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 世田谷ボランティアセンターのブログへようこそ!
このページではボランティアセンターで行われる講座・イベントの予定や、活動の様子などを紹介していきます。



セボネ3月号キラリ世田谷人「安積 邦宏さん」 [2017年03月02日(Thu)]

キラリ世田谷人は、世田谷を中心に活躍するキラリと光る素敵な方がたをご紹介します。

「歌声サロン」でボランティア 
安積 邦宏さん

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 世田谷区内の8か所のデイホームや老人保健施設、小規模多機能ホームなどを訪れて「歌声サロン」のボランティアを行っている安積邦宏さん。司会、進行からマンドリンの伴奏までひとりで引き受け、参加者は思い出の歌やヒット曲に声を合わせます。

「毎月、童謡・唱歌≠ニ歌謡曲≠フ二本立てで曲を選びます。3月のテーマはさくら≠ニ連続ドラマの主題歌=Bすぐに歌える曲だけでなく、ふだん歌わない懐かしい曲も入れるようにしている。脳トレになるからね」と笑う安積さん。歌の合間の軽妙なトークにも、「童謡と唱歌の違いは?」など頭の体操が盛り込まれています。
 施設にはさまざまな症状の利用者さんがおいでですが、約1時間のサロンが終わるとみんないきいきとした表情に。最後には必ず、安積さんが全員と握手します。

 すっかり地域にとけこんでいる安積さんですが、世田谷区民になってまだ4年。福島県郡山市の生まれで音楽好きの一家に育ち、ギターからウインドシンセサイザーまで数多くの楽器を弾きこなし、楽団ひとり≠ニ名乗っています。

 サラリーマンだった安積さんは、50歳のころから退職後の暮らしを考えるようになりました。当時住んでいた仙台やその後転勤した練馬区でダンスやパソコン、バンドなどさまざまなサークルやボランティア活動に積極的に参加。その後奥様を難病で亡くし世田谷に転居したのは71歳の時でした。

 地縁も知り合いも少ない世田谷で安積さんは、近くの高齢者施設を訪ね、歌声サロンのボランティアを申し出ます。「練馬での経験で、受け入れてもらえることはわかっていたからね」と安積さん。雨の日に備えて、歩いて行ける施設を選び、病気で休んだことは一度もありません。

 施設の方からぜひにと頼まれることもある安積さんですが、男性の心をつかむのは難しいといいます。それだけに、「はじめはそっぽを向いていた人が、最後には握った手を離さないこともある。そんな嬉しさがサロンを続けている原点かな」。打ちこめる趣味を持ち、年を重ねてもスキルを磨いて人に喜ばれる活動を続け、地域に自分の居場所をつくりあげた安積さん。そのしなやかな生き方には、学ぶことがいっぱいです。
(取材/編集委員 家井雪子)
Posted by setabora at 19:53
セボネ3月号まちの市民力「街の木を活かすものづくりの会」 [2017年03月02日(Thu)]

「まちの市民力」は、街の中で地域やそこで暮らす人たちと一緒に活動している団体を紹介します。

街の木を活かすものづくりの会

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お話をうかがった湧口さん(写真左)と横山さん

 「街の木を活かすものづくりの会(略称マチモノ)」は、 街の木など身近な自然から得られる恵みを、様々なものづくりを通じて有効活用する活動をしている団体です。街路樹や公園木、庭木など、私たちが暮らす街には意外なほど多くの木がありますが、これらの木々は様々な理由で、日々やむを得ず伐採されています。そして伐られた木のほとんどがゴミ同然に処分されています。

 建築家で木工家の湧口善之さんは「これはもったいない、何とか活用できないか」と考えました。しかし、今の街の中で育った木は木材として活用するのは難しいため、木工を中心としたワークショップの開催や勉強会を通じて、多くの人々に街の木のことやものづくりの技術に関心を持ってもらおうと、2012年に「街の木を活かすものづくりの会」を立ち上げました。

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 今の街の木はいわば観葉植物。普段は関心を持たない人が多い一方で、伐採しようとすると「緑が減る」とクレームが出る。そこで、木と触れ合う機会を多くつくることでみんなの関心や知識を高め、木があることで楽しめることを感じてもらう。そして木が切られたら、地域の人たちがみんなでものづくりに取り組んで、暮らしの中で使う道具に生まれ変わらせて大切に使っていく。さらに、その木から苗木をつくり植樹をしてみんなで緑を増やしていく。今の街の木のあり方を変え、そうしたことがもっと一般的になるように、活動を充実させていきたいと湧口さんたちは考えています。

