攻守所を変えて泥沼化するタイのデモ
[2009年04月17日(金)]
「アピシット首相は退陣せよ」、「ASEAN会議を中止しろ」。
タクシン元首相を支持する反政府デモ隊が現政権の退陣を叫ぶ。4月11日、タイ中部のパタヤ市内で予定されていたASEAN諸国と日中韓の首脳会議や豪印との首脳会議が、反政府デモによる混乱を受けて延期に追い込まれた。
反政府デモ隊はその後活動の拠点を首都バンコクへ移して首相府を包囲したが、12日にアシピット首相が非常事態宣言を出して治安当局による強制排除に乗り出した結果、15日には反政府デモ隊も撤収を余儀なくされるに至った。
1.レッドシャツ対イエローシャツの対立
周知のとおり、今回の混乱は、昨年10月から続くタイ国内のデモ騒ぎの延長線上にある。以下に経緯をおさらいしたい。
事の発端は06年9月、医療制度改革や貧困対策で地方の農民や貧困層を中心に絶大な支持を得ていたタクシン元首相が軍事クーデターにより追放されたことに始まる。クーデターの背景には、王室を十分顧みない華人系のタクシン元首相が地方を中心に強固な支持を固めていたことに対する王室擁護派の反発があったと言われる。その後、軍による暫定政権を経て、07年12月に総選挙が行われた際にはタクシン派が勝利した。
しかし、これを不服とする反タクシン派の「民主主義市民連合」(PAD)は、08年10月に国会前でデモを起こして警官隊と衝突、500名規模の死傷者を出した。さらにPADは、バンコク近郊の主要2空港を占拠して機能不全に陥れ、多くの外国人旅行客やビジネスマンに足止めを食らわした。そもそもASEAN+3首脳会議や東アジア首脳会議は昨年12月に予定されていたのだが、このPADによる空港占拠のために延期されたものである。
結局、12月にはタクシン派のソムチャイ政権が混乱の責任をとって崩壊し、PADが支持するアピシット首相が政権についた。
ところが、話はこれで終わらない。PADのデモによる政権転覆に反発するタクシン派「反独裁民主同盟」は、今年1月にアシピット首相退陣を求めて3万人規模の集会を開催、2月には1万人のデモ隊が首相府を包囲したこともあった。こうした経緯を経て、「反独裁民主同盟」は4月9日に東アジア首脳会議等の妨害を宣言し、今回の混乱に至った次第である。
反タクシン派のPADが国王のシンボルカラーである黄色のシャツを着てデモを行ったのに対し、タクシン派の「反独裁民主同盟」は赤色のシャツで今回のデモに臨んだ。
地方の農民や都市の貧困層を支持者とするタクシン派に対し、バンコクの中間層や官僚などのエリートは反タクシン派を支持していることから、レッドシャツ(タクシン派)対イエローシャツ(反タクシン派)の対立は、こうした地域格差・階級格差の対立とも言える。
2.混乱許した治安当局内の分裂
ところで、「反独裁民主同盟」がパタヤで首脳会議の妨害を行った際、なぜ治安当局は各国首脳が滞在する会場ホテルへの侵入を易々と許したのか、その理由がいま一つ解せない。
各種報道によれば、当日パタヤには大勢の兵士や警官が配備されていたにもかかわらず、デモ隊が中韓首脳の滞在するホテルを取り囲んでも、ASEAN首脳の滞在するサミット会場ホテルに侵入しても、治安当局はデモ隊を強制排除することなく、ただただ見つめるばかりであったという。
治安当局がパタヤにおいて反政府デモ隊を排除できなかった理由として、現政権には昨年末に国会を包囲したり空港を占拠したりしたPADの責任追及をしていない弱みがあると指摘する向きがある。「PADの無法を放置した政府と軍は、今回、「反独裁民主同盟」が首脳会議の妨害に動いても、強く出ることができなかった」というのである(4月12日の朝日新聞朝刊)。
