることにしました。
そして、お餅をつくろうと臼をついたとき、
ひとつきすると小判が、ちゃりーん!
ふたつきすると、ちゃりーん、ちゃりーん。
大判小判が臼の中にあふれ出ました。

噂を聞いた隣のよくばり爺さん、
臼を借りて一儲けとばかりにやってきて、
むりやり臼をかついで帰っていきました。

けれども、臼をつけどもつけどもゴミしか出てきません。
またまた腹を立て、臼を叩き割って燃やしてしまいました。

愛犬を可愛がっていたお爺さんは深く深く悲しみました。
やるせない気持ちで臼を燃やしたかまどから白い灰をひきとり
家に帰ろうと、とぼとぼ歩きはじめると、
風がそよいで、灰がふわっと舞い上がりました。
するとすると飛び散った灰をかぶった道の枯草は、
花をぱあ〜と咲かせました。
おじいさんは驚きました。
「これは、これは不思議。もっと花を咲かせよう」と、
大きな桜の枯れ木にのぼり、
「枯れ木よ、花咲け〜」とおもいきり灰をまきました。
するとどうでしょう、
枯れた桜の木は再び花ざかりとなったのです。
おじいさんは隣の木にも登っては灰をまき、
あたりを花で満たしました。
このめでたいお爺さんの行いは、噂になり、
殿様に呼ばれ、その御前で灰をまいて花を咲かせました。
「見事、見事じゃ。日本一の花咲爺! ほうびをとらせよう」
殿様も大喜びです。

これをみていたよくばりじいさん。
「わしもほうびにあずかろう」と
かまどに残った灰をかきあつめ、殿様の前で灰をまきました。
ところが、花が咲くどころか、殿様に灰がかかり、
目にも入って大変なことになってしまったのです。
そこで、「ぶれいもの」と家来に縄で縛られてしまいました。

このようなお話です。
欲をはりすぎると人は不幸になりかねませんね。

人を幸せにする神のお使いの「子犬」
また、考えてみれば「枯れ木に花を咲かせる」とは、
再生の意味を持っているのではないでしょうか。
いま日本は、震災復興のみならず、あらゆるところで
あらゆるものが再び元気に生まれかわらなければ
ならないときです。

“おさなごころ”に戻って、
「枯れ木に」花を咲かせてみませんか。
さあ、“はなさかじじい”を元気に歌って・・・・・。
可愛い子犬に出会えるかもしれませんね。


sakura5.jpg


資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
   絵本『はなさかじじい』谷 真介・文 高橋信也・絵 ポプラ社
   『花鳥風月の科学』松岡正剛著 淡交社

Posted by 広報 at 17:28 | わらべうた | この記事のURL | コメント(0)

第十二回 「いもむしごろごろ」[2012年03月19日(Mon)]
imomushi.jpg

いもむし ごろごろ
ひょうたん ぽっくりこ


啓蟄(けいちつ)の日も過ぎて、もうそこに春。
いもむし(チョウやガの幼虫)も、
うごめいてくる頃です。

地方によっては、
「・・・・・ぽっくりこ」の後に
「げじげじが 足だした」と歌われているのも
あるそうです。


幼稚園に通っていたころ、
よくこの“うた”を歌ってみんなと遊びました。

それは、
この“わらべうた”からつくられたと思われる童謡、
「いもむしごろごろ」だったかもしれません。

いもむし ごろごろ
ひょうたん ぽっくりこ
ぽっくり ぽっくり ぽっくりこ

ででむし のそのそ
かきねを よっちらこ
よっちら よっちら よっちらこ 


小林純一作詞、中田喜直作曲です。

歌いながらの遊びは、
一人一人の子どもがしゃがみ、
前の子の腰に手をかけ、
一列に並んで連なって這うようにして歩くのです。

それはまるで、いもむしのよう・・・・・。
そうです、
まるでいもむしが這っているように進むと
楽しくなるのです。
まるでむしになったよう。
変身しようとする心は想像力を高めるそうです。
でも過度な変身願望は危険だそうですが、
すこし、何かに変身するのは楽しいものなのです。
それが、“いもむし ごろごろ”

この遊びは浮世絵の中にも描かれていますよ。
歌川広重の『風流をさなあそび』がそれです。
公文教育研究会の「子ども浮世絵ギャラリー」
下記で観ることができます。
http://www.kumon.ne.jp/kodomo/ukiyoe/ukiyoe2/1/ukiyoe_8.html

「凧揚げ」「ジャヤンケン」「こま回し」「水鉄砲」
「相撲」「竹馬」「将棋たおし」など、
十六もの遊びが楽しく描かれているのですが、
そのなかに「いもむし ごろごろ」が入っています。

“いもむし”がでたら、
野原には様々な草花が咲きはじめることでしょう。
古代の人々は花の香りに
春がやってくるのを感じたといいます。
風に乗ってやってくる春の香り!
花を目で見る前に香りで感じる春だったのです。