 そうしたことを実現するために、社団法人を立ち上げる準備をしていて、6月には法人設立パーティーを開催することが決まりました。最近、事務所の近くに区の空き家活用助成を受けた物件が誕生し、庭があるので、緑地の活用のためにノウハウやサービスを提供してその対価として収益を得るなど、事業を安定して運営していきたいと考えているそうです。

 これまで定期的にワークショップなどを開催してきましたが、街の木のあり方を変えていくためにこれからはより多くの方がたと一緒に活動をつくって取り組みを広げていきたいとのこと。素晴らしい活動ですので、関心ある方はぜひチェックしてみてください!
(取材/編集委員 市川 徹)

街の木を活かすものづくりの会 http://machimono.web.fc2.com/
 問合せ machimono@outlook.com



Posted by setabora at 19:44
セボネ3月号特集「『紙の建築 行動する』~建築家 坂茂さんの災害支援~」  [2017年03月02日(Thu)]

「紙の建築 行動する」~建築家 坂茂さんの災害支援~ 

 阪神大震災から22年経った今年1月、第30回目の「神戸をわすれない」では、建築家の坂茂さんの講演会を開催しました。リサイクルできる紙管を使った素晴らしい作品で世界的に有名な坂さんは、一方で、世界中の被災地に飛び、災害支援プロジェクトを展開しています。社会のために何ができるのかを考えるヒントをいただきましたので、ご紹介します。

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建築家 坂茂さん
(写真は坂茂建築設計ホームページより)

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避難所用 間仕切りシステム
紙管のフレームを組み立て、梁の部分に布をかける。



◆「都市型災害」の経験から学ぶ

 阪神大震災から1年後、神戸に赴いてボランティア活動を行っていた区内のグループや個人が集まって「神戸をわすれない・せたがや」が発足しました。都市型災害の経験に学び、まちづくりに活かしていこうと、神戸市長田区の復興の様子を記録したドキュメンタリー映画を上映するなど、毎年「神戸をわすれない」という会を続けています。今年は建築家の坂茂さんをお迎えして「作品づくりと社会貢献の両立を目指して」と題して講演していただきました。

 
◆「紙の教会」を建てる

 震災時、神戸市長田区にあるカトリック鷹取教会は礼拝堂を含めほとんどの建物が失われましたが、全国から集まった大勢のボランティアの基地となっていました。前年に、国連難民高等弁務官事務所の仕事でルアンダの難民のためにシェルターをつくっていた坂さんは、ベトナムの元難民の人たちが鷹取の教会に集まっているという新聞記事をたまたま読み、建物が焼失して「キリスト像だけが残った教会」を探します。

そしてベトナム人をはじめ、様々な国籍の人たちが焚き火を囲んでミサを行っていた場に居合わせ、手ぬぐいを肩にかけ、長靴を履いた神父に、坂さんは「紙で教会をつくりたい」と提案。しかし「火事で燃えたところに紙で教会をつくるなんて、ふざけんといてください」とはじめは全く信用されませんでした。

 坂さんはこう振り返ります。「その時、神父がおっしゃったことが忘れられないんですけれど、『建物がなくなって初めて本当の教会になったような気がする。全国からボランティアが来て、ここが救援基地になりいろいろな活動が始まった。周りが復興するまで教会を立て直すつもりはない』と言われたんです。でも、僕は諦めが悪いものですから、毎週日曜日に新幹線の始発でミサに通いました」

 ミサで親しくなったベトナムの人たちは、公園に張ったブルーシートの中にいました。長田の工場で働く彼らは、郊外の仮設住宅からは通いきれないので公園に住み続けたいのですが、近隣の住民の中にはスラム化を恐れている人たちもいました。

「それなら、もう少し衛生的で、きれいな仮設なら公園に仮住まいさせてもらえるのでは」と紙管とビールケースで学生とともに、ベトナムの人たちの仮設住宅、"紙のログハウス"をつくりました。意外と出来がいいので、自分たちでお金とボランティアを集めれば礼拝堂をつくっていいということになり、学生たちの手で5週間かけて小さなペーパードームを建てました。

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阪神大震災の被災者のためにつくられた仮設住宅「紙のログハウス」

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焼失した教会にたてられた「紙の教会」(ペーパードーム)

