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2010年12月04日

第二十二回 兼好法師「徒然草」



その4 生を活かす

存命の喜びを知り、
生を愛そうとした兼好の目に
再び見えてきたものは、
どのような世界だったのでしょう。

兼好は、その後、独自の眼差しでもって、
さまざまな思いを書き綴っていきます。
それらは、後世の日本人にとって
とても大切なことを含んでいました。
そして、彼の見出したことは、
日本人の意識に少なからず影響を与えつづけているのです。



花と月

花を見たいのに、花見に行けなかったらどうしましょう。
月が見たいのに、月に雲がかかっていたり、
雨だったりしたら、どうしましょう。
兼好はそのようなことにはめげません。

花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。
雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、
なほあはれに情(なさけ)ふかし。

(第百三十七段・部分)

(桜の花は、真盛りに咲いているのだけを、
月は、かげりもなく照り輝いているのだけを、
見て賞美するものであろうか。
降る雨に対しながら、見えぬ月を心に慕い。
簾(すだれ)を垂れて、家の内に身をこもらせて、
知らぬ間に春が移ろっていくのも、
また、しみじみとした思いがして、情趣が深く感ぜられる) 
『徒然草』西尾実・安良岡康作より


この「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」は、
兼好の美意識の本質といわれています。
それは、「従来の王朝貴族的な世界の美意識や悲哀・詠嘆などを
克服した美意識」なのです。

渡辺誠一著『侘びの世界』では
そのことについて、次のように述べられています。

月と言えば満月美、
花と言えば満開美を謳(うた)うのが風潮であり
長い伝統であった時代に、
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」と、
兼好は強調し、
「もうじき咲くであろう桜、散り萎れた花、
欠けた月、雨雲に閉ざされた月」
も、
また、それなりに趣の深いものだと言ったのです。
そして、
雨もよいの空に向かって月を恋い慕い、
咲く花の美しさを部屋に引き籠もったままで
精一杯思い描くのは、
極めて味わい深いものである、と伝統美に囚われず、
これまでにない高度で深遠な美的態度を
表明したのである、
と。

兼好は、つれづれなる日々、移り行く自然を見つめながら、
その自然の真実の姿を追い求めたのではないでしょうか、
「ありのままの自然とはどのような姿をしているのだろうか」と。

昔から、「月に村雲、花に風」といわれています。
いつも眺めている庭の花も、
強い風や雨を避けることはできません。
昨日降った雨に、今朝は、花も少しうなだれています。
月も、雨雲にさえぎられて昨夜は見ることはできませんでした。

そして、煌々とした満月は、いつかは欠けていきます。
花も一時の香りをのこして萎れていきます。
それは自然の現象、自然の姿そのものです。

だからこそ、同じく命をもって生きる私たちには、
これらの移り行くもの、萎れていくものに、
同じ生命への共感と愛情が生まれてくるのでしょう。
そのかけがえのないものに対して・・・・・。

「一木一草に宇宙の生命を認める禅の精神」。
それを獲得していた兼好。


彼は見出したのです、
「この世に存するすべてのもの、
不完全なものや不満足なものにも
十全(じゅうぜん)なる美的価値がある」
と。
(『侘びの世界』渡辺誠一著より)


宇宙の生命が宿る一木一草の中に、
私たちは、自らの存在を含め、
自然の真実の世界を見出したとき、
存在する全てのものがいとほしく見えてきます。

目も鮮やかな緑の草。
白や赤や黄色、紫など、
さまざまな色を輝かして咲き誇る花。
また、萎れゆくその姿、
枯れ落ちる木の葉。

花を愛でるとき、
また、一枚の枯葉を手にとるとき、
そのかけがえのない存在に感動するのです。
美しく神秘的なそれらのもの。
その一つ一つの命がとても美しく感じられてなりません。
私たちの存在もそのようにあるのでしょう。

以前、満月の日に
月を眺めながら音楽を聴く満月コンサートが催されました。
その日はあいにくの雨模様。
会場に着くと、雨が降り出していました。

主催者の友人に出会った時、
その友は、つぶやきました。
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」と。

ひとしきり雨が降る間、
ステージにはビニール・シートが張られていましたが、
幸いにも雨があがり、
なんと、雲間から月がゆっくりと顔を出してきました。
そして、観客の盛大な拍手の中、
ミュージシャンが登場してきたのです。
その夜、たとえ月を見ることができなくても
観客は満足したことでしょう。
「雨にむかひて月を恋ひ」ということのおかげで・・・・・。



心の眼

先述の渡辺誠一著『侘びの世界』には、

兼好は、禅的精神を悟ることによって、
未開の花、萎れた花、
欠けた月、雨雲に閉ざされた月などに
強く心を引かれ、
そこに限りない美的情趣を
感じるようになっていたのである
、とあります。
そして、
欠けたる物、不完全なもの、
未完成なものに見出される美こそ
「いきのぶるわざ」であった
、と。

「いきのぶるわざ」!

