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「チャイナ・プラス・ワン」再考 [2010年10月08日(金)]
以前は「チャイナ・プラス・ワン」の候補先として注目されたベトナム。2007年ごろは数週間前の予約すら難しかった成田発ハノイ行きの航空機も、いまや乗客はまばらである。

2001年の中国WTO加盟をきっかけとする日本企業の中国進出ラッシュの後、2004年から2005年にかけて中国で反日行動が目立った頃には、中国のカントリー・リスクを考慮して、ベトナムなど他のアジア諸国にも拠点を設ける「チャイナ・プラス・ワン」戦略が日本企業の間で普及した。

しかし、2008年のリーマン・ショックに端を発した世界同時不況のなか、ひとり中国だけが力強い成長を維持した結果、再び中国一辺倒の気配が高まっている。

進む中国依存

日本貿易振興機構の統計によると、09年の日本の対中直接投資額は前年比6.2%増の69億ドルに達し、日本の対外直接投資総額の9.2%を占め、米国、ケイマン諸島に次いで第3位であった。産業別に見ると、製造業への投資が全体の71.1%を占め、そのうち輸送用機械が14%、食料品が12.7%、一般機械が9.5%。非製造業への投資は全体の28.9%で、そのうち金融・保険業が14.4%、小売・卸売業が12.4%であった。

これを中国側から見れば、09年の外国企業の対中直接投資総額900億ドル(実行ベース)のうち日本は4.6%を占める第3位であり、前年比12.9%増であった(中国商務部統計)。

日本企業の投資先についてみると、依然として重点は珠江デルタ、長江デルタ、環渤海などの沿海地域に集中する傾向があるようだ。広東省を例に挙げると、09年の外国企業の直接投資額(実行ベース)195億ドルのうち、日本企業は前年比19.8%増の6.3億ドルで全体の3.2%を占めた(『中国網』日本語版2010年8月23日)。

特に広東省周辺の珠江デルタ地域では、ホンダ、日産、トヨタが進出してから自動車関連企業への投資が集中しており、日本の自動車部品サプライヤーも広州市やその近辺の中山市、仏山市に工場を設立するようになって、いまや自動車産業は広東省の基幹産業のひとつになりつつある。

現在、多くの中小企業が改めて対中国進出の再ブームに乗ろうとしているようである。日本貿易振興機構も、中小企業の中国市場進出を奨励するため、知的財産権の保護対策や市場に関する情報提供を行ったり、北京、上海、成都、香港で商品見本市や商談会などを開催するという。

再燃するチャイナ・リスク

こうして改めて中国へ依存が進む一方、昨今の賃上げデモや日中関係悪化を見るに、改めて「チャイナ・プラス・ワン」を考える必要性を強く感じざるをえない。

思えば、中国では6月にも広東省の日系工場で賃上げストが発生し、中国でのビジネス環境悪化を心配する声が日本に流れたばかりであった。

その記憶も新しいなか、尖閣諸島周辺での漁船衝突事件を機に、中国では日本に対して閣僚級交流停止、レアアース禁輸、法人拘束、反日感情高揚などビジネスへの影響も危惧される状況が生じることとなった。

今回の騒動がおさまっても、対立の原因が取り除かれるわけではない以上、東シナ海を巡って日本が中国と衝突する事態は今後も繰り返されることだろう。

中国は、産業集積の進んだ「世界の工場」として、また目覚ましく拡大する「世界の市場」として、さらには食料や鉱物資源などの供給者として、日本の企業にとっても消費者にとっても縁の切れない国であることは間違いない。

しかし、昨今の状況を見るに、改めて中国一辺倒の依存体質への危機感を感じざるをえない。

「チャイナ・プラス・ワン」はどこか

冒頭のとおり、以前「チャイナ・プラス・ワン」の候補先として注目されたのはベトナムであった。

ベトナム戦争の被害により40〜50代の中高年層は少ないが、20〜30代の青年層を中心に8700万人の人口を擁することから、若くて賃金の安い勤勉な労働力を目当てに多くの製造業が進出した。

しかし、リーマン・ショック後は、インフラの未整備、不透明な法律運用、管理職の不足、労働コストの上昇、未発達な裾野産業といった点が懸念され、かつての対越進出ブームからはトーンダウンしている。

インドはどうだろうか。人口は早晩中国をも凌ぐとされ、今後30年以上労働人口は増え続けることから、ベトナムのように労働コストがすぐに上昇する心配は少ない。英語を公用語とし、理数系に強い優秀な人材も魅力的だ。潜在的な市場規模も大きいことから、販売面の魅力もある。

しかし、インドもインフラの未整備がボトルネックとされる。また、インドが英語を公用語としている点は、日本にとって諸刃の剣である。日本人からすれば中国語やベトナム語などの特殊言語を学ばずとも英語でインド人とコミュニケーションできる反面、インド人は英語の不得手な日本人より英語を流暢に扱う欧米人とのビジネスを好む可能性も高い。事実、多くの優秀なインド人学生がイギリスやアメリカの英語圏へ留学し、人的ネットワークを築いている。

チャイナ・プラス・ワン比較表
出所)IMF World Economic Outlook Database (2010 April)、
         JETRO『在アジア・オセアニア日系企業活動実態調査』(2009年度)


「分散先の分散」を図る「チャイナ・プラス・アルファ」へ

結局、どこの国も一長一短あり、どこか一国に「チャイナ・プラス・ワン」戦略を集中させることにも危険が伴う。

思えば日本企業は、70年代に特定市場への「集中豪雨的輸出」を批判された頃と変わらず、この10年間においても、2000年以降の対中国進出、2005年以降の「チャイナ・プラス・ワン」ベトナム進出、そして現在の対中国進出再ブームと、しばしば右に倣えの集中的進出を繰り返してきた。

それが、2000年以降の中国珠江デルタ地域への自動車産業集積を産むなど良い効果を生じることもあるが、反面リスクを過度に集中させることにもつながっている。

中国一辺倒からのリスク分散を改めて考えるとき、その分散先もどこか一国に集中する「チャイナ・プラス・ワン」ではなく、「分散先の分散」を図る「チャイナ・プラス・アルファ」を検討すべきではないだろうか。                 

