そして普段通り高校2年生に古文を教えて。
今日は東京からお客様が来ていたので、その方と少しお話。
その後は近くの焼鳥屋さん(行きつけの鳥貴族)で焼き鳥をつつきながらお話。
という日でした^^
今日来てくださった方は「なくそう!子どもの貧困ネットワーク」の方なんですが、先日行ってきた学びサポート実践会の話に。
ちなみにその実践会で、一定の額をもらって学習支援をしているのはおそらくうちくらい。
他はほとんど無料塾や、学生ボランティアによる勉強会などでした。
特に全国的に中3学習会というのがあって。
中学3年生に無料で週1,2回の学習支援を行い、高校進学を促すというものです。
ここからは渡の個人的な価値観なので、賛否はあると思いますが、「とりあえず高校には行かないと」というのはどうかなと思うのです。
もちろん高校に行くのは大事ですし、進学先が全くなかった子どもがその学習支援のおかげで高校に行けたというのはその学習会としても大きな成果を上げています。
ただとりあえず高校に行かせる、というのはとても危険な気がします。
そういった場に来るのはおそらく経済的に苦しい貧困世帯の子が多いでしょう。
生活保護世帯限定のものもあるくらいですので。
そうなったとき、その学習会のそもそもの意図は
@このままだと高校も行けず、職にも就けず子どもも貧困になってしまう
A貧困の連鎖を断ち切るためにも(子どもに経済的に自立した生活を送ってもらうためにも)高校に進学させなければいけない
という流れだと思うんです。(仮定の話です)
だとしたら、高校に進学させるというのはあくまでもまだ通過点。
その先の出口まできちっと見据えたサポートをしないと、「高校行くには行ったけど、こっからどうしよ?」となってしまうと思うんです。
ここで「高校までは行かせてもらったんやからあとは自分で頑張れよ」という自己責任論が出てくると思います。
この自己責任論は家庭の経済状況や、家庭の学習環境、文化的資本などが等しいという前提で有効になるもの。
そもそも貧困世帯の子どもの多くは親の学歴が低いために家庭では全く進路について考えられない、勉強する場所がないなどのマイナスファクターが多々あります。
そういった状況の子どもに「高校までは出たんやから何とかせえ」というのは、少し違うと渡は思います。
家庭がそうなのであれば、それ以外の場所で一緒に進路について考えてくれる人がいる、家庭の状況(主に経済状況かなと思いますが)に沿って本人にとって選択可能な選択肢を用意してくれる場所が大事だと思います。
選択可能な選択肢、と書きましたが、ここである発言を引用します。
「ハンバーガーを買う金のないものが、レストランで食べることを許可されたとして、それが何になるだろうか」
これは、アメリカの貧困問題に関わる議論の中で出されたものです。
長々と書くのもあれなので割愛しますが、要はきちんと出口を考えたうえで子どもを支援していくことが大事、ということです。
もちろん、それを全部自分でやれ、とは言いません。
そこは役割分担で、うちは高校進学時の学習支援担当、そっからは○○っていう団体があるから高校ではそこを頼ってね、でももちろん構いません。
うちも全部を解決しようとは思ってません。
ただ、不登校や発達障害の子どもが来てる(今後も来る可能性がある)以上、そしてうちではカバーしきれない可能性がある以上、そういった子どもたちが幸せになるための道は作っておく必要があるのではないかなと思います。
こういったことを考えるのは、自分の団体がどうあるべきかにもつながること。
特に最近考えることを課題にしている自分にはこういった気付きをもらえる場に出て行くというのは大事なこと。
改めて、人のつながりで先日の報告会に呼んでもらったことを感謝しないと。
自分の今の強みはいい仲間、いい大人に恵まれていること。
その強みをもっと活かしていこう。
明日も一日頑張ります!!
【(カテゴリなし)の最新記事】