そうして建てられた教会は地域のコミュニティセンターとして、10年間地域住民の寄り合う場となり、本格的に教会を建設することになった時に、同じ「被災地仲間」である台湾に移築され、ここでもコミュニティセンターとして今も使われています。


◆使い続けたくなる仮設

 坂さんはこんなふうに感じたといいます。「何が仮設で、何がパーマネント(半永久的)か、ということです。紙でつくってもみんなに愛されて今も使われている。コンクリートでつくっても商業目当てで金儲けのためにつくった建築は結局仮設です。たかが紙でも愛されればパーマネントになりうるのだ」と。

 その後、トルコ、スマトラ、中国の成都、イタリアのラクイラ、ハイチ…。世界の様々なところで次々と発生する地震や津波の現場に坂さんは直ちに飛びました。学生をともない、地元に住み込み、現地で調達できる紙管やビールケースなどの材料を使い、仮設住宅、シェルターなどをつくってきました。2008年に被災した中国の成都では、小学校が潰れてしまったので仮設校舎をつくってほしい、と依頼され、9教室を紙管とジョイントでつくり、学校に戻れた子どもたちが喜びました。
「3年前にまた成都で地震があり、心配で行ってみましたが、小学校がなんの被害も受けていなくて、これからも使い続けたい、と言ってくれました」全然仮設≠ナはないですね。

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ニュージーランドの地震により倒壊したクライストチャーチ大聖堂跡地に、
「紙の聖堂」をつくった


◆住む人が心地よい住宅環境を

 神戸の鷹取を中心に活動していた時から、避難所にプライバシーがなく困っている人たちのことが気になっていた坂さんは、中越地震で間仕切りをつくるボランティアをはじめていました。でも「避難所を運営する人たちは、『前例がないし、ない方が管理しやすい』というんです。間仕切りの中で酒を飲まれたら困る、なんてね」

 そして、東日本大震災。ほとんどの避難所で、「そんなものいらない」と断られ、とぼとぼと次のところを訪ねることを繰り返していた坂さんでしたが、たまたま岩手県の大槌町の体育館に行った時のこと。津波で役場が流され、町長をはじめ役場の方が亡くなられて、大槌高校の物理の先生が避難所を管理していました。坂さんの提案にこの先生は、「前例がない」とは言わず「これいいね。500世帯分つくってよ」と言いました。このことが新聞でも報道され、少しずつ認知されるようになって、3ヶ月で50の避難所用に1,800ユニットをつくるに至ったのです。

 仮設住宅は、隣のユニットが接近して隣の音が筒抜けのために、窓も開けられないというように、住宅環境が悪いのが一般的です。また500キロの海岸線が津波でやられた東北には、仮設をつくる土地もない、という問題がありました。坂さんは「土地がなければこんなものもできます」とコンテナを三層に積んだ仮設の模型をつくって見せました。宮城県の女川で提案したら、町長が英断してくれ、日本で初めての3階建ての仮設住宅をつくりました。最初は文句を言っていた方が、ここに入居したあとは大満足で、居心地がいいから出たくない、とおっしゃっていたそうです。
 ふつうの住宅であれ、仮設であれ、あくまでも暮らしている人の側にたち、住み心地のよいものをつくる、というのが坂さんの姿勢。「仮設≠ナなくて、本設≠ニ考えたほうがいいですね」

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Photo by Hiroyuki Hirai
宮城県女川町につくられたコンテナ多層仮設住宅


◆建築家が社会のためにできること

 講演の後の対談で、アテがなくても現地にボランティアで行くようになったきっかけを問われて坂さんは語ります。「自分の仕事に疑問を持ったんですね。おつきあいをしているクライアントは、財力や権力を持った恵まれた方。立派な建築物をつくるのがわれわれの仕事でした。それは決して悪いことではないんですが、一般の方、自然災害で家を失った人の役に立てればいいと思ったんです。自然災害といっても、実際には建物が倒れて人が死ぬわけで、建築家の責任でもある。それなら避難所や仮設住宅の環境を少しでも改善することが建築家としてできることじゃないかな、と思ったのです」といいます。

 「生涯自分がやっていけることかもという気がしてきたら、向こうから来てほしいと言われるようになった。今は呼ばれなくても行きますけど。学生を連れていくと、授業はサボっている学生が、見違えるように変わり、現地の学生と共同作業してすごく成長します。ものをつくって喜ばれる、こんないいことはないですね」

