日本財団公益コミュニティサイト CANPAN CANPANブログ:公益法人,NPO,CSR,社会貢献活動のための無料ブログ

北朝鮮核開発問題の経緯と展望 [2009年06月22日(月)]
6月13日、北朝鮮外務省は、同国が5月25日に実施した2度目の核実験に対する国連安保理制裁決議について「断固として糾弾排撃する」と非難し、(1)新たに抽出するプルトニウム全量の兵器化(2)ウラン濃縮作業への着手、(3)制裁への軍事的対応という三項目の措置を実施するとの声明を発表した。

03年以来北朝鮮核開発問題の解決を模索してきた六カ国協議は暗礁に乗り上げ、問題の行方は非常に不透明だ。いったい、どこでボタンの掛け違いが始まり、何が事態を深刻化させ、今後どこへ向かうのか。


1.米朝相互不信が引き起こしたエスカレーション
北朝鮮核開発問題の発端は90年代前半までさかのぼる。当時すでに北朝鮮が保有を始めていた原子力発電所は黒鉛減速炉によるものであったが、この黒鉛減速炉からは核兵器の原料となる純度の高いプルトニウムが生成されることから、米国政府はその放棄を強く要求したことに端を発する。

北朝鮮が原子力発電所にこだわるのには事情がある。同国の経済発展において電力不足は大きなボトルネックとなっているが、水力発電では冬に水不足となり発電量が落ち、火力発電では石炭がない。この点、北朝鮮は埋蔵量2600万トン、採掘可能量400万トンといわれる世界有数のウラン鉱山を有する(日本経済新聞2002年10月17日)ことから、畢竟、原子力発電に期待がかかるのである。

黒鉛減速炉による原子力発電の放棄を飲まない北朝鮮に対して、米国政府は空爆も辞さない姿勢を見せたが、結局1994年6月、プルトニウムを生成しにくい軽水炉型の原子力発電所を日韓の支援(日本30%、韓国70%)によって提供するとともに、その完成までは米国が火力発電用の重油を提供することで関係国(北朝鮮、米国、日本、韓国、中国、ロシア)の間に合意(いわゆる「枠組み合意」)が成立し、北朝鮮は黒鉛減速炉による発電を中止した。

そのまま枠組み合意にそって進んでくれれば良かったのだが、事はそれほど単純でない。2003年の稼動開始を予定していた軽水炉は、韓国型軽水炉の導入に北朝鮮側が反発したことなどにより工期が大幅に遅れた。

そうした状況下で、2002年10月、訪朝したケリー米国国務次官補が核兵器開発につながるウラン濃縮を北朝鮮が行っていると指摘したことで、事態は暗転する。ケリー国務長官が訪朝初日に核開発疑惑を強く主張したことに対し、北朝鮮側は協議2日目に「われわれは高濃縮ウラン(HEU)計画を推進する権利があり、さらに強力な兵器も作ることができる」と強がりを見せたのである。

結局、米国側の非難に反発した北朝鮮はIAEA査察チームを国外退去させ、黒鉛減速炉による発電を再開して、IAEAから脱退してしまった。1994年に続く第2次北朝鮮核危機である。

「第2次核危機は米国が招いたと言っても過言ではない」と、中国の元駐北朝鮮武官は言う。02年時点で、米国は北朝鮮の核開発について100%の確証を握っていたわけではない。にもかかわらず、ケリー国務次官補は訪朝するなり「北朝鮮は核開発を行っている」と強く非難したことが事態を複雑化させた発端だったと、この元武官は分析する。

実際、北朝鮮は2002年10月25日に「米国は何の証拠もなくわが国がウラン濃縮による核兵器開発を推進していると言いがかりをつけている」との外務省代弁人談話を発表している。ボタンの掛け違いは、このあたりから始まったといえよう。

2005年2月には、北朝鮮政府は核拡散防止条約 (NPT) からの脱退し、核兵器保有宣言を行った。これを受けてKEDOは、11月に軽水炉建設事業を廃止することで合意したが、これが北朝鮮のさらなる反発を招いて、「ブッシュ政権はわが国に対する軽水炉提供を放棄した」と米国を非難、黒鉛減速炉と軽水炉の独自開発路線を打ち出した。

その後、2005年9月には、六カ国協議での交渉の末、北朝鮮が「すべての核兵器と核開発計画を放棄する」一方、米国は北朝鮮を攻撃する意思がないことを確認したことで、いったん事態が好転するのだが、それも束の間であった。この合意の裏側で米国がマカオの銀行バンコ・デルタ・アジアに北朝鮮が保有する資金を凍結したことで、六カ国協議は再び膠着局面に入る。