花がひらく春は心もやさしくなり、あたたく感じます。

hotokenoza.jpg


いい歌があります。
それは、

   ひらいたひらいた
 
 ひらいた ひらいた
 何の花が ひらいた
 れんげの花が ひらいた
 ひらいたと思ったら
 いつのまにか
 つーぼんだ

 つぼんだ つぼんだ
 何の花が つぼんだ
 れんげの花が つぼんだ
 つぼんだと思ったら
 いつのまにか
 ひーらいた


この歌の中で
「ひらいたり、つぼんだりするれんげの花」は蓮の花。
昔は、子どもたちがよく遊んだお寺の境内には
小さな池があって
蓮の花が美しく咲いていたのでしょうね。
蓮はお釈迦様の花。
極楽浄土が見えてきます。
子どもたちはその極楽浄土で遊んでいたのでしょう。

では、歌いながら遊んでみましょう。

 ♪ひらいた ひらいた
 何の花が ひらいた
 れんげの花が ひらいた
 ・・・・・


『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著によると、
一人で遊べる手遊びは、
「両方の手を合わせて花のつぼみを作ります。
そのつぼみを歌に合わせて開いたり閉じたりして、
れんげの花に見立てて遊ぶのです」


集団で遊ぶには、
「円陣を作り、隣の人どうしで手をつなぎます。
やはり、歌に合わせてつないだ手を上にあげ円陣を
外に大きく開いていくと花は開き、円陣の中心に
皆が集まって小さくなると花は閉じます。
いたってシンプルな遊びで、幼い子どもから大人まで
楽しめます」


今回は
“いもむし”になったり、
“れんげの花”になったり、
楽しく遊べそうです。

ということで、
さあ、皆さま
「ひらいたり、つぼんだり」して、
お花になって遊んでみましょう。

♪ひらいた ひらいた
 何の花が ひらいた
 れんげの花が ひらいた
 ひらいたと思ったら
 いつのまにか
 つーぼんだ

♪つぼんだ つぼんだ
 何の花が つぼんだ
 れんげの花が つぼんだ
 つぼんだと思ったら
 いつのまにか
 ひーらいた


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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
  

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第十一回「守さ子守さ」[2012年03月01日(Thu)]
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守さ 子守さ
昼寝が大事ヨ ホーヨーオ
晩げ遅うまで 門に立つ
ハリコヤ スイタカ ジュンサイ

なんぜこの子は
なぜこに泣くかヨ ホーヨーオ
乳が足らぬか 親なしか
ハリコヤ スイタカ ジュンサイ

向う山をば
ちんばが通るヨ ホーヨーオ
傘が見えたり 隠れたり
ハリコヤ スイタカ ジュンサイ


先回の子守唄(眠らせうた)の次は、“遊ばせうた”です。
赤ちゃんの守りをするために雇われた守子の
何とも言えないやるせなさが歌われています。

昨日は赤ちゃんが夜泣きして
遅くまで外でおんぶしてあやさなければ
いけなかったので、よく眠れなかったよ。
今日は赤ちゃんが寝ているうちに昼寝をしておこう。
なぜこんなに泣くの、
お乳が足らないの、
おまえには親がないの、
お乳もさっきもらったばかりじゃないの。


この“うた”は下記のところで試聴できます。
藤本容子さんが歌っておられます。
切なく美しい歌声です。
『音大工http://www.otodaiku.co.jp/yoko/interview02.html

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“わらべうた”の種類はさまざまありますが、
『わらべうた研究ノート』本城屋 勝著によると、
第一類 子守歌
  (一)眠らせ歌
  (二)遊ばせ歌
第二類 口遊歌
第三類 遊戯的口遊歌
  (一)天体気象歌
  (二)動物歌
  (三)植物歌
  (四)歳事歌
  (五)雑歌
第四類 遊戯歌

この分類は、「歌われる目的の第一義は何か」ということによって決められたそうです。

今回の「守さ子守さ」は、
雇われた子守の子どもが
自らのために歌ったのです。
背中に背負った赤ちゃんが泣くと、
「なぜ泣かせるの」と叱られたりして、
泣きたいのは自分なのです。
守子の辛い心情。
慰めたくなるのは自分なの。

「守さ子守さ晩げ(日暮)が大事、朝は寝起きはなお大事」
「守さ子守さ、楽そうで辛い、親にゃ叱られ、子にゃ泣かれ」
「守さ楽のよで楽じゃない、朝は早(はよ)から叩き起されて、
晩は四つまで門に立つ」
「守は辛いぞ、霜月師走、雪はちらつく、子はぐずる」

そして、
「守さ子守さ、なぜ子を泣かす、泣かせまいとの守じゃもの」
「守さ頼むなら、ちんばを頼め、歩くたんびに子が黙る」
と。
『わらべうた・日本の伝承童謡』 町田嘉章・浅野建二編より 

そして、新潟には、
次のような“うた”があります。

   守っ子

守っ子というもの 辛(つら)いもの
雨が降る時ゃ 宿が無い
  おかかにゃ叱られ
  子にゃ泣かれ


子どもに泣かれてしまうと本当に大変です。
鹿児島、奄美大島には、
「泣くないよ(泣くんじゃないよ)」とくりかえし歌う、
「泣くないよ坊ややよ」という美しい“遊ばせうた”が
あります。