また、アシピット首相が「反独裁民主同盟」を力ずくで封じ込めるようなことをすれば、「反独裁民主同盟」に同情的な世論が形成され、アシピット首相としては自身の政治的立場を危うくすることも考えられる。実際、昨年10月にPADが国会包囲した際には、当時のタクシン派政権が強制排除を敢行したために大勢の死傷者が出て、政権批判が強まる結果となった。
これら要因に加えて、筆者は、治安当局が内部で分裂しているのではないかと見ている。
バンコクの中間層や軍・官僚などのエリートを支持層に持つ反タクシン派の現政権は、そのお膝元たるバンコクの軍や警察に対するコントロールは効いているにせよ、地方の治安当局は十分に掌握しきれていないという。
また、今回パタヤにおいては警察を中心に治安回復にあたり、軍は警察の補佐としての配備であったが、もともとタクシン元首相は警察官僚の出身であることから、警察内部には彼に同情的な人間も少なくないとも聞く。
東南アジア情勢に詳しい早稲田大学アジア研究機構のキム・ベン・ファー客員研究員は「バンコクの治安当局は王室と現政権に忠誠的だが、タクシン派の中には、地方の軍・警察はバンコクと足並みが揃っていないと見て、そこにデモ遂行のチャンスを見出している向きもある」と筆者に語った。
こうした治安当局内部の分裂のために、反政府デモはパタヤにおいて言わば見逃され、バンコクに至ってはじめて強制排除されたのではないだろうか。
3.今後の展望
4月16日現在、首相府を包囲していたタクシン派「反独裁民主同盟」の反政府デモ隊は撤収し、首都バンコクは落ち着きを取り戻したかのように見える。
しかし、同幹部は「決して負けたわけではなく、再び帰ってくる」と行動再開を明言している(東京新聞4月15日朝刊)。政府もバンコクと近県に出した非常事態宣言を当面解除しない方針だ。
昨年10月以来攻守所を変えて続く一連のデモ騒動は、今後も当面沈静化が見込めないのではないかと筆者は危惧する。
まず、一連のデモは単なる少数派の跳ね返りではなく、地方の農民や都市の貧困層を支持者とするタクシン派と、バンコクの中間層や官僚などのエリートを中心とする反タクシン派との間の、地域格差・階級格差の対立という様相を呈しており、度重なる混乱と死傷者発生の結果、その溝は一層深まっていると見られる。
また、治安回復を担うはずの軍や警察も一枚岩ではないのも問題だ。タクシン派も反タクシン派も、それぞれが治安当局の一部を味方につけていると信じており、それが事態を一層複雑化させる。
さらに、最大の懸念は、本来なら仲裁役を担うべきはずのプミポン国王が、騒動の一方の立場(すなわち王室擁護を掲げる反タクシン派の立場)に近すぎることだ。タイは過去に何度もクーデターを経験してきたが、そのたびに国民の尊敬を集める国王が事態を収拾してきた。
しかし、今回は、王室に対する立場の違いが対立争点の一つになっている。タクシン元首相は、3月27日、海外からのビデオ演説において自分を追い落とした06年9月のクーデターの黒幕としてプレム枢密院議長と名指しした。プレム議長はプミポン国王の側近中の側近とされる元陸軍司令官であり、彼を黒幕として名指しで批判するということは、クーデターを仕掛けたのが王室であると言っているに等しい。実際、反タクシン派はタクシン元首相の発言を「議長を批判する形をとった王室批判だ」として激しく反発している(朝日新聞4月12日朝刊)。
こうした状況にあっては、国王としても仲裁に乗り気でないか、そもそも仲裁に乗り出しても事態を収拾しきれない可能性すらある。
日系企業が東アジアで築き上げてきたサプライチェーンの要であるタイで政情の不安定が続けば、日本においても対岸の火事と涼しい顔はしていられない。デモ合戦泥沼化の可能性にも備えておかねばなるまい。