(東京財団HPより転載)
中国外交ブレーンが語る国際戦略と日本 [2009年03月30日(月)]
中国が改革開放政策を始めて30年。この間、中国は目覚ましい発展を遂げ、名目GDPの規模で言えば、07年には世界第三位の経済大国となった。数年内には日本を抜くことは間違いがない。

一方、政治面でも、中国は国連安全保障理事会の常任理事国として、国際政治に大きな影響力を有する。米国にとっても、オバマ政権の重要課題であるイラク・アフガン問題、金融経済問題、気候変動問題のいずれも中国の協力が必須であるのが現状だ。

そうした中国が、今後の国際社会においてどういう道を進むのか。中国外交のなかで日本はどう位置付けられるのか。

以下では、日本滞在中の王緝思・北京大学国際関係学院院長との対話を通じて、中国の国家戦略と日本との関係について検討する。

王緝思院長は、国内きっての国際政治学者として中国共産党の外交政策にも強い影響力を有する外交ブレーンと言われており、その発言は中国内外で常に注目されている。

1.中国の国際戦略
国際戦略を考える際の要素は、(1)守るべき国家利益、(2)その国家利益に対する外部リスク、(3)その外部リスクに対する対応策の3点である。

王緝思院長は、中国にとって守るべき国家利益として、(1)主権独立、(2)安全保障、(3)経済発展の3点を挙げる。それぞれの順位付けについて様々な見方をする向きもあるが、王緝思院長は、これら3点すべてが中国にとって同列に最重要の国家利益であるという。

台湾、チベット、新疆などの独立問題を抱える中国にとって、主権独立の大きな要素として国家統一が含まれる。また、安全保障については、伝統的脅威に対する安全保障のみならず、テロなど非国家主体による非伝統的脅威に対する安全保障も当然含まれる。さらには、中国に限らず、現代の安全保障は、経済安全保障、エネルギー安全保障、食糧安全保障など、その内容が多様化していることにも注意が必要だ。

さらに、経済発展についても、現在の中国は、従来のような盲目的な経済成長の追求を改め、環境や社会との調和を重視した「科学的発展」を目指そうとしている。これら全てが、中国にとって優劣なく重要な国家利益なのである。

次に、これら国家利益を脅かしうるリスクは何か。

中国にとって国家利益に対する最大のリスクは建国以来常に国内の不安定要素にこそあるとも言えるし、国際関係においてはアメリカとの対立こそ最大のリスクだとする向きもあろう。

しかし、王緝思院長は、外部リスクの源泉は特定の国家ではなく具体的な問題だと指摘する。すなわち、アメリカやロシアが中国の国家利益を脅かすのではなく、例えば、世界的な経済不安、エネルギー危機、環境破壊といった具体的な問題が中国の国家利益を脅かすのだというのだ。

国際戦略とは、そうした外部リスクに対応するために、いかに大国との二国間協力を進めたり、周辺諸国と協調したり、国連などのマルチ外交を展開したりするかを考えるものである。

この点、アメリカのフレッド・バーグステンは、その論文「対等な協力関係」(A Partnership of Equals)の中で、アメリカと中国の対等な協力関係の下で今後の世界を主導すべきとする主張を唱えている(「フォーリン・アフェアーズ」2008年7/8月号)。

こうした米中のG2構想について、王緝思院長は否定的だ。安定的な周辺環境のなかで調和のとれた発展を目指す中国にとっては、多くの国との互恵関係の構築こそ目指すべき方向だという。

同様に、中国社会科学院アメリカ研究所の黄平所長も、G2構想が日本、韓国、インドなど中国の周辺国に与える影響に鑑みて、「中国がアメリカとG2の形で世界の業務を取り仕切るという構想は検討に値しない」とする。黄平所長は、アメリカ、日本、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダからなるG7も既に時代遅れであるとして、「中国やインドなどの発展途上国を含むG20の枠組みにおいて、より重要な役割を演じ、グローバルな対話と協力を促進していかなければならない。」という考えを表明している(チャイナ・デイリー2009年3月19日)。

中国が今後どのような国際レジームを目指すのかも多くの人々の関心事である。この点、王緝思院長は、「既存の国際レジームは中国の国家利益にとって基本的には有利に働いている」との認識を示しつつも、しかし、「一部に不利な部分があることも事実であり、そこは中国として変更を求めていかねばなるまい」という。王緝思院長の言葉からは、既存の国際レジームを盲目的に擁護していくのではなく、あくまで中国に有利な形へ変えていこうという中国の意図が読み取れる。

ただし、王緝思院長は「世界の覇権を目指すことは決して中国発展の道ではない」とも言う。中国は、現在アメリカが覇権を握っている現状に挑戦する意図もなければ、自らが覇権を目指すこともないというのだ。

ここまで聞いていると、中国の国際戦略とは、安定と平和を志向して全方位外交を展開することのようである。しかし、本当に中国は、そのような「平和台頭」(中国語:和平崛起)の道を進むのであろうか。

この点、王緝思院長は「中国の台頭は他国にとっての脅威であるし、国家統一を阻む台湾独立などの動きには断固とした態度を採ることになるのであって、完全な平和台頭はありえない。」と率直に認める。

さらに、話が毎年二桁の伸びを続ける軍事費に及ぶと、「中国が軍事を考える際には、例えばモンゴルのような国と比較で考えるのではなく、アメリカとの比較で考える。それも、アメリカ単体ではなく、その同盟国の力量も併せて比較するのである。この点、中国の軍事力や軍事費はアメリカに遠く及ばない。今後空母を持つことにもなるだろう。いずれにせよ、中国はあくまで自国にとっての必要性に応じて軍事を考えており、決して海外の意見によって軍事費を減らすことはないだろう。」という国際政治学でいう現実主義的な見解を淡々と、しかし力を込めて語った。


2.中国にとって二番目に重要な国、日本
中国外交にとって最も重要な二国間関係はどの国との関係か。この点、米国が最も重要な外交相手であることは間違いない。

では、二番目に重要な国はどこだろうか。ロシアであろうか。EUであろうか。台頭著しいインドであろうか。この点、王緝思院長は、「日本こそ中国にとって二番目に重要な国だ」と主張する。

