もうすぐ、5回目の3・11がやって来る。
のど元過ぎれば熱さ忘れる性を持つ多くの人にとって、
節目となる日こそは、振り返って多くの教訓を確認する良い機会に違いない。
特に被災地東北の人間であればなおさらだ。
大規模災害時のライフラインの確保をシュミレーションしてみると
都市部に比べて農村部の強さは際立つ。
ブラックアウトと呼ばれる広範囲停電に見舞われるケースでは
都市部の弱さとは比較にならない強さを持ち合わせているはずだ。
実際に3.11直後のブラックアウトでも、
原発事故の被害がない農村部では、その強さは至る所で生かされていたし、
一方、大都市・仙台ではたった数本のペットボトルの水を求めて
長い行列ができていたという話も直接見てきた人から聞いた。
実はあの時、里山での自給生活をしてきた私たちが、
いつまで停電が続くか見えない状況の中で、
これだけは準備しておこうと唯一急いで買ったのは、鋸の刃とその目立てヤスリだった。
つまり、あのブラックアウトが相当長引いたとしても、
燃料の薪を山から切り出す鋸さえあれば、
井戸の水はあるし、
加えて主食の米、小麦、味噌が1年分以上備わっていたので
当分は大丈夫というシュミレーション結果だったのだ。
幸い、この地域の電気はすぐに復旧してそんな事態にも至らなかったのだが…。
しかし、その後、改めてもう少し細かいシュミレーションをしたときに
見えてきた一つの盲点があった。
それは、米が籾での貯蔵、小麦が玄麦での貯蔵であり、
籾摺り器と石臼が電動機械だったのだ。
そう、あの時、教訓として、米の玄米貯蔵利点の見直しとともに、
「こんな時のために、手動の籾摺り器や石臼があると安心だなあ」
と、つくづく思ったのだった。
そんなわけで、昔はきっと農村中で使っていたに違いない籾摺り器や石臼に
大いに興味を持ったのはその時から。
籾摺り器はいつか作ろうと思っていたし、
石臼は、中古モノをもらっていたので、
いつか機会があれば目立ての仕方を学ぼうと思っていた。
けれど、その後の様々な忙しさの中で、
籾摺り器作りの情熱も徐々に消えかかって、はや4年半たった昨秋・・・
このブログを読んで訪ねてきたアメリカ在住の夫婦から、
「庭先で池を作って田んぼにして米を栽培したのだが、
収穫後、籾をする方法を模索している。何かいいものありますか。」
と問われて、
ああ、まさに籾摺り器だなあ、と忘れかけていた情熱が再び復活。
よし、今度こそ「手動籾摺り器」を作ろう、と。
(もちろん、続く)
by 里山おやじ
2016年01月12日
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