非正規雇用をめぐる議論は非常に多いわけですが、主婦パートについての分析や政策論があまりなかったように思います。「クビになったら直ちに家を失う単身派遣労働者」などのほうが、絵的にもインパクトがあるので、メディア等ではどうしてもそちらに注目が集まる一方、主婦パートが抱える問題にはあまりスポットがあたっておりませんでした。
ところが、主婦パートの総数は800万人。非正社員全体の4割強を占めるわけでして、政策を考えるうえでは絶対に軽視できない層です。著者の本田先生は経営学者とのことですが、現場の調査やヒアリングを相当積み重ねてこられたようで、一つ一つの事例にリアリティがあります。
もともとは補助的な業務が中心だった主婦パートも、80年代の「パート戦力化」、90年代の「パート基幹化」の流れにより、正社員と変わらない仕事をこなすようになってきました。本書ではこの状況を以下のように解説します。
「例えば、あるスーパーの鮮魚部門の正社員と主婦パートの分業状況を子細に観察したところ、アジやサバの二枚おろしや三枚おろし、イワシの手開きなどの加工作業といった定型作業において、販売量から見れば基幹的な存在といえる2のタイプの主婦パート(基幹・定型作業)の姿があった。
こうした作業に習熟した主婦パートの中から、加工作業だけでなく、売場に出て商品の売れ行きの法則をつかみ、加工量や加工のタイミングを正社員と相談する主婦パートが出てくる。正社員なみの判断力が養成されたわけだ。
また、本社ではなく店ごとに棚割を決める余地が比較的あるホームセンターでは、正社員には、売れ行きを見て的確に商品の陳列を変更するという重要な非定形作業がある。そこには、正社員の指示に基づいて、商品の位置を変えたり積み上げたり、元に戻したりするのを補助する4(周辺・非定形作業)のタイプの主婦パートがいて、基幹作業の一端を経験している様子が見られた。こうした経験に基づき、主婦パートが、正社員レベルの商品知識とともに、的確な判断力を獲得していく。」
小売業で働いたことのない方には分かりにくいかもしれませんが、適時の陳列変更や売価変更などを行うか行わないかによって、売上にかなりの差が出てきます。そうしたレベルの高い仕事を徐々にこなすことで、主婦パートは生産性を高めてきたわけです。
生産性が高まればそれに見合った賃金が支払われて当然ですが、大きな壁が立ちはだかっています。それが「130万円の壁」です。
130万円の壁とは、例えば、サラリーマンの夫を持つ専業主婦がパートに出て、年間収入が130万円を超えたとき、健康保険と年金保険料についてそれまで夫の扶養家族として加入している社会保険制度から離れなければならないという問題を指します。その瞬間手取り収入が減少してしまうので、多くの主婦パート労働者が130万円の一歩手前で収入を抑えています。また、社会保険料の事業主負担分を嫌う企業の側にも、130万円以内に抑えさせようというインセンティブがあります。
この壁は極めて高いわけです。筆者は主婦パートの賃金の低さの原因として多くの企業がこの状況に「つけ込んで」、生産性以下の賃金で働かせていることにあると分析します。130万円の壁が企業や労働者の行動にかなりの歪みを与えていることが容易に想像できます。本書の主張と同様に、私も130万円の壁は直ちに撤廃すべきだと思っておりますが、どういうやり方がありうるのか、今後より具体的に考えていきたいと思います。(なお、先日東京財団で出した
政策提言「新時代の日本的雇用政策〜世界一質の高い労働を目指して〜」においても、130万円の壁をなくすことを提言しています)
また、生産性に関連して、筆者は重要な指摘をします。
「ほとんどの経営者は、人件費の問題を「支払い能力」であっさり片づけようとする。そして、「人間を無視した経営をしているひどい会社だ」と後ろ指を指されないために、「学者は経営の現場がわかっていない」とほえる。
しかしながら、人件費の削減によって会計上の「生産性」や利益を嵩上げするのではなく、ビジネスの中身をよく検討して「生産性」や利益を向上させるための方策をとり、人件費に見合うようにするのが本物のマネジメントである。」
もうすこし噛み砕いて言いますと、企業の「儲け方、利益の出し方」は様々にあります。商品を磨く、販売方法を工夫する、効果的なイベントを打つ、営業部隊を鍛える、改善により生産コストを減らす…などなど無限にあるわけです。その中でも「労働者への賃金支払いを生産性よりなるべく下に抑える」というものは、商人の道に反しませんか、それ以外の部分で競争すべきではないですか、ということでしょう。
「労働者への賃金支払いを生産性よりなるべく下に抑える」やり方はいろいろあります。その中の一つが130万円の壁を利用するというものでしょう。日本の経営者の方々がこうした邪道ではなく、なるべく王道を行っていただくことを願っていますし、そうした方向へ向くインセンティブを与える政策を考えていきたいと思います。
以上、いろいろと述べましたが、雇用の問題を考える上で必読書だと思いますので、是非お読みいただければと思います。