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セボネ8月号キラリ世田谷人「上田 幹郎さん」 [2015年08月06日(Thu)]

キラリ世田谷人は、世田谷を中心に活躍するキラリと光る素敵な方がたをご紹介します。

地域で「助け合い」 上田 幹郎 さん

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 今回のキラリ人は、優しい笑顔の上田幹郎さん。会社勤めの間は地域に無縁だったという上田さんですが、今ではせたがや災害ボランティアセンターの運営委員をはじめ、防災士、世田谷区地域防災リーダーなどさまざまな活動をしています。

 さかのぼること20年。サラリーマン時代に阪神大震災が発生し、東京からすぐさま会社の支店がある神戸に飛びました。支店や社宅などにも被害が及び、毎日会社で対策会議をして安否確認や対応に追われ、「何が大事なのか必要なことを自分で考えなくてはならなかった」と振り返ります。その震災体験をきっかけに、非常時に「助け合い」ができる絆づくりが必要だと考え、日常からの防災対策や地域でのコミュニケーションの大切さを痛感しました。

 「退職後は知り合いを増やし、地域に貢献しよう」と思い、世田谷ボランティア協会主催の『災害ボランティアコーディネーター養成講座』に参加。災害ボランティアの知識を習得し、2004年の中越地震では新潟県山古志村でのボランティア活動、東日本大震災後はボランティアバスにて宮城県や岩手県陸前高田市で災害ボランティア活動に従事しました。
 「『災害ボランティアコーディネーター養成講座』はとても勉強になり、受講後は防災対策の必要性を自分だけでなく、広くみなさんに伝えていかなくてはと思うようになりました」と話します。自宅のある桜丘町会では『災害時要援護者助け合いネットワーク』の災害時支援隊員をつとめ、大震災対応マニュアルや助け合い手帳をつくって、助けが必要な方と助けに行ける方へレクチャーをしています。

 「最近は災害ボラセンの手伝いもちょこっとしています。あまり役に立てていない気もしますが…」と笑う控えめな上田さん。東京農業大学グリーンアカデミーの園芸講座で出会った仲間たちと野菜づくりに没頭したり、国立成育医療研究センターの園芸ボランティアにも参加するなどすっかり地域と顔なじみ。

 「特別なことはしなくていいので、備蓄はきちんとして、毎日寝る前にやかんに水をいっぱいいれておく。災害が起こったらまず自分の身を守る。それが一番大事」
 まず自分の安全を確保してから助け合う。一人ひとりのその意識が、地域を守る第一歩なのでしょう。
(取材/鈴木朋子)
Posted by setabora at 11:00
セボネ8月号まちの市民力「用賀サマーフェスティバル」 [2015年08月06日(Thu)]

「まちの市民力」は、街の中で地域やそこで暮らす人たちと一緒に活動している団体を紹介します。

用賀サマーフェスティバル

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 毎年8月末に開かれている「用賀サマーフェスティバル」。用賀駅近くの公園にステージや屋台が設けられ、用賀カクテルを手にライブやゲームを楽しんだり、子どもたちが巨大プールで宝探しをしたり。『JIMOTOバカンス!』をコンセプトに「夏の終わりを用賀で遊ぼう」というこのイベントを企画運営しているのが、「用賀サマーフェスティバル実行委員会」です。

 今年の実行委員長の板橋龍太郎さんは20歳。「用賀にゆかりのある大学生を中心に、高校生やOBなど約10人が集まっています。ともかく地元が好きという若者たちで用賀を盛りあげようと毎週会議を開き、フェス当日は100人以上のスタッフが集まります」と話します。

 11年前、「地元で何かやりたい」と若者たちが始めた夏祭りは、若いエネルギーが地域を巻き込み、昨年は2日間で延べ1万5000人が来場しました。世田谷美術館とコラボしたワークショップや、タンザニア大使館との交流ブースを開いたりと、プログラムも年々多彩に広がっています。

 「地域とつながり、来てくれた人とつながりたい」という板橋さんは地元の都立桜町高校の卒業生。生徒会活動を通して地域の祭りや古布回収などに関わり、さまざまな年代が協力する多世代間交流の面白さを知りました。実行委員会には昨年から参加。ここでも、何かやりたいという熱い気持ちはあってもどうやっていいかわからない若者たちに、町会やPTAなど町の大人たちが知恵や力を貸してくれました。
「マンション暮らしで近所づきあいも少なかった自分に、地域の人間関係ができ地元意識が生まれた」という板橋さんは、祭りを通して育った若者のパワーを地域に還元したいと考えています。

 若い世代が住みたい街として人口の流入が続いている世田谷ですが、世田谷を故郷と感じられるようなまちづくりは行われているでしょうか。実行委員会のOBには、用賀での起業をめざしたり、就職先の地方でまちづくりに関わる人もいるとか。
「都会には人がたくさんいても、つながっていない。それを若いヤツらでつくっていきたい」と板橋さん。この夏祭りが若者たちの新しいふるさとづくりにつながっているようです。
(取材/家井雪子)

