春の波 2 [2014年02月25日(Tue)]
京都造形芸術大学の卒業制作展3月2日まで開催中です。 私はこの大学の臨時講師としてこの数年関わってきました。 <てびらこつぎっこ>も、ここからスタートしたと言ってよいでしょう。 人に教える力などない私ですが、感受性に富み、それゆえ悩み、どこか一途な学生たち、そしてその手が作り上げてゆく作品と関わる時間は、とても得がたいものです。2011年の4月から講師を引き受け、その月に初孫が生まれ、背中を押されるように東北被災地を巡り、その年6月から仲間と共に、風の布・パピヨンという名で動き始めました。その旅で、当時3回生の佐田芽衣さんが同行しました。私自身の人生観が変わってゆくようなこの間の出来ごとでしたが、当然、私が関わった学生たちにとっても大きな影響をこの複合大災害は、今も与え続けているように思います。 今回の卒展の展示者にわたしが関わったのは、3回生の前期のみ。あれから1年半でよくこれだけの作品をと、正直びっくりしました。制作してゆくことで自らを対象化してゆく時間を獲得して行けたのだと思える作品が何点もありました。 こじつけではなく、3・11以降の世界に、若い彼らが深く影響を受けているのではと、作品を見ていて感じました 使い古されたジーンズの生地をまるで裂き織の作業のように細くカットし、小さな円筒状にしたものをひたすら繋ぎ埋め込んでゆくという、繰り返しの作業。このジーンズをはきつづけた人と、作品を作り続けた人の体と時間が、共に柔らかに、そしてゆっくりと再生してゆくようだ。点描で描かれたGパンのヒップもいい感じ 長さ30メートルの綿ブロードに、極めて繊細なモノクロの型染め。「花は流れて魚達は漂いながら昇っていきます」作者の言葉です。この部屋は衆生曼荼羅。型を彫り続けることが生きることと同義なのがすごくわかる。 厚手のレーヨンにモノクロのシルクスクリーン。様々な美しいストライプは、微妙にいつも動いているみたいで、視覚から触覚、聴覚まで揺らぎ始める。それが着衣に仕立てられた『立体』により、静かなバランスが執られている。 作者の言葉「・・私は目の前にあるものを正確に捉える事ができているだろうか・・見れば見るほど目に入るものの本質を見失う。疑わしい私の視覚だが、これを信じるしかない」 京都の春夏秋冬をテーマに織られた着物。経緯糸をボカシ染し、手織してゆく手間暇かかる作業を、この限られた期間で4反も仕上げた並々ならぬ力量と、その出来栄えに敬意を表します。『普段の生活の中で見過ごしてしまっている「色」を経糸と緯糸を通して「風景」として思い起こさせるような、そんな作品を生み出したいと願っている。』 人のみが異質な素材を身に纏う動物。 豹や、爬虫類の皮膚のような柄を纏うことでより強く高貴な存在になれるだろうか・・・服として、着用することを前提に作られた、とても力強い作品です。 どうか写真を拡大して、シルクスクリーンで染められた、このけったいな生き物たちを見てほしい。「私の大脳に宿り、指先から生まれた生きものたち。生きていることに意味などないが、生まれてしまったのだから仕方がない。どんなに他と違っていても」 彼女の<もがき>が形となった大学での4年間を想い、アートの力を思う。 人の手により作られた森の道に、新たに力強く繁殖してゆく植物たち。それを糸という素材、織りという技法でどうやって表現できるのか。「心を落ち着かせようとする行為と、表現する意味を探して心が揺らぎます」作者の言葉ですが、選びとったこの素材と技法こそ、この地をたくましく生きる命を表現するに相応しいと、私には思われます。 文豪ゲーテの最期の言葉「もっと光を」に心を動かされて、彼に捧げたオマージュ。 この光の部屋を、被災地で生きる人たちの所に持って行きたいような衝動に駆られた。 「羊毛は人間の皮膚と同じたんぱく質。触ると不思議にあたたかいです。それをフェルトにして身近にいる人達の手を21人分作りました・・・」 光あれ!! 京都造形芸術大学関係ブログ 春の波 1 https://blog.canpan.info/shamurie/archive/241 体・空気・布 https://blog.canpan.info/shamurie/archive/297 おかえり https://blog.canpan.info/shamurie/archive/189 |