CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 巡り合う | Main | ちくちく»
プロフィール

さんの画像
さいとうひろし
プロフィール
ブログ
<< 2012年05月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
カテゴリアーカイブ
リンク集
最新記事
最新コメント
さいとうひろし
 (05/22)
恵理子ママ
 (05/22)
さいとうひろし
多様な慈悲 (05/03)
河嶋のぞみ
多様な慈悲 (05/03)
さいとうひろし
気仙の空 (03/19)
野崎 太市
気仙の空 (03/18)
さいとうひろし
ゆいとり2 (03/11)
たんぽぽクラブ
ゆいとり2 (03/10)
さいとうひろし
耳を澄ます 7 (01/12)
恵理子ママ
耳を澄ます 7 (01/11)
月別アーカイブ
日別アーカイブ
http://blog.canpan.info/shamurie/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/shamurie/index2_0.xml
12月の三陸の旅 [2011年12月20日(Tue)]
 
彼女たちから託された物


今回、私は、二学期だけ臨時講師をしている、華頂女子高等学校の物作りコースの生徒7人に託された物を持ち、旅をしました。
9月から3カ月ほどの短い期間でしたが、その間私は、2回に亘る三陸への旅をしましたが、帰るごとに教室で待つ生徒たちに、被災地の様子や、出会った人たちのことなどを話しました。授業を重ねるごとにみんな、自分に深く向き合うようになってきたのが手に取るように分かりました。彼女たちの書くレポートもそれに連れ、長く豊かな内容になってきたように思います。そして私自身も、彼女たちとのやり取りの中で、ずいぶんと教えられたことがたくさんありました。





9月の初め、校庭で透け感のある綿ボイル20mを皆で染めました。




染めた布を皆で分け合い、
それぞれの作品(服やバッグ、シュシュなど)を作っていきます。
その中で、大きな蝶を作り始めた人がおりました。


てびらこつぎっこが始まりました。



最後はみんな居残り授業を何日も続け、美しく元気な作品が仕上がりました。
「縫っている時間の中でいろんな話が出来て、おっちゃんが言っていた、被災地でのみんなで縫うことの意味がわかるような気がしました」ある生徒の感想文にそう書いてありました。

私はこの作品を是非、ご縁が出来た三陸の方たちに見てほしいと思い、彼女たちに話すと、「おっちゃん持って行って」と嬉しそう。



私のコースは取っていない手芸クラブの生徒二人からも、手作りのお針箱6個も託されました。



大船渡保育園の、てびらこつぎっこの会で、見てもらいました。12月7日


被災地からの長旅から帰ると、私の身心はやはり疲れています。でも彼女たちの明るく、そしてひたむきな顔を見ると、いつも力がまた湧いてきて、どんなに助けられたかしれません。



彼女たちのそれぞれの思いもバッグに詰め12月の三陸旅は続きます。



てびらこつぎっこ論楽社 [2011年09月03日(Sat)]
急なお知らせです。
明日、京都岩倉の論楽社でてびらこつぎっこづくりをします。






2011年9月例会

2011年9月4日(日)の午後1時〜4時
論楽社(左京区岩倉中在地町148) 075-711-0334
参加費1,000円
斎藤洋さん(染色家)によるワークショップ
「てびらこつぎっこ(蝶の布)を縫おう」
持ち物は白い布(蝶になります)と針、糸(などの裁縫セット)
旅の話を聞きながら、みんなでチクチクする
 
論楽社の案内より



もっと早くブログでお伝えしておけばよかったと・・・
大事なことが抜けてしまいます。

論楽社を主宰する虫賀宗博さんは、彼の心のフィルターに留まってきてしまう人を、この論楽社に来てもらい、あるいはこちらから人々を引き連れて会いに行き、何しろゆっくりと車座になってその人を囲んで話を聞く、語り合うことを長く続けてこられた方です。
その結果として、何冊もの貴重な本も出版されています。
まず虫賀さんに会いに行きませんか?面白いですよ。