用賀サマーフェスティバル
8/29(土)、30(日)11時〜21時 くすのき公園(用賀駅周辺)
Posted by setabora at 10:53
セボネ8月号特集「世田谷の疎開児童と特攻隊の出会い〜「戦争体験を聴く会、語る会」より〜」  [2015年08月06日(Thu)]

世田谷の疎開児童と特攻隊の出会い
〜「戦争体験を聴く会、語る会」より〜


 今年は戦後70年。70年前の8月15日から私たち日本人は、「戦後」を歩んできました。多くの若い“いのち”が失われた戦争を忘れずに、「二度と戦争はしない」と平和への想いを新たにする8月。去る5月23日に開催された「戦争体験を聴く会、語る会」で語られた「世田谷の疎開児童」に思いを馳せ、身近なところで戦後70年の意味をあらためて考えてみたいと思います。

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◆「鉛筆部隊」の子どもたちと特攻隊の出会い

 第8回目となる「戦争体験を聴く会、語る会」のことを知ったのは、セボネ5月号の取材で「北沢川文化遺産保存の会」のきむらけんさんにお話をうかがった時でした。きむらさんたちは、下北沢周辺の文化・歴史の遺産を探り出し、保存する活動を続ける一方で、戦争のことも調べ、戦争体験者の肉声を聞いて、戦争を知らない世代に「戦争とはなにか」を知ってほしい、そして平和の貴さを認識してほしい、と「戦争体験を聴く会、語る会」をスタートさせました。

 2008年の第1回目の「戦争体験を聴く会、語る会」の会場は代沢小学校でした。縁をたどっていくうちに、代沢小学校の子どもたちが疎開先の信州の浅間温泉で出撃前の特攻隊の若い人たちと出会っていた、という史実が明らかになったのです。代沢小は引率の先生が作文に熱心な方で、子どもたちを「鉛筆部隊」と名づけていました。鉛筆部隊と本物の部隊の出会いがあったのです。
 いつも自転車で何気なく通りすぎる代沢小学校にそんな歴史があったのか、と、急に戦争の事実が近くに寄ってきた気がして、かつての疎開児童たちが語るという会を心待ちにしました。


◆世田谷が戦争の歴史につながる

 5月23日の「戦争体験を聴く会、語る会」当日、きむらさんは基調報告の中で、4つのポイントを語りました。

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 ひとつは、なぜこの時期にこういう会を開いているのか、ということです。実は1945年5月24日から25日にかけて、会場となった下北沢の都民教会のあたりは、B29の爆撃が山の手を襲った「山の手大空襲」の被災地となったところでした。10万人のいのちを奪った3月10日の東京大空襲は語られることが多いですが、自分の暮らしているまちがかつてすざましい爆風に襲われた、ということを私は知りませんでした。山の手へ追い打ちがかかる中で、なかば敗戦は宣告されていたのにそれでも戦争は終わらなかったのです。

 2つ目に、「体験者から学んだこと」は「戦争は始まったら終わらない。誰も戦争をやめようとは言わなくなる。死や飢えをなんとも思わなくなる。人間を人間と思わない。人間が武器の代わりに使われてしまう」ということ。
 3つ目は「疎開児童」という、あまり語られることのないテーマ。浅間温泉には世田谷から7校、2500人が疎開し、その時に沖縄に向かう飛行機が松本飛行場にやってきたという隠れた近代の歴史。そして子どもたちが体験した心理的にも肉体的にも苦痛だった疎開生活の酷さです。
 4つ目は、戦争中に浅間温泉に飛来した特攻隊。
 この4つのポイントを軸に、体験者である「疎開児童」が浅間温泉での「特攻隊」とのふれあいを語る、というのがこの日のプログラムでした。


◆特攻隊の若者の思いを聴く

 昭和20年3月の数日間、世田谷の疎開児童たちと出会った特攻隊(武揚隊)の若者15人が、出撃の前日の壮行会に「別れの歌」を東大原小学校の100数十名の女子の前で歌を披露しました。その歌がなんと70年ぶりにこの日再現されました。サプライズの主役は東大原小の疎開児童だった、秋元佳子さん。秋元さんが歌詞とメロディを覚えていたおかげで、たった一時で消えるはずだった歌が、奇跡的に70年ぶりに蘇りました。「タイトルはないので仮に『浅間望郷の歌』としておきます」ときむらさん。秋元さんは記憶の中の歌をメロディをつけてアカペラで歌いました。

1.広い飛行場に黄昏れ迫る
  今日の飛行も無事済んで
  塵にまみれた飛行服脱げば
  かわいい皆さんのお人形

2.明日はお発ちか松本飛行場
  さあッと飛び立つ我が愛機
  かわいいみなさんの人形乗せて
  わたしゃ行きます◯◯へ

3.世界平和が来ましたならば
  いとしなつかし日の本へ
  帰りゃまっさき浅間をめがけ
  わたしゃ行きます富貴の湯へ

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特攻隊員が歌った歌を秋元さんが記憶していた

 秋元さんの記憶力にはびっくりです。都会のかわいい女の子たちが心をこめてつくったお人形を飛行機に乗せて、沖縄に「死ぬために」向かう、前途洋々たるはずの若者たち。切ない思いが、こちらにもずーんと伝わります。きむらさんは「これは戦争の時代に『平和』を歌った歌ではないか」といいます。

