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2010年05月15日

第九回 仏陀 (ブッダ)



その3 道の人・ブッダの言葉

35歳のとき、ネーランジャラー河の畔、
ブッダガヤーで悟りを開いたゴーダマ・シッダッダ。
それからも、ひたすら修行の道を歩んでいきました。
まさに〈道の人〉といえます。
そして、人々に法=真実の智慧を教え語るなかで、
ブッダとなっていったのです。

今回は、その〈道の人〉、ブッダの言葉にふれながら、
〈よりよく生きる道〉について考えてみたいと思います。



伝道の旅

伝道のため行脚した地域は、
ガンジス河流域を中心にひろがっています。
「歩くことが聖者を鍛える」といいます。
ブッダの「人類の最善最良の知恵」は、
生涯を賭けた行脚の中で生み出されていったのです。

ブッダの生きた紀元前5世紀ごろは、
各地に都市国家が成立し、
経済的にも大きな変動の時代を迎えていました。
人間関係も血族を基盤としたものから、
さまざまな出身地をもつ都市型の人間関係へと変わっていったのです。
その激しく動く時代の中で、
多くのひとびとが迷い悩み暮らしていたことでしょう。

故郷のカピラヴァットウに帰ったのは、
出家から9年後のことでした。
そのとき、わが子ラーフラ、異母弟ナンダを出家させました。
父・シュッドーダナが高齢で亡くなった後には、
育ての母マハープラジャーパティや妻ヤショーダラーも
出家して尼僧になったのです。



ブッダの教え


日が暮れて、暑熱がおさまり、
たむろしているものたちみんなが活気を帯び、
集合したとき、彼らは仏陀が教えを説くのを聞いた。
その声を聞いた。
声も完全であり、完全な安らかさと平和にみちていた。

ゴーダマは、苦悩について、苦悩の由来について、苦悩を除く道について教えを説いた。
その静かな話は安らかに曇りなく流れた。
人生は苦悩であった。
世界は苦悩であった。
しかし苦悩からの救いが見いだされた。
仏陀の道を行くものは救いを見いだした。

穏やかな、しかし確固たる声で、
正等覚者は語り、四諦(したい)を教え、八正道を教えた。
根気よく、教え、実例、反復のいつもの道を歩んだ。
澄んで静かに、彼の声は光のように、星空のように、聴衆の上をただよっていった。

『シッダールタ』ヘッセ/高橋健二訳より


ヘルマン・ヘッセが描き出すブッダです。
悟りの日から以後45年の歳月、
迷い悩む人々に「智慧」を教え、
人々に生きる勇気を与え続けました。



見いだした理法(ダンマ)

それは、縁起の理法と相互依存の関係です。

これがあるときにこれがある。
これが生起するからこれが生起する。

初期仏教経典「ウダーナ」『ブッダの人と思想』中村元・田辺祥二著より


すべてのものは様々な原因と要素が寄り集まり、
かかわり助け合ってつくりあげられ、
変化しているということです。

『発句経』には、

すべての形作られたものは変化し(無常)、
思うようにならず(苦)、
私のものはない(無我)
という現実がこの世間であり、
それはみな衆縁和合して生成し、
変化し、消滅している。

『人間ブッダ』田上太秀著より


ブッダは、この「すべてのものがかかわり合ってある」
ということについての無知が、苦しみの根源であることを
見いだしたのです。
「その無知が自己中心的な行い、奢り、むさぼりなどの
煩悩を起こしている」
と。

「苦」とは、「思い通りにならないこと」をいいますが、
この世は、すべてのものがかかわり合っていて、
自分だけのものではないのですから、
思い通りにならないことが多々あるものです。



中道

また、ブッダは生きるための最良の道を見いだしました。
それは、中道です。

修行者らよ、出家者が実践してはならない二つの極端がある。
一つはもろもろの欲望において欲楽に耽ることであって、下劣・野卑で凡愚の行ないであり、高尚ならず、
ためにならぬものである。他の一つはみずから苦しめることであって、苦しみであり、高尚ならず、ためにならぬものである。
真理の体現者はこの両極端に近づかないで、
中道をさとったのである。・・・・・

「サンユッタ・ニカーヤ」ブッダの人と思想』中村元・田辺祥二著より


ブッダが中道を教えた有名な次のエピソードがあります。
仏弟子ソーナが激しい修行でいきづまっていました。
そこでブッダが、琴を例にとって戒めるお話です。
琴は、よい音色を出すためには
弦を張りすぎても、緩めすぎてもいけないのですね。
弦はちょうどよいように張り、
調子をととのえることが必要です。
修行も中をとって、よい加減でやらねばと教えたのです。