タクシン元首相を支持する反政府デモ隊が現政権の退陣を叫ぶ。4月11日、タイ中部のパタヤ市内で予定されていたASEAN諸国と日中韓の首脳会議や豪印との首脳会議が、反政府デモによる混乱を受けて延期に追い込まれた。
反政府デモ隊はその後活動の拠点を首都バンコクへ移して首相府を包囲したが、12日にアシピット首相が非常事態宣言を出して治安当局による強制排除に乗り出した結果、15日には反政府デモ隊も撤収を余儀なくされるに至った。
1.レッドシャツ対イエローシャツの対立
周知のとおり、今回の混乱は、昨年10月から続くタイ国内のデモ騒ぎの延長線上にある。以下に経緯をおさらいしたい。
事の発端は06年9月、医療制度改革や貧困対策で地方の農民や貧困層を中心に絶大な支持を得ていたタクシン元首相が軍事クーデターにより追放されたことに始まる。クーデターの背景には、王室を十分顧みない華人系のタクシン元首相が地方を中心に強固な支持を固めていたことに対する王室擁護派の反発があったと言われる。その後、軍による暫定政権を経て、07年12月に総選挙が行われた際にはタクシン派が勝利した。
しかし、これを不服とする反タクシン派の「民主主義市民連合」(PAD)は、08年10月に国会前でデモを起こして警官隊と衝突、500名規模の死傷者を出した。さらにPADは、バンコク近郊の主要2空港を占拠して機能不全に陥れ、多くの外国人旅行客やビジネスマンに足止めを食らわした。そもそもASEAN+3首脳会議や東アジア首脳会議は昨年12月に予定されていたのだが、このPADによる空港占拠のために延期されたものである。
結局、12月にはタクシン派のソムチャイ政権が混乱の責任をとって崩壊し、PADが支持するアピシット首相が政権についた。
ところが、話はこれで終わらない。PADのデモによる政権転覆に反発するタクシン派「反独裁民主同盟」は、今年1月にアシピット首相退陣を求めて3万人規模の集会を開催、2月には1万人のデモ隊が首相府を包囲したこともあった。こうした経緯を経て、「反独裁民主同盟」は4月9日に東アジア首脳会議等の妨害を宣言し、今回の混乱に至った次第である。
反タクシン派のPADが国王のシンボルカラーである黄色のシャツを着てデモを行ったのに対し、タクシン派の「反独裁民主同盟」は赤色のシャツで今回のデモに臨んだ。
地方の農民や都市の貧困層を支持者とするタクシン派に対し、バンコクの中間層や官僚などのエリートは反タクシン派を支持していることから、レッドシャツ(タクシン派)対イエローシャツ(反タクシン派)の対立は、こうした地域格差・階級格差の対立とも言える。
2.混乱許した治安当局内の分裂
ところで、「反独裁民主同盟」がパタヤで首脳会議の妨害を行った際、なぜ治安当局は各国首脳が滞在する会場ホテルへの侵入を易々と許したのか、その理由がいま一つ解せない。
各種報道によれば、当日パタヤには大勢の兵士や警官が配備されていたにもかかわらず、デモ隊が中韓首脳の滞在するホテルを取り囲んでも、ASEAN首脳の滞在するサミット会場ホテルに侵入しても、治安当局はデモ隊を強制排除することなく、ただただ見つめるばかりであったという。
治安当局がパタヤにおいて反政府デモ隊を排除できなかった理由として、現政権には昨年末に国会を包囲したり空港を占拠したりしたPADの責任追及をしていない弱みがあると指摘する向きがある。「PADの無法を放置した政府と軍は、今回、「反独裁民主同盟」が首脳会議の妨害に動いても、強く出ることができなかった」というのである(4月12日の朝日新聞朝刊)。