 特攻隊は、日本の負けが明らかになっている戦争末期に、爆弾を搭載した飛行機で敵艦に体当たりする「自爆」作戦ですから、帰って来られるはずもなく、「今度会うのは九段の花の下」、靖国神社が最終ゴールだったわけですが、この歌では、真っ先にめがけるのは靖国ではなく、浅間温泉です。この時期「世界平和」という言葉が出てくるのも不思議です。「『きけ、わだつみの声』に載っている長谷川信少尉は武揚隊に属し、富貴の湯に滞在していたのです。彼の言葉かもしれない」ときむらさんは推測します。長谷川少尉は「…恐ろしき哉 浅ましき哉 人類よ、猿の親類よ」と戦争の本質、人間の本質を鋭く衝いた青年でした。

 この日は、きむらさんとブログで偶然知り合ったという作曲家の明石隼汰さんが音源から採譜して楽譜にし、ピアノの伴奏をつけて本格的に歌う、というダブル・サプライズがあり、感動はさらに深まりました。

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明石さんの協力で再現された歌が披露された


◆元「疎開児童」から学び、考えること

 浅間温泉で疎開生活を送った、かつての世田谷の国民学校生徒たちが、次々と経験を語ります。「きむらさんと出会って、戦争は絶対にダメ、と若い人たちに話さなければいけないと決心した」小市さん(山崎小)は、「一生会えないかもしれない母の握った白米のおにぎりを大切に持っていたら、カビが生えてしまった」と今でも無念そう。同じく山崎小の長谷川さんは「疎開は地獄で監獄のようだった。『欲しがりません、勝つまでは』の世界。今、戦争になったとしてやめる自衛隊員がいれば、必ずや徴兵制となります」と危機感をあらわにします。

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学童疎開経験者が当時を語る

 代沢小の「鉛筆部隊」にいた鳴瀬さんは、起床ラッパを吹き、疎開中は欠食児童だったと語りました。松本に軍需産業の工場が移るなど、疎開児童たちに危険がせまるとお寺などに再疎開。「食料不足で、すいとん、生のさつまいも、蜂の子、バッタを焼いて食べた」という話もありました。


◆身近にある戦争の面影

 先生が提灯で道を照らし、代沢小の子どもたちが親元を離れ、真っ暗な町を下北沢駅に向かって歩いていき、父母たちの悲痛な声をあとに新宿行きの小田急線が駅を出て行く。そんな光景がきむらけんさんの著書『鉛筆部隊と特攻隊』(彩流社刊)から浮かび上がります。胸が締め付けられるような切なさを覚えます。代沢小から下北沢駅までの茶沢通りでしょうか。70年前の出来事を知ったあとは、何気なく通り過ぎる町並みも違って見えます。
 下馬にある「世田谷観音」。ここには特攻兵の霊が祀られている、と初めて知りました。子どもたちが遊び、プレーパークもある世田谷公園は、かつて駒沢練兵場でした。砧公園も代々木公園も、すべて戦争のために使われる場所であったのです。

 この8月、世田谷公園に平和資料館がオープンします。人びとが平和に憩う公園を70年前に戻してはいけない。いつまでも「戦後」と言い続けたい。節目の年、体験者の話に耳を傾け、身近な馴染みの場所を訪ね、あらためて戦後70年の意味を考えてみませんか?
(取材/星野弥生)
Posted by setabora at 10:31
ボランティア情報誌「セボネ8月号」を発行しました [2015年08月06日(Thu)]

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☆8月号表紙イラスト おのみささん

【今月の掲載記事】
★特集「世田谷の疎開児童と特攻隊の出会い〜「戦争体験を聴く会、語る会」より〜」 
 今年は戦後70年。この8月には世田谷公園に平和資料館がオープンします。5月に開催された「戦争体験を聴く会、語る会」を取材しました。

★まちの市民力「用賀サマーフェスティバル」
 「地元で何かやりたい」と若者たちが11年前に始めた夏祭り。『JIMOTO(地元)バカンス!』をコンセプトに、今年も「夏の終わりを用賀で遊ぼう!」
 
★世田谷キラリ人「上田 幹郎さん」
 「災害が起こったらまず自分の身を守る。それから助け合う」せたがや災害ボランティアセンターの運営委員や、地域で防災の活動にかかわっている上田さんにお話をうかがいました。

↓8月号のPDFファイルはこちらから見れます。
SEVONE136-201508.pdf

↓セボネバックナンバー(blog版)
http://blog.canpan.info/setabora-vc/category_9/1

↓セボネバックナンバー(PDF書類)
http://www.otagaisama.or.jp/download

世田谷ボランティア協会の情報誌「セボネ」は、
区内の図書館や区民センター、出張所・まちづくりセンターなどでも配布しています。

なお、情報誌「セボネ」はみなさまの声を集めて制作しています。
ボランティア情報、イベント情報などをお寄せください。
ホームページから情報を投稿できます。
次回2015年9月号掲載分は、8月10日(月)に締め切ります。
Posted by setabora at 10:19