  泣くないよ坊ややよ

泣くないよ坊ややよ
   泣くないよ坊ややよ
     泣くないよ坊ややよ
母様(あんま)やよ何処(だち)もうち 
母様(あんま)やよ芋堀(とんふ)りが
野良(はる)ち行ちゃんど
芋堀(とんふ)りが行ちゃんど

泣くなちーば 泣きゅるよ
泣くなちーば 泣きゅるよ
      ヨーハレ愛子(かな)よ


お母さんが畑に芋堀に行っているのですね。
「すぐに帰ってくるからね」、と家族の人。
お婆ちゃんでしょうか、お姉さんでしょうか、
坊やをあやしているのでしょうね。

この“うた”も試聴できます。
『音大工http://www.otodaiku.co.jp/yoko/interview02.html
あまりにも美しいので切なくもうっとりしてしまいます。

それにしても、子どもとは可愛いものです。
佐賀、唐津地方に、
母親が子どもに抱く愛情を、
子兎と母兎の愛情に託して歌った“うた”があります。

   小山の子兎

こんこん小山(こやま)の子兎(こうさぎ)は
なぜにお耳が長(なご)うござる
おッ母(か)ちゃんのぽんぽにいた時に
   長い木の葉を食べたゆえ
   それでお耳が長うござる

こんこん小山の子兎は
なぜにお目々(めめ)が赤(あこ)うござる
おッ母ちゃんのぽんぽにいた時に
   赤い木の実を食べたゆえ
   それでお目々が赤うござる


本当に“わらべうた”は美しいですね。
そして、
「月の出端の美しい月を見てみんなで遊びましょう」と歌う
とても美しい“遊ばせうた”が、沖縄の八重垣島にあります。

   月ぬ美しゃ

月(ツキ)ぬ美(カイ)しゃ 十三日(トウカミカ)
みやらび美(カイ)しゃ
          十七(トウナナ)つ
 ホーイ チョーガ


有名な八重垣童謡です。
お月様の美しさは十三夜、
乙女の可愛さは十七歳、と歌っていますね。

みやらび(ミヤラビ)とは少女の意味です。

沖縄の月を見たくなりました!

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資料:
『音大工http://www.otodaiku.co.jp/yoko/interview02.html
  有限会社 音大工
『わらべうた研究ノート』本城屋 勝著 無明舎出版
『わらべうた・日本の伝承童謡』
  町田嘉章・浅野建二編 岩波書店

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第十回「坊やはよい子だ」[2012年03月01日(Thu)]
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坊やはよい子だ ねんねしな
ねんねのお守は 何処へ行た
   あの山超えて 里へ行た
   里のお土産に 何もろた
   でんでん太鼓に 笙(しょう)の笛
起上り小法師に 振(ふ)り鼓(つづみ)


幼いころに母の背中におぶさって
よく聴いていた“子守歌”です。
その旋律はいまでも思い出されますね。
この“うた”は日本の代表的な子守唄で、
宝暦、明和(1751~1772)の頃、
江戸で歌われた“わらべうた”を集めた
釈行智の『童謡集』にもほぼ同じものがでています。

“子守唄”は、母と子のコミュニケーション。
母の歌声に安心して眠りにつく子ども。
わが子の安らかな吐息にほっと息つく母親。
その“うた”は、
いくつになっても懐かしい思い出となります。

また赤ちゃんの世話をするのは、
お母さんだけではありません。
おばあちゃんやお姉さんも、
また、お守(もり)さんも。

昔は、赤ちゃんの世話をする
守り子と呼ばれる女の子たちがいました。
7、8歳から10代で、
その多くは、貧しい家から守り子の奉公にでたそうです。
その子たちは、年に数度、山を越えて里に戻っていきます。

♪ねんねのお守は 何処へ行た
あの山超えて 里へ行た
 
  
そして、里の土産にもらったものは、
赤ちゃんをあやす玩具、

♪でんでん太鼓に 笙の笛
起上り小法師に 振り鼓


「でんでん太鼓」はご存じでしょう。
棒状の持ち手がついた小さな太鼓。
その太鼓の両側に紐に結んだ玉がついています。
持ち手を回転させると紐の先の球が太鼓に当たり、
パンパラ、パンパラ、トントンデンデンと音を立て、
赤ちゃんをあやすのです。

「笙の笛」は、ここでは雅楽に使う笛ではなく、
竹製の一本の縦笛。
江戸時代には、よく土産物として売られていた竹笛だそうです。
幼い子どもにも吹きやすくしたものです。
「起き上り小法師」は、だるまのように、
何度倒しても起き上がってくる可愛い玩具。
これらの玩具は、生まれた子どもがすくすくと
幸せに育つように願う親心が込められたものです。

