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leprosy.jp
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笹川 陽平
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【私の毎日】1月18日(金) [2019年01月18日(Fri)]
1月18日(金)

7:30 財団着

8:00 海野光行 日本財団常務理事

9:00 「18歳意識調査」勉強会

10:00 瀬川大秀 仁和寺門跡

10:30 グローバルアピール・スピーチ打合せ

12:00 トミー・レメンゲサウ(Tommy E. REMENGESAU, Jr.)パラオ大統領

15:00 程永華 中国大使
「毛沢東の長征」 [2019年01月18日(Fri)]
「毛沢東の長征」


毛沢東率いる赤軍は目的地のない逃避行を続けていたが、甘粛省の田舎町哈達鋪に達したところで、偶然手に入れた敵対する蒋介石率いる国民政府の新聞を見て、陝西省の延安には赤軍の勢力が根拠地を作っていることを知り、長征部隊の北上の方針が決まり、やっと延安という安全地帯に落ち着くことになった。ご高承の通り、延安は中国共産党の革命の聖地である。

延安大学に日本財団の姉妹財団である日本科学協会が行う図書の寄贈事業式典に参加するために訪れた。

延安ときたら、中国共産党第七回全国代表大会(中国では、「七大」と略称される)の開催地として有名だ。「七大」は中国共産党の歴史の中の一里塚と位置付けられる重要な会議で、その後中国革命の綱領と策略を定め、毛沢東を中心とする共産党の指導体制を固めた。楊家嶺に位置する「七大」の会場跡は、200名程度の椅子席がある小じんまりした講堂で、当時の中国共産党120万人の党員を代表する755名の代表が入れる空間だとは信じがたい狭さであった。この講堂で、毛沢東が左手に演説文を持って演説する姿は有名で、筆者も真似したのがブログの写真である。

Hコピー.JPG


山に横穴を彫った住居は20uほどだが、毛沢東の住居だけが隣の横穴式住居とつながっていた。本棚には読書家らしく、孫子の兵法、春秋、唐詩、孟子、水滸伝、紅楼夢などがあった。少し幅の広いベットの上には、新婚当時の「江青」女史とのツーショット写真が額に入って掛けられていた。二人はこのベットの中でピロートークを楽しんだのであろうか。

近くには当時の共産党幹部である朱徳元師や周恩来の横穴住居もあった。アメリカ人のエドガー・スノーやアグニス・スメドリィーとの会談もここで行われたようだ。共産党の聖地とあって多くの観光客で賑わっていたが、ミニスカートにブーツ姿の女性も多く、中には髪を赤く染めた女性も闊歩していた。帰り際には金満家らしき人がロールスロイスで入ってきたのには少々は驚かされた。

革命聖地に現れたロールスロイス.JPG
革命聖地に現れたロールスロイス


毛沢東は天国からこの風景を見て、「資本主義の道を歩む実権派ばかりだ。俺の革命は失敗した」と思っているに違いない。
【私の毎日】1月17日(木) [2019年01月17日(Thu)]
1月17日(木)

7:10 財団着

8:30 「養子の日」事業打合せ

10:00 ミャンマー ピュー・ピュー・ティン下院議員

11:00 河野太郎 外務大臣

15:00 浜中啓一 青梅市長

16:00〜19:00 BOATRACE振興会・市長会 挨拶
「私の写真館」その1―金日成― [2019年01月17日(Thu)]
「私の写真館」その1
―金日成―


一枚の写真は10万語にも優る説得力があるという。

私は今年の1月8日、満八十歳になった。未来志向であまり過去を振り返らずに生きてきたが、世界を歩いて出会った人たちのことを記録に残すことは私の務めではないかと思うようになった。思い出に残る人物写真と共に、出会いのエピソードなどを順次掲載してまいります。

***************


シンガポール会談以後、トランプ大統領と金正恩主席との二回目の会談実現に向けて、水面下では激しい交渉が行われていることであろう。

金正恩の祖父である金日成は、北朝鮮人民共和国の国父である。

1992年、私は初めて北朝鮮を訪問した。目的は金日成主席との面会ではなく、私とほぼ同世代の金正日書記(当時)の実像をこの目で確かめたかったからである。

面談の事前了解を得て1992年3月17日夕刻、朝鮮民航で北京を発ち、ピョンヤンのモランボン迎賓館に入ったのは夜8時30分。そこで「金正日は北部地域を視察中で不在ですので、代わって金日成主席が会見します」との連絡を受ける。私は即座に「約束が違うのでこのまま帰ります」と言ったところ、驚いた相手側は、「日本で皇太子の代わりに天皇が会われる場合、断りますか?」と反論。妙な理屈と思いつつも会見相手は一国のトップ。そんなことで金日成主席との会談が実現したわけである。