こうした米朝間の相互不信の積み重ねの結果、北朝鮮は2006年10月に核実験の断行へと踏み切り、今年5月25日には2度目の核実験まで断行するに至るのである。


2.北朝鮮の戦略変化
北朝鮮の外交にとって最も重要なのは、言うまでもなく、米朝関係である。もともと北朝鮮外交は、(1)米国との直接交渉により自国の安全を確保するとともに、(2)これによって国際社会への扉を開いて各国から支援を得ることを当面の目的にしていたと考えられる。

前出の元武官によれば、02年頃の北朝鮮は核開発について二つの選択肢の間で揺れていたという。一つは核保有による安全確保。歴史を振り返っても核保有国が攻め込まれたことはなく、北朝鮮は、イラク戦争でフセイン政権が転覆させられた過程を見て核保有の考えを強めたとされる。もう一つの選択肢は、核放棄による安全確保と支援確保だ。

この二つの選択肢について、当時、中国は「北朝鮮の持ちうる核兵器は米国にとって直接的な脅威とはならず、したがって核抑止による安全確保には役立たない」「むしろ核を持つことによって、危険国として米ロに攻撃の口実を与える」と北朝鮮に核保有を思いとどまるように説得したそうだ。

しかし、もともと金正日と軍は核保有に傾きがちであったなか、先に見たとおり02年10月以降米朝間の相互不信が急速に高まるにつれて、北朝鮮は核保有の方向へと自らを追い込んでいくことになる。

北朝鮮は、2006年の第一回核実験の頃には「朝鮮半島の非核化を実現」するために米国との直接交渉を望む声明を出し、まだ対立回避の姿勢を見せていた。しかし、今回の核実験に際しては、6月12日に「「制裁」には報復で、「対決」には全面対決で断固立ち向かうのがわれわれの先軍思想に基づいた対応方式である」と、米国との対立も辞さない姿勢を打ち出している。

すなわち、北朝鮮は、核開発をカードに米国を交渉のテーブルに座らせて自国の安全確保と経済封鎖の打破を図ろうとする戦略から、核兵器の抑止力により自国の安全を図ろという戦略へと変化させつつあるように見えるのである。それは、北朝鮮にとってもより危険な立場へと自らを追い込む道にも思えるが、周辺国とりわけ韓国と日本にとっては無視し得ない脅威が裏庭に出現する道でもある。


3.今後の展望
北朝鮮核開発問題の行方を予想するに当たっては、同国の国内要因を意識せざるを得ない。韓国の国家情報院は、金正日氏の後継として三男の金正雲氏が指名されたとの観測を明らかにした上で、今年に入って以来一連の核開発の急転は政権承継のために「慎重な検討」を経て決定されたものだと分析している。

国内での権力掌握のために強硬な対外政策が必要になるとすれば、北朝鮮が事態をエスカレートさせてくる可能性は高い。逆に言えば、北朝鮮が核開発の中止ないし放棄の引き換えに提示する条件は、かなりハードルが高くなるだろう。軽水炉の提供、米国との国交正常化に加え、韓国に対する「核の傘」も取り払うよう要求することが予想される。

これに対して日米韓は、北朝鮮の核開発を阻止するため、国連安保理が6月12日に採択した新制裁決議を厳格に履行し、関連禁輸物資に関する貨物検査や開発資金に関する金融制裁などを実施することになっている。

こうした経済制裁は、たしかに北朝鮮の核開発を遅らせることには効果があるかもしれないが、これだけでは北朝鮮に核開発を断念させることは難しいように思う。

では、米国がミサイルによって北朝鮮の核開発施設を破壊すればよいかと言えば、事はそれほど単純ではない。もし北朝鮮の核開発施設を破壊するとすれば、北朝鮮は日本や韓国にミサイル攻撃などで報復する可能性がある。すなわち、北朝鮮の抑止力は米国には遠く届かないとしても、米国の同盟国たる日本や韓国は人質に取られている状況にあると言える。

この点、日本や韓国の国内世論は、北朝鮮の報復リスクを甘受してでも北朝鮮の核開発施設を破壊することを望む状況にはなく、米国にとっても経済危機とイラク問題への対応に忙しいなか極東を混乱に陥れるような手段を取る合理的理由は持ち合わせていない。

また、北朝鮮に対して天然ガスなどのライフラインを供給している中国が、同国に核開発断念を迫るべく制裁を強めるべきとする向きもあるが、実際には、中国に大きな期待をかけることは現実的でない。