なぜ日本が米国に次いで重要なのか。

端的に言えば、日本が中国にとって米国に次いで重要な(単体の)経済パートナー国だからである。加えて、日本には中国が学ぶべき点が数多く存在する。かつて中国は日本の高度成長に学んだ。いまや、成長スピードでは中国が日本を上回るようになったが、例えば、農業効率、環境保護、省エネ・新エネ、ガバナンス、公衆衛生、社会保障など多くの点で日本は世界最先端の技術やノウハウを有しており、「米国以上に学ぶべき点が多い」と王緝思院長は言う。

日米同盟は、中国にとって脅威ではないのだろうか。これについて、王緝思院長は、「中台関係さえ安定していれば、中米日の間で大きな対立は生じないだろう」と楽観的だ。日本は中国の国家利益のすべてに多かれ少なかれ関わっており、東シナ海や台湾周辺で摩擦はあるものの、どれも中国の国家利益を脅かすほどのリスクではないというのが王緝思院長の認識だ。また、日本は中国とイデオロギーこそ違うが、欧米ほど人権問題など中国にとって敏感な問題を強調したりはしない分、良好な関係を築きやすいという。

中国は数年内に日本のGDPを抜くだろう。そうすれば、日本人としては快くないかもしれない。しかし、むしろ中国としては、「今後一層、日本と協力関係を強化していきたいのだ」と王緝思院長は力を込める。

主権独立、安全保障、経済発展という国家利益を追求する中国の国際戦略において、日本の重要性は今後も決して失われることはない。むしろ中国としては、科学的発展を実現するために、日本の農業、環境保護、省エネ・新エネ、ガバナンス、公衆衛生、社会保障などに関する技術やノウハウを学んでいく必要があり、そのためには「両国政府間の関係強化はもとより、民間主導の協力を今以上にもっともっと増えていくことを希望する」というのが王緝思院長の持論である。

最後に、王緝思院長は、「自分は日本に対する理解が深くないが、それにしても、日本の国際戦略は見えてこない。」とつぶやいた。お互い自分の思うところを率直に語り合って、はじめてウィン・ウィンの関係ができる。月並みではあるが、やはり日本に問われているのは、日本自身の戦略を明確に持って行動できるかどうかであるようだ。
金融危機と日中協力 [2008年12月08日(月)]
アメリカ発の金融危機。比較的影響が小さいと言われていた日本と中国でも、景気の後退が著しい。

こうしたなか、初の日中韓首脳会議を前に、金融危機と日中協力に関する中国・新華通信社のインタビューを受けた。

1.金融危機の日本への影響

新華社)日本は金融危機からどのような影響を受けているのか。貿易、製造業、株価、不動産などに対する影響を聞かせてもらいたい。また、そうした影響に対して、日本はどのような対策を採るのか。

小職)世界金融危機から日本が受けている影響は、欧米に比べれば軽微だと言われるが、実際には間接的な影響が深刻化しつつある。

日本が今回の金融危機から受けている影響には、「外国人投資家の資金回収」、「サブプライムローン関連商品の価格下落」、「輸出の減退」という三つのルートがある。その結果は、「金融機関の自己資本毀損」、「企業の資金繰り悪化」という形で実体経済に影響を与えている。

近年日本では、外国人投資家が株式や不動産の相場を引っ張り、欧米を最終消費地とする輸出が経済成長を下支えしてきた。

しかし、欧米の投資銀行や投資ファンド等が資金を引き揚げた結果、日本でも株式や不動産が暴落することとなった。これに各種金融商品の価格下落が重なって、日本の金融機関では、自己資本の時価評価が毀損している。

製造業にとっては、輸出の不振により売り上げが減少するなか、金融機関からの融資も受けにくい環境にあることから、資金繰りが極めて厳しい。多くの中小企業は破綻の縁にある。特に、年末(12月末)と年度末(3月末)は、決算のために企業の資金需要が高まる時期であり、この時期を日本企業が無事に乗り切ることができるかは、今後の日本経済にとって大きな鍵となる。

日本政府による一連の経済政策も、これら「金融機関の自己資本毀損」と「企業の資金繰り悪化」に対応したものだ。

「金融機関の自己資本毀損」に対して、日本では現在国会において「金融安定化法」の復活が審議されている。同法の復活に当たっては、特に、今回の危機による影響が比較的大きい地方銀行を救済対象に含めるように同法を改正する予定だ。

また、「企業の資金繰り悪化」に対しては、日本銀行が12月2日に企業の年末年始の資金繰り対策として金融機関へ3兆円規模の資金供給を行うことを決めた。

2.危機に対する日中協力

新華社)日中は手を携えて金融危機に対処していく可能性があると考えるか。具体的には、どのような協力がありうると考えるか。

小職)日中は、当面の「金融危機の深刻化防止策」、中期的な「景気下支え策」、長期的な「国際金融システム改革」のそれぞれについて、協力の可能性があると考える。

(1)当面の「金融危機の深刻化防止策」
当面の「金融危機の深刻化防止策」としては、金融面での被害が比較的少なく資金が豊富な日中両国が、東アジアの国際金融の安定のために果たすべき役割は大きい。

例えば、現在、東アジアでは、通貨危機に陥った域内国を救済するために、総計830億ドルの二国間通貨スワップ協定の網(チェンマイ・イニシアティブ)が張り巡らされているが、日中両国がこうした協定を通じて、域内の金融安定化に向けた強い意思を示すことには大きな意味がある。

特に韓国の通貨ウォンが暴落しているなか、日中韓首脳会議では、三国の首脳が東アジアの金融経済の安定のために協調姿勢を強く打ち出すことが期待される。

(2)中期的な「景気下支え策」
中期的な「景気下支え策」としては、「資金はあるが市場を必要とする日本」と「市場はあるが更なる資本と技術を必要とする中国」との間で、お互いに協力して世界的景気後退の影響に対処できる可能性があると考える。

世界金融危機による「外国人投資家の資金回収」や「輸出の減退」という影響は、日中両国に共通だ。特に、もともと内需が弱い日本は輸出の減退から深刻な影響を受けている。一方の中国は、輸出の減速を内需の拡大で補うために更なる投資を必要としているが、金融危機の影響を強く受けた欧米の企業や金融機関からは投資を期待できない。