 坂さんが代表をつとめる「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」は、昨年7月に世田谷区と協定を結び、区内に災害が起こった場合、避難所に間仕切りを提供することになりました。都内では世田谷が初です。昨年の熊本地震の時には、たまたま大分県がVANと協定を結んでいたので、隣の県への支援を知事にお願いし、避難所での間仕切りが1ヶ月で2,000ユニットも設置されました。

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避難所用 間仕切りシステム

 世田谷に生まれ育ち、世田谷に事務所を構える坂さんからみなさんへのメッセージは「防災の日などに、VANでは学生を連れて、間仕切りのデモンストレーションなどをやっています。子どもでもできます。声をかけていただければぜひ対応したいです」ということでした。これから地域に広めていきたいですね。
(取材/本誌編集委員 星野弥生)

VAN(Voluntary Architects Network) 
https://www.facebook.com/VoluntaryArchitectsNetwork/

Posted by setabora at 19:28
ボランティア情報誌「セボネ3月号」を発行しました [2017年03月01日(Wed)]

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★3月号表紙 すぎやまゆうこさん

【今月の掲載記事】
★特集「『紙の建築 行動する』~建築家 坂茂さんの災害支援~」 
世界的に有名な建築家の坂さん。紙管を使った避難所用の間仕切りシステムが注目され、世田谷区とも昨年協定を結んでいます。坂さんが今年1月に世田谷でご講演された内容をレポートしました。

★まちの市民力「街の木を活かすものづくりの会」
 略称「マチモノ」さんは、いまの「街の木のあり方」を変えていこうと、さまざまな取り組みを行っています。

★キラリ世田谷人「安積 邦宏さん」
 高齢者施設などで歌声サロンのボランティアをしている安積さん。世田谷区民になってまだ4年だそうですが、すっかり地域にとけこんでいます。

世田谷ボランティア協会の情報誌「セボネ」は、
区内の図書館や区民センター、出張所・まちづくりセンターなどでも配布しています。

なお、情報誌「セボネ」はボランティアの編集委員が企画・取材して制作しています。
ボランティア募集、イベント告知など、みなさまからの情報を集めていますので、
ホームページの投稿フォームから情報をお寄せください。
http://www.otagaisama.or.jp/usp_form/toukou
Posted by setabora at 16:48
セボネ2月号キラリ世田谷人「工藤 美紀さん」 [2017年02月01日(Wed)]

キラリ世田谷人は、世田谷を中心に活躍するキラリと光る素敵な方がたをご紹介します。

自然とともに暮らす
工藤 美紀 さん

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 ここは多摩川のはらっぱ。「ミミズがいたよ〜」と、ためらいなく手のひらにのせて子ども達に見せ、屈託のない笑顔で語りかける工藤美紀さん。1年前から、NPO法人せたがや水辺デザインネットワークのスタッフとして働いています。

 小さい頃から自然が大好きで、多摩川や自然がいっぱいの公園で日が暮れるまでずっと遊んでいました。「本当に外で遊ぶのが好きで、虫も好きだし、自然に関わる仕事をしたいと思うようになりました」と言います。高校卒業後は資格を取り、日本庭園の管理等の仕事をしていましたが、「管理するのではなく、もっとありのままの「自然」に近いことをしていきたい」と考えるようになり、現職にたどり着きました。

 そのきっかけは高校の授業の一環で、この現場でボランティア体験活動をしたことにありました。「授業で初めてここに来て、そのあとも時々手伝ってて。進路に悩んだときにスタッフに相談して、ここで働かせてもらうことになりました」

 この日は「きぬたま遊び村」の開園日。何組かの親子が遊びに来ていて、取材中もあちこちから「みきちゃーん!」と子どもたちから声がかかります。子どもの話を聞き、「じゃあこれでやってみる?」「みせてくれてありがとう」とひとつずつ丁寧に返します。

 1年を振り返って、「毎日が本当に楽しい!…けど、だんだん難しくなってきました」といいます。もともと自然が好きでこの仕事を始めましたが、子どもとかかわるのは初めて。「安全を第一にしつつ、子どもがやりたいことをやれるよう、どう接したらいいのか、考えることが増えてきました」

 大学に進学した同級生は来年卒業。「今年は私にとって重要な年」と言葉を強めます。「私もそれまでに好きなことを仕事にして、しっかりとカタチにしていきたい」キラキラした目はしっかり前を見据えています。「新しいことをやってみたい」と、3月から月1回「のっぱらの日」をスタートし、大人も子どもも自然体験できる場をつくろうとしています。