確かに北朝鮮の核開発は、暴発すれば中国東北部にも影響が及ぶ上、これに刺激されて北東アジアで核軍拡が進む恐れもあることから、中国にとっても大きな懸案ではある。しかしながら、北朝鮮に本気で制裁を加えて体制崩壊させれば、大量の難民が中国に流れ込むなど、その混乱の影響は深刻に中国へ跳ね返る。両者のリスクと比較考量すれば、中国にとって、北朝鮮の息の根を止めることも辞さないほどの強い働きかけは合理的選択肢ではなかろう。

北朝鮮にしてみれば、米中ともに最後のカードを切る勇気を持ち合わせていない状況を見越して、核開発を急いでいるのだと考えられる。


4.結語
では、日本にとって深刻な脅威である北朝鮮の核開発を、我々は指をくわえて見ているしかないのであろうか。

ここで、北朝鮮の外交目的を今一度思い起こしてみたい。北朝鮮にとって核開発は、06年当時から現在にかけて使い方が変化しつつあるとはいえ、自国の安全を米国に約束させつつ、国際社会への扉を開いて支援を得るための外交ツールであることに変わりはない。

しかしながら、この外交目的は今なお達成されておらず、それは仮に核保有に成功したとしても自動的に達成されるものではない。北朝鮮の外交目的が達成されるのは、米国が北朝鮮の威嚇外交に屈するか、北朝鮮が自らエスカレーションの階段を下りてくるか、どちらかのシナリオしかないのだ。

したがって、残念ながら北朝鮮に今すぐ核開発を断念させる決め手がないのが現実である以上、日米サイドとしては、決して北朝鮮の威嚇外交に屈して妥協することなく、その強硬路線が功を奏しないというメッセージを有形無形に発し続け、北朝鮮国内情勢の変化のような事態冷却化のきっかけを待つほかないように思える。
世界金融不安が東アジアに与える影響を俯瞰する [2008年10月23日(木)]
1.概要
アメリカ発の金融不安が世界中を混乱に陥れている。

アメリカでリスクの高い住宅ローン(サブプライム・ローン)が小口の証券に細分化され、さらにそれが複雑に入り組んだ金融商品のチェーンのなかで世界中を転々としていく過程で、誰もサブプライム・ローン関連証券の所在もリスクも正しく認識できなくなった。

したがって、アメリカの住宅価格が下落をはじめてローンが焦げ付き始めると、その影響がどこまで及ぶのか誰にも見当がつかず、不安が不安を呼ぶ結果となった。少しでも危ないと投資家から睨まれた金融機関の株は売り浴びせられ、いつどこが破たんするとも分からない環境のなかでは皆が資金を出し渋り、業績に大きな問題のない金融機関や会社であっても資金繰りに行き詰る状況が生まれた。

その結果、アメリカでは、前年に史上最高益を上げたばかりであった全米第4位のリーマン・ブラザーズが一夜にして破たんし、同時に第3位のメリルリンチはバンク・オブ・アメリカに飲み込まれた。残る第1位のゴールドマン・サックスと第2位のモルガン・スタンレーも銀行持ち株会社へと業態変更を余儀なくされ、今世紀に入ってから「この世の春」を謳歌してきたアメリカの大手投資銀行は姿を消した。

東アジアの国々は、今回の金融不安から直接的な影響を受けているというよりも、もともと世界的な資源エネルギーや食糧の高騰などにより内需が弱含んでいたところに、アメリカの景気後退の間接的影響が襲ってきた構図だ。

9月以降本格化してきたアメリカ金融不安の間接的影響が東アジアの実体経済に与える影響は、むしろ今後本格化すると予想される。

多くの東アジア諸国にとっては外部からの不安定化要因に経済運営を翻弄されている状況だが、言い換えれば、複雑な相互連関のチェーンに縛られた現在の国際政治経済システムの現状を如実に表しているともいえる。

特に中国、韓国、ベトナムなどでは、経済成長の減速が政治社会の不安定化へ結びつく懸念があるなか、内需主導で経済成長を確保していけるかどうかが、日本を含む多くの東アジア諸国にとっての課題である。欧米からも東アジアの生み出す有効需要に世界経済の下支えとして期待がかかる。

東アジア諸国がこの難局を乗り切れるかどうかは、単に各国の経済の問題にとどまらず、その政治社会の安定から、国際社会全体の趨勢にもかかわる問題として、今後の動向から目が離せない。

「一世紀に一度の危機(Once in a century)」(グリーンスパン元FRB議長)とも言われる今回の世界的経済不況のなかで、東アジアはどのような立ち位置に立たされるのか。

この混乱期にあっても年金資金50億円程度を運用して良好な実績を上げている国内ヘッジファンドの代表は、「現在の金融不安が日本や東アジア諸国の企業の業績や個人の生活に影響してくるのはこれからだ。2010年春頃までの向こう1年半は、かなり厳しい状況を覚悟しなければなるまい。」と語る。