欠けたもの、不完全なもの、未完成なものに
美しさを発見することは、
どんな苦しい折にも、
人に生きる勇気を与える「いきのぶるわざ」なのです。

そして、前述のように、
「さのみ目にて見るものかは」、と言ったのです。
そこには、
物事を眺めるとき、「目でばかり見るものであろうか」と言い、
「現実に視覚で捉えられる物」ばかりを重要視するのではなく、
「心の中に思うことによって物を味わう」のが面白いのだ、
という彼の考えがあります。

肉眼によって直接事物を眺めるより、
心眼によって事物の美を追求する方が
興趣もつきず面白いのだ
、と。

心で見ると何が起こるのでしょうか。
心で見る場合、見る人の心の中にある感情体験や教養が
大いに活躍することになります。
それらの思いが加わって、さらに広く深く物事が見えてきます。
その見えてくるものが、心をしずかに、
そして、ゆさぶるように感動させるものならば、
それはまさに美。
美は想像力と生命力を刺激し、
私たちの存在そのものを全開させるのです。

それが、「目で見る美しさより心で捉える美しさ」なのです。

そのことに重きを置いた兼好の美感は、
内面的に深化し、
精神の美として、
幽玄の美しさに向かっていくことになります。

その思いは、
連歌や、ひいては能楽に引き継がれていくのです。
世阿弥は、「心が芸能の根底で」あると自覚し、
世阿弥元清は、「美的理念として幽玄の美を重要視し」、
心で見る能を主張するようになったのです。



人の素直な在り方

人生に真実を求めた兼好の心は、
どのような生き方を大切にしたのでしょうか。

思ふべし、人の身に止むことを得ずして営(いとな)む所、
第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。
人間の大事、この三つには過ぎず。
飢えず、寒からず、風雨に侵(おか)されずして
閑(しづ)かに過すを楽しびとす。
たゞし、人皆病(ひとみなやまひ)あり。
病に冒されぬれば、その愁(うれえ)忍び難し。
医療を忘るべからず。
薬を加えて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。
この四つ欠けざるを富めりとす。
この四つを外を求め営むを奢りとす。
四つの事倹約ならば、誰の人か足(た)らずとせん。

(第百二十三段・部分)


人が生きるのに大切なのは、
つつましい衣・食・住、
そして、健やかに暮らすための医療を忘れないこと。
それだけあれば十分なのです。

飢えず、寒からず、風雨に侵(おか)されずして、
医療を忘るべからず。
閑かに過すを楽しびとす。


いいではありませんか。
しずかな心でゆったりと過ごす楽しみに満ちた人生!




資料:
『徒然草』西尾実・安良岡康作 校注 岩波文庫
『徒然草を読む』上田一二三著 講談社学術文庫
『侘びの世界』渡辺誠一著 論創社
posted by 事務局 at 16:37| Comment(0) | 兼好法師

2010年11月02日

第二十回 兼好法師「徒然草」



その2 心の友

先の見えない南北朝の時代に生き、
つれづれなるままに、
心にうつりゆくことを書き綴った兼好法師。
今回もその思いを追体験してみましょう。


同じ心

兼好は『徒然草』第十二段で次のように述べています。

同じ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしきことも、
世のはかなき事も、うらなく言ひなぐさまんこそうれしかるべきに、
さる人あるまじければ、つゆたがはざらんと対(むか)ひゐたらんは、
ひとりある心ちやせん。
たがひに言はんほどの事をば、げにと聞くかひあるものから、
いささかたがふ所もあらん人こそ、
「われはさやは思ふ」など、あらそひにくみ、・・・・・