クロアゲハ [2011年08月09日(Tue)]
 
このところ毎年のように私の工房にやってくるクロアゲハ。
12年前に亡くなった弟と重なって私には特別な存在となっている。


今回の大災害に否応なく関わっていく中で、私の中で結んでいったイメージが蝶々。「蝶舞う海」という文章の中でも少し触れたことがある。論理的には説明しづらいことなのだけれど、私の中でかなり大きな存在として、このクロアゲハという蝶がある。





この5月の初め、私が最初の東北への旅の直後に、友人のSさんがふらっと私の工房に来てくれた際、「これ読んでみませんか」と手渡してくれたのが、田口ランディ著「パピヨン」(角川学芸出版)。そのノンフィクションのキーになる物語が、あの世界的に知られる名著「死ぬ瞬間」の著者エリザベス・キューブラー・ロス博士が、若き日、第二次大戦後のポーランド、ユダヤ人収容所の壁に見た(幻視した)という無数の蝶々。
博士はこの世を去る直前に、「さなぎが蝶になるようにわたしも肉体を脱ぎ捨てる」とも述べている。(永遠の別れ・デーヴィッド・ケスラーとの共著・日本教文社刊)
そしてその本を読み終えたのち、福島の現代美術作家・吉田重信さんが京都で行った、〈臨在の海〉と題されたインスタレーションを見たことも私の中の蝶と結んでいく出来事となる。千本のペットボトルに高さ1メートルぐらいに切り揃えられた千本の白い菊が水平線のように並び立ち、漆黒の部屋の左隅下方にわずかな赤い灯り。じっと目を凝らすと千の白い蝶々がひらひら舞っているように見えてくる。その2週間ほど前に見た、相馬の海が重なる。





私は24年前、仕事(聖ヨハネ大聖堂での作品展)で行ったニューヨークで,AIDS・メモリアル・キルトに出会って以来、この病が原因で亡くなった少なからぬ人たちやその家族、支援者とのお付き合いの中で、たびたび登場したエリザベス・キューブラー・ロスの名前。決定的な治療方法がない時期に、死を眼前にして生きる人たちの中で、チベットの死者の書と「死ぬ瞬間」は、救いの書として大切に読まれていたと思う。

エイズを抱え生きるこども達の施設を作ろうとしていた彼女の家が、何者かによって放火されるなどの苦闘の中で、常に病に苦しむ人の側に寄り添い、その救いのために闘い続けた彼女の人生の根っこに「あの蝶」の存在があったのではないかなどと、思い巡らしているうちに、この何年か私の工房にやってきてはなかなか立ち去ろうとしない〈クロアゲハ〉のことが気になりだしていた。
もちろん花の蜜を吸いに来るのだけれど、あまりにも長い時間とどまり逃げようとしない、それもいつもクロアゲハ。弟のことを想う。50歳で逝った彼のその死の原因の一つを、私が彼に放った言葉にあるのではないかという、ぬぐい切れぬ悔悟がいつもあった。弟とクロアゲハを重ねて想いはじめた時あたりから、今まで感じたことのない解けて行くような安堵感が生まれてきたのは不思議だった。



2008年 風工房にて



私は今年の5月に、京都造形芸術大学で集中して授業を受け持っていた。被災地の様子も伝え、彼ら11人が染めた〈野染〉の布を当地で作るメモリアル・キルトのベースの布として使っていくことも了承し合っていた。授業に行く日のある朝、ふと「学生たちと蝶々のキルトを縫って被災地に持っていこう」とのイメージがわき上がってきた。そして私の家から北白川にある大学までいつものように自転車で向かっている時、どこから現れたのか小ぶりのクロアゲハがずっとひらひらと付いてくる。胸が一杯になったのを覚えている。
その布を抱えて6月に行った、岩手で随分お世話になった小原宅に着いてすぐ迎えてくれたのも、そしてたいまぐらの安倍さんの家に到着してすぐやってきたのもクロアゲハだった。
たぶん偶然なのだろう。でも蝶というものを通して、死の向こう側を想うことがこれほど今を生きる〈私〉に安らぎを与えてくれるとは・・・ありがたいとしみじみ思う。
そしててびらこつぎっこという言葉にも出会っていったのも・・