2.各国状況
日本
実際、こうしたアメリカ発の金融不安は日本にとっても対岸の火事ではない。アメリカを最終消費地として回っていた世界経済の動きが鈍った結果、日本の輸出も減速し、ドル売りのあおりでつり上がった円相場がさらに輸出を冷やし、外国人投資家の引き上げた株式市場では株価が大暴落して、日本経済の足を引っ張っている。

夏には147ドルをつけた原油先物価格が、投機資金の引き上げとエネルギー需要の後退観測によってわずか3カ月で半額以下まで値を下げたことは、エネルギーを輸入に依存する日本にとって朗報であるはずだが、そのプラス効果も世界を襲う未曾有の経済金融危機の前では焼け石に水のようにうつる。

世界経済の混乱は、日本以外の東アジア諸国にとっても深刻な影響を与えている。

韓国
もともと今年に入ってから内需に落ち込みにより景気後退懸念があった韓国では、その高い対外債務依存度への不安も重なって、韓国ウォンの「9月危機説」が市場でささやかれた。

実際、8月から9月にかけて大規模なウォン売りに見舞われ、今年1月には1ドル=930ウォンであったが、10月に入って1ドル=1400ウォン水準まで実に40%以上も下落してしまったのである。

ただし、心配された経済そのものは、中国などへの輸出が景気を下支えして今年上半期に5.3%と近年と比較しても高い成長率を記録した。こうした状況からウォン売りも落ち着いてきており、懸念材料の一つであった石油資源価格の高騰も一段落した今、輸出頼みの韓国経済にとって、下落したウォンはむしろ好都合ともいえよう。

ベトナム
中国に代わる新たな投資先として日本企業の熱い注目を集めてきたベトナムでも、年初来インフレ率の急騰と経常赤字の急拡大により通貨ドンが弱含み、韓国同様に通貨危機の懸念がささやかれていたなかで、アメリカ金融不安の波に襲われた。

今年8月には28.3%の物価上昇率を記録し、昨年は8.5%あった成長率も今年前半は6.5%まで落ち込んで、株価の下落も底が見えない。輸出の21.3%をアメリカに、同12.3%を日本に頼るベトナム経済は、今年後半以降日米の景気後退から無関係ではいられようもなく、今後の見通しは決して明るくない。

タイ
タクシン元首相の流れをくむ現政権に反対する反政府勢力の暴動により死傷者まで発生しているタイでは、カンボジアとの間で軍の小規模衝突を含む境界紛争も抱え、南部ではイスラム系分離独立派による断続的な爆破テロも発生しており、政治治安情勢は非常に不安定になっている。

こうした政情不安から内需が伸び悩んでいるものの、今年前半は輸出が好調であったため、成長率は07年通年が4.8%であったのに比して、今年第1四半期は6.1%、第2四半期は5.3%を記録した。

しかし、その輸出も、14.0%をEUに、12.6%をアメリカに、11.8%を日本に依存していることから、今年後半は金融不安と日米欧の景気後退の影響を受けざるをえないだろう。

中国
底の見えない世界経済にあって、下支え役の期待がかかるのは中国だ。アメリカ、EU、日本の内需が勢いを失うなかにあっても、中国には都市化の進展による膨大な有効需要創出の可能性があるからである。

筆者の私見でも、中国経済は内需が底堅く、今年後半から来年にかけても概ね9%の成長は維持していくものと見ている。

9.0%と発表された今年第3四半期の成長率を「中国の景気減速が鮮明になった」と見る向きも多いが、輸出の減退により成長率が9%程度まで落ち込むことは予想されたとおりであり、むしろその中でも個人消費と国定資産投資が引き続き底堅く伸びていることが確認されたことの方が注目に値する。

ただし、中国経済の先行きに不透明さがつきまとうことも事実だ。

国内需要喚起のために、金融当局が預金準備率の引き下げ、貸し出し金利の引き下げ、貸し出し総量規制の緩和など一連の金融緩和策を打ち出しているものの、先ごろ発表された統計ではマネーサプライ(M2)が思いのほか伸びておらず、当局が期待したほど消費や投資の喚起にはつながっていないようである。

今年上半期まで流入が続いていたホットマネー(短期的投機資金)も、流れが変わって6月以降毎月200億ドルほど流出していると見られる。

こうした状況を反映して、株価や不動産価格も暴落しており、これが消費や投資の減退へとつながるリスクがないではない。
「未開の資源大国」モンゴルと日本 [2008年09月28日(日)]
9月27日、中国・吉林大学主催の「北東アジア地域協力発展国際シンポジウム」において、「政府開発援助から見た日本モンゴル関係」と題するプレゼンテーションを行った。