この唄を歌っていると、なぜか目の前に、
夕焼けに染まった山の姿が見えてきそうで、
懐かしい夢のような情感があふれでてきます。
“うた”とはこうしたものなのですね。

夕焼け.jpg


いつの時代でも親にとっては“子どもの可愛さ”は
何事にも代えられません。
その親心を歌った唄が静岡に伝えられています。

この子の可愛さ  〈眠らせ唄〉
坊やはよい子だ ねんねしな
この子の可愛さ 限りなさ
  天に上れば 星の数
  七里が浜では 砂の数
  山では木の数 萱(かや)の数
  沼津へ下れば 千本松
千本松原 小松原
松葉の数より まだ可愛い
ねんねんころりよ おころりよ

天の星の数よりも、
七里ヶ浜の砂の数よりも、
松葉の葉の数よりも、
限りなくかわいいわが子!
愛情表現がこまやかで、母の愛にあふれた唄です。

この唄は沼津地方で唄われましたが、
その他の地方でも広く唄われていたようです。
しかし、歌詞は各地によって少しずつ異なっていきます。

栃木では、
♪山では木の数、千両が浜では砂の数

東京では、
♪天にたとえて星の数、山じゃ木の数、萱の数、
七里ヶ浜で砂の数


香川ではその特徴が際立ちます。
♪尾花かるかや萩桔梗、七草千草の数よりも、
数ある虫の数よりも、大事なこの子がねんねする


秋の七草などや、
数ある虫の数よりも、
大事なこの子、なんです!
その子がねんねしているのよ、静かにね、
と囁くやさしい母親の笑顔が浮かんできます。


高知では、
♪天にたとえば星の数、山では木の数、萱の数、
七反畑の芥子の数、七里が浜の砂の数、
召したる御服の糸の数


七反畑の芥子の数よりも限りなく大切なわが子。
様々な風土が唄いこまれていて楽しくなります。

いまもこの“子守唄”が、お母さんたちの間で、
歌われるといいですね。
限りない愛情が心にあふれるのではないでしょうか。


北海道で唄われた〈眠らせ唄〉に
次のような美しい唄があります。

赤い山青い山

ねんねの寝た間に 何せよいの
小豆餅の 橡餅(とちもち)や
赤い山へ持って行けば 赤い鳥がつっつく
青い山へ持って行けば 青い鳥がつっつく
白い山へ持って行けば 白い鳥がつつくよ


小豆餅とは、赤い小豆の饀をつけた餅、あんころもち。
橡餅(とちもち)は、橡の実をかき混ぜた黒赤色の餅です。

赤い餅、黒赤の餅。
赤い山、青い山、白い山、それに続いて、
赤い鳥、青い鳥、白い鳥、
なんとカラフルなのでしょう。

また、白犬が吠える〈眠らせ唄〉が、
秋田にあります。

ねんにゃこコロチャコ

ねんにゃこ コロチャコ
 ねんにゃこ コロチャコ よーよ
おれの愛(め)で子どさ 誰ァかまて泣ーく
 誰もかまねども ひとりして泣ーく

ねんにゃこ コロチャコ
 ねんにゃこ コロチャコ よーよ
向(むげ)ェの山の白犬コーよ
   一匹吠えれば みな吠えるーよ


この子守唄は、
「音大工」http://www.otodaiku.co.jp/yoko/interview02.htmlをご覧になれば、
藤本容子さんの美しい歌声で試聴できます。
またインタビューで、唄の事がよくわかるように
楽しいお話もされていますよ。

赤ちゃんを育てることはとても大変なことですね。
ましてや昔のこと、
厳しい自然の東北の暮らしの中での
主婦の労働は大変なもの、
忙しく立ち働く母親にとっては・・・、
それはそれはつらいこともあったでしょう。
そのためにいらだつこともあるのです。
そのような中、眠りにつかないで泣くわが子。
早く眠りについておくれ、
どうしたの、そんなに泣きわめいて、
山の白犬が吠えるよ。
早く眠ってね!と、
少しおどかしても眠らせたかったお母さん。
こんな想いで子守をしていたことでしょうね。

山の白い犬、白い色の動物とは、
人間界を超えた魔物のような不思議なものといわれます。
その白い犬が吠えるのです。
怖い白犬の吠える声。
それは、子どもにとってはとても恐ろしいもの。

山の白犬が、
おまえをおどろかしているのかい。
おびえて泣く子どもの顔を見つめながら、
様々に揺れ動く母親の心。

♪おれの愛で子どさ 誰ァかまて泣ーく

と唄う母親の心の中には、
「白い犬が吠えても、お母さんが守ってあげるからね、
安心してゆっくりとおやすみなさい」
というつよい愛情があふれていたのでしょう。
母親の日々の暮らしが引き起こす様々なせつない想いを
わが子を愛する心とともに“子守唄”に託し、
美しい旋律にのせて唄うのです。