第十二段


同じ心もちの人と語り合えたら嬉しいのだが、
世の中にはそうでない人のほうが多い。
だから、相手に遠慮して、
話を合わせてすませようとしてしまう。
それではひとりでいるようなものだ。
少し、すこし意見が違う人のほうが、
『自分はそうとは思えない』と
言い争ったり憎しみを持ったりして・・・・・、
と、嘆息する兼好。

日々、難しいものは対人関係です。
話が合わないのにじっと我慢して耐え、話がずれないように、
「そうですね」などと言っているのもつらいものです。
ときには議論するのも良いかもしれません。
そうすると、すこしは心が通うようになるかもしれませんから。
そうなのです、意見が違ったら、それもいいじゃないか、
「議論しょうぜ!」という元気な気持ちも大切。
それこそ、人との関係を大切にする情熱です。
でも、あまりにも意見が食い違い、それも頑固な相手だったら!
ついつい素直になれなくなって、
議論ではなくなり、けんか腰になって、
言い争ったりしてしまいますから・・・・・。
こんな時には、相手に愛と尊敬をもって接することが
一番かもしれません。
それに、カッと、怒りの気持ちが起きそうなものなら、
すぐに悪い毒素が体中に溢れ出て、健康にも良くないです。

私たちが日々幸せな気持ちで過ごせるかどうかは、
対人関係が関係しているといえます。
どんな苦しいことがあっても、
同じ心をもつ人がそばにいるだけでも随分と違ってきますね。
いつも思います、「同じ心ならん人」は、
どこにいるのでしょうか、と。

兼好はどうだったのでしょう。
この段の結末では、
「心へだてなく言えたらいいのになあ」と願いつつ、
すこしさびしい様子で、
「自分と同じようでない人とは、
とおりいっぺんの他愛ないことを話しているうちはいいが、
真実の心の友というものには、はるかに距離が感じられる。
わびしいことだ」
と述べているのです。
(現代訳『3日でわかる古典文学』監修 大橋敦夫・西山秀人より)

兼好は、真実の心の友を求めていたのですね。
そして、次の段に移っていくのです。




真実の心の友

第十三段では次のように書いています。

ひとり、燈(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、
見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰(なぐさ)むわざなる。
文は、文選(もんぜん)のあはれなる巻々(まきまき)、
白氏文集(はくしのもんじふ)、老子(らうし)のことば、
南華(なんくわ)の篇(へん)。
この国の博士(はかせ)どもの書ける物も、
いにしへのは、あはれなること多かり。


心の友を見つけることはとてもむつかしいことですね。
兼好は、自らの生活では得ることの難しい「真実の心の友」
「古典(書物)」に見出し、「見ぬ世の人」としたのです。

古典を読み、「見も知らぬ昔の人」心の友にしていくことは、
現代の私たちにもありますね。

兼好の心の友は次のようなものでした。
『文選』という詩文選集。
古代中国、梁の武帝の長子、昭明太子(501~531年)が学者に命じ、
周より梁に至る約千年間の代表的な詩文を集めたものです。
創作の手本として親しまれました。
そして、『白氏文集』
唐の白居易(白楽天)の詩文集です。
清少納言もその詩に親しんでいました。
『枕草子』での一場面に、その詩が出てきます。
中宮より「少納言よ、香炉峰の雪いかならん」とお声があったとき、清少納言は、黙ったまま御簾を高く巻き上げたところ、
中宮は思わずにっこりとお笑いになったという場面です。
中宮定子は、『白氏文集』の一節

遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、
香炉峰の雪は簾(すだれ)をかかげて見る。


をふまえて問いかけていたのです。
清少納言も愛したこの詩文集に、
兼好も心を癒されていたのでしょう。

次の「老子のことば」というのは、
中国道家思想の祖・老子が書いたとされる書物『老子』があり、
その中で語られる数々の言葉のことです。
「南華の篇」とは、
中国戦国時代の荘周(そうしゅう)の著で
『荘子(そうじ)』ともいいます。

これ等の書物は、現代もよく読まれ、
今も多くの人々の心の友となっているものです。

現実の世の中に真実の心の友が見出せないとき、
「見も知らぬ昔の人」を友として、その心を共に生き、
勇気づけられ、人生を楽しくすることはいいことですね。

兼好は、見出した心の友自分の心を照らし合わせて
つれづれなる日々を暮らしていたのではないでしょうか。
たとえば、老子のことば

人を知る者は智(ち)なり、自ら知るものは明(めい)なり。
人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。
足(た)るを知る者は富(と)む。強(つと)めて行なう者は志有り。
其の所を失わざる者は久し。
死して而(しか)も亡びざる者は寿(いのちなが)し。