モンゴルは、国際的な需要が高まっている石炭、銅、金、ウラン、モリブデンなどの鉱物資源について世界有数の埋蔵量を有するが、まだまだ開発が進んでいない「未開の資源大国」として近年急速に注目を集めている。

そのモンゴルと日本とは、1972年の国交樹立以来、友好な関係を維持してきているが、この30年以上にわたる日蒙関係の発展において、日本の政府開発援助が果たした役割は非常に大きい。

一方で、民間レベルの経済関係において、日本はロシアと中国に大きく水を開けられているのである。

1.日本の対モンゴル援助の歴史
日本の対モンゴル援助が本格化するのは、モンゴルが民主化した1990年以降のことである。1972年の国交樹立から1990年までは、カシミヤ工場建設(50億円)など、総額60億円(現在のレートで約9.5億人民元)の援助を実施しただけであった。

1991年以降、日本は、モンゴルの民主化・市場主義化支援のために積極的な援助を実施している。1991年から2006年までの日本による援助額は、円借款391.07億円、無償援助790.25億円、技術協力278.95億円の合計1460.27億円(現在のレートで約230億人民元)に上る(外務省資料)。

日本の対中国援助累積額3.4兆円(現在のレートで約5350億人民元)と比べると、対モンゴル援助はわずか25分の1に過ぎない。日本は2003年の一年間だけで1359.28億円の政府開発援助を提供しているが、これは過去30年以上における対モンゴル援助額と同規模である。

しかし、モンゴルから見れば日本は最大の援助国であり、モンゴル経済に占める日本からの援助の役割は極めて大きい。2002年のデータでは、モンゴル全体の投資財源のうち66.3%が外国援助であり、GDPの約2割が外国援助によって支えられていたが、その外国援助のうち約4割は日本からの援助であった(外務省「対モンゴル国別援助計画」2004年11月)。

これまで日本は、モンゴルに対して、食糧、水、保健医療、教育といった基礎的生活分野からエネルギー、通信、鉄道、道路などのインフラ分野まで、幅広く支援してきた。日本の援助プロジェクトのうち代表的なものは、主要幹線道路の建設、衛星通信基地局の設置、鉄道駅貨物積替施設の整備、火力発電所の改修、ウランバートル市への公共バス提供等が挙げられる。

ほかにも、日本は、世銀とともに1991年から1997年まで毎年対モンゴル支援国会合を東京にて開催し、国際社会において積極的に対モンゴル支援を牽引してきた。

2.日本の対モンゴル援助の目的
では、日本政府は、なぜ積極的にモンゴルに援助を提供しているのだろうか。日本の外務省が2004年11月に作成した「対モンゴル国別援助計画」によれば、日本の対モンゴル援助の目的は以下のとおり要約できる。

(1)地政学上の目的
まず地政学的に、モンゴルは、中国とロシアという二大大国に挟まれた内陸国として、北東アジアの安定と平和にとって重要な位置を占めている。したがって、日本政府は、モンゴルの独立維持と平和的発展の支援は、日本の安全保障上必要だと考えている。

(2)外交上の目的
次に外交面では、援助を通じてモンゴルと良好な関係を維持する目的がある。日本とモンゴルは長らく友好関係にあり、国際社会において日本の立場を支持する友邦としてモンゴルを重視している。モンゴルとしても、中国やロシアに対抗するために、日本や欧米との良好な関係維持を望んでおり、良好な日モンゴル関係の維持発展は両国にとって共通の目標となっている。

(3)イデオロギー上の目的
モンゴルは1990年以来、民主化の努力を進めているが、経済社会の発展が遅れれば、民主化を進める現政権の権力基盤が揺らぎかねない。また、そもそも、貧困に苦しむ民衆の間に政治的な自由を求める意見は広がりにくい。そこで、日本政府は、政府開発援助によってモンゴルの経済社会発展を支援することによって、同国が進める民主化を促進しようと考えている。

さらに、日本政府は、民主化を進めているモンゴルを支援することが、ひいては発展を目指す他国での民主化も促進すると考えている。民主化を目指せば、日本や欧米など民主主義の先進国が発展を援助するという前例を作るということである。実際、日本政府は、1996年のリヨン・サミットで新たに民主化する国々を支援していく方針を表明して以来、モンゴル以外にも、カンボジア、ラオス、ベトナム、ウズベキスタンなどに対して、法制度整備などを集中して支援してきている。