「中道」は、中途半端の道ではありません。
それは、ゆったりとした道。
その道を、おおらかに歩くのが中道。

この中道の生き方を実現するために、
四つの真理と八つの正しい道があると説きました。



四諦八正道(したいはつしょうどう)

四諦とは、苦(く)・集(じゆう)・滅(めつ)・道(どう)。
人間の生き方にまつわる四つの真理といわれています。
これを見きわめることもまた大切なことです。

第一の命題は、人生は苦だという「苦諦(くたい)」。
人生が苦であるのは、なぜでしょう。

第二の命題は、苦しみの原因「集諦(じったい)」です。
人の欲望はつきることなくわきあがってきます。
人生における苦しみは、
この欲望による妄執(渇愛)が起すものです。

この苦しみを除くためには
執着を滅する必要があります。
これが第三の命題の「滅諦(めつたい)」です。

そして、苦を滅するための正しい実践=道が
第四の命題、「道諦(どうたい)」です。

正しい実践=「道」が最後になっています。
「道」を大切にしたブッダの思いです。

欲望へのこだわりから自由になる努力、
その誠実な生き方にこそ最善の意味があると考えたのです。
これがブッダの人間観の本質といわれています。
その八つの正しい道、「八正道」は次のようなものです。

じつに〈苦しみの止滅にいたる道〉という聖なる真理は、次のごとくである。略
正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。

「サンユッタ・ニカーヤ」『ブッダの人と思想』中村元・田辺祥二著 より




最後のことば

ブッダの「智慧」を説く旅も45年が過ぎました。
いまや80歳の高齢。
最後の旅の記録が『大パリニッパーナ経』となっています。
そこにも法=真実を大切にしたブッダの言葉が残されています。

みずからをたよりとして、他のものをたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとするな。


若い修行の日々を過ごした思い出の地・ヴェーサーリーでは、

ヴェーサーリーは楽しい。略
この世界は美しいもので、人間の生命は甘美なものだ。


常にこの世の苦を説いた道の人。
そのブッダから出たこの言葉には感動してしまいます。
「くもりなき心にうつるこの世の風景」です。

そして最後のことば、

さあ、修行僧たちよ。おまえたちに告げよう。
『もろもろの事象は過ぎ去るものである。
怠ることなく修行を完成なさい』と。



五木寛之著『仏教の心』では、
ブッダについて、次のように述べられています。

ブッダは命がけの苦行を体験し、
その後の瞑想によって思索と直感の深い合一をえて、生涯ひたすら人々に教えを語って、旅に死んだ。
争わず、戦わず、名誉も富も求めず、権力にへつらわず、だれをも差別せず、やがて病に倒れる。
その一生はため息がでるほど人間的だ。
超人的とも思えるほどの論理と、
じつに親しみを感じさせる生涯と、その問いの驚くべき落差こそが二千数百年の時間をこえて私たちに迫ってくるのである。


ブッダ80年の生涯でした。





資料:
『ブッダの人と思想』 中村元・田辺祥二著
『シッダールタ』 ヘッセ/高橋健二訳 新潮文庫
『ブッダの世界』 中村元編著 学習研究社
『人間ブッダ』 田上太秀著 第三文明社 レクルス文庫
『釈迦とイエス』 ひろ さちや著 新潮選書
『釈迦の本』 学習研究社
『仏教のこころ』 五木寛之著 講談社
『ブッダの教え』 文・山折哲雄 写真・大村次郷 集英社
posted by 事務局 at 05:01| Comment(0) | 仏陀 (ブッダ)

2010年04月30日

第八回 仏陀 (ブッダ)



その2 修行者ゴーダマ・シッダッダ

またわたくしは一日に一食を摂り、
あるいは二日に一食を摂り、・・・・・
七日に一食を摂った。
このようにして、わたしは半月に一食を摂るにいたるまで、
定期的食事の修行に従事していた。
わたしは野菜のみを食し、
あるいは稷(きび)のみを食し、あるいは・・・・・
またわたしは森の樹の根や果実を食し、
あるいは自然に落ちた果実を食して暮らしていた。

「マッジマ・ニカーヤ」『ブッダの人と思想』中村元・田辺祥二著より

人生の真理を求め、29歳で出家したブッダ。
本名ゴーダマ・シッダッダ。

苦行にはげむブッダの姿が、等身大の彫刻として
ラホール博物館(パキスタン)に所蔵されています。
写真で見ると、やせ衰えてあばら骨もくっきりと、
血管さえも浮きだしています。

