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セボネ2月号特集「サポーターではなく、パートナーに 〜「若年性認知症」を知ろう〜」 [2018年02月03日(Sat)]

ポーターではなく、パートナーに
〜「若年性認知症」を知ろう〜


 65才未満の人が発症する認知症を「若年性認知症」とよびます。働き盛りの人にとって認知症と宣告されることは、本人にも家族にとっても大変なショックです。
 一方で、「『若年性認知症』とはどういうものなのか」を理解し、「いたずらに恐れることはない」ということも知っておかなければならないでしょう。

 昨年12月に「世田谷ボランティア協会をささえる会」の呼びかけで開かれた勉強会「若年性認知症を考えよう」での学びをお伝えします。

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◆「認知症」を正しく知ろう

 そもそも「認知症」って何なのでしょう。12月2日に行われた学習会の講師、世田谷ボランティア協会 福祉事業部長の和田敏子さんは「物忘れをする、というのは認知症ではありません。脳細胞が原因不明で病気になり、さまざまな障害が起こる状態を『認知症』といいます。病名ではなく、"症候群"で、『風邪』と同じく総称です。原因を突き止められればノーベル賞ものというくらい、わからないことが多いのです」と話を始めます。

 認知症の主な種類には、アルツハイマー型(60%)、レビー小体型(10%)、脳卒中の後遺症である脳血管性型(20%)がありますが、脳卒中を起こした人すべてが認知症になるわけではありません。「認知症」と聞いて私たちがイメージするような症状はいわゆる「周辺症状」。「トイレがひとりでできない」「介護を拒否する」「帰宅したいと願う」「お金を盗られたなどの妄想」「睡眠障害」「暴力・暴言」「不安、抑うつ」「異食」「徘徊」などの症状です。「こういう症状は正しい医療やケアで大きく変化します」と和田さんは説明します。

 周辺症状ではない、症状の本体は「中核症状」といい、脳の神経細胞の破壊によって起こる症状です。代表的なのは「記憶障害」で、進行状態によっても違います。過去のことはわかるけれど、直前のことを覚え続けるのが難しいという症状から進行します。

今日が何日か、自分が何歳か、時間や季節、場所などがわからなくなる「見当識障害」。物事を順序だてて考えて、計画をして実行することが難しくなる「実行機能障害」。聞いた話を理解したり、相手にわかりやすく伝えることが難しくなる「失語」。手足は動くけれど、いつも着ていた洋服の着方がわからなくなる「失行」などがあります。

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 軽度の認知症の場合は「あれ?いつもできていることができない?」と自分で気がついたり、「お父さん、この頃変だね」と家族が気づくこともあります。老年性うつ病と間違えられることもあるので、専門家にしっかり診てもらう必要があります。「問診(面接)」「画像検査」「テスト」によって診断され、いわゆる「物忘れ外来」を受診します。「加齢により、誰しも認知機能が低下します。よって長命になればみんな同じ、なんですよね」と和田さん。


◆働き盛りに起こる若年性認知症


 しかし、30代〜40代での「若年性認知症」は急務を抱えます。働き盛りに直面する経済的な困難、学齢期の子どもがいるなど家族の問題、利用できるリハビリ施設やケア施設等の資源不足などの問題、そして障害者への就労支援はあっても、若年性認知症には受け皿がない、など課題は多岐にわたります。

 仙台の自動車会社でバリバリの営業マンだった丹野智文さんは、39才でアルツハイマー型若年性認知症との診断を下されました。「人生の絶望」のどん底に突き落とされ、泣き続けたそうですが、「認知症になっても人生終わりじゃない」と、著書『丹野智文 笑顔で生きる』の中で希望を語るまでになりました。家族の支えがあり、「家族の会」で支え合い、理解ある同僚に見守られて仕事を続け、講演で全国を飛び回る日々が綴られています。

 丹野さんは著書で「今では認知症になってよかったと思える時があります。講演をするようになり、全国の仲間と知り合うことができました。人が人を呼び、これこそが若年性認知症になったおかげでいただいた財産だと思います」と記し、多くの認知症の人たちを励ますにいたるのです。「当事者」である丹野さんは、「自分で決める」生き方を他の人たちにも伝えています。