そこで、日中間では、お互いの強みを活かし、お互いの弱点を補いながら、貿易投資の更なる発展が望まれる。両国政府には、その促進に向けた施策を期待したい。

例えば、中国は先日4兆元に上る内需刺激策を表明し、今後環境対策や鉄道・地下鉄などのインフラ整備を大々的に進める計画だ。これらは日本企業が高い技術力を有する分野であるが、これまで日本企業はその競争力に見合うほどこれら分野で中国に進出できていない。したがって、高速鉄道や地下鉄など象徴的なプロジェクトで日本企業が採用されるように両国政府は積極的な働きかけを行い、日本企業の中国進出を後押ししてもらいたい。

また、今春の餃子問題発生以来、日本では中国産食品全体に対する不信感が高まり、その対日輸出が大きく落ち込んでいる。日中両国政府には、中国産食品に対する信用を回復し、その対日輸出を促進するために、信用失墜のきっかけとなった餃子問題について一刻も早く真相解明してもらいたい。

さらに、両国政府には、ぜひとも貿易投資促進の障害となる各種規制の削減に取り組んでもらいたい。そのためには、日中韓首脳会議において、政府間交渉の開始目処が立っていない日中韓FTAの交渉開始に向けて首脳レベルでの決意を示してもらいたい。

(3)長期的な「国際金融システム改革」
長期的な「国際金融システム改革」について、筆者は、現在のアメリカ中心の国際金融システムを改革し、米国、EU、中国、日本が対等に影響力と発言力を有する仕組みに変えるように日本と中国が協力することは、両国の利益に適うことだと考える。

そのためには、例えば、国際的な金融取引に関するルール作りと監督を担う「世界金融機構」の設立に向けて日中で協力してはどうだろうか。

金融取引が国境を越えて世界規模で展開している現在、その規制と監督についても世界規模で取り組まなければ、市場の暴走を許す結果となる。今回アメリカ発の金融危機が世界規模で拡大した一因も、そうした世界規模の監督機構の欠如にあった。したがって、国際決済銀行や国際通貨基金といった国際枠組みの機能強化が避けては通れない。

問題は、国際決済銀行や国際通貨基金といった既存の国際金融枠組みは、事実上アメリカ一国が大きな発言力を有する仕組みになっていることである。国際決済銀行のもとで金融監督を話し合うバーゼル銀行監督委員会は、発足にあたっての条約も拘束力のある規則もなく、非公式会合を通じて金融監督の標準、指針、推奨を策定するにとどまる。また、国際金融基金において、日本も常任理事国にこそ名前を連ね、出資比率に比例した理事国中第2位の投票権(6.02%)を有するが、理事会の意思決定は投票総数の85%以上を要するため、16.77%を握るアメリカだけが事実上の拒否権を有する形になっている。こうしたアメリカ中心の仕組みでは、結局アメリカの暴走を止めることはできない。それが、今回の危機にもつながったのである。

そこで、筆者は、国際決済銀行や国際通貨基金の統合改組によって、ケンブリッジ大学のJ.L.イートウェル博士とニューヨーク大学のL.J.テイラー教授が主張するような「世界金融機関」を設立し、そのうえで、その意思決定機関たる理事会において拒否権を有する常任理事国に日本がおさまるように国際金融システム改革の議論を誘導していくことを政府に提案したい。

イートウェル博士らは、自由な市場が効率的であるためには効率的な規制が必要であるとの考えに基づき、その共著書『金融グローバル化の危機』(2001年、岩波書店)において、国際金融市場で効率的規制を提供する国際機関として、国際決済銀行や国際通貨基金を発展させた「世界金融機関」の設立を提案している。まさしく筆者も同感である。

この「世界金融機関」の機構について、イートウェル博士らは多くを述べていないが、筆者は、その意思決定機関として全加盟国で構成される総会と、10カ国/地域で構成される理事会の設置を提案する。理事は、出資比率上位5カ国/地域を常任とし、残り5カ国/地域を総会での選挙で選出するのがよいだろう。

そのうえで、総会は加盟国の過半数の議決で理事会へ勧告を行い、理事会が総会からの勧告に基づき全ての常任理事国を含む3分の2以上の議決で機構として意思決定する形がよい。常任理事国となる出資比率上位国/地域には、米国、EU、中国、日本が入るようにして、この4カ国/地域が今後の国際金融経済のかじ取りを担う仕組みである。

もちろん、こうした国際金融システム改革は、経済金融政策に関する各国の主権に関わり、また、とりもなおさず戦後アメリカを中心に構築されてきたブレトン・ウッズ体制の見直しを意味するものでもあることから、これに手をつけることはそのまま国際政治の駆け引きにつながる。日本だけでも改革はできないし、中国だけでも改革はできない。だからこそ、日中両国が手を携え、さらにEUも巻き込んで、国際金融システム改革に向けて協力する必要があるのである。

以上はあくまで一アイデアであるが、いずれにせよ、日中両国政府は、現在の米国中心のシステムを改革し、今後の国際経済を米国、EU、中国、そして日本の四頭体制で運営する仕組みに変えることに共通利益を有していると筆者は考える。
抜かれる日本、追いぬく中国 [2008年09月10日(水)]
『読売ウイークリー』9月21日号(9月8日発売)の記事「中国経済はますます格差拡大」に、小職のコメントが掲載された。

記事全体の趣旨は、今後の中国政治経済と日中関係について展望するものであるが、その中で小職は、北京五輪後の中国経済の行方と、早晩起こるであろう日中GDPの逆転についてコメントしているので、そのコメント部分を中心に抜粋して紹介したい。

『読売ウイークリー』9月21日号p76-77
「中国経済はますます格差拡大」(抜粋)


中国政府が威信をかけて挙行した北京五輪は、「巨龍」の興隆ぶりを内外に示した。その一方で、内在する社会不安や矛盾を露呈し、「パンドラの箱を開けた」との声がもっぱらだ。「宴の後」の中国はどうなるのか。

(略)

東京財団の関山健研究員は、「対外輸出減少、人民元レート上昇、鉄鋼輸出減などで貿易差益は減っているが、都市・農村住民とも物価上昇を上回る所得増加で、消費は底堅い。投資も金融引き締め策が緩和されており、当面は緩やかに推移するはず。中国経済が大失速するシナリオは考えにくい」と指摘する。

投資や消費の減少によって五輪開催国の経済が低迷した前例はあるが、北京経済が中国全体のGDPの3.8%で、その影響は小さく、中国経済は、やや減速しながらも高度成長を維持するというのだ。