(他人のことがよくわかるのは知恵のはたらきであるが、
自分で自分のことがよくわかるのは、さらにすぐれた明智である。
他人にうち勝つのは力があるからだが、
自分で自分にうち勝つのは、ほんとうの強さである。
満足することを知るのが、ほんとうの豊かさである。
努力をして行いつづけるのが、目的を果たしていることである。
自分の本来のありかたから離れないのが、永つづきすることである。
たとい死んでも、真実の「道」と一体になって滅びることのないのが、
まことの長寿である)。 

(現代語解釈『老子』金谷治著より)


また、『荘子』には、荘周が蝶になる楽しい話があります。

昔者(むかし)、荘周夢に胡蝶(こちょう)となる。
栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。(略)


で、はじまる斉物編のところです。
『国語百科』の現代語訳では、

『以前、荘周は夢の中で蝶になった。
ヒラヒラと飛んでいる蝶であった。
自身楽しい気分で、気持ちにピッタリあっていた。
(違和感はなかった)。
そして自分が人間の荘周であることなどは忘れてしまっていた。
はっとして目が覚めてみると、
そこには驚いた様子で人間の周がいた。
そこで、そもそも人間である周が夢の中で蝶となっていたのか、
それとも蝶が夢の中で人間の周になっているのかが
わからなくなってしまった。
(なるほど世間の常識では)
人間の周と蝶とでは必ず区別があるはずである。
(だが、その区別は本当のものであろうか)
このような(確かに存在しているようで、定めのない)状態のことを、
物事の絶え間のない変化というのである。』

夢の話しですが、「夢が現実なのか? 現実が夢なのか?」
この荘子の問いは、「この世の真実は何か」といっているようで、
とても深く考えさせられます。

このような夢を見たことはありませんか。
兼好は、このところを読んで、
ひとりニコッとしていたかもしれませんね。


真に頼るべきもの、心の余裕

心のありかたを日々に考えていた兼好。
次のようなことを述べている第二百十一段があります。

よろずの事は頼むべからず。
愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事あり。
             

よくあることかもしれません。
頼んだことがうまくいかないからといって、
恨んだり怒ったり。
そうなると大変です。
兼好は言います、頼み事はするな
また、“自分も他人も頼りにしない”ことが大切なのだ、と。

もしや、兼好は出家する以前、さまざまな問題を抱え、
ときには悩んだ末に、頼み事をしたのかもしれません。
そして、わかったことなのでしょうか。
兼好は、権勢や財産、また学才や徳、
そして、主人や家来にも頼るな、すぐにそむかれることがある。
まして人の厚意、また約束も「信ある事少なし」
と、言うのです。

では、「真に頼るべきもの」は何なのでしょう。
兼好はそれについてはふれてはいませんが、
心のありかた、それも心の平穏をもたらすものについては
語っています。
兼好が言いたかったことは次のようなことです。

他を頼らず、心の余裕をもとう。
心に余裕を持っていれば、いささかも傷つくことはない。

人間は天地と同じような無限の可能性を持っているのだから、
寛大で柔軟な心を持っているとき、
喜怒の感情に心が妨げられることもなく、
他に煩わされることもない、と。
(『3日でわかる古典文学』監修 大橋敦夫・西山秀人より)

やはり真に頼れるものは心のありかた。
それも、「ゆるくしてやわらかな心」をもつことなのでしょう。

つづく





資料:
『徒然草』 西尾実・安良岡康作 校注 岩波文庫
『3日でわかる古典文学』 監修 大橋敦夫・西山秀人 ダイヤモンド社
『国語百科』 編集代表 内田保男・石塚秀雄 大修館書店
『老子』 金谷治著 講談社学術文庫
posted by 事務局 at 11:39| Comment(0) | 兼好法師

2010年10月15日

第十九回 兼好法師「徒然草」



その1 つれづれなるまゝに

つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、・・・・・。

兼好法師による『徒然草』序段の冒頭です。
鎌倉時代末期から南北朝時代に書かれたこの随筆は、時代に伴い、人により、さまざまな読み方ができるといわれています。
そこに書かれた「人間の本質や人との関係、人生の考え方」などは、教えられるところも多いのです。
今回は、兼好法師が綴った心の在り方をとおして、
よりよく生きる方法を学んでみたいと思います。