握手1.png


会見は3月20日午前10時から、昼食をはさんで3時間半に及んだ。場所はピョンヤンから車で1時間半ほどの温泉地で、地味な雰囲気の接見所だったが、玄関というところまで出迎えてくれた金日成主席は堂々たる風貌で、開口一番「日朝交渉は間違いだった」と発言。「金丸訪朝団は日本の与党・自民党と最大野党の社会党が朝鮮労働党との会談で合意済みであり、実現は時間の問題と考えていた。日本の政治決定過程に無知で外交的知識が不足していた」と、若干反省を込めて語った。党独裁の北朝鮮の主席には、日本の支配政党合意が実行されないことは理解できないことだったようだ。

立って乾杯1.png


もう一つの金主席のミスは、「軍拡に走る米国は債務国になり、日本は世界一の経済大国として独自外交を展開できる」と考えていたらしい。私は日米安全保障条約で結ばれた両国の強さを伝え、米国抜きの日朝関係正常化実現の困難なことを説明した。

私が金主席と会見した1992年3月は、北朝鮮の核疑惑にアメリカが最も神経を尖らせていた時期で、核施設へのピンポイント爆撃を真剣に考えているといわれており、米韓合同演習チームスピリッツの不当性を強調するなど、米国の軍事圧力に相当閉口している様子だった。そこで私が、米国要人を招待するのが有益ではと助言。旧知のカーター元大統領の名前を出し、これが94年のカーター訪朝につながった。

帰国後、私は隠密裏に折衝を開始。93年1月、クリントン大統領就任式参加の折、カーター元大統領と在韓米軍撤退問題を議論としないことを唯一の条件に、最終的に快諾してくれた。しかし、かつてカーター元大統領の部下であったクリストファー国務長官を始めホワイトハウスは訪朝に反対で、最終的には元大統領ではなく個人の資格でならとの条件で94年6月15日朝、カーター元大統領は韓国から休戦ラインを徒歩で越え、北朝鮮に入った。

16日朝、クリントン大統領はホワイトハウスのキャビネット・ルームに国家安全保障会議を招集し、北朝鮮への制裁強化を指示。このあと韓国への戦闘機の配備、空母を含む機動部隊の増強、韓国駐留米軍の1万人増員などの検討に入った。出席者は副大統領、統幕議長、防衛長官、安保担当補佐官、国連大使等々。米朝開戦前夜の空気がみなぎっていた。

その時ピョンヤンよりカーター元大統領から電話が入り、金日成が核開発プログラムの凍結とIAEAの査察官の残留を認めたとの内容で、安保会議は中断され、再開された安保会議は「我々は同意し、受け入れる。もしあなたが我々の『凍結』の解釈を容認するなら」との返事を作成。カーター元大統領を通じて北朝鮮に伝えた。後日、「米朝戦争の瀬戸際で新しい展開が作れたのは奇跡」とカーター元大統領は述懐していた。

これは元ワシントンポストの外交記者、ドン・オーバードーファが書いた「ひとつの時代史、二つの朝鮮」を一部引用しました。

ともあれ、歴史に“if”を認めてくれたら、私と金日成との会見、その後カーター元大統領を説得し、ホワイトハススの反対を押し切って個人の資格であれ訪朝していなかったなら・・・。
【私の毎日】1月16日(水)インドネシアから帰国 [2019年01月16日(Wed)]
1月16日(水)インドネシアから帰国

6:30 インドネシアより、羽田着

12:10 財団着
    書類整理、打合せ

16:30 退室
「中国の小話」その173―俺の親父は誰か?!― [2019年01月16日(Wed)]
「中国の小話」その173
―俺の親父は誰か?!―


成金の御曹司が高級車に乗り、スピード違反で女性の警察官に止められた。

警察官が罰金のチケットを切ろうとしたら御曹司が大激怒し、警察官に向かって怒鳴った。
「俺の親父は誰だか、知らないのか?!」

御曹司は権勢と金銭を持つ親を引き出せば、警察官がビビるだろうと思ったが、警察官は沈着冷静に答えた。

「それは、あなたの母ちゃんに確認した方がいいよ」と。

俺の親父写真.JPG
俺の父親は誰? 


