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笹川陽平ブログ(日本財団会長)

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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「ちょっといい話」その96―インドネシアの慰霊碑― [2018年05月23日(Wed)]
「ちょっといい話」その96
―インドネシアの慰霊碑―


昨年7月、ハンセン病制圧活動でインドネシアの南スラウェシ州を訪れた折、首都マカッサルのインドネシア人の個人の庭に日本人死刑囚の慰霊碑があると聞き、寸暇を惜しんで参拝に訪れた。

マカッサルで戦犯として処刑された日本兵は計34人。中には現地で商業活動に従事していた民間人も含まれており、取り調べ調書の不備が指摘されるなど、裁判の公平性を疑う声もあるという。

極端な話、「渡辺」という日本人に殴られたという申し出に、名前が「渡辺」というだけで長期拘留された例もあったそうである。

刑場跡地は小学校になっており、毎年、慰霊祭が行われていたが、1987年、近くに住む警察官マハカウベさんの厚意で、マハカウベさんの自宅前庭に慰霊碑が建立され、以後、墓守を続けてくれたという。

マハカウベさんは90年ごろ亡くなり、筆者が訪れた際は妻のマリアさんが慰霊碑の管理を引き継いでくれていた。高齢にもかかわらず、突然の訪問にもわざわざ不自由な足を引きずって出てきてくれた。現在は娘のインテさんも協力、常に線香やロウソクを準備して下さっている。わずかばかりの線香代を置いて参拝させて頂いた。

87歳になるマリア ・ラトゥラニさんと息子さんが慰霊碑を守ってくださっている.JPG
87歳になるマリア・ラトゥラニさんと息子さんが慰霊碑を守ってくださっていた


筆者はハンセン病制圧活動でアジア各地を訪れる機会が多く、至る所で日本人戦没者の慰霊碑に出会う。終戦時6歳であった筆者は当年79歳。昭和20年3月10日未明の東京大空襲を経験しており、戦争の恐怖を実体験した最後の年代となる。

各国・各地に遺族や関係者によって建立された慰霊碑は幾世代経過しようが、維持されることが後世に生きる我々日本人の務めであろう。
5月22日(火) [2018年05月22日(Tue)]
5月22日(火)

5:15 ドイツ・フランクフルト着

7:30 フランクフルト発

8:30 スイス・ジュネーブ着

9:30 ホテル着

10:40 ホテル発

11:00 国連欧州本部(パレ・デ・ナシオン)にて葛西健WHO西太平洋地域事務局次長

12:00 関係者との昼食

14:40 国連欧州本部年間パス申請・受理

15:00 エマイス・ロバーツ(Emais Roberts)パラオ共和国保健大臣

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ロバーツ・パラオ共和国保健大臣


15:15 シュリ・ジャガット・プラカッシュ・ナッダ(Shri Jagat Prakash Nadda )インド保健大臣

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ナッダ・インド保健大臣


15:30 タウアネイ・マレア(Tauanei Marea)キリバス共和国保健大臣

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マレア・キリバス共和国保健大臣


15:40 南東アジア地域事務局(SEARO)から出向しているジェイン・サラブ(Jain Saurabh) 元ハンセン病担当官
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インドで共にハンセン病制圧活動をしたサラブ氏にばったり会う


15:50 ツォグツェツェグ (A.Tsogtsetseg)モンゴル保健大臣

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ツォグツェツェグ・モンゴル保健大臣


16:00 ミン・トウェ(Myint Htwe )ミャンマー保健大臣

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トウェ・ミャンマー保健大臣からお土産をいただく


18:00 関係者との夕食
5月21日(月) [2018年05月21日(Mon)]
5月21日(月)

7:15 財団着

8:30 ハンセン病資料館事業打合せ

10:00 ウェブ社内報に掲載する動画撮影

11:00 飯島 勲 内閣参与

12:00 スピーチ練習打合せ

13:00 岡村善文 アフリカ開発会議担当特命全権大使

13:30 岡田誠司 南スーダン大使

14:00 オーシャンイノベーションコンソーシアム総会

15:30 水鳥真美 防災担当国連事務次長補兼事務総長特別代表

16:00 楊李様(元国家主席 楊尚昆氏お嬢さん)