「原爆死没者名簿」
広島は8月6日現在275,230人、長崎は8月9日現在155,546人。

出来るだけ効率よく人を抹殺できる兵器を夢中になって作る人間という生き物に、私も連なっていることを心に刻む日。

集まる [2011年07月23日(Sat)]
台風一過、涼やかな一日。


宮古と釜石の支援学校からお便りが届きました。




宮古恵風支援学校からは懐かしい絵日記
紙の上でもみんな野染をしているね




       

 釜石祥雲支援学校での野染(6/14)と、届いた手紙。
陽の光のような字とコトバ






そして、仮設住宅の<のれん用>に浴衣地がありましたら送って下さい
との呼びかけに、なんと届いたのは、力士浴衣!元気が出る!!
浴衣は北海道から、うちわは宇都宮から






京都造形芸術大学の染織テキスタイルコースの学生さんたちが集まり
てびらこつぎっこの会



7月21日は、何かみんなワイワイと集まってくる一日でした。



ここから3 てびらこつぎっこ [2011年06月28日(Tue)]
      

       てびらこつぎっこ というコトバが自然と浮かびました。
                もちろん造語です。
            名詞でもあり動詞でもあります。  


       てびらこ(てびらっこ)とは南部言葉で蝶々のこと。
             つぎっこ とは同じく布のこと。



           風工房に毎年やってくる てびらっこ



てびら(蝶)・てのひらにスッととまる蝶なのか、わらしぇど(こどもたち)のてのひらなのか。 むこうとこちらを行き来する言翅(ことば)

つぎ(布)・「飢えは三日でも我慢できるけど、寒さは一日でも我慢できねえ」津軽の民族学者・田中忠三郎さんのことば。綿の採れるところではない、麻布に刺し子重ね、着古した後も古布を何枚も何十枚も重ねつぎ重ねつぎして、ぬぐだまり(あたたまって)きた歴史を持つ人たち。ぬのはつぎっこするもの。



                   たいまぐらにて
 

          てびらこつぎっこをみんなで縫いませんか。


みなさんにおねがいです。皆さんのお仲間と畳一畳分(90センチ×180センチ)の無地っぽいつぎっこ。濃い色のつぎっこには、白っぽいてびらこを、白っぽいつぎっこにはさまざまないろのてびらこを、参加した人の数だけ、自分の命と思って縫い付けてください。そのてびらこつぎっこを被災地の方々に手渡して縫い繫いでいけたらと思います。

それを風工房に送っていただいても、皆さんの縁のある被災地の方々にお針箱と布をセットして送っていただいても、もちろん自由ということにしましょう(むしろそのほうがさまざまな広がりがあって好ましいとおもいます)。









ちいおばさん [2011年06月08日(Wed)]
ちいおばさんから電話があった。
「15,16,17日と陸前高田に行くんだけれど、洋さんと会えるかなあ?」

<ちいおばさん>こと木島知草さんは、松本に住み、がらくた座という一人人形芝居を長年やっている人で、日本各地を渡り歩き、人形劇を通じて、体のこと、性の事、エイズの事などとても大切なことをこどもやその保護者の人たちなどに伝えていっている、わたしの大好きなそして尊敬する<旅の人>です。
チェルノブイリの後には、現地に行きロシア語を暗記し、歯磨きの習慣のない免疫力の落ちたこどもたちに、人形劇でその大切さを伝えに行ったような人です。
1992年には仙台の加藤哲夫さんなどと一緒にワシントン記念公園での大きなエイズ・メモリアル・キルトのディスプレーにも一緒に行きました。
人の悲しみを、その小さな体で丸ごと受け止めて、共に苦しむことのできる人です。
震災後は、福島に入り、原発で苦しむ人たちのところで人形劇をしていたといいます。