◆当事者が決める

「かつては良いサービス、良いケアが当事者を支えましたが、今や時代はどんな障害でも、あくまでも『当事者』が主体です」と和田さん。つまり『私たち当事者抜きで決めないで下さい』ということなのです。学習会のなかで和田さんは、事例として認知症の方とつくる『注文をまちがえる料理店』の試みを紹介しました。

 昨年9月16日から3日間、期間限定で六本木にオープンし、マスコミでも話題となりました。認知症の方々がスタッフとなって接客をし、ハンバーグを注文したのにオムライスが出てくる、ホットコーヒーにストローがついてくるというような、「間違えだらけ」のレストランは「まあ、いいか」と笑い、楽しむ客で大繁盛しました。

 テレビ局ディレクターとグループホームで働く介護福祉士の方が話し合って考えた、認知症の人とそうでない人とが気持ちよく交流できる「社会実験の場所」としてのアイデアだそうです。企画の運営費をクラウドファウンディングで集め、大きな反響を呼びました。「てへッ…」と笑い、ぺろッと舌を出す、いわゆる「てへぺろマーク」をシンボルとしたこのような活動が各地で広まれば、認知症の理解が広まり、「間違えたっていい」という許容性が社会の中で受け入れられる原動力となることでしょう。


◆世田谷での取り組み 

「若年性認知症」当事者のための社会参加プログラムは世田谷ではどのように行われているのでしょう。90万人が暮らす世田谷での「若年性認知症」推計人数は500人とされていますが、実際に明らかになっているのは2ケタです。まずは「実態を知ること」、共に活躍できる場を「創ること」、そして「若年性認知症について理解しあう機会に、心も体も動かすこと」が求められています。

「カミングアウトには勇気がいりますが、手をあげれば選択肢が増えます。そっと誰かに相談したい人がいるならば、ネットでつながる窓口も必要になります。『今ここに、あなたにしかできない役割と語り合える友人がいる』と伝え、『若年性認知症になっても大丈夫』と知ってもらうことが大切です。恐ろしいのは若年性認知症と診断されることではなく、それまで担ってきた役割を失い、社会とのつながりが断ち切られる辛さです」と和田さんは話します。

 世田谷では2016年から「若年性認知症のための社会参加プログラム」が取り組まれています。初年度はデイ・ホーム弦巻にある「認知症対応型通所介護 若年性認知症コース『ともに』」の方がたの活動でした。ここでは週2回、水曜と土曜に実施されています。当日の予定を当事者が話し合って決め、外出、外食などの活動型プログラムが中心となっています。

 世田谷ボランティア協会の福祉事業の拠点の「ケア相談センター結」では、「若年性認知症当事者のための社会参加型プログラム」を委託事業として受けています。また、区内には「認知症カフェ」が36か所(2017年11月現在)あり、家族会の中には「若年性認知症」に特化したものもあります。昨年6月、上町あんしんすこやかセンターの「認知症サポーター養成講座」では、せたがや福祉区民学会の学生交流会「せたがやLink!」の学生たちが情報発信に協力したり、講座に参加して、認知症の理解を深めました。


◆地域でチャンスをつくろう


 若年性認知症の方は機会さえあれば、その人の力を生かしていろいろなことができます。若年性認知症に理解のある八百屋さんで裏方の仕事の手伝いをしたり、パソコンの能力を発揮したり、地域のイベントで楽器を演奏したり。地域にあるさまざまな機会を利用し、自分のできることを担うことで、イキイキとした生活を送ることができ、症状の進行を遅らせることにもつながります。若年性認知症の方が地域に参加することで、「認知症になることは怖くない」という認識を広めていくことがますます求められるでしょう。

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 必要なのは「サポーターというよりパートナー」と和田さん。これは当事者の日本認知症本人ワーキンググループ代表の藤田さんが訴えていることです。サポーターと当事者の間には上下関係が生まれる場合もありますが、パートナーと当事者の関係は平等でフラットです。

 団塊の世代が75歳を超え、超高齢社会に突入する「2025年問題」を抱える日本にとっては大きな課題である認知症。どうやって共に暮らしていくか、最期まで自分らしく生きていくか、一人ひとりが我が事として考えることが必要です。学習会の和田さんのお話の締め、「明日から世田谷で、認知症のサポーターではなく、『パートナー』になってください」という言葉が印象的でした。
(取材/編集委員 星野弥生)


Posted by setabora at 16:48
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