(4)文化・環境上の目的
四番目に、文化・環境上の目的を指摘できる・モンゴルの自然環境や伝統文化は世界的にも貴重な価値があり、日本政府としても、地球的な環境保護や文化遺産保護の観点から、モンゴルに対して文化や環境の保護に関する援助を行っている。

3.日本の対モンゴル援助の方向性
「対モンゴル国別援助計画」によれば、日本の対モンゴル援助の重点分野は、以下の4つとされている。

(1)市場経済を担う制度整備及び人材育成
(2)地方開発
(3)環境保全
(4)インフラ整備

モンゴルは、市場経済導入に伴う混乱等のために、1990年から1993年にかけてマイナス成長となり、特に1992年には300%を超える激しいインフレを経験した。こうした経済危機の結果、1993年の実質GDPは1990年の約80%まで落ち込んだが、その後は、外国援助や国有企業改革等の要因によってモンゴル経済は徐々に回復してきた。近年のマクロ経済指標は概ね好調であり、2005年には6.7%、2006年には8.7%の経済成長を達成した。

しかしながら、現在の経済水準は1990年の民主化前の水準をやっと超えたところであり、貧富の格差、地域間格差、牧畜業の衰退など、解決すべき経済社会上の課題は数多い。

こうした状況を踏まえて、日本政府は、モンゴルが持続的な経済成長を通じた貧困削減を達成できるように、地方経済発展と産業育成を支援することとしている。

4.日・モンゴル関係の現状と展望
これまで日本とモンゴルは、日本からの政府開発援助を中心に友好関係を築いてきた。

両国の良好な関係は、2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査の結果にも表れている。同調査によれば、7割以上のモンゴル人が「日本に親しみを感じる」と答えたほか、モンゴルにとって「最も親しくすべき国」として日本が第1位であったという。

いまやモンゴルは、世界でも有数な親日国であると言えよう。

しかし、援助による政府主導の友好関係とは対照的に、日モンゴル間の民間経済交流は極めて乏しい。

2007年のデータによれば、モンゴルにとって最大の輸出相手国は中国であり、中国向け輸出はモンゴルの輸出総額の74.1%を占める一方、日本向け輸出は全体の1%にも満たない。

輸入については、日本からの輸入がモンゴルの輸入総額の6.0%(第3位)を占めているが、最大輸入相手国のロシア(全体の34.6%)や第2位の中国(同31.7%)には遠く及ばない。

投資についても、日本は対モンゴル外国投資の3.4%に過ぎず、全体の51.1%を占める中国とはまったく比較にならない。

こうした乏しい貿易投資関係を反映して、モンゴルに支店を開設している日本企業は2008年2月現在でわずかに8社しかなく、モンゴルに住む日本人も300人あまりにすぎない。

以上から分かるとおり、民間レベルの経済関係においては中国やロシアの存在感が極めて大きく、日本は非常に出遅れている。

ただし、モンゴルでは、中国やロシアへの過度の依存を避けるために、日本との貿易投資関係の拡大を望む声が大きい。2008年3月2-7日、オヨーン外務大臣が訪日した際には、円借款プロジェクト「新ウランバートル国際空港建設計画」に関する交換公文に署名するとともに、高村大臣と外相会談で両国間の通商・経済関係の拡大につき意見交換した。オヨーン大臣は、この訪日中、多くの企業関係者と面会し、鉱物資源開発等に対する投資拡大をアピールしたという。

日本側としても、モンゴルが有する銅、金、モリブデン、石油等の地下資源は大変魅力的である。

特に、2005年頃より、豊富な埋蔵量を誇る南ゴビ地域の原料炭(コークス炭)が注目されるようになり、日本、カナダ、ブラジル等の企業が大規模な開発を行う機運が高まりつつある。

同地域にある「タバン・トルゴイ石炭鉱区」の埋蔵量は51億トン(コークス炭は18億トン)で、世界一の規模になると言われている。また、同じ南ゴビ地域の「オヨー・トルゴイ鉱区」の銅・金鉱山も銅量ベースで約1500万トンという世界第2位の大規模な埋蔵量が見込まれている。

2004年に作成された「対モンゴル国別援助計画」は、来年以降に改正が予定されている。同計画の改定にあたっては、今後は政府レベルでの友好関係の維持だけでなく、民間レベルでの貿易投資関係の拡大を促進するような方針が打ち出されることを願ってやまない。
グルジア紛争を振り返って [2008年09月25日(木)]
8月、ユーラシア大陸の東端で北京五輪が世界の耳目を集めるなか、ユーラシア大陸のもう一端ヨーロッパとロシアに挟まれたグルジアでは国際社会に大きな不安を与える事件が起こっていた。グルジア紛争である。