前回の主題だった明恵の時代からは、ほぼ140年後、
兼好法師は、明恵に心惹かれたのでしょう、
栂尾(とがのを)の上人として、ほほえましく描いています。
まずはそのところからはじめましょう。


豊かな誤解力

栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、河にて馬洗う男(おのこ)、
「あしあし」と言ひければ、上人立ち止りて、
「あな尊(たふと)や、宿執開発(しゆくしふかいほつ)の人かな。
阿字々々(あじあじ)と唱ふるぞや。如何なる人の御馬ぞ、
余りに尊く覚ゆるは」と、尋ね給ひければ、
「府生(ふしやう)殿の御馬に候ふ」と答へけり。
「こはめでたき事かな。
阿字本不生(あじほんふしやう)にこそあンなれ。
うれしき結縁(けちえん)をもしつるかな」とて、
感涙(かんるゐ)を拭(のご)はれけるとぞ。

(第百四十四段)


明恵の人となりがよく描かれていますね。
――明恵が道を通りかかると、
河で馬を洗う男の「足、足」と言う声が聞こえます。
男は、馬の足を後ろに引かせようとして、
「足、足」と言っていたのでしょう。
それが、信心深い明恵の耳には、「阿字(あじ)」と聞こえたのです。

《「阿字」とは、
梵語(ぼんご)の十二母韻の第一で、
この音が本となって一切の語を生じ、
この字が元となって、一切の梵字が始まることから、
仏教では、この字に、宇宙一切の本源・種子として
多くの意義を付しているのです。
「宿執開発」の人とは、
宿執(前の生において執(と)り行った善根功徳)が
開発(今の世において開きおこって、善果を結ぶこと)した人。
参考資料:『徒然草』西尾実・安良岡康作 校注より》

そこで、明恵は立ち止まって、
「これはなんと尊いことだ。
善根功徳の人と見えて阿字阿字と大声に呼んでいる。
どなたの馬であろうか」
と問うてみたところ、
男は答えます、
「府生殿(ふしやうどの)のお馬でございます」と。
すると、明恵にとって「府生」という下級役人の呼び名は、
阿字の本質である一切諸方不生不滅の「不生」と聞こえて、
「これは、これは、阿字本不生とはなあ。
今日はまことに嬉しい法縁にめぐりあいました」
と、
感動の涙を拭(ぬぐ)ったというのです。
(明恵の言葉の現代語訳は、『徒然草を読む』上田三四二著より)

阿字本不生とは、
阿字は一切の語と字の本源であることから、
すべての諸法〔現象〕の根源として、
他の因より生じたものではない。
このことを悟れば、一切の諸法も、
もともと不生不滅であるという理。
『徒然草』西尾実・安良岡康作 校注より》

明恵と男の受け答えは、すっかりくいちがっていましたね。
明恵の「誤解」した「足」と「阿字」、「府生」と「「不生」のことは、
日ごろから、一心不乱に、この世の真理とは何かと考え、
懸命に修行に励んでいるからこそ生じたことなのでしょう。
明恵の人生にとって、「阿字」「不生」とは、
それほど特別に重い意味をもっていたのです。

白州正子氏は、その著『明恵上人』で、
この話について、次のように述べられています。

「短い文章の中に、
明恵の全貌を描きつくしている。
毎日のように見た夢も、
明恵は自分の方にひきよせて、
解釈している場合が多く、
天才に共通な、豊かな誤解と独断によって、
彼は自分の信仰を深めるとともに、
高い信念に到達して行ったのです」
と。

ところで、馬を洗う男は、どう思ったのでしょう。
なにやらしきりに感激しているお坊さんですが、
そのやりとりの中で、あたたかい至福のようなものを
感じたかもしれません。
それは「明恵が自分の周りに浄土を現出せしめた人」と
いわれるからです。



兼好の微笑

『徒然草』の中で多くの僧のことを書いた兼好ですが、
そのほとんどが皮肉っぽく批判的でした。
しかし、この明恵のときには不思議に皮肉も批判もありません。
兼好の明恵にたいするこのような想いについて、
『徒然草を読む』の著者上田三四二氏は、
次のように述べられています。