18:00 山田憲典 山崎製パン 副社長

22:30 羽田空着

0:10 羽田発、ジュネーブへ
「スイス・ジュネーブ出張」 [2018年05月21日(Mon)]
「スイス・ジュネーブ出張」


今日の深夜便でジュネーブに出張いたします。

ミャンマー・0泊3日、韓国・日帰り出張を含め、今月6回目の海外出張です。

ジュネーブでは、各国保健大臣との会談、笹川健康賞の授与式に出席、お祝いのスピーチを行います。

帰国は27日です。
「ちょっといい話」その95−テキサス三つの誇り− [2018年05月21日(Mon)]
「ちょっといい話」その95
−テキサス三つの誇り−


テキサス州には三つの誇りがあるそうだ。

一つ目は、海洋とあまり関係なさそうに見えるこの州が世界の海洋エネルギー開発の中心地である点だ。テキサス州では国際的な石油会社を中心に約5,000社が活動している。1969年、アポロ11号が月に着陸、人類が初めて月面を踏んだ年に世界最大の海洋石油ガスの展示会が同州のヒューストンで開催され、今年で50年を迎えた。

日本の海洋開発は残念ながら大きく遅れているが、最近、日本近海でもメタンハイドレードなどの海洋資源が確認されている。日本財団では5月1日、ヒューストンの民間技術開発共同事業体である「Deep Star」と今後の共同開発に向け覚書を結んだ。4年間で最大11億円規模、わが国の海洋開発の進歩を促したいと思う。

二つ目はメジャーリーグのヒューストン・アストロズ。昨年、ワールドシリーズを勝ち取り、アストロズファン、テキサスの人々を熱狂させた。今回、ニューヨーク・ヤンキースとアストロズ戦の始球式の名誉をいただき、大観衆の中、ワインドアップで投げたボールが見事、キャッチャーのミットにダイレクトでおさまったことを報告しておきます。

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大きく振りかぶり

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投げました!

G始球式−4少し高めに右へ逸れたものの、キャッチャーは動かずにキャッチ!.JPG
少し高めに右へ逸れたものの、キャッチャーは動かずにキャッチ!


三つ目。テキサス州ヒューストンはスペース(宇宙)シティーの愛称がある通り宇宙開発の中心である。アポロの月面着陸から20年後の1980年代、亡父笹川良一は、将来、宇宙空間で人が生活できるようにと、ヒューストン大学に「笹川国際宇宙建築センター」を創設した。

亡父は大阪万博で最大の目玉となった「月の石」の展示に尽力したり、東京・お台場で宇宙博覧会を開催するなど、宇宙と海洋の将来に大きな夢を持っていた。宇宙建築センターからはダンバー女性宇宙飛行士やカニンガム宇宙飛行士を輩出、現在は火星への移住計画を研究している。

今回、米航空宇宙局(NASA)の内部も視察、トゥープス氏等、優秀な教授と研究者によって大活躍している様子も知ることができた。研究室の入口にある亡父のレリーフを見て、その先見性に改めて感じ入った次第であった。

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船外作業をするロボット

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中継でよく見る宇宙ステーションと宇宙船が”ドッキング”箇所を通過

5月18日(金) [2018年05月18日(Fri)]
5月18日(金)

6:40 ヤンゴンより、成田空港着
    そのまま福島県いわき市で開催の「島サミット」会場へ直行

9:30 島サミット会場(福島県いわき市)着

※以下、首脳との個別会談
15:00-15:20 ツバル王国 エネレ・ソセネ・ソポアガ首相

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ソポアガ首相に贈呈品の兜について説明


15:45-16:05 キリバス タ−ネス・マーマウ大統領

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マーマウ大統領


16:15-16:35 パラオ トミー・E・レメンゲサウ・Jr大統領

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パラオ代表団(赤いリボンがレメンゲサウ・Jr大統領)