8月7日にグルジア軍と南オセチア軍が衝突を始め、ロシアのプーチン首相が北京で華やかな五輪開幕式に出席していた翌8日には、ロシア軍が紛争に介入し、グルジア領内の軍事拠点への攻撃を開始した。

【グルジア紛争の経緯】
8月7日
グルジア軍が南オセチア自治州・州都ツヒンバリを砲爆。
8月8日 
ロシア軍がグルジア領内の軍事拠点を攻撃開始。 ⇒ ロシア・グルジア間の紛争勃発。
8月12日
グルジアが独立国家共同体(CIS)からの脱退を宣言。
8月16日
EU議長国フランスのサルコジ大統領の仲介により停戦合意。
8月22日
ロシア政府がグルジアからの軍部隊の撤退を完了したと発表。しかし、ロシア軍は同国西部ポチなどに引き続き駐留。
8月26日
ロシアのメドベージェフ大統領が、アブハジア自治共和国と南オセチア自治州の独立を正式に承認。
9月8日
ロシアのメドベージェフ大統領が、サルコジ大統領に対し、アブハジア自治共和国と南オセチア自治州を除くグルジア領内から軍部隊を1か月以内に全面撤退させることを確約。
9月12日
ロシア軍がグルジア西部のポチなどから撤退、サルコジ大統領との撤退合意の第一段階を完了。


パンドラの箱を開けたのは、国内の親ロシア派独立勢力たる南オセチア自治州とアブハジア自治共和国を武力で押さえ込もうとしたグルジアである.

しかし、そこにロシアが軍事介入して両国の独立を承認する一方、北大西洋条約機構(NATO)がグルジアの支援に回ったことから、事態はロシアと欧米との対立の様相を呈した。

紛争開始から一月半経った現在情勢は落ち着きつつあるが、グルジアを巡ってロシアと欧米との間の緊張が高まった今回の一件は、さながら「新冷戦の幕開けだ」と見る向きすらあった。

確かに冷戦終結後にも、ボスニア・ヘルツエゴビナはじめ紛争は絶えることなく、アルカイダに代表される国際テロの脅威も強く意識されている。しかし、グルジア紛争に特徴的なことは、これが単なる地域紛争やテロなどの局地的な軍事紛争ではなく、ロシアとアメリカという大国同士の深刻な軍事対立に発展しかねない危険をはらんだ点にあった。

ここで注意を要するのは、日本では、ややもすれば欧米側の視点に立った情報に偏りがちな点である。しかし、現実の国際社会には、水戸黄門のような絶対懲悪の構図はほとんどなく、立場が変われば、善悪も入れ替わるものである。事件の本質を見極めるためには、あえてロシアや中東、さらにはユーラシアの周辺諸国の視点も踏まえてバランスの取れた分析を行うことが必要となろう。

振り返れば、ロシアのプーチン首相が「孤立を恐れない」と発言する一方、アメリカのライス国務長官は「自ら招いた孤立の代償はとても大きい」と応じるなど、舌戦こそ激しかったものの、アメリカとの衝突へ本気で突入していく覚悟がロシアにあったとは考えにくい。

ロシアが求めているのは、かつての冷戦のように世界を二つのグループに分けて欧米との決定的に対立するような状況ではなく、冷戦終了後に米国一極主導で進められてきた国際秩序を修正して国際社会を多極化し、そこへロシアが重要なプレーヤーとして参加することにある。メドベージェフ大統領が提案している新欧州安保条約は、そうしたロシアの国際戦略の表れと言えよう。

確かにロシアからしてみれば、1999年のNATOによるユーゴ空爆以来、3次にわたるNATOの東方拡大、イラク戦争、米ミサイル防衛施設の東欧配備計画、コソボ独立承認まで、一貫して自国の勢力圏の縮小と安全保障環境の悪化を欧米に強いられてきた形である。

かつて旧ソ連の勢力圏であった東欧がNATOに加盟し、米国ミサイル防衛施設のポーランド配備が現実味を帯び、さらに旧ソ連を構成しいていたウクライナやグルジアまでも欧米の仲間入りをしようとしているなか、そのグルジアによる親ロシア派独立勢力の南オセチア攻撃に際して、ロシアとしては断固たる措置を採らざるをえない状況に追い込まれていた。

しかしロシアとしても、欧米と本気で軍事衝突するだけの力もなければ、そのリスクを負って得られる利益もない。

あくまで国際秩序形成におけるロシアの重要性について世界に再認識を迫り、世界の一極として国際社会へ復帰することがロシアの思惑と解釈すれば、グルジア紛争をめぐる欧米との対立は1ヶ月間という限定的な軍事介入と激しい舌戦で効果は十分であり、EU議長国フランスのサルコジ大統領が仲介の労をとってロシアの顔を立てた以上、手のひらを返したように協調的な姿勢を見せるメドベージェフ大統領やプーチン首相の言動も理解ができる。