また、アシピット首相が「反独裁民主同盟」を力ずくで封じ込めるようなことをすれば、「反独裁民主同盟」に同情的な世論が形成され、アシピット首相としては自身の政治的立場を危うくすることも考えられる。実際、昨年10月にPADが国会包囲した際には、当時のタクシン派政権が強制排除を敢行したために大勢の死傷者が出て、政権批判が強まる結果となった。
これら要因に加えて、筆者は、治安当局が内部で分裂しているのではないかと見ている。
バンコクの中間層や軍・官僚などのエリートを支持層に持つ反タクシン派の現政権は、そのお膝元たるバンコクの軍や警察に対するコントロールは効いているにせよ、地方の治安当局は十分に掌握しきれていないという。
また、今回パタヤにおいては警察を中心に治安回復にあたり、軍は警察の補佐としての配備であったが、もともとタクシン元首相は警察官僚の出身であることから、警察内部には彼に同情的な人間も少なくないとも聞く。
東南アジア情勢に詳しい早稲田大学アジア研究機構のキム・ベン・ファー客員研究員は「バンコクの治安当局は王室と現政権に忠誠的だが、タクシン派の中には、地方の軍・警察はバンコクと足並みが揃っていないと見て、そこにデモ遂行のチャンスを見出している向きもある」と筆者に語った。
こうした治安当局内部の分裂のために、反政府デモはパタヤにおいて言わば見逃され、バンコクに至ってはじめて強制排除されたのではないだろうか。
3.今後の展望
4月16日現在、首相府を包囲していたタクシン派「反独裁民主同盟」の反政府デモ隊は撤収し、首都バンコクは落ち着きを取り戻したかのように見える。
しかし、同幹部は「決して負けたわけではなく、再び帰ってくる」と行動再開を明言している(東京新聞4月15日朝刊)。政府もバンコクと近県に出した非常事態宣言を当面解除しない方針だ。
昨年10月以来攻守所を変えて続く一連のデモ騒動は、今後も当面沈静化が見込めないのではないかと筆者は危惧する。
まず、一連のデモは単なる少数派の跳ね返りではなく、地方の農民や都市の貧困層を支持者とするタクシン派と、バンコクの中間層や官僚などのエリートを中心とする反タクシン派との間の、地域格差・階級格差の対立という様相を呈しており、度重なる混乱と死傷者発生の結果、その溝は一層深まっていると見られる。
また、治安回復を担うはずの軍や警察も一枚岩ではないのも問題だ。タクシン派も反タクシン派も、それぞれが治安当局の一部を味方につけていると信じており、それが事態を一層複雑化させる。
さらに、最大の懸念は、本来なら仲裁役を担うべきはずのプミポン国王が、騒動の一方の立場(すなわち王室擁護を掲げる反タクシン派の立場)に近すぎることだ。タイは過去に何度もクーデターを経験してきたが、そのたびに国民の尊敬を集める国王が事態を収拾してきた。
しかし、今回は、王室に対する立場の違いが対立争点の一つになっている。タクシン元首相は、3月27日、海外からのビデオ演説において自分を追い落とした06年9月のクーデターの黒幕としてプレム枢密院議長と名指しした。プレム議長はプミポン国王の側近中の側近とされる元陸軍司令官であり、彼を黒幕として名指しで批判するということは、クーデターを仕掛けたのが王室であると言っているに等しい。実際、反タクシン派はタクシン元首相の発言を「議長を批判する形をとった王室批判だ」として激しく反発している(朝日新聞4月12日朝刊)。
こうした状況にあっては、国王としても仲裁に乗り気でないか、そもそも仲裁に乗り出しても事態を収拾しきれない可能性すらある。
日系企業が東アジアで築き上げてきたサプライチェーンの要であるタイで政情の不安定が続けば、日本においても対岸の火事と涼しい顔はしていられない。デモ合戦泥沼化の可能性にも備えておかねばなるまい。



