めぐりあふ [2012年02月04日(Sat)]
|
1月27日(金) 釜石から大船渡へ 昨晩は、楽しい夕餉。釜石祥雲支援学校の美術担当の千葉久美子先生の計らいで一席。 魚だしの美味しい釜石ラーメンと、絶品のしかもなんとも謙虚な値段の肴と酒に舌鼓。平田仮設団地の男前・前川輝雄自治会長も加わり、塩鯛師匠、ポコ、ペコちゃん(澤畑明見さん)、6人で賑やかなひと時。お勘定を師匠がこっそりと支払う、さすがの上方の意気を見せてくれて、<おおきにご馳走さん!!>それにしてもお座敷に落語家の方が同席するとなんでこんなにも場が豊かに膨れて行くんやろ、それも艶やかに・・・ 釜石から大船渡に向かい南下するとき、時間があれば必ず立ち寄りたくなるのが平田仮設団地。何しろ私たちが手探りで動き始めた時、一番最初に訪ねたのがこの平田地区の避難所だった。釜石の海を見下ろす丘に建つ真っ白な観音様を左に見て45号線を下ってゆくとそこが平田地区。沿岸をゆくこの国道は開通していていたけれど、信号機は止まり、一日中、大阪府警の警官が交通整理をしていて、その交差点にあるガソリンスタンドもコンビニも壊れ、そこにいるだけでざわざわと居た堪れなくなるよう。たまたま歩いていた人に訪ね、避難所の場所を聞くことが出来、その交差点を左折し平田地区の中心部へ。息が詰まるような風景に言葉もなく、小川を右折して山寄りの道を上がり、辿り着いたのが旧釜石商業高校の体育館の避難所。その一番奥に座っておられたなんともきれいな佇まいの年配のご夫婦に、「お針箱をもってきましたが必要ですか?」と尋ねたところ、その奥さんの方の顔がみるみる変わって(私は今までこんなにも顔の表情が変わっていく人を見たことがなかった)、「ほしいです」とおっしゃった。 私たちが迷いながら始めた行為の意味を、全身で認めてくださったような瞬間でした。言わば私たちのその後の岩手を巡る旅のルーツがここなのです。 昨12月に来た時は、ここの集会所に泊まらしていただいて、北に向かいました。 あの交差点は、もちろん信号機は復活、コンビニもガソリンスタンドも開店、賑わっています。そのコンビニで朝飯を仕入れるのがこのところの常。今回もそこで朝食を腹に入れ仮設へ。 岩間恒子さんが迎えてくれました。部屋の中には、あのとき初めて会っってお針箱受け取ってくださった坂本さんや、野染を一緒にした久保さんも来てくれていました。 ![]() 岩間さんの部屋には、魔法の一本針で作られたものが一杯ありました。 ![]() 12月にここの集会所に泊まらせてもらった時に、木島知草さんから被災地の方にと、たくさん送られてきたカレンダーを受け取ってもらっていましたが、彼女は綺麗に塗り絵をしてありました。 狭い仮設に、7人もの人が座り話す話は、「あの時」のことになって行きました。今になって、ようやく話すことが出来ること。溢れ出るように話してくれました。被災地が初めての塩鯛師匠はずっと無言で聞いておられました。 とりあえず会うこと、話すこと。私たちの一番大切に忘れないでいたいこと。思いを新たにしました。 大船渡に入り、うさぎのしっぽパッチワーク教室の熊谷和子さんのお顔を拝見したくちょこっと寄り、大船渡保育園に向かいます。途中、三陸鉄道・盛駅の、ふれあい待合室にも久しぶりに寄って行こうということになりました。あれ以来ずっと不通になっていても、駅はその町の大切な人が集まる所。お茶っこや編みっこをしたり、地産の物を売ったり、情報を集め発信する拠点として、ますます大切な場所になっているように思いました。 ![]() そこにはなんと、10月にお邪魔した時お渡ししていた <てびらこつぎっこ>が飾られていました。 ![]() |