今回は、ブッダの修行の一端にふれて、
“生きる”ということを、考えてみたいと思います。


真理への遍歴

出家したシッダッタは、遍歴修行者となりました。
まず、アーラーラ・カーラーマと
ウッダカ・ラーマプッタという仙人を訪ねます。
その修行は、「無念無想の深遠な境地に至る瞑想法」
すぐさまその修行を体得しましたが、
その修行法に満足することはできませんでした。
瞑想から覚めるとどうなるか。
心はもとの状態にもどり、
ふたたびさまざまな煩悩が起こってしまうのです。
シッダッタは考えます。
煩悩の起こる根本の原因はなにか、と。


苦行へ

シッダッタは、修行者たちが集まり、
さまざまな苦行を行なっている森に入りました。
それは、ネーランジャラー河のほとりのセーナー村。
緑の木々があり、人影も少なく、静けさが漂う地でした。
シッダッタは苦行に身を投じます。
身心を賭けたきびしい実践の中から、
安らぎの境地へ突き抜けようとしたのでしょう。

苦行は、古代より宗教者が行なってきた修行方法の一つで、
断水、不臥(ふが)、断食、調息、不眠、特定の身体的ポーズを長時間保つことなど、身体をきびしく抑圧し、
肉体に苦痛を与えることにより、精神の浄化をはかるもの。
その原語「タパス(熱)」が示すように、
その結果として偉大な力を生じ、
奇跡を起すものと考えられていた。

『ブッダ』監修・奈良康明より


まず、心の乱れを抑える苦行を始めました。
どのような苦行なのでしょうか。

座して歯をしっかりと噛み締め、
舌を上顎につけて微動だにしないもので、時間がたつにつれて、頭を大石で押さえつけられたような苦痛が忍び寄ってくる。
苦痛から逃れようとする心の乱れは凄まじいまでに
激しくなってくるのだ。

『釈迦の本』学研より


苦痛を起こし、それに耐える力を・・・・・。

暑い日も、寒い日も、わたしはただ一人、
聖なる〔 真実 〕を求めて、裸で、火もなく、
おそろしい森に住む。

『中部経典 十二経』


肌を包む布は、ゴミの山や火葬場で拾い集めたもの。
深夜に坐るのは、野獣がうろつく墓場。
屍の骨が寝床。
牛飼いの少年たちがやって来て、ゴミを身体にまき散らす。
両耳の穴に木片を突っこまれる。
しかし、怒ることもなく、
心の平静に住する行をおこなうシッダッタ。

何ごとにも動揺しない心、
自我にとらわれることない心。
生の真実を求める修行には、
「私が」とか、
「私のもの」という自我はない。
心の平静を保ちつつ、自我を超えたものに向かうシッダッタ。

肉が落ちると、心はますます澄んでくる。
わが念(おもい)を智慧と統一した心とは
ますます安立するにいたる。
わたくしは安住し、最大の苦痛を受けているのであるから、
わが心はもろもろの欲望にひかれることはない。
見よ、心身の清らかなことを。

『スッタニパータ』


月日が流れ、
年が過ぎました。
苦行を重ねて6年。
しかし、まだ悟ることがなかったシッダッタ。

ある朝、衰弱した身体をひきずり、
苦行林の近くに流れるネーランジャラー河にたどりつくと、
水で身を浄め、ニャグローダ樹の下に坐りました。
伝説のよると、そこで村の娘スジャータの捧げる乳粥を飲んで
元気を回復したといわれます。

こうして、シッダッタは苦行をはなれ、独自の道を歩みだしました。
答えを求め、新しい境地を開くために・・・・・。


菩提樹の下で

シッダッタは、しばしの休養をとり、
断食で衰弱しきった体力の回復を待って、
ガヤーの町外れに行きました。
一本のアシュヴァッタ樹をみつけたシッダッタは、
この樹を次の修行の場所ときめ、深い瞑想に入ったのです。
古来、この樹は神々が宿る霊樹として知られていました。
ブッダがこの樹の下で悟りを開いたので、
一般に菩提樹という名で呼ばれています。

この樹が、夢の島熱帯博物館にあると聞き、出かけてみました。
ありました、インド ボダイジュ
そばに、ムユウジュ(無憂樹)の花が咲いていました。
シッダッタの母マーヤーがこの花を手にとろうとしたとき、
急に産気づき、シッダッタが誕生したといわれています。
この日本で咲く美しいインドの花!
(ムユウジュの原産地はインド、東南アジア)



