「文藝春秋」11月号の麻生総理の話題の論文「強い日本を!私の国家再建計画」を読んでみた。素直な印象としてはやはり「冒頭解散」の決意表明にしか見えない。が、月刊誌の執筆と発売時期のズレの問題はあるのだから、これは仕方がないと思う。
ただ、気になったのは次の一文。
「上下両院で多数派が食い違う現象は先進国ではよくあることであり、だからこそ、選挙で各党が公約を国民に誓い合い、勝利した側の政党がその直近の民意を背景に政党間協議を主導するのだ。ようやく日本の政党政治をグローバル・スタンダードなものに進化させるチャンスだと私はわくわくしているほどだ。」
「ねじれ国会」になって以降、麻生総理にかぎらず多くの政治家がこのような言説を繰り返しているが、いったいどの部分が「よくあること」なのだろうか。政治学の名著サルトーリの「比較政治学」参照しながら考えてみよう。
与党が3分の2の多数を失った場合(自公がどんなに大勝しても3分の2が取れることはまずないだろう)、法案の成立については与野党が互いに拒否権をもつ真の「ねじれ」となる。議院内閣制かつ二院制の国で両院が相互に拒否権を持つ国は、本書によるとオーストラリア、ベルギー、イタリアの3カ国だけである。
そしてねじれ問題の例としてオーストラリアの例をあげている。
「1975年にオーストラリアで労働党が下院の過半数を占め、自由党と国民党の連合(永続的なもの)が上院の過半数を占め、そして上院が、労働党政府に辞職を強いるために政府の充当金法案を通過させることを拒否したときに起きたことをとりあげよう。この行き詰まりは、オーストラリアが総督を頂く英連邦の国家であり、その総督が問題の解決を引き受けたことから(わたしの意見では疑わしい法的根拠に基づいて)、解決された。しかしこの幸運で特殊な安全弁がなければ、オーストラリアは1975年に深刻な政治危機に直面していたであろう。」
つまり、1975年のオーストラリアでは、拒否権を持つ二院制は超法規的措置によってしか事態を打開できなかったのだ。
さらに本書は、互いに拒否権を持つような(権限の近い)二院制では、両院の構成が似ていればチェックの目的には使いものにならないし、両院の構成が異なれば停滞と行き詰まりをもたらす、と指摘する。まったくそのとおりだと思う。サルトーリも示唆するとおり、二院制が積極的な意味を持ちうるのは連邦制国家くらいかもしれない。
以上の状況を棚上げにし、ねじれがグローバルスタンダードなどということは強弁にすぎない。グローバルスタンダードというなら、非連邦国家・議院内閣制という日本と同条件のスウェーデンが二院制から一院制に移行したことはどう考えるのか。
「直近の民意を背景に政党間協議を主導」の意味も良く分からない。仮に総選挙で自民党が議席を大幅に減らし、民主党が大幅に増やした上で、自公でぎりぎりの過半数が保ったようなケースでは、「直近の民意」はいったいどこにあるのだろうか。自民党も民主党も互いの「直近の民意」の正統性を主張しあい、結局は何も決まらず、大連立か政界再編ということにならざるを得ないのではないか。
「直近の民意」の支持があることをもってリーダーシップを取りたいのであれば、「直近の民意」の意味を確定し、制度に落とし込み、それよってリーダーシップをとれる仕組みがなければ、実現不可能だろう。その点を無視して「政党政治の進化」などと言ってもそれは気分の表明以上の何者でもない。
「総選挙を控えて建前上そう言わざるを得ない」のかもしれない。そうであれば、そんな建前を政治家に言わせる(つまり政治家に本心と違うことを言わせる)制度こそ見直すべきではないのか。そろそろ真剣に考える時期に来ている。