このように、“子守唄”にふれてくると、
ほんとうにこのような“うた”は
“人間のいのち”そのものといえるでしょう。

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資料:
『わらべうた研究ノート』本城屋 勝著 無明舎出版
『なつかしの わらべ歌』川原井泰江著 いそっぷ社
『わらべうた・日本の伝承童謡』
    町田嘉章・浅野建二編 岩波書店
『音大工』 有限会社 音大工
http://www.otodaiku.co.jp/yoko/interview02.html

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第九回 「春よ来い」[2012年02月01日(Wed)]


2月に入ると、すぐ3日には節分、
4日は立春の日となります。
豆まきして、鬼や災いを追い出して、
冬から春への折り目とするのです。

毎日寒い日がつづいていると、
春の来るのが待ち遠しいですね。

このような春への思いを“うた”にした童謡があります。
古来よりの“わらべうた”ではなく、
大正時代後期につくられたものですが、
春への思いを込めて歌ってみませんか。


「春よ来い」


春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている

春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている


作詞は、詩人相馬御風(そうまぎょふう/1883〜1950)。
早稲田大学校歌「都の西北」や「カチューシャの唄」を作詞。
作曲は、弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう/1892〜1952)。
『鯉のぼり』、『浜 千鳥』、『雀の学校』などを作曲。

「春よ来い」の“うた”では、

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが


と、みいちゃんが春よ来い、早く来いと歌い、
そのみいちゃんのモデルは、作者の長女といわれています。

あるきはじめた幼い子どもが
片言の幼稚語で歌うのは可愛いですね。

赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと

「じょじょ」とは、草履のことで、
「おんも」とは家の外のこと。

赤い鼻緒の草履をはいた女の子が
お外に出たいと、春の来るのを待っているのです。
うららかな春風の吹く日を楽しみにしているのですね。
なんと可愛いのでしょう。
この可愛さの中に、
雪国の人々の春への思いが託されていて、
歌う人、聴く人の心にその思いが響いてきます。
そして、

春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の


家の前には桃の木があって、

つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている


蕾もみんな膨らみ、
早く咲きたいと、春の来るのを待っています。
想像力豊かなイメージで、
人も自然も一体化していて素敵です。
それこそ自他一如!

“自他一如”とは仏教の教え。
作詞した相馬御風は新潟県糸魚川市出身の詩人で、
早稲田大学講師を勤めた後、故郷に戻り、
良寛の研究に没頭しました。
私たちが親しく良寛さんを知ることができるのは、
相馬御風の功績だといえます。

良寛さんには、
春の日に子どもたちと楽しく遊ぶ詩があります。
春には少し早いですが、よき春の来ることを祈り
読んでみましょう。



冬ごもり  春さり来れば
飯乞ふと  草の庵を
立ち出でて 里にい行けば
たまほこの 道のちまたに
子どもらが 今を春べと
手毬つく  ひふみよいなむ
汝がつけば 吾がうたひ
吾がつけば 汝はうたひ
つきて唄ひて 霞立つ
永き春日を 暮らしつるかも


そして、反歌は、


霞たつながき春日をこどもらと
  手まりつきつつこの日暮らしつ

こどもらと手まりつきつつこの里に
  遊ぶ春日はくれずともよし

“今は春べ”
と喜ぶ子どもの笑顔。

良寛さんも、手まりに加わって、

手毬つく  ひふみよいなむ
汝がつけば 吾がうたひ
吾がつけば 汝はうたひ


子どもたちの弾む心。
良寛さんの弾む心。

楽しさあふれる詩ですね。
良寛さんの過ごす越後の冬はさぞや寒かったでしょう。
長く、堪える冬。
春を迎える喜び。
人々の心は弾みます。
それは、
あるきはじめた みいちゃんも一緒でしょう。
私たちもみんなで“春を呼ぶうた”をつくれば
楽しいでしょうね。




資料:『糸魚川歴史民俗博物館ホームページ』
    『風の良寛』中野孝次著 集英社



【邦楽囃子コンサートのご案内】

明治神宮の杜の中で、邦楽囃子のコンサートを
行います。

日時:平成24年2月19日(日)
    13:30開場、14:00開演
場所:明治神宮 参集殿
出演:藤舎流家元 藤舎呂船社中

初めて邦楽囃子を聞かれる方、お子様にも
ご参加いただきたいと思っております。
詳しくはお問合わせください。

(公財)日本文化藝術財団
TEL:03-5269-0037

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第八回 「雪やコンコン」[2012年01月15日(Sun)]


雪(ゆゥき)やコーンコン
霰(あられ)やコーンコン
お寺の柿(かァき)の木に
いっぱいつーもれ
   コーンコン


冬の寒い日、天空から舞い降る白い雪。
子どもの頃、よく歌ったのは、
雪やこんこ 
霰(あられ)やこんこ
降っては降っては  ずんずん積もる

(略)

この歌は新しく作られた尋常小学唱歌の「雪」です。
その参考にされた歌が“わらべうた「雪やコンコン」”

「雪やコンコン」は京都で歌われていたもので、
記録によると、伝承童話のもっとも古いものともいわれます。
1108年のこと、「讃岐典侍日記」(天仁元年正月二日条)には、
幼い鳥羽天皇が「降れ降れこゆき」とうたった様子が
書かれています。