(略)

IMFは今年5月、中国が11年にもドル建て名目GDPで日本を抜いて世界第2の経済大国になると予測している。

前出の関山研究員は、「日本人の対中感情は10年単位で悪化している。日本の対中好感度は80年代に70%以上だったのに、89年の天安門事件で50%、中国の地下核実験を経て04年のサッカー日本代表へのブーイングで40%を切った。今は度重なる反日デモの影響もあって30%程度しかない。」

「日本人が唯一誇りにしてきた『経済大国』の座を奪えば、2012年に始動する中国の新指導部にも格好の宣伝材料になる一方、日本の対中世論も一時的に厳しくなるだろう」という。
北京五輪後の中国外交と日中関係 [2008年08月22日(金)]
北京五輪後の中国外交
今年後半以降、中国政府にとって当面最大の課題となるのは経済のソフトランディングと社会の安定確保であり、外交面では、内政に集中できる安定的な国際環境を望むという従来の路線に変化はないだろう。

国民の関心を内政の不満から外に向けさせるために意図的に外敵を作るという政策は、国際的な相互依存関係に深く埋没した今の中国は採用しにくい。

例えば、アメリカや日本に対して強腰な外交政策を採ったとして、それが貿易投資を妨げるようなことになっては、ますます中国の内政を困難にするだけである。それが分かっていればこそ、対外的には弱腰にならざるをえず、外敵を作ればかえって国民に現体制への不満を増長させる結果になる。中国指導部は、そうした墓穴は掘らないであろう。

むしろ、今の中国経済を困難ならしめている要因は、国際的な資源エネルギー価格の高騰やアメリカのサブプライム問題に端を発する金融システム不安など、中国一国では解決できない問題であることから、正に「責任あるステークホルダー」として国際協調路線に進むものと考えられる。アメリカの大統領が誰になろうと、中国の希望としては国際協調路線であることに変わりはないだろう。

日中関係
こうした中国の政治外交全体の文脈のなかで日中関係を捉えると、やはり中国指導部は日本との間で安定的な関係を望むものと思われる。

実際、東シナ海ガス田問題や餃子事件では、中国政府としては大きなリスクを取ってでも日本との間で今のうちに懸案を処理しておこうという姿勢が感じられる。
中国の環境問題とポスト円借款時代の対中環境協力 [2008年08月01日(金)]
科学技術振興機構中国総合研究センターのマンスリーレポートに拙稿が掲載されました。

その要約は以下のとおりです。

「中国の環境問題とポスト円借款時代の対中環境協力−中国に公害防止事業団を」
(科学技術振興機構中国総合研究センター・マンスリーレポート2008年7月号)

中国の環境破壊が非常に憂慮すべき状態にあることは多言不要。近年、中国政府も環境保護を重視し、特に汚染の激甚な地域での対策を強化しているものの、個々の都市の大気質、河川の水質等は依然として高い汚染状況。

砂漠化や大気汚染といった中国の環境悪化のために日本が被害を受け、地球規模の気候変動問題に取り組むためにも中国の取り込みが避けられないなか、中国の姿勢を批判するだけでは何ら現実的な解決にはつながらない。長い目で見れば結局日本自身の利益を損ねるだけ。

中国の公害対策が進まない最大の問題は、公害規制の不徹底と、公害防止や環境保全のための投資額の圧倒的な不足。したがって、中国自身の公害防止努力を促す観点からは、中国における環境投資の増加を扶助するような資金供給制度の整備が必要。

この点、日本の高度経済成長時代には公害防止規制というムチと「公害防止事業団」等による公害対策融資というアメが存在。「公害防止事業団」は、1965年に設立された特殊法人であり、ばい煙処理施設、汚水処理施設その他の公害防止施設の設置の支援を目的に、地方公共団体や事業者に対して長期固定低利融資などを実施。

もし中国が「公害防止事業団」類似の公害防止資金供給制度の設立を望むのであれば、日本としては人材育成、融資ノウハウ、法制度整備などの分野を中心に官民挙げて協力できる可能性。


↓全文はこちら。
http://crds.jst.go.jp/CRC/monthly-report/200807/toku_se.html
ポスト円借款時代の日中関係、官民あげた「All Japan」の対中協力を [2008年08月01日(金)]
「国際開発ジャーナル」8月号に拙稿が掲載されました。

その内容は、概要以下のとおりです。

「ポスト円借款時代の日中関係、官民あげた『All Japan』の対中協力を」

昨年12月1日、高村正彦外相と中国・楊潔篪外相の間で、最後の対中円借款6件463億円に合意する書簡が交換された。1979年の供与開始以来中国の経済発展や日中関係の発展に貢献してきた対中円借款だが、中国の経済発展や日本国内での厳しい批判などを背景に、今年度で新規供与を原則として終える。

1.対中円借款30年の軌跡
対中円借款が開始された1970年代末は、中国の改革開放政策の開始と日中平和友好条約の締結を契機に、やっと日中関係が本格的な発展を開始したばかりの時期であった。

当時の中国は、それまでの鎖国状態から対外開放へと路線を大転換し、海外から積極的に技術と資金を取り入れて近代化を目指そうとしていた。その技術と資金の提供源として期待されたのが日本である。一方、二度の石油危機と欧米諸国との貿易摩擦を経験した当時の日本も、戦前の緊密な日中経済関係の記憶を背景に、資源エネルギー供給源と巨大市場としての中国に期待していた。

資源と市場を必要とする日本、資金と技術を必要とする中国。1979年12月5日、双方の思惑が合致した結果、訪中した大平正芳首相が、6件のプロジェクトに対する円借款供与を表明した。このときの円借款で整備された石臼所港は、三井石炭鉱業などが共同開発していた兗州炭鉱から石炭を輸出するために使われたものであり、秦皇島港も日中が共同開発する大同地域等の石炭を輸出するための港であった。同時に、これら港と炭鉱地域を結ぶ鉄道も円借款で整備して、石炭の対日輸出を促したのである。実際、中国の対日輸出品目を見ると、80年代には石油や石炭が多くを占めていた。