覚醒の日

身心のすべてを賭けての求道。
その修行が成就する日がやってきたのです。

日が暮れると、瞑想をいっそう深くして精神を鏡のように
研ぎ澄ませた。瞑想が瞑想を生み、真実が真実を導き出す。

『釈迦の本』学研より


どのような真実が導き出されたのでしょうか。
そのとき、シッダッタ(ブッダ)に何が起こったのでしょうか。
成道の体験とは!
答えは簡単ではないとのこと。
『ブッダの人と思想』中村元・田辺祥二著では、
「答えは必ずしも簡単ではありません。
なぜならこの成道の体験は、ブッダの人格の深い秘密の部分に根ざしているからです。どうしても論理や経験則では解けない
謎の部分といっていいでしょう」
と。
でも、すこしは知りたいと思います。
そこで、『ブッダの人と思想』中村元・田辺祥二著を手元におき、
考え、感じ、想像してみましょう。

ただ、この体験が、ブッダの人格を根底からひっくり返し、
それまでの人格とは百八十度の大転換をきたした。


成道の体験によって、百八十度の大転換をした人格。
ここでいわれる人格とは、自己とは、どういうものなのでしょう。

人間の人格の中心にはやむにやまれぬ生存への執着があり、それを中核(コア)としてさまざまな欲求をのばし
世界像を形造っています。

人間は根元的な生存欲を中核とし自己を構築しています。


根元的な生存欲がさまざまな欲求や願望を生みだし、
自己を中心とした世界をつくりあげているということですね。
それは、自分に都合のよい世界像になりがちです。
その世界像がひとりよがりのものになってしまえば、
他との争いにまでなりかねません。
人がもってしまう苦悩もまた生存欲に根づいた妄執や執着から
生みだされたものです。
私たちの見ている現実とは、
自分自身の欲望がつくりあげた仮構の世界像だとしたら・・・・・、
私たちは「ありのままの世界」を見てはいないのです。

ブッダも人間である以上、老病死の苦悩を背負っていました。
この苦悩は深く生存欲に根づいているのです。


覚醒の日、シッダッタ(ブッダ)の内部で起こったことは、
自らの生存欲の中核を打ち砕いたこと。
自己の中核を打ち砕けば、
それまでの悩み苦しんだ自己は消滅してしまいます。
自己が消滅すれば、
自己の生存欲によってつくりだされた仮構の世界(現実)は、
壊れ滅してしまいます。
そうすれば、そこには「ありのままの世界」
ありありと目の前にあらわれるのみです。
それは無我の体験です。

原始仏典の『ウダーナ』には、成道の過程が
初夜(夕方)、中夜(夜中)、後夜(明け方)の詩になっています。

〈初夜の偈〉
努力して思念しているバラモンに、
もろもろの理法(ダンマ)が現れるならば、
彼の疑惑はすべて消滅する。
原因〔との関係をはっきりさせた縁起〕の理法を
はっきりと知っているのであるから。

〈中夜の偈〉
努力して思念しているバラモンに、
もろもろの理法(ダンマ)が現れるならば、
彼の疑惑はすべて消滅する。
もろもろの〔 縁 〕の消滅をはっきりと知ったのだから。

〈後夜の偈〉
努力して思念しているバラモンに、
もろもろの理法(ダンマ)が現れるならば、
かれは悪魔の軍勢を粉砕しているのだ。
あたかも太陽が天空を輝かすようなものである。

「理法(ダンマ)があらわれる」! それは、悟りを得たこと。
今までの悩み苦しみは、理法を悟ることにより
吹き飛んでしまったのです。
悟りを得たのです。
悪魔の軍勢を粉砕し、太陽が天空を輝かすのです。
シッダッタの心は晴れわたりました。

悟りを開いて覚者となったゴーダマ・シッダッタ。
そのとき、35歳でした。



参考文献は次回参照
posted by 事務局 at 11:32| Comment(0) | 仏陀 (ブッダ)

2010年04月15日

第七回 仏陀 (ブッダ)


