2009年秋、彼らはこの里山にやってきた。
生後2か月ちょっとだったと思う。
まだかわいい盛りで、
原発事故による土壌汚染は全くなかったから、
毎日まきばに出て過ごすことができた。
(もちろん、事故以降は、放せないでいる。
この先、まきばに放せる日は来るだろうか。)
知能が高くて賢い彼らは、電気柵もすぐに学習し、
人にもよく慣れて、まきばでは、土をほっくりかえしながら、
草もよく食べた。
豚の成長はとても早い。
モリモリ食べて、バンバン走り回り、ぐーぐー寝てそだった
彼らは、一冬で見事に太り、
春の雪解けのまきばではこんな姿に。
まるで、ぶた だ。
厳しい寒さの中を、防寒ラードに守られて
病気ひとつせずに育ってくれて感謝。
そして、お別れ。
積雪の多い厳しい冬だったから、
こっちも毎朝小屋までかじかむ手で雪かきしながら、
鼻水を凍らせてのえさやり、水やり・・・。
手作りの発酵飼料を喜んで食べて大きく育った彼らに
厳しい北国の冬をともに超えた
農場の仲間としての一体感はあるけれど、
やっぱりお別れなんだ。
短く約束された彼らの生涯に、
飼い主として、
どれだけ生き生きとできる環境と時間を作り出せたかな・・・・。
その答えを持っているのは、
言葉を持っていない彼らだけだ。
ある晴れた昼下がり・・・ジョンバエズの名曲「ドナドナ」を
聴きながら、2頭の豚を軽トラックに積んで、屠畜場へ。(涙)
3日後、枝肉という姿で帰ってきた彼らを部位別小分けに。
ロース、バラ、ヒレという具合に、カットして、
真空パック詰めしていく。
そしてもう一つの物語の本題のモモ肉。
これで熟成生ハムを作ることにした。
といってもそんな技術も知識もあるわけない。
なぜこんなことを思い立ったかというと、
その前の年に、期せずして
2人の熟成料理人と出会ったことがきっかけ。
どちらも若き30代の熱血シェフ。
食材や生産者に対する姿勢はもちろんのこと、
調理技術習得への情熱が魅力的な青年シェフだ。
お二人ともに、別々なルートで、
別々な知人に連れられて、この里山にいらしたのだが
お二人ともに、熟成生ハムづくりの達人だった。
以来、里山の卵や豚や羊を
お二人のレストランで使ってもらっているというお付き合い。
それで私もぜひ熟成生ハムを習おうと、
根掘り葉掘りいろいろ教えを頂いての初挑戦。
細かい企業秘密は書けないが、
とにもかくにも、2010年春、
若きシェフのご指導の下、初めて熟成モモ肉を吊るした。
じゃーん。
これ1年後。2011年春。
原発震災直後で、ヨウ素やセシウムの飛来に備えて
屋内に吊るしたところ。
県南のヨウ素は相当降下したはずなので、
いい判断だった。
表面は一面カビに覆われていて
素人にはとても食べ物に見えない。
これでいいのか、という不安もあったが、
そもそもカビで肉を守るのが熟成。
少し手ごたえを感じながら、
秋以降また屋外に吊るしなおして・・・・熟成を待った。
続く by 里山おやじ