また、当時の日本政府には、対中円借款によって中国の改革開放政策を側面支援する目的もあった。中国の改革開放政策は日本としても歓迎すべきものであったが、これを進めるケ小平の権力基盤は当時まだ磐石でなく、改革開放路線に反対する勢力もあった。そこで当時の日本は、中国が再び鎖国状態に戻らないように、円借款によって中国の経済建設と対外貿易を促進して、ケ小平の改革開放政策を側面支援しようとしたのである。ひいては、中国の安定的な発展と国際経済体制への参入を支援することが、地域全体の平和と繁栄にもつながることを期待していた。

これが対中円借款の始まりであり、以後約30年間にわたり合計3兆3164.86億円(交換公文ベース)が供与されてきた。

その後の対中円借款は、特に1980年代から90年代にかけて、中国の経済発展に大きく貢献した。例えば、第6次五カ年計画(1981―85年)から第8次五カ年計画(1991―95年)の期間中に中国が整備したインフラのうち、鉄道電化総延長の41%、総発電能力の11%、光ファイバーケーブル総延長の16%が円借款を利用したものとされる(林暁光著『日本政府開発援助与日中関係』世界知識出版社)。円借款が利用された重要インフラを個別に挙げれば枚挙に暇がない。

外務省が2000年に実施した委託調査によれば、1979年から20年間にわたって円借款を中心とする対中ODAが供与された結果、中国GDPに対する「押し上げ効果」は1999年時点で0.84%(約700億元)であったという(三菱総合研究所「対中ODAの効果調査」)。1999年に700億元のGDP産出に貢献したということは、その年の中国経済に対して海南省(同年GDP472億元)や寧夏自治区(同242億元)以上に貢献したことを意味する。
この30年間の中国経済と日中経済関係の発展が全て対中円借款によるものでないことは当然だが、中国が外貨と技術の不足に悩み、日中間の民間取引が盛んでなかった1980年代から90年代にかけて、円借款が呼び水として果たした役割は小さくない。その後の中国の発展と改革開放政策の堅持を見ても、日本政府が対中円借款にこめた政策目的は十分果たされたと評価してもよいだろう。

しかし、時は流れ、いまや中国は飛躍的な発展を遂げた。IMFの予測によれば2011年には日本を抜いて世界第2位の経済大国になろうとしており、日中の経済関係も互いにかけがえのないほど深化した現在、対中円借款はその歴史的役割を終えたのである。

2.ポスト円借款時代の対中協力
日中両国は、いまや民間主導の相互依存関係に支えられ、政治的な「友好関係」の良し悪しに関わらず、基本的には非常に安定している。しかし一方で、歴史認識問題、尖閣諸島問題、台湾問題など一朝一夕には解決しがたい根深い対立の種が存在しているのも事実であり、また、中国の砂漠化や大気汚染が日本へも悪影響を及ぼしたり、日中両国の企業が国際市場で資源エネルギーや食糧を奪い合ったりといった利害対立が現実に生じている。

ここに、日中両国が、相手国を好きか嫌いかという感情論を乗り越えて、今後も実務分野を中心に協力を進めていくべき意義と必要性があると筆者は考える。

すなわち、環境保護、食料確保、資源エネルギー確保など、多くの実務分野では今のところ日中両国の利益が衝突しているのが現実であるが、双方が意識的に協力して対立構造を互恵構造に変えなければ、中国にとってもはもとより日本自身にとっても不利益でしかないからである。

さらに、今後の日中関係について展望してみれば、「抜かれる日本」と「抜く中国」との間で、従来にも増して感情的な対立が生じやすい不安定な時期になる可能性を否定できない。そうした感情的にも不安定な時代に突入する今後の中国との関係を考えても、日中双方に利益のある実務分野で一つ一つ協力を重ねて相互依存関係を更に強化することで日中関係を安定化させていくことは重要である。

円借款という「外交ツール」を手放した今、中国との更なる協力促進と相互依存関係強化のために求められることは、各省・各自治体がばらばらに行っていた技術協力や交流事業の間で相乗効果を高めるよう工夫し、さらには民間企業やNGOの取り組みとも連携して、官民あげた「All Japan」の発想で中国との関係をマネージしていくことであろう。

例えば、知的財産権保護は、日本が実際に「All Japan」で中国に協力している互恵分野のひとつである。近年は、中国でも中央政府あたりは自国の発展のために知的財産権保護を重視してきている。しかし、地方や現場レベルではまだまだ順法意識が低く、模倣品・海賊版業者の手口も巧妙化しており、十分な摘発が行われているとは言い難い。こうした状況に対して日本からは、特許庁や経済産業省などの関係各官庁と「国際知的財産保護フォーラム」という業界横断団体との官民合同ミッションを2002年以来すでに5回派遣している。この官民合同ミッションは、中国側の関係各機関に対して知的財産権保護の改善要請という「ムチ」と摘発能力向上のための協力という「アメ」を使い分けて、成果を挙げてきている。

また、餃子問題で中国産食品が敬遠されているが、世界的な食糧需給が逼迫するなか、世界最大の食糧輸入国たる日本は「中国産は危険だから」という理由で中国からの輸入をやめるわけにもいかない。ただし、問題のある食品を税関での水際の取り締まりだけで防ぎきることは現実的には難しく、より抜本的には中国産食品の安全性向上こそ最大の解決策であり、日中両国の消費者の利益に適う。そのためには、日本政府が検疫官や専門家を派遣して中国の食品安全行政の能力向上に協力するだけでなく、農協などの民間団体が中国の農民に正しい農薬の使用方法や無農薬の栽培方法の普に協力するなど、官民連携した協力が望まれる。

他にも、環境保護や省エネ対策など、日中双方の利益のために官民挙げた協力が求められる実務分野は数多くある。ポスト円借款時代の中国との間では、単なる「友好促進」でも「対抗対決」でもなく、官民挙げた「All Japan」の姿勢で冷静に中国との関係をマネージしていくことを期待したい。
今後の対中関係、実務分野で相互依存関係強化を [2008年04月14日(月)]
さる2008年4月13日(日)、毎日新聞12面「発言席」に、拙稿が掲載されました。

概要は以下のとおりです。

「今後の対中関係、実務分野で相互依存関係強化を」
(毎日新聞2008年4月13日)

昨年12月1日、高村正彦外相と中国・楊潔篪外相の間で、最後の対中円借款6件463億円に合意する書簡が交換された。1979年の供与開始以来中国の経済発展や日中関係の発展に貢献してきた対中円借款が、その歴史に幕を閉じたのである。