ブッシュ米大統領の「ロシアとの関係を見直す」との発言は、ロシアからすれば思惑どおりに事が進んだことを意味するものであったろう。さらに、「ロシアは対立と孤立を恐れない」というイメージを国際社会に与えることに成功したとすれば、WTO加盟交渉をはじめとする今後の国際交渉条件は多少なりともロシアに有利になったとも評価しえる。

ただし、今回の一件を巡るロシアの行動において、欧米との緊張が当初当事者すら意図しなかった衝突へと偶発的に転じる危険性があったことを、我々は忘れてはならない。

そもそもロシアが表面上にせよ孤立を恐れない態度を取ることができたのは、既存の国際的な相互依存関係にロシアを十分取り込んでこなかったためである。したがって、些細な緊張が偶発的な衝突へとエスカレートすることのないようにするためには、ロシアが「孤立を恐れる状況」を作り出して、危険な賭けにはでないように思いとどまらせる国際環境作りが肝要である。

また、欧米側が自由主義や民主主義というイデオロギーを強調したグルーピングで台頭するロシアを今後封じ込めようとすれば、まさに冷戦の再燃となる可能性を否定できない。

もはや既存の国際秩序の修正と少しでも有利な形での国際社会への復帰を強く意識するようになったロシアとの交渉は相対的に厳しさをましているが、それでもロシアのWTO加盟、経済改革の支援、貿易投資の促進などに日米欧が足並みそろえて取り組み、一日も早く、また少しでも深く、ロシアを国際相互依存の網に取り込んでいくことを強く期待する。
ユーラシア情勢をめぐる米露の協力と対立の構図 [2008年05月14日(水)]
先週末来、ニューヨークの商業取引所では原油の先物価格が126を超えるようになり、130ドルも視野に入ってきました。昨今の原油高騰はとどまるところをしらず、連日のように過去最高額を更新しています。このエネルギー価格の高騰は、多くのエネルギー輸出国の経済を潤し、国際社会のパワーバランスにも影響を及ぼしています。

世界有数の石油・天然ガス輸出国であるロシアも、かつて90年代末には財政破綻の危機にすら直面していましたが、おりからのエネルギー価格高騰の恩恵を受けて03年以来7、8%の高成長を維持しています。その成長著しい国内市場とエネルギーの輸出を外交ツールとして、ロシアは、冷戦終結以来長らく遠ざかっていた国際社会のメイン・プレイヤーの地位に返りづこうとしています。

ソ連崩壊以来、唯一の超大国として振舞ってきたアメリカも、いまやロシアとの協力なくしては外交を組み立てられなくなっています。特に、テロ対策やイラク、イラン、イスラエルを含む中東問題では、アメリカとロシアそれぞれの思惑が複雑に絡み合いながらも、基本的には協力関係が続いています。

冷戦時代の緊張関係は過去のものとなり、いまやロシアと蜜月関係にあるように見えるアメリカですが、一方で、ロシアのすぐ隣の東ヨーロッパにミサイル防衛システムを配備しようとしたり、ロシアと国境を接する旧ソ連のウクライナまでNATOに加盟させようとするなど、今なおロシアを仮想敵国として扱うかのような行動も見て取れます。アメリカは、こうした動きをイランやテロの脅威からヨーロッパを守るためだと主張していますが、ロシアは強く反発しています。

こうして見てくると、アメリカとロシアの協力と対立の背景にある、原油高騰、テロとの戦い、イラクやイラン、ヨーロッパのミサイル防衛システム、NATOの東方拡大といった問題全てが、中東地域と深く関わっていることに気づきます。言い換えれば、中東地域こそ、アメリカとロシアの協力と対立がせめぎあっている舞台であるとも言えます。

ユーラシアには、ロシア、中国、インドという、核兵器を有する大国が3つもあります。そして、そのいずれもが、急速な経済成長により国力を飛躍的に伸ばしているところです。今後の国際社会は、良くも悪くも、ロシア、中国、インドの動向に大きく左右されることは間違いがなく、特に、現時点では唯一の超大国の地位にあるアメリカが、これらユーラシアの大国と今後どう向き合っていくかが重要なポイントです。

そして、こうした大国がせめぎあう世界の地政学的重点こそ、中東地域であると言えるでしょう。

ユーラシアの東端に浮かぶ日本としては、自らの安全と繁栄にとって有利な国際環境を構築するために、こうした世界の動きにいかに対応していくべきかを考えていかねばなりません。