蛇足:「小話」に説明は無用だが、時々知人から説明を求められることがある。   この「小話」は、中国でも妻の浮気が多いことにひっかけ、警察官のトンチのきいた返答が可笑しいのです。
【私の毎日】1月15日(火)インドネシア・ジャカルタ [2019年01月15日(Tue)]
1月15日(火)インドネシア・ジャカルタ

7:00 朝食

11:00 ニラ・モエロニク保健大臣

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モエロニク保健大臣


11:20 インドネシア義肢装具士養成事業を保健省に引渡す式典に出席・スピーチ

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日本財団が2008年から10年間支援したジャカルタ義肢装具士養成事業の運営を
現地の保健省に引継ぐ式典に出席

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ジャカルタ義肢装具士養成学校(JSPO)はインクルーシブな社会を達成するための礎を築き
これからもこのサービスを必要とする人に希望を与え続けてほしい

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保健大臣、保健省関係者、SPOの生徒・卒業生たちも出席

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JSPOの生徒・卒業生たち

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生徒たちによるダンスが披露された

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JSPOの生徒、卒業生たちと


12:30 式典関係者との昼食

16:30 カーソン・ハーテ氏 (英国NGOエクシード(Exceed)CEO)

17:50 ホテル発

19:30 空港着

21:45 ジャカルタ発、羽田空港へ


「秀逸?な賀状」 [2019年01月15日(Tue)]
「秀逸?な賀状」


今年も多くの方々から賀状を頂戴した。

近年、ハガキの両面ともに印刷された、率直に言って無味乾燥な賀状が多くなったのは時代の流れであろうか。

不精な性格の私は、無礼を承知で賀状を止めて30年になる。そんな私が頂戴した賀状に感想を述べるなどこの上なく失礼ではあるが、一通だけ、私にとって「さもありなん」と納得する賀状をいただいたので紹介させていただきます。

***************


あけましておめでとうございます。
歯は入歯、耳に補聴器、目は老眼、杖を頼って医者通い。小便近く、筒漏れ多く、恥ずかしながら紙パンツ。鼻水、よだれ垂れ流し、咽んで、せき込み、食べこぼし、済んだ食事をまた催促。貴方は知れど名は忘れ、昔話を繰り返し、誰だったかと首捻る。カギを無くして立ち往生、握り占めてた左の手。お手入れ無用の輝く頭、それでもまだある二、三本、鏡を見ては撫でつける。足腰弱り、肩は凝り、肝心要はフーニャ、フーニャ。ヨイショ、ドッコイショの掛け声だけで動きようにも動けない。顔は班(まだら)の絞り染め、肌は波立つ丹後織、変わる街並み、道忘れ、尋ねてみれば隣の人。会って嬉しや友との会話、昔は可愛い女の子、今は手術と病気の話し、同じ話を何回も。本を読みたし開いてみれば、忽ちこっくり鼾かく。血圧高く、糖多く、脈は乱れて、物忘れ、気力衰え、何処とも無しに、ボーと眺め、目を遣る先はあの世かも。お世話になります、後一寸だけ。
平成31年元旦



【私の毎日】1月14日(月)インドネシア・ジャカルタへ [2019年01月14日(Mon)]
1月14日(月)インドネシア・ジャカルタへ

9:00 羽田空港着

10:40 羽田発

16:50 インドネシア・ジャカルタ着

18:00 石井正文 駐インドネシア日本国大使との夕食会

19.01.14 インドネシア 石井大使との夕食会.jpg
石井大使と


21:00 ホテル着
【私の毎日】1月12日(土)ー13日(日)タイ・チャンマイ [2019年01月13日(Sun)]
1月12日(土)タイ・チャンマイ

0:10 羽田発

5:15 タイ・バンコク着

7:50 バンコク発

9:10 タイ・チェンマイ着

ミャンマー少数民族武装勢力との和平交渉

19:20 チェンマイ発

20:40 バンコク着、羽田空港へ


1月12日(土)

6:30 タイより、羽田着

11:00 故・正木烝司様 一周忌法要

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