そのちいちゃんが電話の向こうで泣いています。
陸前高田でちいちゃんの人形劇を呼んでくれていた以前からの知り合いの娘さんが、流され、遺体で見つかったこと。28歳で、おなかには赤ちゃんがいたということ。初孫だったとのこと。
そのおじいちゃんになる人は、夢中になってボランティアをやっていて、ちいちゃんから見ると、悲しみが深くて動きまわるしかないように見えると話してくれました。

陸前高田でちいちゃんと会う約束をしました。


 ちいおばさん自作のカレンダー 7月のページ


             今日は、98のお針箱を送りました。
蝶舞ふ海 [2011年06月05日(Sun)]

この20日ほど、あの臨在の海(いわき在住の現代美術家の言葉)が寄せては還すような揺らぎの中、さまざまな幻想のようなものが止めどなく胸の内に溢れています。
福島、宮城、岩手と廻り、帰宅後すぐに信州の織物をしている友人の死去を知らされ、夜行バスで松本へ。そのお別れの会で、献花の際、臨席者に一本ずつ花を差し出しておられる、亡くなられた姪にあたる方の様子に胸打たれ、お話を伺うと、大船渡市から来られたとのこと。当地の支援学校で養護教員をされていて、被災後の話を聞くことができました。
5月の連休明けから、ようやく学校が再開するとのことですが、自閉の子が避難所で嫌がられ、10日間も狭い車の中で一人閉じ込められるような状況になっているのを見つけ「本当にかわいそうだった」と話されました。  ごめんなさい!胸がきしみました。
野染の話を彼女にすると「是非みんなとやりたい」と、即答えてくれました。
帰郷後、彼女からメールが届き、校長先生もすぐ賛成されたとのこと。
行って、思いっきり皆で染めたいと思います。
亡くなられた友人が浄土での働きをすでに始めたとも思いました。

この旅で、エリザベス・キュブラー・ロスを強く感じていました。彼女が、ポーランドのユダヤ人収容所の壁に見た(幻視した)という、無数の白い蝶々のこと。
京都に戻り、前述の美術家・吉田重信さんが、木屋町三条にあるギャラリー射手座で臨在の海というタイトルでインスタレーションをしており見に行くと、部屋の床に砂が敷き詰められ、そこに千本のペットボトルに千本の背の高い白菊が活けられていて、暗い部屋の、奥左隅の下方にわずかな赤い明りが灯されていました。
相馬の海を想いました。
海岸から5キロも6キロもひとさらいされた風景。何も無いのではない。何かリアルなものを感じ怖くて、ここを離れたいけど引き留めるような力も感じる。
彼のインスタレーションを見ていると、白い波が揺れているよう。それが白い蝶達が波間をゆくようにもやがてみえてくる。
蝶のキルトをみんなで縫おうと、ふと思いつきました。
私は創造力を独占することが極端に嫌いであり、なんでもスピリチュアルなものに依拠してしまう人たちも極めて苦手です。でも今回のイメージは、もっと大きなものに突き動かされて形になったような気がしています。

大船渡の若者たちと染めた布の上に、それぞれ持ち寄った白い布を蝶の形に切り、アップリケしていこう。もうひとつ、真白な布の上に野染の布の蝶を縫い付けて行こう。美しいものをともに作りたい。豊かな喪の時間を共にできればと思います。


お針箱(針・糸・ハサミ・針山)を 被災地へ!