 一面はらっぱの真ん中で「ここは『きぬたま時間』がながれていてのんびり過ごせるんですよ。外は寒いけど、人があったかい」と笑う工藤さんは、"自然体"という言葉がぴったりな21才でした。
(取材/編集委員 鈴木朋子)

せたがや水辺デザインネットワーク http://setagaya-mizubedesign.org/
きぬたま遊び村は毎週月・水・土10時半から開園しています。
Posted by setabora at 11:44
セボネ2月号まちの市民力「わんの会(障がい者福祉に携わる  若者の会)」  [2017年02月01日(Wed)]

「まちの市民力」は、街の中で地域やそこで暮らす人たちと一緒に活動している団体を紹介します。

わんの会 (障がい者福祉に携わる若者の会)

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 障がい者の生活を支えるホームヘルパーや施設職員などが集まり、「ヨコのつながりをつくろう」と始めたのが、「わんの会」です。幹事をつとめる田坂知樹さんにお話をうかがいました。

 「このゆびとーまれ」と最初に手をあげたのがヘルパーの田坂さん。障がい福祉にかかわる人たちがアイデアや経験を出し合い、協力していけばよりよい介助ができるのではと考え、知り合いに声をかけて飲み会を開催したのがはじまりでした。そのときたまたま行ったお店の名前から「わんの会」と命名。

 その後も飲み会という形で交流を継続していくうちに、「飲み会もいいけど、ただ飲んで終わりではなく、勉強会みたいなことができないかな」と考えるようになりました。「ヘルパーの仕事はけっこう孤独なんです」と田坂さんはいいます。介助する人が話したり聴いたり、思いを吐き出せる場が必要だと感じていました。「認知症カフェ」はあるけど、障がい者に焦点をあてた場はなかなかないことから「それなら自分たちでやってみよう」と立ち上げたのは自然のながれ。

 田坂さんは介護者が集うカフェに行って、場づくりのためのファシリテーションを学び、昨年5月に三軒茶屋で、ワークショップ「わんカフェ」を開催。座学で講義を聞くのではなく、みんなが参加できる形でワークショップを行いました。

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 「わんカフェ」は飲み屋の雑談でなく、堅苦しい会議の雰囲気でもなく、「対話」の場。何か結論を求めて話をするのではなく、自分が思っていることを出して、相手を否定することなく、お互いが気兼ねなく話せる場です。これまで「障がいとは?」や「自立とは?」をテーマに、毎回20人くらい集まり、それぞれの想いを語り合ってきました。いろいろな人と出会えることも魅力。「今後は介助者のためのワークショップだけでなく、障がい福祉を地域にもっと広めていきたい」と考えています。

 次回、第8回のわんの会は、3月10日(金)19時〜「癒しと福祉」をテーマにしたワークショップを開催します。アロマハンドマッサージを体験して、福祉における癒しについて対話します。興味のある方はぜひご参加ください。
(取材/事務局)

わんの会 https://www.facebook.com/setagaya.one/
 問合せ ttomkingjp@gmail.com(田坂)

第8回わんの会「癒しと福祉」
3月10日(金)19時〜21時 世田谷ボランティアセンター
アロマハンドマッサージ体験あり
Posted by setabora at 11:19
セボネ2月号特集「子育てママだからできること〜子連れボランティアで広がる世界〜」 [2017年02月01日(Wed)]

子育てママだからできること
〜子連れボランティアで広がる世界〜


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(写真提供/サービスグラント)

 「プロボノ」は、ラテン語が語源で、Pro Bono (Publico) = "For Good (Public)"つまり、「公共善のために」市民が自分自身の可能性を最大限に活かして、社会参加をするプログラムです。世田谷ボランティア協会の「おたがいさま」の考え方にも通じます。
 子育て中のママたちの活躍の場を提供する「ママボノ」プログラムとせたがやチャイルドラインが出会い、つながりを育んだステキなお話をお伝えします。


◆「ママ」×「プロボノ」
 
 「プロボノ」をご存知でしょうか。「仕事で培ったスキルや専門知識・経験等をボランティアとして提供し、社会課題の解決に成果をもたらす」活動です。プロボノプロジェクトのコーディネートを通じてNPOなどの団体支援をしているのが、「認定NPO法人サービスグラント」です。2005年に活動を開始し、2016年時点で3,000人以上の方が「スキル登録」を通じて、参加を表明し、プロジェクトから成果物を生み出し、支援先に届けるという活動を行っています。