17:20-17:40 マーシャル諸島共和国 ヒルダ・C・ハイネ大統領

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ハイネ大統領からマーシャルの伝統工芸品をいただく


17:501-8:10 ナウル共和国 バロン・ワンガ大統領

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ワンガ大統領と会談


18:20-18:40 ソロモン諸島 リック・ホウエニプウェラ首相

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ホウエニプウェラ首相


19:15-20:45 安倍内閣総理大臣夫妻主催・太平洋・島サミット公式晩餐会

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晩餐会での一こま


21:00 サミット会場発

23:30 自宅着
「インド訪問記」―写真を通じてハンセン病に対する理解を― [2018年05月18日(Fri)]
「インド訪問記」
―写真を通じてハンセン病に対する理解を―


今年4月、インドの首都デリーを訪問した。18日の夕方に日本を発ち、翌日朝からいくつかの用件を済ませ、そのまま深夜便で帰国するという1泊2日の慌ただしいインド往復であった。

到着日の19日午前中、インド保健家族福祉省でハンセン病担当官のアニル・クマール氏と面談。インド政府が2年前から実施している「ハンセン病患者発見キャンペーン(LCDC)」により多くの患者が発見されていることに敬意を表した。制圧が達成された途端、患者が増えることを恐れて発見の活動を怠ることを私は「エリミネーション・トラウマ」と呼んでいるが、インドはこのトラウマにも負けず、一生懸命患者を探し、ハンセン病のない国の実現に向けて本気で取り組んでいる。彼らの勇気と熱意に大いに期待したい。

その後、笹川インドハンセン病財団理事との打ち合わせや子どもの権利活動家として2014年にノーベル平和賞を受賞したカイラシュ・サティヤルティ氏と面談。

夕刻から今回の主な目的である富永夏子の写真展『OUR LIVES』のオープニングセレモニーに出席した。富永は私と共に世界中をまわり、ハンセン病の患者・回復者、その家族の写真を撮り続けている日本財団職員の写真家である。

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写真を通して多くのメッセージを受け取ってほしい


写真展はデリー中心地にある格式高いインディア・インターナショナル・センターで4月20日から5月1日までの12日間開催され、インド及び世界のハンセン病患者、回復者、家族の生活の様子が彼らの声と共に伝わるように100枚の写真が展示された。

オープニングセレモニーにはインドでハンセン病問題に取り組んでいる政府、WHO、NGOなどの関係者、メディア、回復者の他、在インド日本大使館の全面的な協力を得て日系企業からも多数参加して下さった。私は今回の集まりをきっかけに、日系企業の方々にインドの国民的課題であるハンセン病の実態と日本財団の取り組みを知っていただき、将来的には彼らの協力も得たいものと淡い期待をしている。

また、オープニングでは写真のモデルの一人であるマディア・プラデッシュ州のアニータさんが、彼女自身のつらい経験を語ってくれた。

この写真展は多数のメディアが取り上げてくれ、多くの人にハンセン病の問題を伝えることができたのは望外のことで、世界の約20万人の新規患者のうち6割がインドで発見されていることを考えると、インドでのこの写真展は、一般の人々にハンセン病のことを知ってもらう良い機会を提供することができ、成功だったと思う。

インド独立の父、マハトマ・ガンジーは、当時、社会の最下層に置かれていたハンセン病の患者の境遇を変えたいと強く願っていた。来年はガンジーの生誕150周年の年で、それまでにインドのハンセン病問題の解決に向けて画期的成果が出るよう、これまで以上に全力で取り組んでいきたいと思う。

5月17日(木) [2018年05月17日(Thu)]
5月17日(木)

0:05 羽田発

4:35 タイ・バンコク着

7:55 バンコク発

8:50 ミャンマー・ヤンゴン着

11:00 ミン・アウン・フライン国軍総司令官と会談

18:00 丸山市郎 ミャンマー大使との会食 

21:45 ヤンゴン発、成田空港へ
5月16日(水) [2018年05月16日(Wed)]
5月16日(水)