先日一週間ほど、いわき・相馬・仙台・釜石・遠野などを巡って来ました。改めて津波の凄まじさを目のあたりにし、また原発の及ぼす理不尽な状況に(私自身しっかりと向き合えてこれなかったふがいなさも含めて)怒りがこみ上げ、現場の風景の怖さと、果敢に作業を続ける駆けつけたボランティアの人たちの姿、余震の不気味さなどが重なり、京都に戻った今も私は精神的にかなりのダメージを受けているようです。被災者の方々の受けた衝撃や苦難は、それこそ計りしれません。
岩手の遠野総合福祉センター内にあるボランティアの拠点・遠野まごころネットhttp://www25.atpages.jp/tonomagokoro/を訪ねた際、今避難所ではタオルを使った〈まけないぞう〉作りが人気で、みな針と糸を持って夢中になって縫っているという話を聞きました。やはり縫うという作業は大きな力を持っています。そこで持ち歩いていたAIDSメモリアル・キルトを見てもらい、布を囲んで亡くなられた大切な人のことを思い、おしゃべりし、その人にふさわしいデザインを考え、みなで縫うその時間と場所がどんなに大切な意味を持っているか、スタッフにお伝えしたところ、すぐ分かってくださり、やりましょう、というより、「やってください」と頼まれました。
これから被災地では、学校の体育館などの避難所生活から仮設住宅などに移行していきます。阪神淡路大震災のときも、仮設に移ったお年寄りの方たちの孤独死や自殺が相次ぎました。「あの時死んでいたほうが良かった」という言葉を遺して。キルトは基本的にたくさんの人たちの手で作っていくものです。たとえば仮設の一部屋に集まり、針と糸を持ち今は浄土におられる人や動物たちのことを語り合い、失われた町の風景を取り戻しながらぼちぼちと縫い上げてゆく、ほどけ、とけあうような時間、そしてそのような場所を持つことがキルトを作ることの本来の意味です。作られたものを展示し発表することなどは二次的なことだと思っています。ただ、もしこのキルトが何百年先までも残されていくならば、後の世の人たちへの大切なメッセージに、結果としてなるとは思います。
そこでみなさんにお願いがあります。キルトを作っていくための道具や素材を集め送ってほしいのです。
針(穴の大きめなもの)針山、縫い糸(どんな色でもOK)ハサミ(糸切りバサミ・裁ちバサミ)。お子さんなどが学校で使った洋裁セットなどは最適。単品でもよいですが、出来ればお針箱のようなセットにしてもらえればありがたいです。みなさんの友達にも知らせてください。近くの小中高等学校などに頼んでまとめてもらうのもよいですね。

これらのことを実現するための人手が必要です。たとえばホームページ作り、チラシづくり、送ってくださった方々への返事担当、会計係、また現地に行ってキルト作りのアドバイスなどができる人など・・・手伝ってもよいと思われる方は連絡をください。また現地の辺りで、このような作業を理解してくれる、布好きなお知り合いがおられましたら紹介してください。 
       送り先・問合せ先は  
606−8321 京都市左京区岡崎東福ノ川町24 075−762−0500  斎藤 洋
                    dye.kazafu@gmail.com

AIDSメモリアル・キルトは、人をエイズという病名や 数量で表すのではなく、キルトを縫うという作業によってこの病で亡くなった、一人の人間の存在を見つめなおし記録していこうと、1987年にサンフランシスコで始まりました。今もこの病に苦しむ人たちの傍らで、世界中で縫われ続けているアートであり、工芸であり、祈りでもあります。日本では1990年メモリアル・キルト・ジャパン http://mqj.jpが設立され、今も活動を行っています。
   
被災地NGO恊働センター:http://www.pure.ne.jp/~ngo/ 神戸のNGO 被災直後から現地に入り活動。宮崎新燃岳の野菜を今回の被災地に運び、炊き出し、各避難所での足湯、<まけないぞう>作りなど被災者に寄り添う活動をしている。

 CHEER UP JAPAN :http://cheerup-japan.com/ フォトグラファー・斎藤弦のサイト 国内外、被災地からも写真と言葉の メッセージが届いている。たくさんの顔それぞれの言葉でやり取りをしていくことの大切さを思う。