 昨年6月に昭和女子大学で開催された「三茶子育てファミリーフェスタ」でのサービスグラントとの出会いから、お付き合いが始まりました。世田谷ボランティア協会の主催事業のひとつ「せたがやチャイルドライン」が出店していたところに、サービスグラントからお誘いがありました。育休中のママたちの「持てる」ちからを咲かせる活動「ママボノ」を紹介されたのです。職場復帰を目指す子育てママの「子育ての他に社会活動によって新たな経験をし、復職に向けたウォーミングアップを図りたい」という希望に答えるのが「ママボノ」の活動です。

 子どもからの電話を受ける「チャイルドライン」は世田谷から始まり、全国各地に広まりました。世田谷で常設されてから16年。活動内容を知らせ、ボランティアや寄付金による支援をよびかける広報物を見栄えのするものにつくりかえたいと思っていた時でしたので、「ママボノ」にリーフレット制作を依頼してみよう、ということになりました。さっそくサービスグラントに申請書を提出したのが昨年夏。書類審査、電話取材、面接による2次審査を経て、支援団体として採択されることになりました。


◆プロのスキルを活かす

 チャイルドラインを含め、支援先は10団体のNPOなど。事前に提出した資料や面接内容などに基づき、ママたちが立候補した中からチームが組まれます。そして11月、いよいよ7人から成るママチームとの「キックオフ・ミーティング」で活動がスタート。打合せでは、「どんなリーフレットにしたいのか、対象はどんな人たちか?」などを話し合い、内容を具体化していくための何人かのキーパーソンへの取材の日程を決めます。

 まだしっかり首の座らないような赤ちゃんを抱き、時々おっぱいもふくませるママたちですが、仕事で培ったスキルをリーフレットのデザインやコンセプトに注ぎ込む意欲はさすがにプロ。取材のため何度も子連れでボランティアセンターに足を運び、それぞれの得意分野を活かして短期間で形にしてくれました。

 12月7日には10チーム合同で成果提案。支援を受けた団体は、せたがやチャイルドラインの他、「働く女性の全国センター」、「子育てネットワーク・ピッコロ」、「石巻復興支援ネットワーク」、「めじろ台町会連絡協議会」など、地域も支援内容も多岐にわたるものでした。

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リーフレット案を色違いで何種類も提案してくれた


 さて、チャイルドラインのリーフレットですが、訴える力が弱く、文字が多かったものが、印象に残るわかりやすい言葉と色の表紙、見やすいデザインと楽しげなイラストが散りばめられた中身に生まれ変わりました。さらに、リーフレットを補完するかわいい紙製のスタンドや、ポケットティッシュサイズの広報物、リーフレットの新規設置先の提案等、想像もしなかったようなアイデアもいただき、驚きとともに感動が!

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リーフレット入れのスタンドも手づくり。よくみると電話の形。


 ママたちのチームワークが抜群で、2ヶ月弱の間に、これまでずっと一緒に仕事をしていたかのように打ち解けた関係を築いていました。「このお仕事はとっても楽しかった」というママたち。「素敵なリーフレットができて、これで活動をPRしやすくなる」と喜ぶチャイルドライン。リーフレットがきっかけとなって生まれた関係は、さらに発展しそうな予感。もっとママたちの話が聞きたくなり、改めてインタビューしました。


◆「何かしたい」エネルギーを社会参加へ

 参加したきっかけを尋ねると「ネットで『ママ向けのインターン』と検索して、ママボノを知りました。子どもが生後2ヶ月の時、よく寝てくれる子だったからヒマで時間と力をもてあましていたんです」と語るのはIT企業勤務のOさん。

 「産後ケアのNPO『マドレボニータ』の教室に参加して、まず身体を整えて、社会に復帰するために何をしようかと思っていたところにママボノを知り、ふだん忙しいとできないようなことができそう、と思って」というKさんも別のIT企業で働くママです。

 「これまで時間がなくて仕事しかできなかったから、やりたいことを手当たり次第やりたいと思って。ボランティアにも興味がありました。いろんな業種の人たちとも交流したかったし」と語るのはテレビ局勤務のTさん。

 「子育てサロンで知り合った方がたまたまサービスグラントのスタッフで、誘われて登録しました。仕事が三度のご飯より好きなんです」と、学生時代からカンボジアに絵本を送る活動や通訳ボランティアもしてきた、商社勤務のMさん。みなさん「何かをしたい」エネルギーで満ち溢れています。