7:15 財団着

9:30 シンガポール国際障害者芸術祭関係者

10:30 フィジー ジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ首相

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バイニマラマ首相


13:00 協力援助事業打合せ

13:30 武藤 浩 みずほ銀行顧問

14:00 西郷直道 駐ネパール大使

15:00 程永華 中国大使

16:00 菅井明則 笹川平和財団常務理事

17:00 田中明彦 政策研究大学院大学学長

22:30 羽田空港着

0:05 羽田発、ミャンマーへ
「趣味は草取り」―禅の修業に優る?― [2018年05月16日(Wed)]
「趣味は草取り」
―禅の修業に優る?―


筆者の近年の趣味は、30年前に購入した富士山麓山荘の草取りである。

冬はマイナス20度を越えることもある寒冷地ではあるが、4月中旬には早々に小さな芽が固い土から顔を出していた。昨年は200坪ほどの面積の草取りを4回行ったが、それでも草々の生命力に負けてしまった。

松の間を通るさわやかな風の音と巣作りに忙しい小鳥のさえずりを聞きながら、地面に両手・両膝をつき、無心に小さな草までも丁寧に抜き取るのである。茎の直径が3cm程で地面に張り付いている草でも、抜いてみると長さが10cm程の根が30〜40本もあるのには驚かされる。根まで抜かないと再生してくるので、小さな草を抜くのにも結構な作業となり、中にはトゲを持っているものもあるから注意が必要である。

5月は6回の海外活動である。寸暇を惜しんで連休の合間の2日間、朝5時から夕方6時まで、昼食のわずかな時間を除いて唯々無心に草と格闘した。時に立ち上がるには近くの木の幹に両手を掛けてゆっくり腰を伸ばさないと動けない時もある。腰が伸びたら仰向けになって何となく青空に浮ぶ雲の流れを見ていたら、犬の散歩をしている女性に「大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか?」と、顔を覗かれたこともあった。

父・良一は、禅の高僧であられた妙心寺派の管長・梶浦逸外(かじうら いつがい)氏に、「足も痛くなるのに、何で禅の修行には座禅が必要なんですかねぇ」と悪態をついた上で、「私は心外無悟道(しんがいごどうなし)、即ち、心の外に悟る道はないですから、便所の中でもできますよ」と言って、高僧を苦笑いさせたことがあった。

筆者に参禅の経験はないが、草取りは唯々無心に目の前の小さな草取りに徹するので、ストレス解消の妙薬であり、座禅の修行に似ているのかもしれない。しかし体の疲労感は、大げさな言い方をすれば、極限に近い。毎日ストレッチ体操で鍛えており足腰に自信があるはずだが、どうしても節々が痛くなる。結局のところ、禅とはまったく無縁のものであり、単なる筆者の意地かも知れない。

ここまで「雑草取り」ではなく単に「草取り」と書いたのには訳がある。かつて、東北出身の参議員議員であった伊藤五郎氏は、中央大学の夜学で勉強して弁護士になられた苦学力行の人であったが、趣味の俳句を上梓。一冊を当時の入江待従長を通じ昭和天皇に献本された。しばらくすると入江待従長より電話が入り、天皇が一句の誤りを指摘されたのでお伝えするとのことであった。

「名もなき草」とは誤りで、すべての草には名前がある。ここは「名も知らぬ草」とすべきと、植物にお詳しい造詣深い昭和天皇のご指摘に伊藤氏は恐懼感激(嬉しさのあまりに、恐れかしこまりながらも喜ぶこと)し、恥入ったとの逸話がある。このことを伊藤五郎氏の弔辞で話したところ、産経新聞の社会面で掲載されたことがあるが、これも遠い昔話になってしまった。

「やはり野におけるレンゲ草」と言うが、私が目の敵にする繁殖力が強く根の深いタンポポも、それぞれの場所を得て懸命に咲いている。植物学者でもあられた昭和天皇は、「名も知らぬ草取り」はご意思に反することであったかもしれない。自然は自然のままであるべきが正しく、私の趣味の草取りは、人間の単なるエゴなのかも知れない。
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