対中円借款の終了それ自体は、今さら日中関係に大きな影響を与えることはないだろう。しかし、それは、日中関係がかつての「政府主導の友好関係」から「民間主導の相互依存関係」に至ったことを象徴する歴史的な出来事だと筆者は考える。

今後の日中関係を展望するにあたっては、この対中円借款の終了に象徴される変化を正しく捉えることが重要である。

中国への円借款供与が開始された70年代末、日本と中国は、日中平和友好条約の締結(1978年)を契機に本格的な発展を始めようとしていた。

当時、対中円借款は、日本が中国の発展を支援する「開発援助」であり、日本企業の対中進出や中国の対日資源エネルギー輸出の促進等を目的とする「外交ツール」であった。日中関係の発展に対中円借款が残した貢献は決して小さくない。

当時の民間交流はまだ乏しく、もっぱら政府主導で日中関係が形作られていた。ビジネスの世界でも、当時の中国には民間の経済活動がほとんどなく、日本との貿易投資の相手は国営企業ばかりであったから、政府の方針や意向が大きく影響した。当時の日中関係は、政府や政治指導者の主導なくしては発展しえない状況だったと言える。

その後の日中関係は、90年代の変動を経て、今や民間の貿易投資、文化交流、人的交流が中心の相互依存関係へと大きく発展してきた。例えば、2007年の対中貿易総額(速報値)は27兆8671億円(対前年比13.4%増)であり、日本にとって中国は、いまやアメリカとともに最大の貿易相手国となっている。

こうした時代の変化のなかで、かつて政府主導の日中関係発展に貢献した対中円借款は、その歴史的使命を終えたのである。
民間主導の相互依存関係に支えられた現在の日中関係は、政府レベルの友好関係の良し悪しに関わらず、基本的には非常に安定している。

しかし、一方で、中国国内では歴史認識問題、台湾問題などについて日本への不満が頻繁に表明され、日本では中国の軍事費増大、東シナ海ガス田開発などについて懸念が聞かれるなど、日中の間では一朝一夕には解決しがたい根深い対立の種が存在しているのも事実である。

さらに、今後の日中関係について展望してみれば、「追われる日本」と「追う中国」との間で、従来にも増して無益な対立が生じやすい不安定な時期になる可能性を否定できない。実際、世界の歴史を紐解くと、古くは古代ギリシャのアテネとスパルタ、大航海時代のスペインとイギリス、さらに19世紀のフランスとドイツなど、「追われる既存勢力」と「追う新興勢力」との間で衝突の歴史が繰り返されていることに気づく。

他のアジア諸国に先駆けて近代化を成し遂げた日本は、戦後の高度経済成長を経て「世界第2位の経済大国」としての地位を手に入れた。しかし、日本の10倍以上の人口を抱える中国が、マクロ面での比較で日本を追い抜くのはさほど遠い話ではないだろう。
「追われる既存勢力」と「追う新興勢力」の衝突の歴史を日本と中国が繰り返さないとは断言できない。

この不安定な時期にあって日本は、もはや自国の安定と発展のために無視できなくなった中国に対して、単なる「友好促進」でも「対抗・対決」でもない姿勢、すなわち、実務関係を中心とした冷静な「マネージメント」の姿勢をもって臨む必要があると筆者は考える。
経済から見た日台関係 [2007年10月29日(月)]
世の中では政治と経済は別々に論じられることがよくあるが、少なくとも国際関係の世界においては、政治と経済とは表裏一体の関係にあることが多い。

例えば、「自国をいかに守るか」という安全保障の問題は純粋な政治領域と考えられがちであるが、エネルギー安全保障や食糧安全保障といった問題もあり、これらは一概に政治領域の問題であるか経済領域の問題であるかを分けることはできない。同様に、通貨の切り上げ問題や海外に影響する環境問題なども、経済問題であると同時に政治問題でもありうる。

日本と台湾との関係は、日本の植民地支配に始まり、戦後は冷戦構造という大きな枠組みの下で、アメリカや大陸中国の間で翻弄されてきたという点において、極めて政治的な側面が強いように思われるかもしれない。

しかし、戦後の日台関係を大づかみに理解する場合についても、実は経済的な分析が一つの重要な目安となる。そこで今日は、台湾、中国、アメリカ、そして日本の貿易関係の変化を通じて、日台関係の歴史と現状を確認してみたいと思う。

今日お話するポイントは三つである。一つは、戦後50年にわたって、台湾は日本にとって中国と同程度もしくはより重要な経済パートナーであったということ、二つ目は、そうした経済上の重要性に比例するように、日本は、中国と台湾の双方のバランスをとった外交を展開してきたこと。三つ目は、近年の日中経済関係の急速な発展により、中国と台湾のバランスは完全に崩れ、いまや経済的に見れば、日本にとっての中国の重要性は、台湾を完全に凌駕してしまったこと。この三点について、もう少し詳しく説明していきたいと思う。

さて、ご承知のとおり、第二次世界大戦後の中国では、国民党と共産党との内戦が続き、1949年に共産党が大陸制圧に成功して中華人民共和国を樹立した。一方、国民党の中華民国政府は台湾に移って、以後現在に至る。

こうして、「我こそは中国を代表する政府」と主張するところが二つできあがった際に、日本はどちらの政府を正当な政府と認めて国交を樹立すべきかという二者択一の選択を迫られることとなった。

日本国内では、中国大陸を支配している北京の中華人民共和国政府との国交を望む声も大きかった。しかし、実際には、日本は、共産主義への対決姿勢を強めていたアメリカの影響を強く受けて、台湾の中華民国政府を中国の正当な政府と認めて国交を樹立した。以後、1972年の日中国交正常化に至るまで、日本は大陸の中華人民共和国との間に国交を持たず、経済面でも、いわゆる “民間貿易”が細々と行われているにすぎなかったのである。

ここで、日本の貿易額に占めるアメリカ、中国、台湾の割合について見てみたい。まず、ここから分かることは、少なくとも貿易面だけから見ても、日本にとっては日米関係が圧倒的に重要だということである。言うまでもなく、日本は1951年のサンフランスシスコ講和以後、アメリカと安全保障条約を結んでおり、安全保障面においても日本にとっては日米関係が極めて重要なのであるが、経済面においても、戦後60年を通じて他のいなかる二国間関係よりも日米関係が重要だったということが言える。