 チャイルドラインを支援しようと選んでくれたのは、「子どもを生んでから、子どもに関することにアンテナがピピッと反応して」とTさん。「思っていた以上に得るものがあった」とOさんは振り返ります。「こういう電話のしくみは大事だと思ったし、チャイルドラインへの取材を通して、今後子育てをする上でも覚えておきたいことを学びました。チームのメンバーからの刺激もあり、想像以上に学べました」

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赤ちゃんを抱っこしながら子連れでミーティング

 「チャイルドラインの活動は、単に深刻な悩みの相談ではなく、なんでも話していいんだよ、と子どもに呼びかけているものだ、と知ったのは嬉しいことでした。こういう活動を支援することで、自分も人を助けることができる、自分にできることがあるんだなあと思いました」(Tさん)
 
 「リーフレットづくりってもっとあっさり終わるのかと思っていたけど、こうしたつながりができて楽しかったです。チームで役割分担できて、仕事に復帰した時のイメージがつかめて参加してよかったと思います」(Kさん)

 成果を出す「仕事」として引き受けたプロジェクトは、仕事とは違う「学び」や発見があり、その活動自体への興味につながった、というのは嬉しいことです。「企業で働いているだけでは知らなかった福祉やNPOの世界をのぞくことができ」「自分の働き方や生き方を考えるうえでもいい時間だった」という経験は、これからのキャリアにとってもきっと役立つことでしょう。

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チラシラックに埋もれないようA4版もつくっていただいた


◆世田谷がもうひとつの実家に!

 「子連れママが一歩踏み出すのは確かに大変だし面倒くさいけれど、一歩出てみるといろいろ得るものがあります。子どもと2人だけでいるよりは精神的にずっと楽ですよ」と、Oさんは同じような若いママたちに伝えたいと思っています。

 「ママボノ」で出会った7人のママたちが、幼な子を持つ同じ境遇で共感しあい、チャイルドラインのスタッフとも関係が深まり、リーフレット作成というひとつの目的を中心に、いくつもの糸がつながりました。広域から集まってくれたママたちでしたが、「世田谷に来ると、実家に帰って来たようで…」という嬉しい言葉も。「新しい社会体験」、「仕事復帰へのウォーミングアップ」以上の「成果」だったかもしれません。

 「1月の世田谷ボロ市にチャイルドラインもお店を出すから、よかったら来てみない?」と誘うと、寒い日にもかかわらず赤ちゃんを抱っこしたママたちが訪ねてきてくれました。出来たてのリーフレットを配り、バザーの売り子も買って出てくれました。赤ちゃんはどこでも人気者。3ヶ月前、初めて会った時、首がすわらなかった赤ちゃんがしっかりおすわりをしていたり、9ヶ月になってつかまり立ちをしている子もいます。こんなふうに、子どもたちの成長を眺めていけるのは嬉しいことです。

 生まれたての素敵なリーフレットも、これからどう育ち、活用されていくのか。生み出したママたちはその成長を見守りたいと思っています。仕事に復帰しても、世田谷の「実家」を時々訪ね、チャイルドラインにいろんな形で関わってもらえたら、と心待ちにしています。
(寄稿/せたがやチャイルドライン運営委員長・本誌編集委員 星野弥生)

認定NPO法人サービスグラント
http://www.servicegrant.or.jp/
TEL:03-6419-4021  メール:info@servicegrant.or.jp

ママボノ2016報告会 2月25日(土)13:30〜16:30(予定)
場所:日本財団(港区赤坂1-2-2日本財団ビル)
参加無料  参加申込みはhttp://bit.ly/MB2016houkoku_entry から


Posted by setabora at 11:01
ボランティア情報誌「セボネ2月号」を発行しました [2017年02月01日(Wed)]

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★2月号表紙 武隈 善子さん

【今月の掲載記事】
★特集「子育てママだからできること〜子連れボランティアで広がる世界〜」
 子育て中のママたちの活躍の場を提供する「ママボノ」プログラムと、せたがやチャイルドラインが出会い、つながりを育んだ素敵なお話をお伝えします。

