海の恵みを拒絶する日本の復興 No.158[2018年07月12日(Thu)]
日本生態系協会 会報「エコシステム」No.158
コンクリートの堤防に1兆4000億円、これが日本の復興。
自然との共存、それが世界の復興です。
宝の海と生き続ける
海と折り合いをつける
悠久の昔から、豊かな恵みをもたらしてきた宝の海。
時にまちを飲み込み、尊い命を奪う畏れの対象にもなってきました。
国は、四方を海に固まれた国土を守ることを目的として、潮や砂の流れ、地形などをもとに海岸線を71に区分し、すべての海岸で、都道府県が海岸保全基本計画を策定しています。
港はもちろん、海に面してまちや農地などがある場所では、海岸線に人工的な構造物をつくり、津波や高潮、高波などから防護する、ということが基本となってきました。
しかし東日本大震災では、海岸線につくってきた防潮堤を、津波は軽々と乗り越え、多くの命と資産が失われてしまいました。
人間が自然をコントロールし抑え込もうとしても、その猛威の前にはなすすべがないと、あらためて思い知らされたのです。
ようやく国は、海岸線で防護する、というこれまでの考え方を転換しつつあります。
東日本大震災のような、数百年から千年に1回程度の頻度で発生し、甚大な被害をもたらす最大クラスの津波に対しては、防護だけでなく避難を軸に、高台へ早く逃げるためのルートや施設をつくったり、まちの高台移転を含め、海に近い場所の土地利用を見直したりして、海辺の地域全体で対応しようという方針です。
ただ残念ながら、海岸線自体の考え方は変わっていません。
全国一律に、防潮堤をさらに高く分厚くするという姿勢です。
被災地で建設が進む防潮堤は、これまで以上に、まちと海を隔てる巨大な壁となり、景色は一変しました。
肝心の海が見えなくなり、海とともに暮らしてきたまちらしさが失われ、人々の心は、海から、そしてまちから離れつつあります。
命を守るためにと防潮堤をつくっても、防潮堤の背後のまちから人がいなくなってしまっては、元も子もありません。
大事なことは、津波のおそれがある場所から遠ざかり、海辺の地域でそれぞれに培われてきた風土や生業、歴史や文化を活かして、これからも住み続けたい、訪れてみたいと思えるまちをつくることです。
海と折り合いをつけながら、賢くしなやかに暮らしてきた先人の経験や知恵が、重要な鍵となります。
自然の盾で、将来に渡って命と暮らしを守る
コンクリー卜でつくった防潮堤の寿命は、数十年から百年です。
次に津波が来る時まで持たないのです。
一方、多様な生きものを育む海岸の自然には、激しい波のエネルギーを弱めて穏やかにする働きがあります。
しなやかで厚みのある自然の盾となり、大きな防災・滅災効果があるのです。
また、豊かな水産資源をすることに加え、美しい自然は地械の魅力や価値を高め、観光の目玉にもなるので、地域の経済を支える基盤とも言えます。
子どもたちや将来の人々のことを考えたとき、海岸にもともとあった湿地や樹林、砂丘、砂浜、干潟、藻場などを再生し効果的に活用することが、将来に渡り海辺のまちで生き続けるための条件となるはずです。
海岸の自然は、自然の作用が生み出す地形や生態系なので、回復力もあり、維持管理の費用は少なくて済みます。
一方、海岸から流域に目をやると、川にはダムやたくさんの堰(せき)があり、砂の供給や移動が妨げられています。
自然の盾が機能するためには、合意形成をしながら人工的な構造物を撤去し、自然の営みを取り戻すことが不可欠です。
津波の被災地における教訓を絶対に無駄にしてはなりません。
沿岸の土地利用の制限や補助金の活用によるまちの移転など、あらゆる政策を駆使して、宝の海と共存するしなやかなまちをつくり直し、世界が求める持続可能な地方創生を果たすことが、今を生きる私たちの使命です。
- 海岸線に延びるコンクリートの防潮堤