その1 めざめた人

「あれを見よ!」と
シッダールタは小声でゴーヴィンダに言った。
「あの人こそ仏陀だ」 略

仏陀はつつましく考えにふけりながら歩いていった。
その静かな顔は楽しそうでも悲しそうでもなかった。
かすかに心の中に向かってほほえんでいるように見えた。

『シッダールタ』ヘッセ/高橋健二訳より


ブッダの姿を今によみがえらせたヘルマン・ヘッセ。
その美しい描写は心の中に刻み込まれます。

ひそやかな微笑をたたえ、静かに、安らかに、
健康な幼児さながらに、仏陀はそぞろ歩いていた。
すべての僧と等しく、厳格な定めに従って、
衣をまとい、足を運んでいた。
しかしその顔は、その歩みは、
その静かに伏せたまなざしは、
その静かにたれた手は、
さらに、静かにたれた手の指の一つ一つまでが、
平和と完成を語っており、求めず、まねず、
しおれることのない安らかさの中で、
しおれることのない光の中で、
侵すことのできない平和の中で、
穏やかに呼吸していた。


仏教の始祖・ブッダがいま目の前を歩いているよう気がします。

前回は、玄奘三蔵、ブッダの国への求法の旅。
当時、玄奘がたずねた祇園精舎(ブッダ説法の地)は、
すでに廃墟となっていました。

  月の光は冴ゆれども
  精舎のあとは寂びはてぬ
  貧しき人を、はた、病み人を
  救いし聖者、いまいずこ?!

『ザ・西遊記』呉承恩著作 全訳・村上知行より


今回は、人が生きていくうえで、
もっとも大切なこころの持ちようを説いた
ブッダの生涯にふれてみたいと思います。

ブッダとは、インドで「真理を覚り、体現した覚者」の尊称であり、
「めざめた人」のことを意味します。



ゴータマ・シッダッダ

ブッダが生き、活躍したのは紀元前5世紀頃のインドです。
誕生は、定説では紀元前463年。
本名は、「ゴータマ・シッダッダ」
ゴーダマは、「最上の牛を持つ者」、
シッダッタは、「すべてを成し遂げた人」と言う意味で、
シャーキャ(釈迦)種族のなかの、農耕民の一氏族です。
父・シュッドーダナは、シャーキャ種族の長、
または、王ともいわれています。

ブッダのことを釈迦と呼ぶのも、シャーキャ族の出身だからです。

手元に大型本『ブッダの世界』(中村元編著)があります。
開くと「シャーキャ族の地、ネパール=タラーイ」の写真。
ヒマラヤの美しい峰峯が遠くに見え、
車を引く牛たちが夜明けの路を歩んでいます。
解説には、その姿は、「2500年の昔も今も変わりはない」と。
少年時代のブッダも、
夜明けの路を行く牛たちを眺めていたことでしょう。
タラーイ盆地はヒマラヤの裾野、現在のネパール領の南端です。

この地に、ブッダの生まれたルンビニー園があります。
インド国境から8キロほどネパールに入った農村。
大きな菩提樹の側に、ブッダの母のマーヤー夫人堂が建ち、
そこには、ブッダ生誕を表す浮彫りが祀られています。



幸せな少年時代、しかし・・・・・

ブッダが幼年時代を過ごしたのは、
豊かな平野にあるシャーキャ族の都カピラヴァストゥ。
学んだのは、語学、算数、天文、地理。
弓や刀などの武器の使い方、戦いの方法、馬術なども。
それに、相撲の四十八手。
当時の姿が、ガンダーラ地方から出土した彫刻に
残っています。
それは、馬に乗って学問処に行き、学友と一緒に学ぶ姿。
当時、武術は、戦いのためだけではなく、
聟選びのための競技としても行なわれました。
妃ヤショーダラーを得るとき、シャーキャ族の若者たちと、
弓の技能を競った伝承が残されています。

そして、シッダルダ(若き日のブッダ)の生活は、
春、夏、冬の季節ごとの、過ごしやすい別邸があり、
多くの付き人もいました。

まだ出家していないころの私は、
苦しみというものを知らなかった。
幸せな生活をほしいままにしていた。
父の屋敷には池があり、
青い蓮華、赤い蓮華、白い蓮華が美しく咲いていた。
私の部屋には、カーシー産のビャクダンの香りが
いつも心地よく漂っていた。
衣服もすべてカーシー産のりっぱな布で
仕立てられていた。 略

このように私は富裕な家に生まれ、
幸せな生活を営んでいたにもかかわらず、
内心では決して満足していなかった。

『増支部経典』抄訳 (『人間ブッダ』田上太秀著より)


物質的に恵まれた生活も、学問や武術も、
心に満足を与えなかったとは・・・・・。
ブッダは、生後7日にして母マーヤーを失っていました。
以後、母の妹マハープラジャーパティに育てられています。
母の死は、少年の心にどのような影響を与えていたのでしょう。