★まちの市民力「わんの会(障がい者福祉に携わる若者の会)」
 雑談でもなく、会議でもなく、「対話」の場をつくろうと、新たな試みが始まっています。

★キラリ世田谷人「工藤 美紀さん」
 ボランティアをきっかけに、NPOのスタッフとなり1年。自然が大好きな工藤さんにお話をうかがいました。


世田谷ボランティア協会の情報誌「セボネ」は、
区内の図書館や区民センター、出張所・まちづくりセンターなどでも配布しています。

なお、情報誌「セボネ」はボランティアの編集委員が企画・取材して制作しています。
ボランティア募集、イベント告知など、みなさまからの情報を集めていますので、
ホームページの投稿フォームから情報をお寄せください。
http://www.otagaisama.or.jp/usp_form/toukou
Posted by setabora at 10:47
セボネ1月号キラリ世田谷人「高橋 久一さん」 [2017年01月05日(Thu)]

キラリ世田谷人は、世田谷を中心に活躍するキラリと光る素敵な方がたをご紹介します。

地域の歴史の生き証人
高橋 久一さん

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 11月に船橋地区で開かれた講演会「船橋・千歳台のあゆみ」に登壇し、「八幡山から船橋にかけていつも街路樹の下草刈りをしている久一さん」と紹介された高橋さんは「いい街になってよかった」と感慨深げ。この地域に88年間暮らし、空襲、区画整理など、地域が変遷を遂げる重要な場に常に居合わせた久一さんは、さながら地域の歴史の「生き証人」です。
 例えばこんな話。「文豪、徳富蘆花の死後、旧宅が都に寄贈されて芦花公園ができた」とか、「千歳台を区画整理する時に、4千年前の縄文中期の遺跡が発掘された」とか。

 でも何よりも久一さんが伝えたいのは、10万人が亡くなった1945年の東京大空襲の時のこと。当時運送の仕事をしていた久一さんは、大空襲からおよそ10日後に、深川にある倉庫まで荷物を運んでほしいとの依頼を受け、荷馬車で甲州街道を都心に向かいました。焼土と化した隅田川周辺で目にしたのは、見渡す限りの蝋のように白くなった死体の山。敗けるわけはないと思っていた日本の敗戦を知った8月15日、「大空襲であんなに多くの人が犠牲になったのは何だったのか」と無念の思いでした。

 まもなく運送業をやめたのち、1964年までは精米所を経営。その後の挑戦はなんとマッシュルーム栽培。当時の日本ではマッシュルームは珍しく、久一さんは国会図書館で本を読みあさり、外国にも行って研究を重ね、オリンピック選手村、山王ホテルなどへの出荷は月3トンにものぼり、ナンバーワンだったそうです。皇居にある馬糞の堆肥の権利を譲り受けて、宮中にも出入りするようになりました。

 環八をつくる話が起こった時、久一さんは「外国にあるような広い歩道をつくろう」と提案しました。今、成城警察署や船橋小学校のあるあたりが緑地帯になっているのはそのためです。しみじみと、「いろいろ大変だったが、今は立派な道路になってよかったなあ」と、久一さんは振り返ります。

 地域の歴史を近隣の小中学校で語り伝える「証人」は言います。
「一番聞いてほしいのは、戦争のこと。私たちがどんなに苦労したか、悲惨な目にあったかということをどうしても伝えたい」
この言葉、しっかりと若い人たちに受け渡したいと思ったことでした。
(取材/編集委員 星野 弥生)
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せたがや災害ボランティアセンターレポート 10月〜12月の動き  [2017年01月05日(Thu)]

■世田谷区とボランティアマッチングセンター運営訓練を実施(11月)
 世田谷区役所中庭で行われた訓練にはおよそ100人のボランティアが参加。ボランティアを受け付けるボランティアマッチングセンターや、避難所や地域を支援する受付窓口(サテライト)におけるボランティアコーディネーターの動きや役割を確認しました。
今後もより円滑な運営を目指して、コーディネーターの研修や訓練などを実施していく予定です。

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■上馬地区、下馬・野沢地区の「防災塾」に協力(11月)
 防災知識の普及・啓発を目的とした「防災塾」にて、講師・進行役を担当しました。
地区の各町会や福祉施設、学校関係者などが参加し、『発災後72時間は地区の力で乗りきる』をテーマに、グループ討議を行いました。活発に討議が行われ、地域に根ざした具体的な意見が出されました。話し合われた結果は、各地区の防災計画の策定に反映される予定です。

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■九品仏小学校・東玉川小学校「避難所運営訓練」に参加(10月、12月)
 ブースを出展し、災害時のボランティア活動や、ボランティアマッチングセンターや災害ボランティアマッチングコーディネーターについての説明パネルや防災グッズの展示を行いました。災害時のボランティアの重要性などを初めて知り、興味深く質問する人の姿が多く見られました。

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Posted by setabora at 15:56
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