- グレーインフラでは将来世代の暮らしを守れない
- コンクリートが好きな日本人
- 津波災害からの復興と再建
- 自然を取り戻す世界の沿岸
- 宝の海と生き続ける
コンクリートの堤防に1兆4000億円、これが日本の復興。
自然との共存、それが世界の復興です。
宝の海と生き続ける
海と折り合いをつける
悠久の昔から、豊かな恵みをもたらしてきた宝の海。
時にまちを飲み込み、尊い命を奪う畏れの対象にもなってきました。
国は、四方を海に固まれた国土を守ることを目的として、潮や砂の流れ、地形などをもとに海岸線を71に区分し、すべての海岸で、都道府県が海岸保全基本計画を策定しています。
港はもちろん、海に面してまちや農地などがある場所では、海岸線に人工的な構造物をつくり、津波や高潮、高波などから防護する、ということが基本となってきました。
しかし東日本大震災では、海岸線につくってきた防潮堤を、津波は軽々と乗り越え、多くの命と資産が失われてしまいました。
人間が自然をコントロールし抑え込もうとしても、その猛威の前にはなすすべがないと、あらためて思い知らされたのです。
ようやく国は、海岸線で防護する、というこれまでの考え方を転換しつつあります。
東日本大震災のような、数百年から千年に1回程度の頻度で発生し、甚大な被害をもたらす最大クラスの津波に対しては、防護だけでなく避難を軸に、高台へ早く逃げるためのルートや施設をつくったり、まちの高台移転を含め、海に近い場所の土地利用を見直したりして、海辺の地域全体で対応しようという方針です。
ただ残念ながら、海岸線自体の考え方は変わっていません。
全国一律に、防潮堤をさらに高く分厚くするという姿勢です。
被災地で建設が進む防潮堤は、これまで以上に、まちと海を隔てる巨大な壁となり、景色は一変しました。
肝心の海が見えなくなり、海とともに暮らしてきたまちらしさが失われ、人々の心は、海から、そしてまちから離れつつあります。
命を守るためにと防潮堤をつくっても、防潮堤の背後のまちから人がいなくなってしまっては、元も子もありません。
大事なことは、津波のおそれがある場所から遠ざかり、海辺の地域でそれぞれに培われてきた風土や生業、歴史や文化を活かして、これからも住み続けたい、訪れてみたいと思えるまちをつくることです。
海と折り合いをつけながら、賢くしなやかに暮らしてきた先人の経験や知恵が、重要な鍵となります。
自然の盾で、将来に渡って命と暮らしを守る
コンクリー卜でつくった防潮堤の寿命は、数十年から百年です。
次に津波が来る時まで持たないのです。
一方、多様な生きものを育む海岸の自然には、激しい波のエネルギーを弱めて穏やかにする働きがあります。
しなやかで厚みのある自然の盾となり、大きな防災・滅災効果があるのです。
また、豊かな水産資源をすることに加え、美しい自然は地械の魅力や価値を高め、観光の目玉にもなるので、地域の経済を支える基盤とも言えます。
子どもたちや将来の人々のことを考えたとき、海岸にもともとあった湿地や樹林、砂丘、砂浜、干潟、藻場などを再生し効果的に活用することが、将来に渡り海辺のまちで生き続けるための条件となるはずです。
海岸の自然は、自然の作用が生み出す地形や生態系なので、回復力もあり、維持管理の費用は少なくて済みます。
一方、海岸から流域に目をやると、川にはダムやたくさんの堰(せき)があり、砂の供給や移動が妨げられています。
自然の盾が機能するためには、合意形成をしながら人工的な構造物を撤去し、自然の営みを取り戻すことが不可欠です。
津波の被災地における教訓を絶対に無駄にしてはなりません。
沿岸の土地利用の制限や補助金の活用によるまちの移転など、あらゆる政策を駆使して、宝の海と共存するしなやかなまちをつくり直し、世界が求める持続可能な地方創生を果たすことが、今を生きる私たちの使命です。