つとめて起きて見れば雪いみじく降りたり。
・・・降れ降れこゆきと、いはけなき御気はひにて
仰せらるる聞ゆる。


讃岐典侍(さぬきのすけ)藤原長子が朝早くに起きて、
庭を見れば、雪がたいそう降っているのですね。
すると、幼い鳥羽天皇が可愛い声で
「ふれふれこゆき」とおっしゃっているのが
聞こえてくるのです。
「いはけなき御気はひ」なんて、なんと可愛いのでしょう。
一千年前、京の都に降る雪の光景が見えてきますね。

兼好法師の「徒然草」(1330年頃)にも
「ふれふれこゆき」について述べられています。
それは第百八十一段、

『降れ降れ粉雪(こゆき)、たんばの粉雪』という事、
米(よね)搗(つ)き篩(ふる)ひたるに似たれば、粉雪といふ。
『たンまれ粉雪』と言ふべきを、
誤まりて、『たんばの』とは言ふなり。
『垣や木の股に』と謡ふべし」と、或物知り申しき。
 昔より言ひける事にや。鳥羽院幼くおはしまして、
雪の降るにかく仰せらけれる由、讃岐典侍が日記に
書きたり。


そうですね、米をついて粉をふるうと、
まるで粉雪が舞っているように見えたのですね。
また、『たンまれ粉雪』というところを、
あやまって、『たんば』といったのは、
京の西北方に「丹波」があり、京の雪はその方から
降ってくるように思われたのからだそうです。
このように兼好法師も鳥羽院が幼いころ、
「ふれふれこゆき」とうたっていたのを知っていた
のですね。



昔から、雪の美しさを愛でることもあれば、
豪雪になって人々の生活を苦しめるのも雪なのです。

雪降る土地では、
常に人々の心とともにあった雪。
「雪やコンコン」も、お寺の「柿の木」が、
「松の木」(宮城・新潟・京都)や「梨の木」(宮城・長野・新潟)、
「山椒の木」(新潟・宮城・鹿児島)、「茶の木」(東北・茨城・
千葉・東京・静岡)、「背戸の柿の木」(石川)などの変化して
伝えられています。

また、宮城で歌われたものには、次のようなものもあります。

   雪コンコン

雪 コンコン 雨コンコン
お寺の屋根(やァね)さ 雪一杯(いッぺェ)たーまった
小僧(こぞ) 小僧(こぞ) ほろげ
和尚さんほろがねがら
         おらやーんだ


「ほろげ」のホロクは方言で、
「揺さぶっておろす」こと。
「おらやーんだ」は「わたしは嫌だ」の意味です。
和尚さんと小僧のやりとりでしょうか。
生意気な小僧ですね。
和尚さんがやらなければ嫌だなんて・・・・・。
でも、和尚さんは子どもたちに慕われていたのでしょう。
楽しく歌われていますからね。
  
福島では、雪を呼ぶ歌として

   雨コンコン(雪)
  
雨コンコン 雪コンコン
おら家(え)の前さ たんと降れ
     お寺の前さ ちっと降れ


雨コンコンと雪コンコンと歌われていますが、
この“うた”は雪を呼ぶ歌なのです。
家の前にたくさん降った雪で、
“雪だるま”をつくったり、
“雪合戦”をして遊んだのでしょうか。



同じような歌は愛知にもあります。

雨降りコンコ 雪降りコンコ
コンコの山に(お宮の松に)、
さっさと(ドンドと)かかれ


長野では、

雨降るコンコ 雪降るコンコ
お寺の裏の蓑も笠も持って来い来い


石川では、

雨コッコ雪コッコ
背戸の枇杷(びわ)の木にとまらんせ


尾張では、

雪ふれこんこ雨ふれこんこ

それぞれの土地に生きた人々の雪に込めた想いが
さまざまな言葉になって歌われているかと思うと
なんだか人恋しくなってきます。
どのような表情で歌っていたのかな?

東北地方にはこのほかに
雪の降るのを見ながら歌うものがあります。

  上見れば(雪)

上見れば 虫コ
中見れば 綿(わだ)コ
下見れば 雪(ゆぎ)コ


雪の降る姿をじっくりと見たことはありますか?
上のほうの雪は虫に、
中ごろの雪は綿のように見え、
下のほうはハッキリと雪。
上のほうの雪はじっくり見たことはありません。
今度、雪降る日に出合ったら落ち着いて見てみましょう。

このように雪のことを考えているうちに
一つの詩を思い出していました。
それは岩手県に生まれた詩人、宮沢賢治の詩。

   永訣(えいけつ)の朝

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
  (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
(略)
わたしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみぞれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(略)
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒(とそつ)の天の食に変って
やがてはおまえへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたしのすべてのさいはひをかけてねがふ


最愛の妹の死をまえにして歌うこの詩は
なんと美しく切ないのでしょう。
雪が兜卒の天の食に変わるとは!
兜卒の天の食とは、弥勒菩薩の住む兜卒天の食で、
衆生を救う弥勒の意思のエネルギーの源となる
という意味なのです。
それは、常に人々の役に立つために生きようとした
賢治の切ない思いなのでしょう。
“わらべうた”を歌い遊ぶ子どもたちもすぐに大きくなって、
賢治の詩を理解するようになるでしょうね。

子どもたちが雪降る日の寒さに負けないで、
雪遊びをしながら歌った“うた”が
大阪に残されています。
 
   雪ばな散る花(雪遊び)

雪ばな散る花 空(そォら)に虫が湧ァく花(わな)
扇 腰にさして キリキリッと
            舞いましょ
大寒 小寒 誰の甚平(じんべ)借って着よ


元気な子どもたちは雪を花にたとえて歌っています。
ときには幻想的な花にも見える雪。
チラチラ降ってくる小雪を見て、
空に虫が湧いて舞っていると。
シュールで美しい映像ですね。
子どもも大人も不思議に心とらわれる雪。
私たちは人生で何日“雪の降る日”に出合うでしょうか。

では、歌ってみましょう。
寒さに負けずに大きな声出して、

雪やコーンコン
霰(あられ)やコーンコン
お寺の柿(かァき)の木に
いっぱいつーもれ
   コーンコン




資料:『なつかしの わらべ歌』川原井泰江著 いそっぷ社
    『わらべうた・日本の伝承童謡』
             町田嘉章・浅野建二 編 岩波文庫
    『徒然草』西尾実・安良岡康作 校注 岩波文庫
    『宮沢賢治詩集』草野心平編 新潮文庫

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第六回 「花いちもんめ」[2011年12月15日(Thu)]


勝ってうれしい 花いちもんめ
負けてくやしい 花いちもんめ

隣のおばさん ちょっと来ておくれ
鬼が怖くて行かれない
布団かぶって ちょっと来ておくれ
布団ボロボロ行かれない
お釜かぶって ちょっと来ておくれ
お釜底ぬけ行かれない

あの子がほしい
あの子じゃわからん
この子がほしい
この子じゃわからん

相談しよう そうしよう
決まった ○○ちゃんがほしい
ジャンケンポン

勝ってうれしい 花いちもんめ
負けてくやしい 花いちもんめ


この“わらべうた”は、
もとは京都から昭和初期に全国に広まった
「子取り遊び」の一つです。
上記の歌詞は秋田で採取されたもの。
歌詞は考え深いものがあります。


『なつかしの わらべ歌』川原井泰江著には、

「花」を「子ども」に、
「いちもんめ」を通貨の「一匁(いちもんめ)」に
置き換えてみます。
この歌全体が「間引き」による人買いへの人身売買、
そして人買いが遊郭へ卸す時の駆け引きを
綴っているとしたらどうでしょうか。


と述べられています。
これはどうしたことでしょう。
“わらべうた”というものは、
ときとして大変な意味を持つものなのですね。
どうしても伝えたいことがあるとき、
やむおえぬ想いがあるとき、
人々は何かに託してその想いを
伝え残していくことを考えるのでしょう。
この「花いちもんめ」は、
江戸時代の哀しい思い出かもしれません。

江戸時代、富士山の大噴火や日照りによる
飢饉や飢餓が続きました。
農民は自分の子を餓死させるよりは
働きにだしたほうがよいと考え、
多くの子どもが奉公に出されました。
実際は「年貢のかた」に子どもを持って
いかれたのです。
幼い女の子の多くは子守りとして働き、
その子たちが成長して十二、三歳になると、
女中奉公にあらためて出るか、
女郎として売られていきました。
一握りの子どもは奉公先から嫁にいかせてもらえました。
奉公に出された子どもたちは、家族が離散したり、
実家はあっても借金が返せないまま死ぬまで奉公しつづけ、
生涯親の顔を見ることはできなかったといいます。
このような境遇の子どもたちが、
自分が人買いに連れられて売られていく状況を、
わらべ歌にして伝承されたと推察されています。

『なつかしの わらべ歌』川原井泰江著より



もう一度歌詞を見てみましょう。

勝ってうれしい 花いちもんめ
負けてくやしい 花いちもんめ


それが、
「花」を「子ども」に、
「いちもんめ」を通貨の「一匁(いちもんめ)」に

置き換えてみると。
「子ども一匁」とはなんと哀しい言葉なのでしょう。

私たちの歴史の中で、飢饉などの大災害は
しばしば起こってきました。
今年3月の大震災とその津波による原発放射能汚染。
いつどのような災害がやってくるかもわからないのです。

「花いちもんめ」が歌われるようになった江戸時代、
日本は多くの飢饉に襲われました。
約260年間の間に、
130回程の飢饉があったといわれています。
2年に1回の割合です。
その3分の1以上(ほぼ40回)は、
東北地方で起こったのです。
その時、飢饉に苦しむ多くの人々。
哀しい歴史です。

