CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2017年01月31日

第4回里山若者サミット

今後も続きそうなので、
ついに、「第4回」と表示するようになった今年初の里山若者サミット。

実は今回の作業は、前回とほぼ同じ。
鶏の解体と、大豆の選別と、薪割り。

体験としては、ひとつ新しいものが入った方が良かったかもしれないけど、
そこはあくまで、「農的暮らし」の都合を最優先にしてもらっている。
なので、今回はまるっきりの繰り返し、という状況になったのだが・・・。

P1280233.JPG

でも、この「繰り返し」って実はとても大切なことだ。
生活学校の3つの森は、
森プロスタッフが、数年かけて
毎週、繰り返し繰り返し手を入れて作ってきた場所だし、
農家の栽培や飼育作業は、時には苦しいほどの
果てしない繰り返しで成り立つものだ。

P1280236.JPG

様々な農山漁村の体験ツアーなるものが登場するようになって、
「初めての体験」や「都会では味わうことのできない感動」
が次々と商品化され始めた。
もちろんこれだって十分に意義のあることだ。
でも、商品化された途端に、
「2度目の体験」や「一度味わった感動」は、
最初のインパクトが少し薄れて、商品価値としては下がっていく。
だから、次なる「初めての体験」ツアーが
新商品として求められていくことになるのだろう。

けれど、インパクトの薄れ始めた繰り返しの作業の中に、
実はもっと大切なことが見つかると思うのだ。

鶏の解体は、普通の人にとって、最初のインパクトが大きい体験だ。
(自分の場合は、もう肉は食べられない、と思うほどだった。)
それが繰り返しの中で、薄れていく。
命に対して、最初のインパクトが薄れていいのか、
という葛藤も生まれるかもしれない。
(自分の場合がそうだった。)
それが、ベジタリアンという生き方になる人もいるだろうし、
肉のおいしさやありがたさへの深い感謝が育ちもする。
(飼育者にとっては、ならば鶏をどう飼うか、
という自分の生き方が問われることにもなる。)

P1280245.JPG

約一年前、最初の鶏解体体験で指を切ってしまったやまみちゃんは、
昨年16回も繰り返しここに通って、様々な作業をしてくれた。

そしてこの日、初参加のハピちゃんや
2回目のキタケン君に、包丁の入れ方のアドバイスを的確にしていた。
そう、農的作業の繰り返しは、自分の手に技が宿るのだ。
作業に心地よいスピードやリズムが生まれるようになると、
作業は格段に楽しくなるし、
それは確実に生きる自信につながる。

最初のインパクトの強い体験だけでは、
決して到達できないものが、地道な繰り返しの中にはきっとある。

それを大事に育てる場にしたいんだなあ、この里山若者サミットは。

   by 里山おやじ





この記事へのコメント
コメントを書く