の講師に呼ばれていってきました。
「放射能から子供たちを守る」というテーマで、
原発事故以来、各地でこのような学習会に呼ばれ続けています。
(先週は、大東町で。明後日は、一関市と続きます。)
学者でも専門家でもない私の守備範囲はわずかなものですが、
基礎的な放射性物質の特徴や放射線の特徴、
あるいは、岩手県の土壌汚染状況や子供たちの被ばくデータなどに加えて、
最近では、再処理の現状といった
日本の原子力利用の実態に関することなどをお話ししています。
今日は、先週の大東町に続き、シイタケの産地・洋野町での学習会
ということで、会場には、シイタケ農家の方が多く来られていました。
質疑では、シイタケ農家の方の真剣な訴え・不安に心が痛みました。
これまで、県南の学習会会場では、
幼い子供を連れた若いお母さんが涙ぐんでいる姿を
何度も何度も見てきました。
あるいは、今日のように、自分の生産物の汚染や風評被害に対する怒りを
必死にこらえている生産者のまなざしも、幾度となく見てきました。
どちらも胸が詰まります。
自分の中にもまた、
「親として」「生産者として」という二人の人間がいて、
それがせめぎ合うことがしばしばあるので。
ただ、今日は、山の地域資源を最大限に活かしたシイタケの原木栽培が
県北でさえこのような被害にあっている現実に、
改めて、原子力災害の罪深さを実感して帰ってきました。
ところで学習会終了後、個人的希望で、以前より大変興味のあった大野木工を見せていただき、素敵な木工の土産を買ってきました。
帰ってきて、包みを開けてみるとメッセージが1枚。
何とも心を打たれたので、その一部を紹介します。
「(前略)数年来、わたくしたちの大野ではこの北上山系の原生林の巨木の浪費と
村の出稼ぎ大工による木工技術の村外流出を惜しむ気持ちから大野を「一人一芸の村」にしよう。村長も、床屋も、酪農家も稲作農家も、そして出稼ぎ大工も、チーズ作りでもいい、ホームスパンでもいい、木工ろくろもいいな、村中のみんなが、こぎんを刺したり、いたやかえでをへいで曲げて、
曲げわっぱで生活用具を作っていた昔のように、農林業に加えて、夜や冬に、みんなで現代の工芸品を作って人生を豊かに過ごそうよと、(中略)目下工芸の勉強を続けています。」
「近い将来、村を上げて全国各地から「工業誘致ならぬ工芸誘致」を実現させるつもりです。10年計画で大野を貧しい冷害・出稼ぎ村から豊かな工芸の村にしたいと願っています。(後略)」
こうした人の技を支える心を失わない地域と
それを平然と踏みにじる、心のない巨大近代化技術とが、
あまりに対照的で、
それで、また
心が痛い秋の夜です。
by 里山おやじ
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