その中でも三大飢饉といわれている飢饉があります。
どのようなものだったのでしょう。
それは、享保・天明・天保という年号のときに
起こりました。

享保の飢饉は、1732年(享保17)の夏、
イナゴの大群が瀬戸内海沿岸を中心に発生。
近畿から九州にかけて、稲に大きな被害を与えました。
飢えて苦しんだ人々は二百数十万人。
そして、なんと一万数千人が飢え死にするという悲惨さでした。
それとともに米価があがり人々は苦しみつづけたのです。

天明の飢饉は、1783年(天明3)。
その数年間、冷害・長雨にたたられたうえに、
浅間山(長野県)が爆発。
このため東北地方を中心に大飢饉となりました。
仙台藩(宮城県)では14万から15万人が、
南部藩(岩手県・青森県)では6万人余りの人が
亡くなったのです。

天保の飢饉は、
1833年(天保4)から4年余り続いた飢饉。
これも、冷害・長雨・風水害などの異常気象がもとで
米の収穫が半分以下に減り、
農作物が全滅に近い被害を受けました。

飢饉の悲惨さについて、『農喩(のうゆ)』という本に、
次のような意味のことが綴られています。

「奥州には、飢え死にした人がたくさんいます。
食べ物という食べ物は、何一つなくなってしまったためです。
人々は、牛や馬の肉はもちろんのこと、
犬や猫まで食べ尽くしてしまいました。
そのあげく飢え死にしていったのです。
ひどいところでは、四十戸余りあった村のすべての人が、
死に絶えてしまいました。
だれがいつ死んだのかもはっきりしません。
世話する人もいませんからほうりすてられた死体は、
鳥や獣のえじきになっている有様です」


悲惨の極みとはこのことです。
このようなつらい状況を生み出すのが飢饉なのです。
いま世界で大災害が起こったならば世界中の国々や
人々が援助の手を差出し、
ボランティアの人々も現地に駈けつけます。
ところが、江戸時代には信じたくないようなことが
ありました。それは「津留(つどめ)」というもの。
領主が「津留」を命じれば、
隣の藩の人たちがどれだけ困っていても、
米や麦などを送ることはできなかったのです。
当時は、藩は独立国のようなもの、
藩主は、隣の藩を救うより、
自分の藩のいざというときのために食料を取っておこうと
することが多かったのです。
なかには、飢えに苦しむ人々が領地にはいってくると、
自らの食料が減るのを恐れて
力づくで追い返してしまった藩もあったそうです。
そして、もっとひどいことをした藩もありました。
自分の藩の食料を自由に動かせないように「津留」を命令し
米の値段をつりあげるだけつりあげ、
大儲けしたしたというのです。
なんということでしょう!

では、飢えに苦しむ人々のために何ができたのでしょう。
こんなこともありました。
それは、「お救い小屋」というもの。
幕府や藩は飢饉がひどくなると人々のため、
一人当たり八勺(120g)ほどの米を薄い粥にして、
朝夕2回に分けて配ったりしたのです。
しかし、それも一時をしのげるだけのことでした。
それでもお救い小屋には何百・何千という人々が
集まってきたといわれます。
そして、天明・天保の飢饉の後には、飢餓への備えとして、
米などを蓄えておく倉として「郷倉」をつくることが増えました。

こうして、さまざまな“うた”の誕生した背景を考えると、
“わらべうた”には、日本の歴史や心の在り方が見えてきます。
           
          ☆

では、ふたたび哀しい思いをすることのない
幸せな世界がこの地球にやってくることを祈りつつ、
この「子取り遊び」を歌い楽しんでみましょう。



遊び方は、
前述の『なつかしの わらべ歌』川原井泰江著では
次のようです。

A組とB組の二組に分かれて一列横隊に向き合います。
まずA組が「勝ってうれしい花いちもんめ」と歌いながら
B組に向って前進し、「・・・・・もんめ」に合わせて
足を蹴りだします。
A組に対抗してB組も同じように前進します。
その時A組は後退し、元の位置に帰ります。
歌いながらこの動作を繰り返していくのです。
「相談しよう そうしよう」の場面では、
相手の組の誰をもらうか各組で決めます。
そして「○○ちゃんがほしい」と相手に要求します。
人気のある子から引き抜かれていったように
記憶しています。
ここでの勝敗は、指名された子もしくは組の代表が、
ジャンケンで決着をつけるようになっています。
組の代表者がひっぱりっこして勝った方が、相手の組より
一人引き抜くという勝敗のつけ方もあるようです。
最終的には何度か「花いちもんめ」を繰り返し、
残った人数の多い組が勝ちとなります。


この歌は現代でも子どもや大人にも
人気を博しているようです。
友人に聞くと、大人になった今でも勤め先の同僚と
新宿御苑などで歌って楽しんでいるそうですよ。




資料:『なつかしの わらべ歌』川原井泰江著 いそっぷ社
    『スーパー日本史』益田宗・中野睦夫 監修
                    古川清行著   講談社

Posted by 広報 at 19:34 | わらべうた | この記事のURL | コメント(0)

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