第百四十四段を記すとき、
兼好の唇に微笑が浮かんでいたかもしれない。
しかし、記し終わったとき、微笑はもう消えている。
「感涙を拭はれけるぞ」――この段をこう書き終わったとき、
兼好には、明恵の児童のような至純に刃向かいうる現実は
どこにもないように思われた。(略)

そして、
彼は微笑を持って向かおうとしても、
いつしか仰ぎ見てしまうようなものを明恵に感じている。
兼好は、現世において「あるべきやうにあらん」と願いつつ
真に超俗的であった明恵という一人の僧の上に、
ありうべき至高の人間存在の形を見ているのである。


このように明恵のことを至高の人と見た兼好法師とは
どのような人だったのでしょう。



卜部兼好(うらべかねよし)こと兼好法師


兼好の生まれた年は、弘安6年(1283)前後といわれています。
名前は、卜部兼好(うらべかねよし)といいます。
家は代々、神祇官(じんぎかん)として朝廷に仕えていました。
兼好も後二条天皇の御世(1301〜1308)の頃、
朝廷に仕え、蔵人を経て佐兵衛佐(さひょうえのすけ)になりました。
幼少の頃から聡明で、記憶力も抜群。
鋭い感性と洞察力、論理的な思考力も合わせ持っていました。
そして、和歌を学ぶとともに、
朝廷や武家の礼式の知識である有職故実(ゆうそくこじつ)も吸収、
和・漢・仏にわたる広い教養を得ていたといわれています。

しかし、そうした仕官生活の間に、
いつしか出家遁世の志が芽生えてきたのです。
その頃に詠んだ歌があります。

   世をそむかんと思ひ立ちし頃、
   秋の夕暮れに、

そむきなば いかなる方に ながめまし
   秋の夕べも うき世にぞうき


   世の中あくがるる頃、
   山里に稲刈るを見て、

世の中に 秋田刈るまで なりぬれば
   露もわが身も おき所なし

原文出典『兼好法師集』


「わが身もおき所なし」とは・・・・・、
鬱々としたその頃の気分がしのばれますね。

やがて、正和2年(1313)のこと、
兼好、およそ30歳頃だったでしょうか、
彼は、「兼好御坊(けんこうごぼう)」と呼ばれる遁世者になって
いました。
そして、詠った歌は、

さても猶(なほ) 世を卯の花の かげなれや
   遁れて入りし 小野の山里


出家した兼好は、「小野の山里」に住み、
遁世の道を歩き始めていたのです。

出家によって彼が捨てたものは、
「卜部家という下級貴族の家柄によって彼を規制する世間」です。
時代の風は、どのように吹いていたのでしょう。



ものぐるほし

当時は、あらゆるものが大きく変わろうとする時代でした。
そこでは、今までの常識というものが通用しなくなり、
人々の間では、先の見えない不安定な気分が漂っていたのです。

このような時代の中で、出家し遁世したといっても、
兼好は、なかなか世間を捨てきれませんでした。
みずから選びとったにもかかわらず、
「つれづれ」という孤独で物寂しい日々を
つらいと感じていたようです。
序段を読んでみましょう。

つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、
心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。


心のうちに物寂しい思いをいだいてを過ごす兼好は、
その心にうつりゆくものを書きとめていくとき、
「あやしゅうこそものぐるほしけれ」となってしまったのです。
それは、前述の上田三四二氏によれば、
書くことによって過去が押しよせてくるからである。
捨てたはずの名利が見えてくるからである、
と。

書くという行為の中でよみがえってくる世間への想いは、
なかなか捨てきれなかったのでしょう。
しかし、兼好は書き続けるのです。
上田三四二氏は、それについて、

彼は閑暇に徹しようとして徹しきることのできない心を
もてあつかいかねて、その心中に動くものを文章に移そうと試みる。
もちろんただ移すのではない。
漫然と移しているかに見えるその過程において心を立て直し
言いがたくもの狂おしいみずからを克服しようとしているのである、

と。

「心を立て直し、狂おしいみずからを克服しようと」して、
心の中にうつるものを書きつづける兼好。
その後、彼の意識はどのように変化し、生きていったのでしょうか。

つづく



資料:
『徒然草を読む』上田三四二著 講談社学術文庫
『徒然草』西尾実・安良岡康作 校注 岩波文庫
『3日でわかる古典文学』監修 大橋敦夫・西山秀人 ダイヤモンド社
『明恵上人』白州正子著 新潮社

posted by 事務局 at 15:11| Comment(0) | 兼好法師