したがって、日本の外交は、自ずとアメリカとの関係が最重視されることとなり、台湾や中国との関係についても、アメリカの影響を強く受けることとなる。日本が1951年のサンフランシスコ講話によって連合国の占領から独立した際、国内には、北京の中華人民共和国政府との国交樹立を望む声があったにもかかわらず、中華民国との国交を樹立したのも、アメリカの強い働きかけがあってのことであった。

その後も、日本の政財界では、大陸中国との国交樹立を望む声が根強くあったにもかかわらず、20年近くにわたってアメリカの反共政策の壁に阻まれていた。実際に中華人民共和国と国交を樹立するのは、ソ連への対抗という共通の戦略目的のために、アメリカが中国への敵対政策を改め、接近を開始した後の1972年のことである。

ところで、当時の日本は、なぜ中国との国交樹立を望んだのか。それも、やはり経済的な考慮が深くかかわっている。1950年代から60年代にかけて、日本は、アメリカが主導する対共産圏輸出統制のもとで厳しい対中貿易制限を受け、大陸中国との間では細々と貿易が続けられていたに過ぎず、概ね台湾との貿易額の方が大きかった。日本にしてみれば、大陸中国よりも台湾の方が大事な貿易パートナーだったのである。

しかし、1962年に《日中総合貿易に関する覚書》(いわゆるLT貿易覚書※)が締結され、1963年から1967年までの間、中国側からは石炭、鉄鋼石、大豆等を、日本側からは鋼材、化学肥料、農薬等を年間総額平均3600万ポンド輸出することなどが約束されると、日本と大陸中国との貿易がにわかに活気付くようになった。こうして1960年代中頃には、日中間の貿易額は日台間の貿易額とほぼ拮抗するようになったのである。

※中国側の廖承志(Liao Chengyi)と日本側の高碕達之助(Takasaki Tatsunosuke)

さらに、戦前(1930〜1939年)の日本にとって大陸中国は、全輸出の約二割(21.6%)、全輸入の約一割(12.4%)を占める最大の貿易相手国の一つであったため、戦後日本の経済復興のためには大陸中国との経済関係の復活が是非とも必要だと考えられていた。

そこで、日中間の貿易関係が盛り上がり、中国との関係強化を阻んできたアメリカも中国に接近するようになった1970年代はじめ、日本はかつてのような日中経済関係の復活を夢見て、一気に大陸中国との国交樹立に走ったのである。これと同時に、台湾の中華民国政府との間の国交は断絶することとなり、今度は台湾との関係が、民間レベルの経済文化関係に限定されることになって、今に至っている。

こうして大陸中国との貿易関係の発展を望んで国交を樹立した日本だったが、実際には、日本の貿易額に占める中国と台湾の割合は、その後もほぼ拮抗した形で推移した。ここに、1970年代から90年代にかけての日台関係を見る一つのカギがある。

すなわち、大陸中国との国交を樹立し、台湾との国交を断絶した後も、台湾は、経済的に見れば日本にとって中国と同程度もしくはそれ以上に重要な貿易パートナーであり続けた。したがって、日本としては、中国と台湾のいずれか一方だけに肩入れするような政策は採れなかったのである。

しかしながら、こうした日本と台湾との関係に、近年非常に重要な変化が生じている。日本の輸出に占める割合において、1990年代を通じて常に中国を上回っていた台湾が、2001年に中国に抜かれてしまった。その後も中国の占める割合は、急速に伸び続け、2006年には、第一位のアメリカ(22.5%)に次ぐ第二位で14.3%を占め、その割合は台湾の倍以上となってしまっている。

輸入に占める割合にいたっては、もっと顕著である。1990年には、中国が5.1%で第4位、台湾が3.6%で第9位と大差はなかったが、翌年には中国が日本にとって第2位の輸入相手国となり、その後もどんどん割合が高まって、遂に2002年にはアメリカを抜いて最大の輸入相手となった。いまや、日本の輸入額に占める中台の割合は、中国20.5%、台湾3.5%と大きく水をあけられている。

台湾が日本の貿易に占める割合は、この20年近くほぼ同水準を維持しており、決して台湾との経済関係が衰退したわけではないのだが、むしろ中国との経済関係がこの10年ほどで急速に拡大して、台湾を圧倒するようになったのである。

私は、台湾の一友人として、この状況を非常に憂慮している。戦後50年にわたって、台湾は日本にとって中国と同程度もしくはより重要な経済パートナーであった。しかし、近年の日中経済関係の急速な発展により、そのバランスは完全に崩れ、いまや経済的に見れば、日本にとっての中国の重要性は、台湾を完全に凌駕していると言える。

戦後の長きにわたって、経済上の重要性に比例するように、中国と台湾の双方のバランスを採った外交を展開してきた日本であるが、現在のようなアンバランスな状況では、中国と台湾の二者択一を迫られたときに、如何なる対応を採るかは気がかりである。

しかし、日台関係に明るい話がないわけではない。その一つが人と人の交流の増加である。後ほど、青木由香さんから日台観光交流についてお話あるものと思うが、日台双方はそれぞれ観光客の増加を図るため、渡航手続きの簡素化を進めている。台湾側は、95年以降、日本人に対して14日以内の観光滞在をビザ免除で認めており、日本側も、2005年の愛知万博以来、台湾人観光客に対するビザ免除措置を採っている。その結果、日台間の人的往来は順調に伸びており、2005年には、日本からの訪台者数が約112万人、台湾からの訪日者数が約131万人となった。

台湾は、世代間で違いはあるものの、総じて見れば非常に親日的な場所であり、実際に台湾を訪れれば、きっと多くの日本人が台湾に対して親近感を持つことと思う。逆に、より多くの台湾人に日本へ来てもらって、今よりもっと日本を好きになってもらいたい。

私自身、台湾には何度も滞在したことがあり、二週間かけて一周旅行をしたこともあるが、その度に、行く先々で「日本が好きだから」という理由だけで大勢の方々に助けられた。その恩返しだと思って、日本で道に迷った台湾人観光客を見かけると、いつも進んで手助けするようにしている。

外交の基本は、やはり人である。市民レベルの広範な親近感、信頼感というものがあれば、日台関係は、きっと今後も安定して発展していけるものと考える。