農耕祭に参列したときのことです。
畑を這う小さな虫を眺めていると、
小鳥が飛んできてすぐにその虫を食べてしまいました。
するとこんどは、
大きな鳥が襲ってきてその小鳥を食べてしまったのです。
あっという間のことでした。

「ああ・・・・・なんということだろう
瞬く間に、命が次々に失われた。
いったい、生きるということに
どんな意味があるのか。
生き物は、なぜ生きて、なぜ死ななければならないのか。

『増支部経典』(『釈迦の本』学研より)


弱肉強食の世の中。
苦しげに農具を引く牛や、
一日中、働きつめて疲れた様子をみせる農夫に
心をいためる若き日のブッダ。

老いや病や死の苦しみをみつめ、
それらが、すぐにも自分の身に迫ってくることを感じとり、
坐禅をして考え込む日々が多くなったそうです。

生きることの真実を見極め、
究極の安らぎの境地を求める心がめばえたのでしょうか。
いつかは出家してその境地に達したいと思うようになったのです。

出家を決心したのは、
妻・ヤショーダラー妃に男子が誕生した後のことです。
生まれたわが子につけた名前は、「ラーフラ」。
その意味は、「束縛」、「障害」です。



29歳、家庭を捨てて、求道の旅へ

この青年ブッダの旅立ちの物語ほど
私たちの胸を躍らせるものはない。
仏教という大河の源流が、
その一滴のしたたりからはじまるのだ。
体一つで家を出離したブッダは、
それから六年間の筆絶につくしがたい苦行生活に
身を投じるのである。 略

感動するのは、
29歳の家庭持ちの男性が、
生活上の必要からでなく、
人生の真理を求めたいと
再出発するにいたる内面のドラマである。

『仏教のこころ』五木寛之著より


古代インドには、「出家」する風習があったとはいえ、
父や養母や妻と幼い子を捨て、体一つで家を出る決意とは、
その心の葛藤は、はかりしれなく深く激しいものだったでしょう。

深夜、愛馬カンタカに乗って、密かに宮殿を出ると、
夜明けには、アノーマー河のほとりに着き、
剣をはずし、みずから髪を切り、身に着けた装身具を手渡し、
従者チャンナに告げました。

父上に申し上げてほしい。
生死の問題を根本的に解決するために
私は出家します。
生きとし生けるすべてが
限りない悩みと苦しみから解放されて
最高の安らぎを得るために、
修行の旅に出ます。
私は、最高にして無上の“悟り”を体得するまで
決して国に帰ることはありません。

『釈迦の本』学研より


ナーガルジュナ=コンダ出土の一連の浮彫りには、
うちしおれて帰城した従者と愛馬。
そして、知らせをうけるシュッドーダナ王。
右端には、悲しみにくずれおちるヤショーダラー妃。

『ブッダチャリタ』(釈迦の生涯を謳い上げた叙事詩)に、
ヤショーダラー妃の悲しみが詠われています。

善業・功徳(ダルマ)をともに積む伴侶であった私を捨て、身よりなき女にしておいて、功徳を積もうと望んでも、この伴侶なしに苦行(の功徳)を享受しようなどと望むような人には、どうして功徳なんかあるものか。
(『ブッダチャリタ』第八章。アシュヴァゴーシャ作 原実訳
『釈迦とイエス』ひろ さちや著より)


ヤショーダラー妃の怨みの言葉です。
古代インドでは、
一定の年齢に達したら、夫婦そろって出家する風習があり、
宗教的隠棲生活をすることがあったのです。
それを待たないで、自分だけ出て行くとはと・・・・・。

一介の出家修行者となったゴーダマ・シッダッタには
どのような苦行が待っていたのでしょうか。
そして、父や養母や妻子のその後は!

つづく




資料:
『シッダールタ』ヘッセ/高橋健二訳 新潮文庫
『仏教のこころ』五木寛之著 講談社
『ブッダの世界』中村元編著 学習研究社
『原始仏教』中村元著 NHKブックス
『人間ブッダ』田上太秀著 第三文明社 レクルス文庫
『ブッダ』監修・奈良康明 実業之日本社
『釈迦とイエス』ひろ さちや著 新潮選書
『釈迦の本』学習研究社
『ザ・西遊記』呉承恩著作 全訳・村上知行
posted by 事務局 at 10:56| Comment(0) | 仏陀 (ブッダ)